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2 令嬢、魔女と出会う

 大陸の西半分を占める、ダナンディルス王国。ここでは、「ミシス」と呼ばれる力を操る技のことを「魔法」と呼んでいた。

「ミシス」とは神々の恩恵のことを指し、人々はミシスを浴して生きていると言われている。それは動物や植物に降り注いで宿り、人がそれらを食することで人を生かし、人が感謝の祈りを捧げることで天にまします神々の元に返り、再び地上に降り注ぐ。その循環が続く限り、この世は永遠に栄えるのだ。


 自分の中のミシスを操ることのできる「魔法使い」と呼ばれる人々も、信仰を広めるのに一役買っていた。魔法を使う聖職者も多かった。また、王丘にはミシスを集めて育つ巨大な『聖樹』があり、ふもとの町から毎日その神々しい姿に祈るのが、人々のならわしだった。

 しかしその後、人々の信仰の力は弱まり始めた。隣国ハーヴェステス王国と争った際、ダナンは信仰心を体現する存在であった聖樹を、火災で失ったのだ。

 四百年が経った今も、王丘の南斜面の旧聖堂には黒く焼けた切り株が残っている。


 ミシスによって育つ聖樹が燃え、神々の力を「見る」ことができなくなってから、人々の信仰心は薄れ、天に返すはずのミシスは少しずつ弱まった。魔法使いも少しずつ、その数を減らしていった。


 そんな時、一部の祭司たちや魔法学者たちが、こんな説を唱えた。

「遥かな昔から、聖樹を見守り続けてきた王家の人々は、聖樹と深いつながりがある。国民は今こそ、これまで聖樹に向けてきた信仰と同じ信仰で王家を支え、その神聖な存在でダナンディルスを守っていただくべきである」


 それ以来、代々の国王・女王はたびたび国民の前に姿を現し、ミシスを天に返す儀式を行い、国民を安心させた。そうして王家が長の年月をかけて力を増すほど、皮肉なことに人々は王家をこそ神聖視し、人心は神々から離れていく。

 一方で、国民の間にも存在していた魔法使い──特に魔法の才能が現れるのは女性のことが多かった──の中には、人心が神々から離れて信仰の形が変わることを憂える者たちがいた。

 数も減りつつあった彼女らは、徐々に不可思議な存在として『魔女』と呼ばれ、人々に畏れられるようになっていった。


 幼いリアンテが初めて魔女に会ったのは、そんな時代のことだった。


 ナージュ連爵の令嬢であるリアンテは、幼い頃、母とともに地方の別邸で暮らしていた。父は国務大臣としての仕事が忙しく、王丘の本邸で暮らしており、別邸の方は時折訪れるだけだった。

 母は別邸で、貴族たちを招いて賑やかに過ごすのを好んだ。領地の端にある森のそばまで出かけ、狩りをしたり、近くの川でボート遊びに興じたりし、外で昼間から食事と酒を楽しむ。大騒ぎがあまり好きではないリアンテは、花を摘んだり人形遊びをしたりしながら、退屈な時が過ぎるのを待つのが常だった。


 六歳になったある日、退屈に耐えかねたリアンテは、大人たちの目を盗んで近くの森に入った。ちょっと散歩してすぐに戻るつもりが、美しい蝶を追っていつの間にか森の奥深くまで入り込む。

 木の根につまづいて転び、我に返ると、帰り道がわからなくなっていた。

 すりむいた膝はじくじくと痛むし、あたりは静まり返っているしで、半べそをかきながらさまよっていると、水の音がする。

 誘われるように行ってみると、小さな谷間を小川が流れており、川に面して生えた木の根の陰に、秘密めいた木の扉があった。

 リアンテはためらいながらも扉に近づき、礼儀正しく二度、ノックをした。


 中からガターン! と大きな音。

 扉の脇の穴から、青とも緑ともつかない瞳がリアンテの方をサッとのぞき、すぐに消え、ガタン、バタバタ、ピカッ! と土壁の向こうで音と光が暴れた。


 ──やがて、ギィッ、と扉が開いた。

「あら、お客さんなんて珍しい。こんにちは」

 ささっ、と長い前髪を耳にかけながら出てきたのは、亜麻色の髪に草色のドレスの若い女性だった。すらりとして美しく、心地よい声をしていたが、何を焦ったのか額に汗がにじんでいる。

「こんにちは……リアンテ・ナージュともうします……あの」

 両親に教えられた礼儀に従い、リアンテは泣きじゃくりながらも膝を折って腰を落とした。すると女性はすぐに、リアンテの怪我に気づいた。

「入って! 座って!」

 急にあわてたようにリアンテを招き入れた彼女は、リアンテを切り株のような形の椅子に座らせると、手をかざして早口に言った。

『集えミシス、森と海、雲とソレスの癒し』


 気がついたら、リアンテの膝の傷は綺麗に消えていた。


 ──魔女だ。

 目を丸くしたリアンテは思わずつぶやく。

「ま……ほう?」 

 しかし、シェラーサは聞いているのかいないのか、リアンテの膝をためつすがめつし、

「良かった、久しぶりだったけどちゃんと治ったわ」

などと若干恐ろしいことを言い、それから、

「散らかっててごめんなさい、やっぱりたまにはお客さんが来てくれないと、片づけようって気にならなくて。やだ、お菓子もないわ、芋ならあるんだけど。ええと、私はシェラーサよ。あっ、そうだ干しピリムが」

と言い訳の合間に名乗ったりし、リアンテをちらちらと見ながら忙しく右往左往した。そして、干した果物と、不思議な香りのするお茶をごちそうしてくれた。

 人心地ついたリアンテが木のカップを置き、

「……あの……私、迷子になって」

と打ち明けると、頬杖をついてまじまじとリアンテを見つめていたシェラーサは、ぱっと背筋を伸ばした。

「ええ、わかっていますとも。大丈夫、ちゃんと送ってあげる」

とうなずいた。

 リアンテは内心、胸をなで下ろした。魔女についてよく知らなかったため、彼女の中ではおとぎ話に出てくる妖婆の印象とごちゃ混ぜになっていた。もしかしてこのまま帰してもらえず、太らされて頭から食われたり、死ぬまでこき使われたりするのではないかと、密かに怯えていたのだ。

「あの……魔女のお姉さん」

 おそるおそる話しかけると、「お姉さん」を言い終わる前に間髪入れずに、

「シェラーサでいいわ」

と返事が飛んでくる。こんな速さで会話をしたことのないリアンテはどもりながら、続けた。

「シェラーサ……魔法、久しぶりって……あまり使わないの?」

「魔法は遊びにしか使わないわ」

 シェラーサの返事は速い上に明瞭だ。

「ずっと一人暮らしなのに、魔法で何もかも片づけてしまったら、暇になってしまうじゃない? だから普通に家事をして暮らして、暇になったときに暇つぶしにだけ、魔法を使うの」

「暇、なの?」

 リアンテの質問に、シェラーサはぴょこんとうなずく。

「忙しいこともあったけど、ここ七十年くらいは特に暇ね」

 魔女との不思議な会話に、リアンテは気分が高揚してきた。大胆にも質問する。

「魔法で遊ぶって、どんな遊び?」

「そうね……例えば」

 シェラーサは開いた手のひらを床と平行に上げると、

『ソレスの陰、ニュイスの眷属、星の煌めき』

と唱えた。


 とたんに、床が夜空になった。


「きゃあ!?」

 リアンテは机にしがみついた。机と椅子が夜空に浮いていて、ずっと下、深い場所で星がきらめいている。いつの間にか室内の灯りは落とされていて、星が明るさを増していた。

 シェラーサは机にひょいと乗って座り、隣を軽くたたいた。

「さ、ここに座って。はい、これ持って」

 へっぴり腰で机にのぼったリアンテは、木の枝に糸を結んだものを渡されてそれを観察した。糸の先には釣り針がついている。

「釣りをするの?」

「そうよ。ほら、もう釣れた」

 シェラーサが軽く木の枝を振ると、糸の先の釣り針に光の球がついてきた。

 球はぽーんと宙を飛び、シェラーサの手のひらに落ちる。シェラーサはそれを、いつの間にか机に置かれていた鉄鍋の中に入れた。

「きれい……わ、私も」

 リアンテも急いで、釣り針を垂らす。すると、夜空の底からゆらゆらと星の光が上がってきて、リアンテの釣り針にすうっととまった。

 そっと引き上げ、光を手のひらに載せる。

「わあ、釣れた……」

 吸い込まれるように見つめてから、リアンテもそれを鉄鍋に移した。

 夢中で釣るうちに、鉄鍋は光でいっぱいになる。シェラーサは柄杓で光をすくうと、二つの木のカップに入れた。

「星の光を飲むと、美人になれるのよ」

 シェラーサは片目をつむってそういうと、リアンテのカップに自分のカップを軽くぶつけてから、光を飲み干した(ように見えた)。

 リアンテも真似をして、まぶしさに目を閉じながらカップを唇に当てた。何か冷たく澄んだものが、のどを滑り落ちたような気がした。


 ──カップを口から離して目を開くと、部屋は元通りになっていた。ランプの明かり、木の床、暖炉の鍋から上がる湯気。

「すごいわ、楽しかった!」

 興奮するリアンテの顔を覗き込んで、シェラーサはにっこりと笑った。

「リアンテ、目がきらきらしてる。星を飲んだからかしら?」


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