13 披露宴の衝撃
「リアンテ」
イダートは思わず笑ってリアンテを見たが、彼女は真剣な表情だ。
シェラーサは楽しそうに微笑む。
「どうして、そう思ったの?」
リアンテは答えた。
「陛下とはあまりお会いする機会がないのに、シェラーサは陛下のご様子をよく知っているわ。いつも猫になって息抜きに出かけているけど、陛下のところに行っているんじゃないかしらって」
「まあね。でも、遠くから見ているだけよ。だって近づくなって言われたし」
シェラーサの言葉に驚いたイダートが、少し焦り出す。
「何だそれは。いつ、どういう場面で、父上に近づくなと言われた?」
シェラーサは頬を染めた。
「いやー、実はね。身代わりする前、猫の姿で王宮の偵察に来たとき、聖樹のウロに落っこちそうになったところを知らない人に助けてもらったの。その彼が、『怖いもの知らずは結構だが、あまり近づかぬが良い』って渋い声で……やだどうしよう、危険な男に近づくなって言われると近づきたくなるって、女の性よね。そしたら何と、それが陛下だったのよねー」
「『猫に』言ったのだろう!? 近づくなと言うのは聖樹にという意味で」
「いいのよどっちでも。謎めいた男、最高」
冗談のように言ってはいるが、シェラーサは「陛下に恋しているのか」というリアンテの質問を、先ほどから全く否定していない。
イダートは立ち上がり、急いでシェラーサの視界に入るように回り込んだ。
「待て待て。そなたは今、王太子の婚約者としてここにいるんだが?」
彼は未だに信じられなかった。『冷酷王』と呼ばれ、リアンテの悩みの原因になっている男に、リアンテを可愛がっているシェラーサが本気で恋をするなどあり得るだろうか?
「もちろん、わかっているわ」
シェラーサの方は動じていない。むしろ不思議そうな様子だ。
「陛下の様子を観察してるのは、別に構わないでしょ? リアンテに害をなさないか確認できるんだし。身代わりに支障はないから安心して」
そこで、自分を見つめるリアンテとイダートの視線にようやく気づいたシェラーサは、むっつりと腕を組む。
「大丈夫だって言ってるじゃないの。何でそんな、途方に暮れたような顔してるのよ」
「心配になるに決まっているだろう。父上に恋慕するあまり、王太子妃としての役割をおろそかにして正体がばれるようなことがあったら」
「ああ……なるほど。ええと、何て言ったらいいかな」
シェラーサは顎に指先をあてて少し考えてから、言った。
「陛下に恋をしているかと言われたら、しているわ。でも、それ以上は望んでないの。なぜかって言うと……過去の恋愛とは違って今は、えっと」
どう説明したらいいか真剣に迷っている様子のシェラーサに、リアンテがそっと話しかける。
「シェラーサは美人だもの、森に入るまでの間も、さぞ恋多き人生を送ってきたんでしょうね」
「そりゃあね! ……と、言いたいところだけど」
彼女は苦笑する。
「いい思い出が全然ないの。叶わないまま、こちらから会わなくなったこともあったし、叶えたかったのに、拒否されたこともあった。長生きなんだから、その間だって恋愛の十や二十しようと思えばできたんでしょうけど、そんなだったから疲れちゃってその気にならなかったわ。でもって現在、久しぶりに陛下ステキー! ってなったわけだけど」
シェラーサはにっこりとした。
「結局は彼、ものすごーく年下なわけ。渋くてかっこいいなと思う反面、どこか可愛いとも感じるの」
「可愛い」
『冷酷王』が。
イダートとリアンテは、もう一度顔を見合わせる。シェラーサは肩をすくめた。
「変? ずーっと彼の一生を見守っていたい、って感じなんだけど。この恋を絶対叶えたい、って感じじゃなくて。だって考えてもみて? もし私と陛下が相思相愛になって、それでどうするの? 百数十年生きてきた魔女が、王家に入って王妃になるなんて不気味であり得ないし、逆に私と陛下が駆け落ちしたところで……いや、それはアリ!?」
「アリなの!?」
「どうかしら!?」
「私に聞くなっ!」
イダートが裏返った声を出す。
一瞬の沈黙の後、シェラーサが笑いだした。つられてリアンテがためらいがちに笑い、イダートは呆れて天井を仰ぐ。
シェラーサは指先で涙を拭きながら言った。
「ね、現実的じゃないでしょ。そういうわけで、今のままで十分なの。役得よねー、かっこいい男を近くで見てきゃあきゃあできるんだもの。本当は、名前を呼び合う仲くらいになってみたいけど」
リアンテは、国王と魔女が「シェラーサ!」「エヴィルソン!」と呼び会っているところを想像しようとしたが、うまく行かなかった。
「そういえば、シェラーサって本名なの?」
リアンテの質問に、
「ひ・み・つ」
とシェラーサは唇に指を当てて笑い、そして言った。
「……もう一度言うけど、私は普通の人間とは違う。時を超えてきた魔女なのよ。恋愛観も普通とは違うと思ってほしいわ。陛下とリアンテなら私はリアンテを取るし、リアンテには言ったことがあるけど、もし身代わりがバレたら私とリアンテは二人で旅に出るの。イダートもダナンディルス王家もほったらかしてね」
「おいおい……」
イダートはもはや返す言葉もなかった。
やがてシェラーサが息抜きに出ていった後、イダートはリアンテを隣に座らせて顔をのぞき込んだ。
「大丈夫か、リアンテ。式も近い、神経質にもなるだろう。もしシェラーサに何か不安を感じるなら、女同士でしっかり話をしておいてくれ。そうでなくては、この秘密はどんどん負担の大きいものになってしまう」
「シェラーサが私をどれだけ大事に思ってくれているか、よく知っていますから、身代わりについては心配していません」
リアンテは微笑んだが、「でも……」と言葉を切ってうつむいた。やがて、もう一度イダートを見る。
「イダート様。私たち、覚悟が必要ですね」
「バレるかもしれないという覚悟なら、もうしている」
「そうではなくて……身代わりの計画をやめ、私とイダート様でちゃんと何とかする、という覚悟です」
リアンテは窓の方を見やった。
「さっきはあんなことを言っていたけれど、私の身代わりをしていなければ、シェラーサには陛下のおそばへ行く方法が他にもあるはずなんです。それこそ別の人物に化けるとかして」
イダートは彼女を見つめ返す。
「シェラーサに、身代わりをやめさせるつもりか?」
リアンテはうなずいた。
「はい。近いうちにやめてほしいと、シェラーサに言おうと思います。私のせいで、シェラーサが恋をあきらめるなんて、そんなのはいけない。私がシェラーサに甘えて無理難題を言ったんですもの、うまくいかなくて元々なんですから」
そして彼女は、胸に両手を重ねた。
「恋をしたら、気持ちを止められないのは、きっと人間も魔女も一緒。自分が相手の方にふさわしくないとわかっていても、それでもあきらめられなかった私こそが、今こうなっているんですもの。イダート様も、止められない気持ちならご存知でしょう?」
イダートは眉を寄せて言った。
「それは、わかる。が、身代わりをやめさせるのは反対する。私にとって一番大事なのはリアンテだ」
「イダート様……」
困って言葉を探すリアンテだったが、イダートは今度は微笑んだ。
「そして、リアンテ。シェラーサも私と同じことを言うだろう。あの魔女にとっても一番大事なのはリアンテだ、こちらの件が何も解決しないまま放り出すのは、絶対に彼女の矜持が許さない」
リアンテは目を見開いてから、笑いだした。
「ふふ、イダート様、何だかシェラーサのこと、よくおわかりになってきたみたい」
「どうかな。……とにかく、結婚式まであと数日。今はただ、そのことを考えよう」
イダートはリアンテの肩に手を置いた。
「神々に誓いを立て、私たちは夫婦になるのだから」
「はい。未来に不安はあっても、イダート様と結ばれることは本当に……嬉しい」
リアンテもそう答え、彼を見つめ返した。
結婚式当日は天気にも恵まれ、国中が祝賀の声にあふれていた。
大聖堂では、イダートとリアンテの結婚式が行われている。リアンテは、本物のリアンテだ。明け方にシェラーサと髪と瞳の色を再び交換し、元の色に戻っている。
イダートとリアンテは声を揃え、四人の神々に向けて誓いの言葉を述べた。
「ソレスの光に恥じず、ニュイスの闇に安らぎ、ドイリの愛を抱き、シャンピの試練に怯まず、二人で共に歩むことを誓います」
そうだ、何も恥じることはない、とイダートもリアンテも気持ちを新たにする。二人が愛し合っていることは、紛れもない真実なのだから……と。
「私はこの女を、妻とします」
「私はこの男を、夫とします」
二人はしっかりと見つめ合ったまま、宣言した。
王丘の麓の広場で国民向けに行われた結婚発表も万事つつがなく済み、イダートとリアンテは騎士団に守られながら馬車で城下町へと降りていく。
シェラーサは猫に変身して、こっそりと物陰からその様子を見守っていた。
夕方からは披露宴が行われることになっており、王族や貴族たちが主宮殿に集まっていた。町から戻った王太子夫妻は、いったん支度の間に入って着替え、一息つく。
「さて、行くか」
イダートが立ち上がり、リアンテもそれに続く。
侍女のドレスを着たシェラーサは、軽く手を振った。
「頑張って。リアンテは本物の王太子妃なんだから、皆からたくさん祝福されて来てね!」
「ありがとう、シェラーサ。ねぇ、本当にのぞきにくるの?」
「行きますとも! さすがに今日は何もないと思うけど、何かあったら助けてあげる。ちゃんと見張ってるわ、陛下を」
シェラーサは両手の親指と人差し指でそれぞれ輪を作り、目に当てて見せた。イダートがつい吹き出す。リアンテも、笑っていいのか困っていいのかといった表情で、
「もう、笑い事じゃないのに……行ってきます」
と支度の間を後にした。
花と料理、華やかな服や装飾品の溢れる大広間は、色彩の渦のようだった。猫に化けてのぞきにきたシェラーサは、大広間を取り巻く二階の回廊から階下の様子を眺めていた。
拍手を浴びながらイダートとリアンテが登場し、中央に進み出ると手を握りあって向かい合った。楽団が音楽を奏で始め、ダンスが始まる。
シェラーサは満足そうに、その様子を見つめた。
(もし私に妹がいて、その子が結婚したらこんな感じかしら。なんて可愛いの、リアンテ。イダート、リアンテを泣かせたら殺すわよ)
そして彼女は、視線を移す。
大広間の奥には一段高く、イダートとリアンテの席がしつらえられている。そしてそのすぐ横にもう一段。国王エヴィルソンの席だ。現在、そこは空席だった。おそらく王太子夫妻が挨拶代わりのダンスを終えたら、次に登場するのだろう。シェラーサは楽しみに待った。
音楽が終わり、国王の臨場が告げられる。先ほど王太子夫妻が入ってきた扉がもう一度開き、エヴィルソンが姿を現した。
(にゃー!)
シェラーサは猫語で叫びたいのを耐え、心の中で叫ぶ。
(軍服似合うー!)
エヴィルソンは紺の軍服姿だった。ダナンディルスではこれが準正装になる。髪も後ろへ流し、堂々とした体躯が際立った。
実はイダートも同様に軍服を着ているのだが、彼の服装には全く興味がないシェラーサである。
エヴィルソンが広間に下り、イダートとリアンテに声をかけると、二人がそろって頭を下げる。壁際に下がっていた貴族たちが、少しずつ中央に出てきた。
(舞踏会の始まりね)
シェラーサが思った、そのとき。
貴族たちの間から、一人の女性が淡い紫のドレス姿で抜け出し、エヴィルソンの前に進み出た。
エヴィルソンは予期していたように、彼女に近づき片手を出す。女性がその手に自分の手を載せると、エヴィルソンに引かれて向きを変えた。顔がシェラーサの方を向く。
緊張のためか、硬い表情をしているその女性は、カトル侯爵令嬢エヌイスだった。
広間中がざわめく中、エヴィルソンとエヌイスは踊り始めた。リアンテが驚いた表情で、視線を泳がせる。シェラーサを探そうとしたのかもしれない。
(あーあ)
足の力が抜けたシェラーサは、その場にべたっと伏せてしまった。
ダナンの慣例では、舞踏会で国王の最初のパートナーをつとめる女性は王妃、そうでなければ王女。しかし現在はどちらもいないので、王太子妃となったリアンテだ。
しかし、それを独身の女性がつとめたとなれば──
それは、彼女が国王の特別な女性であることを意味する。
エヌイスが国王エヴィルソンの婚約者同然であるということが、今日この場で知らしめられたのだ。