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12 闇の中の国王

 庭園の奥、ランプの明かりも届かない暗がりに、何かが潜んでいる。

 じっと見つめると、いつの間にか地面が細かくひび割れ、赤い何かがのぞいていた。

(炎……?)

 シェラーサがそう思った時、ひび割れがさらに大きくなった。そこから、赤黒い煙のようなものがもやもやと立ち上ってくる。

(これは、まずいかも)

 嫌な予感が強くなる。

(王宮に来てから感じていた、何かよくないものを、集めてしまった……?)

 シェラーサが使ったのは幻覚を起こす魔法だが、侍女たちの感じた恐怖、思い起こした過去が、王宮で起こった忌み事にまつわる残滓(ざんし)を集めてしまったらしい。立ち上ってきた赤黒い煙は、すうっと凝り固まり、人の形を取った。

 そして、それはいったん庭園へ下りると、ゆらゆらと漂うように主宮殿の奥へと移動し始めた。

(陛下のお住まいのあたりに行く前に、止めなくちゃ)

 シェラーサは後を追った。

(私の持つミシスで浄化しよう)

 赤黒い煙は、王族の暮らす区画のいくつかをつないでいる大廊下にさしかかった。シェラーサは浄化魔法を使うため、猫から人間の姿に戻ろうとした。


 しかし、ハッとして変身を解くのをやめ、廊下の柱の陰に身を隠す。


 ひと気の全く感じられなかった廊下、その一番奥に、大柄な影が立っていた。影は無造作に、シェラーサの方に……人型の煙に向かって歩き出す。

 国王エヴィルソンだった。手にした抜き身の剣が、わずかな星明かりを反射する。

 低い声が、高い天井に反響した。

「解離せよ」

 ひゅ、ひゅん、と白い光が走った。粘つくような煙が、剣に引っ張られるようにして左右にちぎれ、人型が崩壊する。

(これは、何? 陛下の中のミシスは動いていない、魔法ではないわ。王家の宝剣で散らしただけ)

 シェラーサが見守る中、エヴィルソンは歩みを止めず──

「我の元へ来い」

 そうつぶやきながら、自らが切り散らした煙の中を突っ切った。

 次の瞬間には、ちぎれた赤黒い煙のほとんどは見えなくなった。足下にほんの少し、苔のようにわだかまっていた煙は、廊下をゆっくりと吹き抜ける風に散らされて消えていった。


 エヴィルソンはシェラーサの潜む柱の近くまで来て、ようやく足を止めた。軽く剣を振ってから鞘に収め、そしてふと、足下に目をやる。


 視線が合った。

 エヴィルソンの青い瞳が、一瞬何かを反射したように赤く光り、ぎらりと彼女を見た。


「……お前か」

 暗闇の中、うっすらとエヴィルソンの表情が見えた。瞳の光が柔らかな青になり、口元が、わずかに笑みを形作る。

「聖樹で懲りたかと思えば、また危険な場所に現れたな。そういう巡り合わせなのか」

 彼はそういうと、一度大きく息をついた。

 そして踵を返すと、暗い廊下をもと来た方へと戻っていった。


 エヴィルソンを見送ってから、シェラーサは思わず柱に寄りかかる。

(今日もかっこいい……じゃ、なくてー)  

 彼女には、思い出したことがあった。

(聖樹のそばで会った時には、気づかなかったけど……あの時は星明かりもあったんだし、魔女が化けた猫の目なら本当はそれなりに色々と見えたはずだったのよ。今だって見えたもの、陛下のお顔。でも、実際は)

 聖樹のそばでは、エヴィルソンも、聖樹自体も、シェラーサには輪郭しか見えなかった。

(……聖樹の付近は、普通よりずっと闇が深い(・・・・)んだわ)

 その理由までは、シェラーサにはわからない。しかし、巨大な力が失われたその跡には、やはり反動で大きなものが残るのだろう……と何となく理解する。 

(陛下、灯りも持たずにいったいなぜ、聖樹のところや今日ここに来たのかしら。そしてさっきのあの行動。古の血脈を受け継ぐ王族は、一般の人間よりもある程度は魔法の素養があるけれど、魔法使いだというわけでもないのに。……ああ、そろそろ戻らないとまずいわ。今一番大事なのはリアンテの身代わりなんだから)

 後ろ髪をひかれつつも向きを変え、しっぽを立ててすたすたと歩きだしたシェラーサは、ふと足を止めた。


(灯りも持たずに……?)


『賢そうな猫だ』

 エヴィルソンの声が、シェラーサの脳裏によみがえる。

 聖樹のそばで会ったあの夜、エヴィルソンには、猫のシェラーサが見えていた(・・・・・)。魔女のシェラーサにさえ、ものの輪郭しか見えないような闇の中で、どんな猫なのかわかるほどに見えていたのだ。


(……陛下は、あの深い闇に、慣れている……?)



 数ヶ月が経ち、いよいよ結婚式が迫ってきた、ある日のことだった。

 王宮のことを少しずつ勉強しているシェラーサが、侍女姿のリアンテに付き添われて練兵場の視察を終え、自室に戻ろうと庭に面した廊下を歩いている時、女性の声がかかった。

「リアンテ様!」

 後ろから、自分の侍女を連れて足早に近づいてくる令嬢がいる。彼女が到着する前に、リアンテは素早くシェラーサに耳打ちした。

「カトル侯爵家の次女エヌイスだわ。湖の対岸に領地を持つ侯爵家よ。彼女とは何度か世間話をしたことがある程度だけど……ごめんなさい、親しげに、でも適当に合わせて」

「まあ、エヌイス!」

 シェラーサは何食わぬ笑顔で、エヌイスを迎えた。

「お元気そうね!」

「リアンテ様こそ、お幸せそうで何よりですわ。ご婚約おめでとうございます」

 リアンテと同い年か、やや年下に見える栗色の髪のエヌイスは、軽く息を弾ませながら礼儀正しく祝いの言葉を述べた。そして、

「もう王宮に入られたと伺っていたので、もしかしたら会えるかもと思っていましたの」

と続ける。シェラーサは微笑みを絶やさず答えた。

「ちょうどお会いできて嬉しいわ。今日は……?」

「ええ、ちょっと……あの」

 エヌイスは声を低めた。

「リアンテ様、リアンテ様から見て、エヴィルソン陛下はいつもどんなご様子……?」

「何だか、いつも難しいお顔をしておいでだわ。でも、本当にいつもそんなお顔だから、それが普通なんだと思い始めたところよ。ご公務がどんなにお忙しくても、淡々としてらっしゃるわ」

 シェラーサの返答に、エヌイスの視線がためらうように泳ぐ。

「急にお怒りになったりとか、そういうこと、ないかしら?」

「私は見たことはないわね」

「そう……。あ、ごめんなさい急に。だってほら、陛下は色々お噂が、ね?」

 エヌイスは言い訳がましく言って微笑んでから、目を伏せる。シェラーサは尋ねた。

「何かありましたの?」

「それが……私」

 ちらちらと後ろを気にしていたエヌイスは、はっ、となってからシェラーサに早口で言った。

「いいえ、ごめんなさい。またお会いしましょう、ごきげんよう」

 そして、彼女はまた足早に去っていった。侍女が急いでそれに続く。

 柱の陰から見送っていると、エヌイスは向こうから歩いてきた年輩の貴族の男性と合流した。男性の方はシェラーサとリアンテに気づかなかったらしく、エヌイスに何か言って共に遠ざかっていく。

「あの方がカトル侯爵。親子で王宮に来られてたのね」

 リアンテがささやき、シェラーサはふうん、と相づちを打つ。

「結局、何の用だったのかしら。リアンテに関係することじゃないなら何でもいいんだけど」

 リアンテは苦笑する。

「シェラーサったら。……それにしても、あまり噂話などしない物静かな方なんだけど、陛下の噂はやっぱり気になるみたいね」

「そうね。私から見ると陛下って、四人の妃への仕打ちなんて嘘みたいに、普段は落ち着いた方なんだけどね」

 シェラーサが歩き出しながらそう言うので、リアンテは、おや、と思った。

(シェラーサ、もしかして……)

 

 自室に戻ったところへ、ちょうどイダートが訪ねてきた。

「結婚後の予定が立ち始めた。後で、リアンテにも大臣から話があるだろう」

 ソファに背を預けるイダートは、忙しいのか少し疲れた様子で予定を説明した。リアンテは茶器の用意をしながら、シェラーサを申し訳なさそうに見る。

「臣下の皆様とのおつきあいや慈善事業、それに代々王太子妃がつとめる芸術学院の総裁……シェラーサ、結婚後も忙しそうね、色々と」

 イダートがうなずいた。

「王妃不在のために、王太子妃に公務のしわ寄せが来ている部分もある。もし父上に娘が──王女がいれば違ったのだろうがな。シェラーサとしても、そういう面だけ見ると、父上が結婚して王妃がいた方が楽かもしれないな」

「何言ってるのよ、いない方がいいに決まってるわ。陛下の魅力の一つは、独・身! ってことなんだから」

 シェラーサは頬を膨らませる。


 リアンテはそんな彼女をじっと見つめていたが、やがて言った。

「ねえ、シェラーサ? 正直に言って」

「何を?」

 首を傾げるシェラーサに、リアンテはそっと言葉を差し出すように、言った。


「格好いいとか、好みだわーとか、そんな程度じゃなくて……本当に、心から、陛下に恋をしているのではない?」

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