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22 発覚と崩壊

「最近は、どう?」

 リアンテが尋ねたとき、シェラーサは照れたように笑って答えた。

「しゃべっていい? しゃべっていい? 最近ね、塔の部屋に長くいてくださるようになったの!」

「ほんと!? え、あの、どうしてかしら」

 戸惑うリアンテに、シェラーサは自分の指を絡ませたりほどいたりしながら言う。

「私といるのが、嫌でなくなったってことだと思うんだけど……?」

 そう判断していいのかどうか、リアンテが迷っていると、シェラーサは続けた。

「まあ、理由はともかく長い時間いてくだされば、その分『治療』も進むわ。いい傾向よ」

「そう、良かった」

 リアンテはうなずいた。


 イダートから密かに聞いた話では、国王はイダートや大臣たちとの秘密の会議で、大臣たちにも呪いのことを明らかにしたらしい。しかし、それはあくまでも王族の存在によって無力化する程度のものであるとし、現在はエヴィルソンがその役目を負っていることを、ミラグ師を会議に呼び出して明言させた。

 そして、魔女は彼のミシスの大きさに惹かれて近づいてきたもので、ある意味国王に『飼われて』いるのだと……そういう言い方をしたらしい。


「陛下に殺されそうになったりとか、他にも色々、ひどいことされてないわね?」

 シェラーサの反応を見ながらリアンテが尋ねる。シェラーサはにっこりと笑った。

「黙ってひどいことされる私じゃないけど、とにかくされてないわ。ひどいことも、イイこともね。それはちょっと残念だけど。……なんだか最近、護衛の人たちもごちゃごちゃ言わなくなったのよね。少し数も減ったかも」

「それなら、陛下がそうさせたってことよね。……なんだか、信じられないくらい、本当にうまくいっているように見えるわ」

「でしょう? 話すことはむしろ減ったんだけど、本や書類をお持ちになって静かに過ごされてるわ。『治療』もしやすいの。私といると楽になると、何となくでもわかってきたのかも……でも、気を抜かないようにしないとね」

 そう言ったものの、シェラーサは照れくさそうにうつむいた。

「何だか、嘘みたい。最初は本当に、かっこいいわーって見ているだけだったのに。……ほら、『魔法王』っていらっしゃるの、知ってる?」

「もちろんよ! 知らない人はいないわ」

 急に話が変わったが、リアンテはすぐにうなずいた。

『魔法王』と呼ばれているのは、ダナンディルス王国の建国王だ。大変な美男だったと言われ、外見に関する話には何かと引き合いに出され、彼の絵姿は昔から女性に人気がある。

「『魔法王』は例えだけど、想像してみて。ああいう、雲の上の存在と自分が、二人きりで、一つの部屋で過ごす。どう?」

 シェラーサは言い、くすくすと笑った。

「あー、リアンテにはわからないかも。女性に人気のイダートを夫にしているんだものね」

「……イダート様には内緒だけど、ちょっと、わかるわ」

 リアンテは声を潜めて言ったが、その頬はほころんでいる。

「だってあの『魔法王』でしょ、あらゆる女性の理想じゃない。私だって子供の頃は絵姿を見て夢中になったもの、もし一つの部屋で過ごすことになったら卒倒しちゃう」

「まさにそういう感じなの。私のとってのそういう存在が、たまたま目の前に現れて生で観賞できて、私ったらなんてツイてるんだろうって思ってただけだったのに。まさか同じ部屋で過ごせて、『治療』のためとはいえ触っちゃうなんて」

 ため息をつくシェラーサの様子が微笑ましく、リアンテは相づちを打ちながら聞いた。


 が、次のシェラーサの言葉で我に返った。

「もし今、例えば聖樹が突然復活するとかして、全て解決して王宮から去ることになっても、悔いはないわ」


「えっ……そんな、もしそうなったら、ミシスのことなんか関係なくおそばにいられるじゃないの!」

 あわてて励ますリアンテに、シェラーサは首を横に振る。

「ううん。魔女は、必要な時以外にはうっとうしい存在だもの。いつかは相手が先に死んでしまうんだから、必要とされた時に助けてあげて、私も嬉しいし相手も喜んで、それでさよならしておいた方がいい思い出になるでしょ」


 リアンテがまた口を開こうとした時、ノックの音がしてニェーテが入ってきた。

「妃殿下、そろそろ宰相夫人のお茶会のお時間ですが、どうなさいますか?」

「そうそう、お招きいただいてたわね。もちろん行くわ」

 シェラーサは立ち上がり、ニェーテに先導されて廊下に出て行った。


(シェラーサ……)

 リアンテは両手を握りしめる。

(必要とされなくなったら、かつて王配にそうされたように殺される、捨てられると思っているの? ああ、でも)

 国王が、魔女を『飼う』という言い方をしていたという話を思い出す。

(今の陛下は、淀んだ呪いに蝕まれている。それが解決した後、『本当の陛下』がどんな行動をするかは誰にもわからない。急に夢から醒めたみたいに、新しい王妃を迎えて幸せに暮らすかもしれないし、逆にシェラーサが陛下をお慕いしていることに味を占めて、利用しようとする可能性も……。……シェラーサもきっと、不安なんだわ)

 リアンテは握りしめた両手をそのまま胸に押しつけ、祈った。

(どうか、本当の陛下が、シェラーサを大事にして下さる方でありますように……)


 少しずつ少しずつ、シェラーサの『治療』は進んだ。

 普段、ほとんど無表情だったエヴィルソンが、何となく柔らかい表情を見せるようになった気がする……と言い出したのは、イダートだ。

「時々なんだが、会議の最中に笑うこともある。本当の父上はこういう方なんだろうか」

 ずっと難しい表情だったイダートまで、近頃では表情が柔らかい。


 嬉しく思うリアンテだったが、気を緩めたときに何かが起こりそうで怖い、と思ってしまう。こんなにうまく行っていいのだろうか、何かの前触れではないか、と思ってしまう。

 不安など口にしたら、それが本当になるのではないか。

 リアンテは自分を抑え、その気持ちを誰にも話さなかった。



 その日、エヴィルソンは西の塔でシェラーサと過ごした後、従僕を従えて自室に戻るべく渡り廊下を歩いていた。


 従僕の持つランプが足下を照らしているが、視線を逸らすとそこは暗い庭園。夜の闇を見つめ、エヴィルソンはふと足を止めた。静かなはずの彼の周りを、かすかな虫の声が、呼びあうように重なりあうように満たしている。

(近頃、音や光が以前より多く、届いてくるような気がする)

 そう思いながら見上げると、たった今後にしてきた西の塔が見えた。窓の灯りが、まだ柔らかく浮かんでいる。

(……魔女はいつも、どこで夜を過ごしているのだろう)

 エヴィルソンは立ち止まったまま考えた。昼間、騎士たちが見回りをしている時は、塔の部屋はもぬけの殻らしい。


 ゆるり、と、彼の中で黒いものが沸き上がる。


(呪いを盾に王家を脅すような魔女を、普段は野放しにしていることになるではないか。……ばかばかしい)

 急に踵を返し、塔の方へ戻り始めたエヴィルソンに、従僕があわててついてくる。

(私のそばにいることは、あの女の望み。それなら、私に縛り付ければいい。昼も夜も)

 心の片隅がまたうずいて、エヴィルソンに何かを知らせようとする。しかし、その上に重石がのっているかのように、耐えきれずにまた奥底へと沈んでいく。


 エヴィルソンは気づかなかった。シェラーサをそばに置きたいと考える欲が、本当はどこから来るものなのか。


 いつの間にか、塔の部屋の灯りが消えていた。視界の隅で何かが動き、はっとそちらを見ると、庭園の奥に長い尻尾が見えた。

(魔女か)

 シェラーサの化けた猫は、ゆっくりと塔から離れて行くところだった。上品な歩き方が彼女そのものだと思ったとき、心の中に広がっていた黒いものは澱のように底に沈み、静かになった。

 エヴィルソンは猫の後を追った。


 庭園の木々を抜け、石像を回り込み、猫はやがて王太子夫妻の暮らす区画に入り込んだ。

(どこまで行くつもりだ。まさか普段は、ずっと猫の姿で過ごしているのか?)

 エヴィルソンは立ち止まった。

(後など尾ける必要があるだろうか、呼べば喜んで来るはずだ。あの魔女は自分を求めているのだから)

 猫の姿が見えなくなった。建物に入ってしまったのかもしれない。

 生け垣越しに魔女を呼ぼうと口を開きかけた時──


 ──ミシスが動いた。


(魔法を使った? 元の姿に戻ったのか?)

 エヴィルソンは眉根を寄せる。


 庭から王太子夫妻の住まいに踏み込むのは、我が子とはいえさすがに自制が働いた。

 立ち止まったまま、エヴィルソンは足下に意識を集中させた。

 己が、地中の何かとつながる。それはまるで根を伸ばすように広がっていく。もしかしたら、燃えてしまった聖樹の根が王丘の中に張り巡らされたまま残り、その跡を追っているのかもしれないと、エヴィルソンは考えていた。

 その根を通して、彼の意識は猫の姿が消えた方へと猫を追い──


 声が聞こえた。

『ただいま』

『帰ったのか』

『あらイダート殿下、今日は早かったのね』

『たまには『妃』と話そうと思ってな』

『私と? ありがと』


 それを聞いた瞬間、心の底に沈んでいた黒いものが、ゆらり、と浮かび上がった。

 虫の声も星の瞬きも、意識から消え去った。


 エヴィルソンは身を翻し、元来た方へと戻り始めた。何かに追い立てられるように足早に、自室へ、自室へと向かう。

「陛下……? どうか」

 なさったのですか、と聞きかけた従僕に苛立ち、腰の剣に手をかけたのは覚えている。しかし、自室にたどり着いた時には従僕の姿はなかった。彼がどうなったのかわからなかったが、もはやどうでも良かった。


 寝室に入ると、エヴィルソンは部屋の中央で立ちすくんだまま、苦しげな息をついた。

「……魔女め」

 口にすると、一気に心の中が黒く塗りつぶされた。

「魔女め……魔女め!」

(あの女は、塔からイダートの元へ帰った。『妃』だと? 魔女がイダートの妃リアンテ? イダートを騙しているのか? そう……エヌイスにも化けていた女だ、別人に化けることなど簡単ではないか)

 初めてリアンテと会った時、自分を恐れなかった瞳。あれは、彼女が魔女だったゆえなのだ。

(やはり魔女は上手(うわて)だったのだ。イダートを騙して結婚し、私を騙した。父と息子を手玉に取る淫売め!)


 一瞬、塔で過ごしていた時の不思議な心地よさが思い出され、エヴィルソンを引き留めた。

 魔女の自分なら側にいられると、笑った顔。聖樹の側で淀みを浄化していた、額の汗。


(違う)

(何がだ)

(そんなことをする理由が)

(王家に入り込んだ)

(彼女に手を出すな)

(殺せ!)


 いくつもの声が、心の中を錯綜する。


「が……がはっ」

 せき込んだエヴィルソンは、床に膝をつき、手をついた。その手足が再び、地中の根の痕跡を拾う。王丘に淀んだ呪いが、ざわめく。


 長い長い、煩悶の夜が始まった。

残り3話です。

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