15 五人目の妃
夜の儀式は行われた。
エヴィルソンの後に続いたイダートは誓句以外一言も発せず、シェラーサも固い動きで儀式を行い、終わるとすぐに聖樹を離れた。
すでに若者の亡骸が運び出された後の廊下では、下働きの人間が数人がかりで焦げた絨毯をはがしている。エヴィルソンはやはり彼らに目を向けることなく、自室へと引き上げていった。
イダートとシェラーサも、顔をこわばらせたリアンテと今にも倒れそうなレイシアと共に、自室へと戻る。
レイシアを控え室のニェーテに任せ、王太子夫妻の居間にはイダートとシェラーサ、リアンテだけになった。
「大丈夫? リアンテ。座って」
シェラーサはリアンテと共にソファに腰を下ろしたが、イダートは立ったまま苛立っている様子だ。
「一体何だったんだ、今のは。父上は……父上は、妃のこともあのように容赦なく切り捨てたのか」
「イダート様」
声を震わせるリアンテ。イダートは顔をゆがめる。
「見ただろう!? 父上は一撃で腕を切り落とし、心の臓を刺し貫いた。まるで余裕の動きだ。それなら、他にやりようがあったはずではないか……しかもすぐに忘れたように、儀式を」
「イダート、ちょっと落ち着いて」
シェラーサは淡々と言った。
「エヴィルソン様の非情に目が行くのもわかるけど、先に手を出したのは、学者の弟子の方よ。ただ殺したのとは少し違うわ」
「それは……そうだが」
イダートは口ごもり、そしてようやくソファに座るとため息をついてから言った。
「……学者から話を聞いておくことにする。あの弟子が普段から、父に反感を持っていたのかどうか。死んだ妃たちの関係者、という可能性もなくはない」
リアンテがつぶやいた。
「あのお弟子さん、本当はいけなかったのに、つい聖樹に近づいてしまったみたいでしたね。何だか、現れたときから様子が変だったわ」
そんな彼女に、急にシェラーサは尋ねた。
「そうだ。リアンテ、あのこと誰かに聞いてみた? 気分が悪くなるならないの話」
リアンテが、あっ、と答える。
「ええ、三人目のお妃様の侍女をしていた人がいたので聞いてみたわ。そのお妃様は、儀式の後に気分が悪くなったことがあるそうよ。又聞きだけど、四人目のお妃様もそういったことがあったらしいって言ってた。他のお妃様はちょっとわからないけど」
「聖樹に近づくと具合が悪くなる人がいる、それは確かなのね。でも、私が王宮にいた頃は、そんなこと」
シェラーサは自分の唇を指先で撫で、考え込みながらつぶやいた。
「……エヌイスも心配ね」
「そうね。このまま結婚して礼拝に参加すれば、エヌイスだって具合が悪くなってしまうかも」
うなずくリアンテ。
「そのことなんだが……」
イダートが言った。
「今日の昼間、父上と話をした。エヌイス嬢との内々の結婚式を、五日後に執り行う予定だそうだ。我々にも、参列するようにと」
「えっ」
リアンテはイダートの顔を見て息をのみ、驚いた表情のままシェラーサを見やった。シェラーサはソファの手すりに突っ伏す。
「何でそんな早いのよー。一応国王の結婚なのに、そんなんでいいの?」
「今までの妃の親族たちの心情に配慮して……ということだ」
「ああ……。どうするの、シェラーサ」
リアンテが尋ねると、シェラーサは顔だけ上げてため息をつき、
「ちょっと考えさせて」
と言っただけだった。
それから三日が経ち、四日目になった。
イダートの話では、エヴィルソンを害しようとした魔法学者の弟子には、今まで全く不穏な気配はなかったらしい。少々うかつなところはあるものの穏やかな性格で、むしろ王族を強く神聖視しており、王宮で魔法学を学び始めたきっかけにも怪しいところはなかった。
一方、シェラーサは公務や勉学をこなす合間に時々何か考えごとをしているだけで、国王の結婚について何か行動に出るようなことは全くなかった。
リアンテは彼女の考えごとを邪魔したくはなかったが、エヴィルソンとエヌイスの内々の結婚式は明日に迫っている。どうしても気になり、とうとう尋ねた。
「シェラーサ……今、何を考えているの? 色々なことが起こって、身代わりも嫌になっているのではない?」
シェラーサはリアンテに目を向け、口を開きかけ、また閉じた。
そして、いつものようににっこりと微笑んだ。
「リアンテ、あなたは私のことを心配しつつ、いつも信じてくれる。ありがとう。今も、私ならきっと大丈夫だって思ってくれてるんじゃない?」
「……何もできない自分が情けないわ」
リアンテはうつむく。
「私も力になれたらいいのに」
「あなたが信じてくれることが、力になる」
シェラーサは言い、そして笑みを消した。
「お願いがあるの。陛下とエヌイスの結婚式には、あなたが王太子妃として、出席してくれないかしら」
リアンテは胸に手を当てた。
「そのくらい、お安いご用だわ。でも、シェラーサはその時どうするの?」
「私は──」
シェラーサは微笑んだ。
「──私は魔女よ。魔女は魔女らしく、やらせてもらうことにするわ」
エヴィルソンとエヌイスの結婚式は、祭司長と国務大臣たち、イダートとリアンテ、そしてエヌイスの両親のみの立ち会いで、大聖堂で密やかに行われることになった。
王太子妃の準正装姿のリアンテは、緊張を紛らわせようとそっと大聖堂の中を見回した。大聖堂には、何枚かの人物画が掛けられている。歴代の国王の中でも、よく国を治めたと言われる王や女王の絵だ。
リアンテは考えを巡らせる。
(歴史で勉強したけれど、ここに絵が掛かっている王や女王は長生きした方が多いのよね……ミシスの器が大きいということなんでしょうけど)
ミシスの恵みを多く受ける人間、というのは存在する。魔法が使えなくとも、身体が丈夫だったり疲れを知らなかったり、怪我をしてもすぐに治る者は「ミシスの器が大きい」と言われていた。リアンテもその傾向がある。
(エヴィルソン陛下も、器の大きい方のようね。お妃様のことがなければ……ううん、あっても、王国にとっては大事な方とされている。もしかしたらいつか、ここに絵がかかるのかも)
そうこうするうちに、大聖堂の後方の扉から新郎新婦が入ってきた。
ダナンディルス王国では、片方もしくは両方が再婚の男女はあまり華美な式を挙げることは好まれない。エヴィルソンも黒一色の服装に王冠、エヌイスも控えめな銀糸の刺繍の白いドレスだ。
エヴィルソンはいつも通り、無表情で淡々とした様子だったが、その日のエヌイスも緊張していると言うより、恐ろしいくらいに落ち着いた表情だった。
二人は祭壇の前に進み出た。
「誓いの言葉を」
祭司長に促され、二人は声をそろえて淡々と唱える。
「ソレスの光に恥じず、ニュイスの闇に安らぎ、ドイリの愛を抱き、シャンピの試練に怯まず、二人で共に歩むことを誓います」
そして、まずはエヴィルソンが。
「私はこの女を、妻とします」
次に、エヌイスが。
「私はこの男を、夫とします」
二人の誓句を聞き届けてうなずいた祭司長は、片手を高々と上げた。
「ここに、二人が夫婦となったことを宣言する」
イダートは強く、拳を握りしめた。
(エヌイス嬢には今後、一体どのような運命が待ち受けているのだろうか……)
そしてその隣のリアンテは、そっと視線を聖堂の中に走らせた。
(シェラーサ……今、どこにいるの? 陛下とエヌイスが神々の名において夫婦と認められてしまったわ、このままでいいの……?)
祭壇では続いて、戴冠式が行われようとしていた。
エヴィルソンは、祭司長に差し出されたクッションの上から王妃冠を手に取った。両手で掲げ、うつむいているエヌイスに被せようと近づく。
その時。
窓の外から強い光が入り、聖堂の中を満たした。
すぐに光は消え、遠くから鈍く低い雷鳴が響いてくる。
「ふふ……」
女の笑い声がした。
参列していた人々は、戸惑ってあたりを見回した。一体、この神聖な聖堂で、誰が無遠慮に笑っているのか。
「うふふふ……ははっ……あはははは」
エヴィルソンが目を見開き、目の前のエヌイスを凝視した。
エヌイスの肩が、細かく震えていた。彼女は一歩、二歩と後ずさり、エヴィルソンから遠ざかる。
「国王エヴィルソンよ。お前の誓い、確かに聞き届けた」
笑いを含んだ声。エヌイスの顔が、ゆっくりと上がった。
その顔は──
「な……っ!!」
イダートは必死に、叫び声を押さえた。リアンテも思わず、両手で口元を覆う。
さっきまでエヌイスだったはずのその人物は、変貌を遂げていた。亜麻色の長い髪、青とも緑ともつかない不思議な色の瞳。
魔女シェラーサだった。
「誓いの通り、私はこの男を夫とする」
シェラーサは笑みを浮かべ、宣言した。祭司長がうろたえ、大臣たちがざわめく。
「魔女!? 魔女だ!」
「む、無効だ、結婚は無効だ! 何ということを!」
しかし、シェラーサは大臣たちには目もくれず、エヴィルソンを見つめていた。彼が動かないのを確認し、すっと前に踏み出すと、彼に顔を寄せる。
イダートとリアンテは、動くこともできないままその様子を凝視した。シェラーサの唇が動き、彼女が何かエヴィルソンに囁いたらしいことがわかる。エヴィルソンはわずかに唇を開いたが、結局何も言わなかった。
シェラーサは再びエヴィルソンから離れた。すでに婚礼衣装さえ、草色の魔女のドレスに変わっている。
再び声が響いた。
「罪もないエヌイス嬢には、ある場所で眠ってもらっている。国王エヴィルソンはたった今、私シェラーサと婚姻の誓いを立てた。神々の元で、嘘偽りは許されぬ」
赤く塗られた唇が、言葉を紡ぐ。
「私を裏切れば、ダナンディルス王家の人間は未来永劫、呪われるであろう。誰も彼も、長くは生きられぬであろう」
リアンテは目を見開いた。
『魔法は遊びにしか使わないわ』
そう言っていたシェラーサは、リアンテの身代わりさえまるで遊ぶように楽しそうだった。
(それなのに、シェラーサ……!?)
「魔女よ。王妃の座がほしいのか?」
エヴィルソンが低く言うと、シェラーサは笑い含みに言った。
「王妃冠までは望まぬ。ふふ……謙虚であろう? そなたが私のものとなれば、それでよいのだ」
彼女の姿が、大聖堂の隅の暗がりに消えていく。
「二人のための部屋を、西の塔に用意せよ。国王エヴィルソンよ、明日の夜、私はそこで待っている」