14 儀式の夜の刃(やいば)
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物語は後半に入ります、引き続きお楽しみいただけますように……
披露宴が終わり、初夜を迎えた王太子夫妻の寝室は、重苦しい雰囲気に包まれていた。
「イダートも、エヌイスのこと、知らされてなかったの?」
腕を組む侍女シェラーサ。イダートは苛ただし気に言った。
「大臣たちの言い分では、『リアンテ様を驚かせるために秘密にしていました。同じ年頃のエヌイス嬢が王妃になれば、きっと心強い。嬉しい驚きでしょう』と、こうだ。……しかし、後ろめたい様子が見え見えだったな。おそらく、父上に口止めされて逆らえなかったのだ。父上は私が結婚自体に反対することがわかっていたから、正式ではないにしろ大勢の前で披露して先手を打ったのだろう。もしもこれが正式な婚約発表で、王太子たるこの私が知らされていなかったとしたら、すぐさま退席していたところだ」
「イダート様、エヌイスの方は、不安でいっぱいなはずです」
言いながらリアンテがシェラーサを見たので、シェラーサはうなずいてみせる。リアンテはイダートに向き直った。
「少し前に、王宮に来ていたエヌイスと会ったんです。シェラーサに『陛下はどんなお方か』なんて聞いて、お父上のカトル侯爵がやってくると逃げるように立ち去って……。きっと、エヌイスは乗り気ではないのです。侯爵の方がエヌイスを王妃にしたがっているんだわ」
「五回目の結婚とはいえ、娘が王妃の座につくことは魅力的だろうからな。カトル侯爵はおそらく、連爵の爵位が欲しいのだろう」
「…………」
シェラーサはイダートとリアンテの会話を聞きながら黙っていたが、やがてハッとなった。
「あらやだっ、初夜の寝室に居座ってごめんなさい! この話はまたにしましょ、じゃあ二人とも頑張っ」
「それどころじゃないでしょ!?」
リアンテがシェラーサの手をつかむ。
「シェラーサ、悲しくないの? 恋している方が別の人と結婚するかもしれないのよ?」
「王家では、再婚となると結婚関連の行事は全て内々のものになる」
イダートも言う。
「婚約発表さえあんな形で、ついでのように済ませたのだ。結婚式もおそらく、大がかりな準備などなしですぐ行われるぞ」
「そりゃ、がっかりだけど……」
シェラーサはわざとらしく肩を落とし、それからにっこりと笑った。
「何しろ国王陛下だもの、しょうがないわ。ま、こちらの身代わりに支障があるわけじゃなし。今まで通り続けるだけよ」
「シェラーサ」
イダートは一度リアンテを見ると、またシェラーサを見やった。
「リアンテは、そなたが身代わりを続けることよりも、そなたが好いた相手の元へ行くことを望んでいる」
「嫌よ」
すぐに返答したシェラーサは、少々むっつりしている。リアンテはシェラーサの手を離さないまま、言った。
「わかってる。あなたが私を放り出すことなんて、あり得ないのよね」
「それに、そなたがあの父上の元に走るのは、それはそれでな……」
とても賛成できない、と顔に書いてあるイダート。
リアンテは、すがるような目をして言った。
「ただ、覚えていて。あなたが不幸せになることは、私たちにとっても不幸せなんだって」
シェラーサは口を開きかけたが、結局は困ったように笑った。そして、軽くリアンテを抱擁すると、猫に変身して外へ出ていった。
「ごめん……私のせいね」
翌朝早く、イダートとリアンテの元へやってきたシェラーサは、二人の様子を見て取ると情けない表情になった。
「せっかくの結婚初夜だったのに」
「それどころじゃないって言ったでしょ? シェラーサの問題は私たちの問題でもあるのよ」
「それに、シェラーサのせいではない。とにかくエヌイス嬢があのままでいいのか……」
初夜らしいことは何もなかった様子のリアンテとイダートだが、夜遅くまで話し込んでいたらしく少し寝不足の様子だった。
シェラーサは少し、微笑ましい気分になる。リアンテの性格上、問題を棚上げしておいてイダートとの愛に夢中になることなどできないだろうとわかっていたし、イダートもそれを理解している様子が伝わってきたからだ。
ひとまず今日からは再び、シェラーサが王太子妃に、リアンテが侍女になる。髪と瞳の色を交換し、シェラーサはリアンテの姿に変身すると、腰に手を当てて言った。
「全くもう、どうしたらいいのかしら。この私、偉大なる魔女シェラーサが困り果ててるなんて。あのね、もし私が嫉妬に狂ったら、陛下とエヌイスの結婚をめちゃくちゃにするくらい簡単なのよ。わかってる?」
「エヌイスのためには、それもいいかもしれないわ」
リアンテは生真面目な表情で答え、イダートは宙に視線を浮かせる。
「嫉妬に狂うシェラーサなど、想像できないな」
「もしかしてあなたたち、私ならこの事態をどうにかおさめるだろう、魔女だし、とか思ってない?」
シェラーサは目をくるりと回してため息をつくと、気を取り直したように言った。
「さあ、とにかく、正式に王太子夫妻になったんだから、忙しい日々が始まるわ。まずは立て込んでる予定を片づけましょ」
しばらくの間は、先の女王ファミアを初めとする各所へ、リアンテが王族の一員となったことを報告に訪れる日々が続いた。
王太子妃の初めての公務となったのは、王族のみが参加する聖樹への礼拝である。月に一度の決まった日に四度、暁の女神ドイリ・太陽の神ソレス・黄昏の女神シャンピ・夜と星の神ニュイスの時間帯に、聖樹に祈りを捧げるものだ。
夜明けの薄紫の空、澄んだ空気の中、聖樹は黒々とした姿を晒している。エヴィルソンの後ろにイダートとシェラーサが続き、聖樹へと近づいた。
「全てに等しく降り注ぐ神々の恵みに感謝を。聖樹が失われようとも、女神ドイリに捧げし我がミシスが、天地を永遠に巡らんことを」
聖句を唱え、聖樹の燃え残った根に額をつけ、しばし目を閉じて祈る儀式。エヴィルソン、イダートが行い、シェラーサも敷き布に膝をつく。
頭を下げかけて、シェラーサは一瞬躊躇した。が、そのまま慎重に額をつける。
(……以前、ここに来て木のうろをのぞいた時も思ったけど、変な感じがするわ。何かの力と私の力が引っ張り合うような感じで、不安になる)
祈りながらそんな風に考え、そして立ち上がった。時間としては短い儀式だが、これをあと三回、昼と夕方と夜に行わなくてはならない。
聖樹のある区画から出ると、廊下には主を待つ侍女たちが並んでいた。リアンテとニェーテがシェラーサを見つけ、頭を下げる。
「お疲れさまでございました」
シェラーサは微笑み、二人をつき従えて自室に戻ろうと歩きだした。
廊下の角を曲がったところで、白髪に白いローブの人物と行き合った。魔法学者のミラグ師だ。
「先生」
「妃殿下、お疲れさまでごさいます。初めてご覧になった聖樹、いかがでしたかな」
「燃えてしまってもなお、大きな存在感を持っているんですね」
シェラーサが答えると、ミラグ師はうなずいてから言った。
「ご気分が悪いようなことはございませんか?」
「ええ、何とも。どうしてですの?」
「礼拝された方で、ごくたまにですがご気分が悪くなられる方がいらっしゃったもので。やはり、存在感に圧倒されてしまうということでしょうな。王族の方は精神力が強くていらっしゃるせいか、何ともないようですが……妃殿下も、さすがは王太子殿下がお選びになった方だ」
ミラグ師はシェラーサを褒めると、
「お時間を取らせて申し訳ありませんでしたな、ソレスの儀式までゆっくりなさって下さい」
と言って去っていった。
(……王族でない者が近づくと、気分が悪くなる? 大量のミシスに当たってしまうということかしら。私は魔女だから平気だけど、それじゃあエヴィルソン陛下の今までの妃も……?)
イダートの母である二人目の妃が身体を壊したことを思い出し、シェラーサは何となく気になって考えを巡らせながら部屋に戻った。ニェーテが席を外した時、リアンテが話しかけてくる。
「ねぇ、さっきミラグ師がおっしゃってたみたいに、陛下の今までのお妃様たちも聖樹の礼拝で気分が悪くなったのかしら」
どうやらリアンテも同じことを考えていたらしい。シェラーサは答える。
「四人の妃たちは、元々は王族じゃない方ばかりだったようだから、そうかもね。イダートのお母様のことを思い出したの?」
「ええ……。それが原因で、すっかり身体を壊してしまうこともあるとしたら恐ろしい、と思ったの。もちろん、イダート様のお母様は全く関係ないことでお身体を壊されたのかもしれないけれど、他の方はどうだったのかしらって」
「気になるなら、一応調べてみたらいいかもね。四人の妃に仕えた侍女の中には、今も王宮に残っている人もいるんじゃない?」
シェラーサが言うと、リアンテはうなずいた。
「そうね、探せたら聞いてみる」
太陽が昇りきった頃にソレスの儀式が行われ、続いて黄昏時にシャンピの儀式が行われた。ミラグ師の言葉に少々警戒していたシェラーサだったが、特に身体の具合が悪くなることもなく、儀式は滞りなく進んだ。
そして真夜中、ニュイスの睥睨と呼ばれる時間。
ランプを掲げながら歩くリアンテに先導され、イダートとシェラーサは聖樹のある区画に向かった。後ろにはレイシアがついてきており、時々おびえた様子で左右に視線を走らせたり、後ろを振り返ったりしているようだ。
聖樹に通じる廊下の途中に控えの間があり、儀式担当の壮年の魔法学者がそこで待機していた。彼もミラグと同様、「師」と呼ばれる学者で、貴族たちに魔法について教えている。彼と話をしながらそこで待っていると、やがてエヴィルソンが来たという知らせがあった。
廊下に出ると、黒の長衣姿のエヴィルソンが二人にうなずきかけてくる。並んだ侍女たちとエヴィルソンの従僕に見送られ、まずは魔法学者がランプを手に先に立ち、聖樹への通路の扉を開いた。
「……お、お前?」
学者が急に、声を上げた。
扉の中から、おぼつかない足取りで一人の若者が出てきた。魔法を学ぶ者の証である白のローブを着ている。
「ばかもの、お前はまだ、聖樹に近づくのは早いと言っただろう! なぜ中に入った」
学者に叱りつけられ、若者は肩で息をしながら答える。
「申し訳……。師に用事があり、中に、いらっしゃるかと……」
「どうしたのだ、気分が悪いのか」
「ううっ」
若者は膝をつく。学者は右手にランプを持ったまま彼に左の肩を貸し、
「みなさまにご迷惑になる、こちらへ。誰か、手を貸して下さい」
と周囲に呼びかけた。手の合いている侍女たちが、急いで近寄ろうとする。リアンテも足を踏み出した。
「待って」
シェラーサが低く言い、えっ、とリアンテが顔を上げた。
その直後──
若者が両足を踏みしめ、ゆらりと顔を上げた。まるでおびえているかのように血走った目が、何かを探して泳ぐ。
その目が、エヴィルソンに止まった。
「わあああ!」
若者はいきなり、学者の手からランプを奪い取ると、大きく振り上げながらエヴィルソンに突進した。
「父上!」
イダートが叫んで前に出ようとするのと、エヴィルソンが腰の剣を抜くのは同時だった。
ガシャッ、と音がして、何かが床に落ちた。
ランプを持った腕が、切り落とされて落ちたのだ、とシェラーサが見て取った時には、エヴィルソンは二撃目を終えていた。剣は正確に、若者の心臓を貫いている。
割れたランプからオイルが漏れ、床の絨毯の上でゆらりと炎が立ち上がった。
炎に照らされ、深い陰影がさしたエヴィルソンの顔は、やはり無表情だった。勢いをつけて剣を引き抜くと、若者の身体は炎の上に崩れ落ちる。赤いものが絨毯にじわりと染みて広がり、炎が消え、臭気が漂った。
息を飲み込みながら発せられた、侍女たちの短い悲鳴が、廊下に反響した。
「……父上、お怪我は……!」
最初に我に返ったのはイダートだった。リアンテもはっとなり、震える手で自分のランプを掲げて、怪我の有無が見えるようにする。
呆然としていた学者も我に返り、「大事ない」と答えるエヴィルソンの前にひれ伏した。
「申し訳……申し訳ございません……! 弟子が不始末を!! この上は私も……!」
「このことは口外無用だ」
エヴィルソンは淡々と言い、胸元から手布を取り出して剣をふき取ってから腰の鞘に戻した。そして学者に、
「片づけておけ。私たちは儀式を執り行う」
と言うと、扉に近づいた。
「行う、のですか!? このような状況で」
イダートが一瞬若者に目をやってから、エヴィルソンに視線を戻す。エヴィルソンはもはや若者には目もくれず、前方に目を向けたまま言った。
「聖樹を血で汚さずに済んだ。何の支障もない」
そして、扉を抜けて聖樹の方へと歩いていった。
シェラーサは身動きもせずに、ずっとエヴィルソンを見つめていた。