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19/29

19 百二十年前、彼女は

「珍しく、雨ね」

 夕食後の居間。

 招かれた茶会の礼状を書いていたシェラーサは、少し顔を上げて耳を澄ませた。すでにカーテンの閉まった窓の向こうで、雨粒がガラスを叩く音がする。

 侍女姿のリアンテが声をかけた。 

「雨だし、今夜はどこかへ行ってしまわないでね」

 リアンテは、爪の手入れの道具を手にしていた。しかし、それはほかの侍女の手前使ったふりをしただけで、実際には使っていない。時間の止まっているシェラーサの身体は、髪も爪も伸びないからだ。

「雨くらい平気よ、それこそ西の塔で過ごしたっていいんだし。大丈夫よ?」

 首を傾げるシェラーサに、リアンテは微笑む。

「イダート様が、たまにはシェラーサも一緒に三人で何か飲もうっておっしゃってたの。(ねぎら)う会、みたいな?」

 シェラーサは軽く目を見開いた。それから、頬杖をついて苦笑する。

「……それは嬉しいけど、どうせエヴィルソン様との話を聞きたいんでしょ」

「どうかしら。とにかく準備してくるから、ちゃんとここにいてね」

 リアンテは言い、シェラーサの「はーい」という返事を聞きながら居間を出た。


 食事のための厨房とは別に、軽食を用意する小さな厨房がすぐ近くにある。リアンテはそこで、酒器と茶器を両方、それに軽く摘めるものをワゴンに用意した。レイシアやニェーテに怪しまれてはいけないので、二人分だけだ。

 ワゴンを押し、廊下に出た。居間の手前に出たところで、イダートがやってくるのが視界に入った。

 リアンテは表情を引き締め、イダートを待った。

 イダートは付き添っていた従僕を帰し、リアンテの前で一度立ち止まると、やはり引き締まった表情でうなずいた。

 二人は共に、居間に入っていった。 

 

 シェラーサの顔を見た瞬間、イダートはこれから話そうとしている内容を、彼女が何かしら予想していたことに気づいた。

「何をそんなに、落ち込んだ顔をしているのだ」

「だって。身代わり、今度こそ本当にやめろって言うんでしょ」

 シェラーサはソファに座り、悄然と肩を落としている。 

「なんだか不安な気持ちがするんだもの。魔女の予知ってこんな風かと思ったけど、予知なんか働かなくても、リアンテが『労う会』って言ってたし……お疲れ様、もういいよ、ってことよね。当然だわ、イダートは私が勝手をするから怒ってるんだろうし」


「そんな、あれは今日シェラーサに居残って欲しくて言っただけよ」

「私も怒ってなどいない」

 リアンテは慌て、イダートは軽く首を横に振った。

 そして、二人は目を合わせ──


 シェラーサの前に、イダートは片膝を、リアンテは両膝をついた。シェラーサが目を見開く。


 イダートは言った。


「こちらこそ、数々の非礼を詫びねばなりません。……十六代女王、シェライラ・ダーナディー陛下」

 二人は静かに、頭を下げた。


 シェラーサは目を見開き、思わずと言った風に立ち上がった。


 そして、両手を頬にあて、叫んだ。

「そっちー!?」


 立ち上がったものの、再びソファに崩れ落ちたシェラーサに、リアンテがあわてて駆け寄った。

「だ、大丈夫!? あ、あの、お加減は」

「やめ……やめて」

 シェラーサは急に、どっと目に涙をあふれさせた。

「今まで通りに、しゃ、しゃべって。お、お願い」

 しゃくりあげるシェラーサの背を、リアンテはせっせとさする。

「わかった、わかったわ。驚かせてしまってごめんなさい。何か飲む?」

「うう……」

 シェラーサはリアンテの差し出した手布で鼻をかむと、一つ大きな息をついた。

「……たまには、私に用意させて。何かしないと落ち着かない……」

「いいの?」

「ええ、いいの。大丈夫」

 かろうじて微笑むと、シェラーサは立ち上がってワゴンに向かった。彼女の背中越しに、酒の瓶の栓を抜く音がする。

 イダートとリアンテは顔を見合わせ、それから二人並んでソファに腰を下ろした。


 やがて、シェラーサはトレイを手に二人の方に向き直ると、低いテーブルにグラスを並べた。紫色の果実酒が入っている。

「そういう話なら、飲まなきゃやってられないわ」

「そうかもしれないな」

 イダートはグラスを手に取った。リアンテも続く。トレイをワゴンに戻したシェラーサも、グラスを手に座り、一口口に含んだ。

「……まあ、油断してたなとは思うわ。色々、手がかりになることをポロポロしゃべっちゃったし。小さい頃のリアンテには特にしゃべったかもね、未来に身代わりすることになるなんて思わなかったから……でも、よくはっきりとわかったわね」


「女王の絵に修正を入れなかった、優秀な宮廷画家のおかげだな」

 イダートは一度立ち上がり、部屋の棚に隠してあった小さな額縁を出すと、シェラーサの方に向けた。


 書庫から見つけたそれには、亜麻色の髪に青とも緑ともつかない不思議な色の瞳の、王冠を戴いた美しい女王の姿が描かれていた。

 シェラーサそのものだった。


「この美しさが徒になるなんて……美しくなければ修正入ってたでしょうに」

 シェラーサはわざとらしくため息をついてから、グラスを置いた。

「……全て、処分されたと思っていたわ。愚かな女王の肖像画など」

 手元に視線を落として言う。

「もう知ってるんでしょ? シェライラがどんな女王だったのか」

「記録は、読んだ」

 イダートは言い、果実酒を一口口に含んでから続けた。

「先王を何らかの手段で死なせ、女王の座についた、と。……先王が国王にふさわしくないなら、味方を集め退位を迫るのが筋。なぜそうしなかったのか、議会に糾弾されている最中のある日、湖で死んだ」

「でも、本当は死んでなかったのね」

 リアンテが尋ねた。

「『死んだふりして撤退』、そうでしょ?」

「その通りよ」

 シェラーサは静かに微笑んだ。


 軽く咳払いをし、イダートが言う。

「死んだふりをして森に潜み、暮らしていたある日、そなたはリアンテから相談を受けた。自分をひどい目に追い込んだ王家に復讐するいい機会だと思い、リアンテの身代わりを申し出た……」

 シェラーサは黙って、イダートを見つめた。


 イダートは見つめ返し──笑って続ける。

「……訳はないな。それならとっくに、何らかの手で私を破滅させているだろう。ここまで深く関わってきたのだから」

「そう、そうよね」

 リアンテも気を落ち着かせるようにグラスに口をつけ、そしてまっすぐにシェラーサを見た。

「どうして、ずっと隠していたの?」


 シェラーサは静かに答えた。

「リアンテはともかくとして、イダートにはこんな話、簡単には打ち明けられなかった。それこそ王家に復讐しようとしてるって思われる。王族だからこそ、愚かな女王を自分の妻の身代わりになんてできないでしょ? 本当はただ、リアンテの件のついでに今の王家をのぞいてみたかっただけなんだけど」

「今なら、私を信じて話してくれるのか?」

「ええ、今なら。あなたも私を信じてくれてるって、わかるから」

「なぜそんなことがわかる?」

「それ」

 シェラーサはグラスを指さした。

「私が用意した飲み物を、あっさり飲んだじゃない。何か入ってたらどうするの、陛下は飲まなかったわよ?」


「……試したな? それで自分から、飲み物を用意するなどと」

 イダートは眉を上げ、言った。

「何かするなら薬など盛らなくとも、シェラーサはとっくに魔法でやっているだろう?」

 それを聞いたシェラーサは吹き出した。

「その通り! 賢いわねイダート、賢い賢い」

 イダートとリアンテは、不思議そうに顔を見合わせた。



「実際にあったことを、話しましょうか」

 シェラーサ──百二十年ほど前に女王として在位していた、シェライラ・ダーナディー──は、もはやためらうことなく話し始めた。

「私は、私の前の国王である父の死には関わっていない。落馬の怪我が元で亡くなった父の後継者として、十六歳で王位についたときは、ほとんど呆然としていたわ。けれど、父のそばで公務をよく見せていただいてたし、王女としての公務もそれなりにこなしていたから、やるべきことを始めたら立ち直りは早かったと思う」


「そうだ、そこで一つだけ嘘をついたでしょう、シェラーサ」

 リアンテが指摘する。

「『王宮に出入りできる身分だった』なんて……出入りどころか、王族だったんじゃないの」

「嘘じゃないわ、すっごく出入りしてたのよ! 王女時代、父にこき使われて、国中あちこち行かされてたんだもの。社交デビューしてからは王宮にいる方が珍しかったんじゃないかしら」

 シェラーサは笑う。

「そのおかげで、引継のあれこれがとても順調にいったんだけど、まあその話はいいとして……。私には幼い頃から、周りの誰よりも強い魔法の力があったの。母から力を隠すように言われて育ったから、私は『ミシスの器はとても大きいけれど、魔法はちょっとしか使えない』という風に周りに思われるよう気をつけていたわ」

「お母様は、強い力目当てに近づく人がいるのを恐れたのね。それとも、あなたをおかしな視線に晒したくなかった……?」

 リアンテの言葉に、シェラーサはうなずく。

「そう。当時はすでに、力の強い魔法使いはほとんどいなかったから。私の力について知っているのは、ほんの一部の人だけだった。両親と乳母と、それに幼い頃から私を知ってる庭師くらいね。……即位から一年後に、私は遠縁の男性と結婚したの。少し年上の彼は王族ではなかったけど、王家の事情をよく知っていて、しかも私を好いてくれた。王配(おうはい)として側で助けてくれるのは、とてもありがたかったわ。私も少しずつ夫を好きになって、早くこの人の子どもができたらと思ったけど、なかなかできなかった」


 小さなグラスを空にして、テーブルに置いてから、シェラーサは続けた。 

「結婚して三年経ったある日、夫と湖の岸を散策していて、釣り糸の絡まった水鳥を見つけたの。苦しそうだったからほどいてやろうと思ったけど、近づくと逃げてしまって。見失いそうになったから、とっさに呪文を唱えて鳥の行動を封じて、糸も魔法で切ったのよ。私がそこまで魔法を使えると思ってなかった夫は、びっくりしてた」

「実際はもっとすごいのだがな」

 イダートが口を挟み、シェラーサは軽く顎を上げて見せる。

「まあね。……魔法はこれが精一杯、みたいにごまかしておいたけど、夫にはなるべく秘密を作りたくなかったから、片鱗でも見せられて何だかスッキリしたわ。……その数日後だった。私が魔法で父を殺したという匿名の手紙が、大臣の一人の元に届いたのは」


 淡々と、シェラーサは続けた。

「夫は、たぶん湖での一件を誰かに見られたんだろうって……魔法がかなり使えることを隠していたのがまずかった、って。やったという証拠なんてないんだから大丈夫、と彼には言ったけど、やっていないということを証明するのは魔法に関わることだしとても難しい。権力関係も災いして、私の細かい行動をあげつらって疑いの目を向ける人も出始めたわ」

 イダートもリアンテも、王族貴族がどのように噂話を利用し、少しずつ改変し、自らの有利になるように動くかよく知っている。軽くうなずきながら、黙って耳を傾けた。

「さすがに辛くて息が詰まりそうになってた時、夫が護衛の騎士に話を通して、息抜きに連れ出してくれた。湖に、王族だけが出られる岸辺があるの、知ってるわね」

 イダートはうなずいた。王丘に掘られた洞窟を通っていける場所で、そこだけが急峻な岩場で区切られており、船でもないと他の岸辺と行き来することはできない。


「あの水鳥がそこに来るのを見た、シェライラも無事を確かめたいだろうって、夫は……。でも、それは嘘だったの」

 シェラーサはうつむく。


「水際まで出たとき、いきなり後ろから頭を水の中に押さえ込まれた。呪文が使えないようにしたんでしょうね」


 イダートとリアンテは目を見開いた。

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