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10 王太子の思い出、魔女の思い出

 リアンテから聞いた話を、シェラーサは繰り返した。

「現国王が王太子だった頃の、二番目のお妃様よね。あなたを産んだ後で離宮に移り、身体が弱く病気を繰り返した。その後、王宮に戻ることなく、何年か後に亡くなった……」

「亡くなったのは、私が六歳の時だ。父は、母を離宮にやってから一度も会いに行かなかったし、母を王丘に呼ぶこともなかった」

 イダートはつぶやくように言う。

「私は王宮で乳母や教育係によって養育された。離宮に母を見舞いに行っても、母は寝台に横になったまま譫言(うわごと)のようなことを言うばかりで……子ども心に恐ろしかった。だから、足が遠のいた」

 彼は一度目を伏せると、シェラーサの方を向いて微笑んだ。

「母が亡くなってしばらくして、父が三番目の妃を娶った。母とは全く似ていないその人を見たとき、急に後悔したんだ。私の母だったのだから、私がもっと話しかけたり何かしてさしあげられれば、母は少しでも快復したのかもしれないと。もちろん、それは今となってはわからないことだが」

 シェラーサが黙ってうなずくと、イダートは続けた。

「自分が母を見捨てた風になったから言うわけではないが、父にも何か、母に近づかなかった理由があったのではないかと、その可能性がないわけではないと思う。ただ、父は何も語らないし、四人目の妃を幽閉するにあたっても、私がお諫めしても耳を貸されなかった。さすがに四人ともなると、父が一方的に悪いのだと誰もが思うだろう。私とて、今は父を疑っている。ただ……」

 イダートは、何かを思い出すような目をしながら言った。

「妃を失った後の父は、いつも辛そうに見える。新しい妃を迎える時も、喜んでいるようには見えない。そして、私の知る限り、妃以外の女に手を出さない。ただ、公務に没頭するだけなのだ。私が知る父は、そんな風だ」


「そう……」

 シェラーサは腕を組み、片方の拳を顎にあてる。

「やっぱり、お父様のことは大事に思っているのね。……あなたは、ファミア公にもよく会いに行くと聞いたけれど、身内をとても大切にする人ね」

「祖母は身体を壊して、女王の座をお降りになった。責務から解放された今はだいぶ快復していらっしゃるが、人の命は儚い。母を失っているから余計にそうなのかもしれないが、父のことも心から大事に思っている。憎みたくない。できることなら」

「イダート様……」

 リアンテが心配そうにイダートを見る横で、シェラーサはふんふんとうなずく。

「そっか。理由があるかもしれないんだものね。ちょっと探ってみましょうか」

 イダートはいぶかしげに目を細める。

「どういうことだ?」

 シェラーサは軽く首を傾げた。

「別に、どうもこうもないわ。国王が妃を処刑やら幽閉やらしてしまう原因がわかって、それが解決すれば、ひいてはリアンテの身の安全の為にもなるじゃない」

「いや、だから、男女の間のことだとシェラーサも言っただろう。そこに口を出そうと言うのか?」

「他に、理由があったとしたら?」

「他に?」

 イダートはリアンテと顔を見合わせた。それから、もう一度シェラーサを見る。

「……ただでさえ、こちらは秘密を抱えている。その上で色々調べ回るのには、私は躊躇せざるを得ない。せいぜい、父上が五人目の妃を娶ったら様子に気をつける程度しか」

「えっ」

 シェラーサは腰を浮かせた。

「陛下、またご結婚なさるの!?」

「いや、別に決まっているわけではないが」

 イダートは驚いてシェラーサを見上げる。

「もしそういう話が出たら、私は止めるつもりでいる。私以外に子をもうけておいた方がいいと思わなくもないが、次の妃との間にまた問題が起こった場合の国民感情と天秤にかけると、結婚は必要ないと思う。跡継ぎの私がもう結婚するのだし、私にもしもの事があっても申し分ない人物が次の継承者として決まっているしな」

「そう、そうよね……」

 シェラーサはまたすとんと座ると、口元に拳を押しつけ、何事か考え込んだ。今まで黙っていたリアンテが、不思議そうに顔をのぞき込む。

「シェラーサ?」

「あ、ごめんなさい。そろそろ二人きりになりたいわよね?」

 シェラーサはパッと立ち上がると、にっこりと笑った。

「私も疲れちゃった、今の話はまたにしましょ。ちょっと息抜きしてくるわ」

 シェラーサは立ち上がると、呪文を唱えながらくるりと回転した。たちまち彼女の姿が淡く光り、輪郭が溶けるように曖昧になり──

 次の瞬間には、一匹の青灰色の猫が軽く伸びをしていた。そして猫はさっと窓枠に飛び乗ると、細く開いていた窓から外へ出ていった。


「魔女といえば、黒猫かと思っていた」

 イダートが言うと、リアンテは立ち上がりながら微笑んだ。

「私もです。でもシェラーサが言うには、『黒猫って、昼間は結構目立つでしょ。目立ちたいならそれでもいいけど、私はそうじゃないから』ですって」

「なるほど」

「……シェラーサ、ちょっと様子が変でしたわね。陛下がご結婚なさるかも、というのはそんなに驚くことかしら」

 窓の外を見てリアンテがつぶやくと、イダートも軽くうなったが、すぐに答えた。

「父が新たに王妃を迎えれば、それはリアンテの義理の母ということになる。リアンテの身代わりをつとめるシェラーサとしては、気になるのも当然だろう」

「ああ……それもそうですね。……シェラーサは美人だけど、猫になっても綺麗だわ。雄猫に言い寄られたりしないかしら」

「全く。シェラーサはリアンテ、リアンテだが、リアンテもシェラーサのことばかりだな」

 イダートも立ち上がり、リアンテの肩を抱いた。はっ、とリアンテが頬を染めてうつむく。

「……もし、誰かに見られたら」

「王太子が侍女に手を出した……ということになるのかな」

 イダートは笑って、リアンテの頬に口づけた。

「まあ、妃はシェラーサだ。夫が侍女に言い寄っても、嫉妬はしないだろう」

 リアンテはくすくすと笑い、愛する人とともにいられる幸せに感謝しながら、イダートの胸に顔を埋めた。

 イダートはリアンテの頭に頬を寄せながら、つぶやいた。

「……父は、妃との間にこういう安らいだ時間は得られなかったのだろうか……」



 議会の承認が降り、ナージュ連爵令嬢リアンテが王太子妃になることが正式に決定すると、王太子妃教育が始まった。

 王宮で暮らし始めたシェラーサが様々な課題をこなしていくのを、何も知らない教育係は、

「ご幼少の頃から身におつけになった全てが、今、開花なさっている。学ぶことにも大変熱心でいらっしゃる。さすがはナージュ連爵のご令嬢」

と感心しきりの様子だった。

 シェラーサに侍女としてつきそっているリアンテも、驚きの連続だった。

「さっきの儀式作法の授業、シェラーサは古式ゆかしい作法を知っているのね。素晴らしかったわ」

 王太子妃用に用意された部屋に入り、リアンテが感心したように言うと、

「王家の作法ってちょっと古風だから、私が子どもの頃に身につけた作法がちょうどいいのね。これも年の功ってことかしら?」

とシェラーサは澄まし顔で言った。リアンテは胸に手を当てる。

「私、あんな風にできないかも」

「ふふ、しっかり覚えてね? 結婚式には、あなたが出るんだから」

 シェラーサが笑う。


 三人の話し合いで、結婚式だけは、イダートと本物のリアンテが臨むべきだという結論が出ていた。そもそも身代わりは二人が幸せになるために行っているのだから、神々の前での誓いにまで嘘があってはならない、と最も強く主張したのはシェラーサである。

「魔女は敬虔なのよ。何しろ、神の元へ返るべきミシスをお借りして魔法を使うんだから。神々をたばかる者に、魔法を使う資格はないわ」

 彼女が言うには、そういうことらしかった。


 シェラーサが結婚式の作法を習い、後でリアンテにそれを教える。そんな時間のなかで、ふと、リアンテの心によぎる考えがあった。

(シェラーサ……本当に、覚えるのが早いわ。頭のいい人みたいだけど、でも……)


 もしかして、結婚式の作法も、経験があって知っているのではないか。


 そう思いはしたものの、もしシェラーサが結婚したことがあるなら、その相手はすでにこの世のものではないはずだ。彼女が王宮に出入りできる身分だったということはイダートから聞いていたが、百年以上森で一人だった、と話していた彼女に、連れ合いがいたのかなどと質問することは、リアンテにはできなかった。


「明日は、ミラグ先生の神学と魔法学の授業だったわね」

 シェラーサの言葉に我に返ったリアンテは、急いでうなずく。

 ミラグ師は代々魔法を研究している家出身の学者で、王家の人々に魔法学を教えている人物だ。いつも白いローブを身につけた、白髪の老人である。

「ええ、そうね。魔法について学ぶなんて、シェラーサは知っていることばかりで退屈なのではない?」

「学問として系統立てられた魔法も面白いわ。感覚で何となく魔法を使うのと、神学とのつながりの中で効果を研究された魔法を使うのは、やっぱり違う。うーん、どう言えばいいかな……ただ走るのと、どう走れば速く走れるか知った上で走るのとでは、結果が違うでしょ? そんな感じよ」

「じゃあ、シェラーサが魔法学を学んだら……」

「ますます強力な魔法が使えるようになったりしてね、ふふっ」

 シェラーサは笑う。

「先生の前でうっかり実践しないように気をつけなくちゃ。先生ったら、女史と違って教え方がうまいから困っちゃう」

「女史……?」

 リアンテが首を傾げる。

「ああ、私が王宮に出入りしていたころは、王族に魔法を教えてた学者は女性だったのよ。……でもね。その頃と比べて、何だかなーって思うこともあるのよね」

 シェラーサは軽く眉をひそめた。

「陛下もおっしゃってたけど、失われた聖樹の代わりに、王家が国民の心のより所になっている。それはとても大事なことだと思うわ。でも、だから王家は神聖なものだ、神々にも等しいのだって風な授業をされても、私はちょっと違う気がして。ああ、えっと、そうはっきり言われたわけじゃないけど」

「そんな印象を受けたのね」

 敬虔な魔女にはそういうところが気になるのか、とリアンテがうなずきながら興味深く思っていると、シェラーサは笑顔になってリアンテを見た。

「あ、そろそろイダートが会いに来る時間ね。私はしばらく席を外すから、ごゆっくり」

 くるりと回転したシェラーサは、猫に姿を変えた。そして、窓から出ていった。


 リアンテは不思議そうにつぶやく。

「……いつも、どこで息抜きしているのかしら……?」

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