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大盗賊シリーズ

大盗賊は奪い返す

作者: 楽夢智

魔物との戦闘による流血表現、または戦争に関する描写があります。苦手な方はご注意下さい。

この国では現在二人組の盗賊が世間を賑わせている。

その二人組は毎夜一軒、大富豪だろうが一般庶民だろうが構うことなくそれらの家に侵入し、金品をごっそり奪い取っていってしまう。

その手口は少々強引で、錠前などを人間業とは思えないような力で破壊している。

このままでは被害が増えるばかりかいずれは怪我人が出てしまうと判断した女王は、王家直属の騎士団に命令し犯人検挙に尽力しているが、二人組の方が一枚上手らしく何度も逮捕に失敗している。

二人組の容姿は真っ暗闇に隠れて見えずその容貌を確認する事は困難を極めたが、苦心の末にようやく確認する事に成功したのだ。

一人は珍しい薄黄緑の髪をもつ女性でハネッ毛を後ろで一つに結んでいる。

もう一人は傷一つない綺麗な銀糸の髪をもつ少年で闇夜に紅い瞳が輝いていたらしい。


「なるほどねぇ。まさしくあたいらの事じゃないかい」

「いやいや師匠! なに納得してんだよ!」


うんうんと頷く薄黄緑の髪の女性ユライに銀糸の髪の少年ソルは全力で突っ込みをいれた。

「明らかに濡れ衣だろ! 冤罪だろ! 無罪だろ!!」

「そーは言ってもねぇ……こんな二人組のそっくりさんなんざそうそう居ないし、否定のしようがないんじゃないかい?」

「だから否定しろよっ!! 俺らは! 今日! この国に! 着いたんだ!」

「あーハイハイ、分かったから落ち着きなさい」

「師匠は落ち着き過ぎだーっ!!」

ソルの叫びが城の地下に造られた牢屋中に響き渡る。

見張りを任されている藍色の髪をした仏頂面な騎士の青年は鬱陶しそうに眉をひそめた。


二人はこの国に着き宿屋を探して歩いていたところ、何か敵意をもった気配を感じたので路地裏へと移動した。

その気配の正体は巡回中の騎士団で、路地裏は好都合と言わんばかりに問いただしてきたのだ。

何かただごとではない雰囲気を感じ取ったソルはユライに警戒を促した。

ユライも分かっていたらしく目配せで了承の意を述べた、ハズだった。

名前を訊かれたユライは何を思ったのかこう答えたのだ。

――大盗賊ユライ・ヤーノシーク様さね!

名前だけ答えれば良かったものをご丁寧に肩書きまで答えてしまったため、牢屋へと即刻連行されたのだった。


「……俺、師匠のこーゆーとこ嫌い……」

石造りの壁にもたれかかってソルは呟く。

あの時のユライの得意気な表情を思い出すたびに沸々と怒りが込み上げてくる。

壁を拳で軽く殴って怒りを収めようと試みているが、手が痛くなるだけでなかなか収まりそうにない。

「まぁ、一応無実を訴えるけどさぁ――」

「オマエらのような奇抜な人間が世の中にごろごろ転がってるわけがないだろ」

「――だってさ。いやぁ、気が合うねぇ、見張りさん」

「…………」

とことんマイペースなユライを見て、ソルは怒りを通り越して呆れてきた。

その時、牢屋に通じる唯一の階段を下りてくる靴音が聞こえてくる。

やって来たのは薄暗い地下でも月のように輝く金髪を綺麗に伸ばした人形みたいな少女。

まるで宝石を嵌め込んだようなアメジストの瞳は凛々しさに満ちている。

「セレネ様! なぜこのような所に……」

「盗賊を捕らえたとの話は真ですか、アステル」

仏頂面だった騎士の青年アステルが焦りを浮かべて少女セレネの前に立つ。

それは牢屋や賊といった汚ならしいものを見せたくない感情と、少女を守らなければならない使命のようなものが感じ取れた。

「ふぅん……アンタがこの国の女王様かい」

セレネを鉄格子越しに見上げるユライを睨み付けたアステルを手で制して、セレネは一歩前に出る。

「女王のセレーネウル・フォス・カタフニアと申します」

ドレスを軽く摘まみ浅く礼をした。

育ちの良さが伝わる礼儀正しい挨拶だ。

ユライはあぐらを掻いたまま軽く手を振った。

「あたいはユライ・ヤーノシーク。で、こっちは――」

「……」

不機嫌に眉をひそめたソルは黙ったままセレネを睨み付けている。

「……弟子のソルさ」

名乗る気がないと分かったユライはやれやれと言いたげな表情で紹介した。

ソルの王族嫌いは今に始まったことではない。

「あなたがたが、此度盗みを働いた盗賊ですね。単刀直入に言います。盗品の在処を教えて下さい」

怒気を孕んだアメジストの瞳が真っ直ぐにユライを見つめる。

「さあ? それは本人に訊いてくれないかね」

「……あなたがたは、罪を認めていると聞きましたが」

セレネは怪訝そうな顔をして確認するが、ユライはあっけらかんに言った。

「おや、それは初耳だねぇ」

「とぼけるな!」

アステルが声を荒げる。

しかしユライは笑みを崩さない。


「とぼけてなんざいないさ。あたいは件の盗賊の容姿があたいらとそっくりなのは事実だって認めてただけさね。盗みを認めたって話は、そっちの勘違いじゃないかい」


アステルが反論しようと口を開いたが、反論の余地がないと知り押し黙った。

今までのユライの言葉を思い返してみるもこの国で盗みを働いたときちんと言ったわけではなく、連行した理由だって、彼女が大盗賊だと言っただけで件の盗賊が彼女たちだと決まったわけではない。

「師匠、師匠、その調子でさっさとここから出ようぜ」

ユライの耳元でソルが小声で囁いた。

先程までの怒りと呆れは、すでにどこかへ行ってしまったようだ。

「……ですが、件の盗賊の容貌と、あなたがたの容貌が一致しているという事は、あなたがたがその盗賊であるとの証拠ではありませんか」

「そっくりさんってだけで犯人に仕立て上げるつもりかい? 世の中には自分のそっくりさんが三人居るって言うじゃないか。確率は三分の一、ちょいとばっかし無理があると思うんだがねぇ」

ユライの言っている事は真っ当な正論である。

もう一押しで牢屋から出られるとソルは期待の眼差しでユライを見た。

「アンタら、あたいらが件の盗賊だと思っている。でも、あたいらは無実を主張し続ける。どこまでいっても平行線じゃないかい。だから――」

ユライはにやりと不敵な笑みを浮かべて、言う。


「ここは盗賊らしく、賭けをしようじゃないか」


この場にいるユライ以外の誰もがその言葉の意味を呑み込む事が出来なかった。

ユライは笑みを深くし続ける。

「今夜、件の二人組は盗みを働く。あたいのこの予想が当たったら、あたいらが無実だって認めて、大人しく釈放するんだね」

「……その予想が外れたら?」

セレネが慎重に訊ねた。

「あたいらは大人しく罪を認めるよ」

「師匠!?」

ユライの提案に思わずソルは声を上げた。

自分たちが盗みを働いていない事は事実で真犯人がいる事は分かっているが、今夜その真犯人が動くかどうかまでは例えユライであっても分からない事である。

もし今夜、真犯人が盗みを働かなかったなら、下手をすればソルとユライは一生牢獄という事もありえる。

あまりにも無謀な賭けだ。

セレネは目を瞑り、じっくりと考えを重ねている。

「……その言葉に偽りはありませんね?」

「セレネ様!?」

目を開け、この賭けに乗り気な発言をした女王にアステルは思わず声を上げる。

「もちろんさね。あたいは約束を違えたりはしないよ。それに、こんな状況じゃあイカサマのしようがないからねぇ。賭けの結末は神のみぞ知るってところさ」

「……分かりました、その話を受けましょう」

「セレネ様、考え直して下さい。このような賭けを受けずとも、あの盗賊がこいつらである事は確かです。後は盗品の在処さえ分かれば――」

「ですが、彼女たちの気の済むようにさせなければ、盗品の在処は分かりません」

「…………っ」

セレネの言う事にアステルは反論出来なかった。

「賭けは成立だね。じゃあ、今夜を楽しみにしておくんだねぇ。あ、あたいらが逃げ出したり、ここにずっと居たって証明する為に、見張りお願いするよ、見張りさん」

「言われなくてもそのつもりだ」

事の成り行きを呆然と眺めていたソルは、ハッと我に返りユライに詰め寄る。

「なんだよ、師匠! さっさとここから出ねぇのかよ!!」

「いーじゃないかい。ここに居るだけで無実が証明できるんだよ。楽な仕事さね」

「そー言って、もう宿屋探すのめんどくせぇだけなんじゃ……」

「あらら、バレちまったかい」

やっぱりか、と怒るソルをなだめながらユライは言う。


「雨風はしのげるし、見張りが居るから襲われることもないし、不法侵入を企むようなヤツもいないし、牢屋は結構快適だと思わないかい?」

「思えるかーっ!!」


■ □ ■ □ ■


夜の帳が降り、世界は静けさに満ちている。

その静けさが嵐の前触れのようで、城の牢屋であの盗賊たちを見張っているアステルは不安を感じずにはいられなかった。

今夜、件の盗賊たちが盗みを働かなければ目の前に居るあの二人は潔く罪を認める。

しかし、件の盗賊たちが盗みを働けばこの二人は無罪放免となる。

アステルはもちろん前者を信じており、だからこそ夜通しこの二人を見張り続けているのだ。

「ほい、チェックメーイト」

「うげっ、マジかよ……」

そんなアステルの心境を露知らず、鉄格子の奥で盗賊たちはチェスを楽しんでいた。

チェス一式はユライという名の女盗賊の荷袋に入っていたもので、曰く、この牢屋から出てしまいたいと思わせたくないなら暇潰しを提供しろとの事だった。

牢屋から出る気があるのかないのか全くもって掴めない。

「師匠、イカサマしてねぇよな」

二十戦全敗のソルが疑惑の目をユライに向けた。

「師匠を疑うなんて、偉くなったもんだねぇ? ま、イカサマなんざする必要ないけどね」

「……それって俺が弱いってことかっ!」

イカサマは使っていないとの節に一旦は引き下がろうとしたソルだが、その言葉に含まれていたトゲに気付き怒る。

「こーゆーのは性格が出るのさ。アンタの戦い方は力でごり押しして敵を薙ぎ倒してるだけなのさ。でも、攻めにばっかり重きを置きすぎて守りは疎か。そこを突かれて慌てて守りに入るも、時すでに遅しってとこかね。その戦い方に振り回されてはフォローに入るヤツの身にもなってほしいもんだよ」

「……ごめんなさい」

思うところがあったのか、ソルは謝罪の言葉を口にする。

「どーしたんだい、ソル? あたいはチェスの話をしただけだろう?」

ユライは相変わらずの笑みを浮かべているが、目が笑っていなかった。


「あ、そーだ。見張りさん、チェスやらないかい?」

「結構だ」


即答するアステル。

「いーじゃないかい、減るもんじゃなしに。相手してくれないと、退屈過ぎて今度は脱獄ごっこを始めるかもしれないよー?」

脅しにしか聞こえない言葉でお願いされ、アステルは軽く舌打ちをした。

こう言われてしまうとチェスの相手をせずにはいられない。

アステルは仕方なくといった様子で鉄格子のすぐ前に座り、忌々しい女盗賊を睨み付ける。

ユライは猫を思わせる目を愉快そうに歪めて、チェス盤を鉄格子のすぐ近くに寄せた。


「チェックメイトー」

「おおっ! 師匠やっぱ強ぇな!」


それから四戦目。

ユライの四戦全勝、ソルとの試合も含めると二十四戦全勝である。

ここまで負け続けると、アステルにもプライドがあるので負けのまま引き下がるなど出来ない。

それにこうやってチェスの相手をしていれば、ユライたちが脱走する事はまずないだろう。

「……もう一回だ」

「構わないよ。じゃあ今度はあたいが後攻だね」

駒を並べ、再び試合を始めた。

ソルはユライの背中に乗っかかり楽しそうに勝負を見ている。

負けも勝ちも関係のない観戦者はさぞかし気が楽だろう。

「アンタがなんで勝てないか、教えてやろうか?」

ナイトを移動させながらユライが言った。

「……その代わりに牢から出せと言うつもりだろ」

アステルは慎重にポーンを動かす。

「そんな事はしないさ。単なる親切心をそんな風に邪推されると、傷付くねぇ」

ユライが悩みなくクイーンを動かし、アステルは状況を冷静に見極めながらルークを動かした。

「アンタは王を守るべきものだと思ってる。その考え自体は間違ってないよ。なんたって王がやられちまえば終わりなんだからねぇ。でも守ることだけに固執しすぎてるのさ。守られるだけしか出来ない無能な王様なら、その国はいずれ滅ぶだろうねぇ。王様は、守られるだけの人形じゃない」

ユライはキングを手に持ち、アステルに突き付け言った。


「王様だって、戦えんのさ」


続けてチェックメイトと言い、手に持っていたキングを置いた。

ユライの二十五戦全勝。

二十五勝目を飾ったのはキングの一手だ。

「…………」

アステルは静かに自軍のキングを手に取り見つめる。

守らなければならない王。

戦わせてはいけない王。

それは、王の自由を奪ってでも果たさなければならない騎士の務めなのだろうか。

誰にも傷つけられないように、狭い世界に閉じ込めて、常に騎士が守り続けて。

王が王である為に、皆の望む王である為に。

それを、王は望んでいるのだろうか。

「一人ぼっちになっちまったキングは、一体何を思うんだろうねぇ」

昔の思い出が、彼女の笑顔が脳裏にチラつき、アスとあだ名で呼ぶ人懐っこい彼女の声が耳の奥に響く。

自分は、セレネの笑顔を、一体いつから見ていないのだろうか。

きっと、"あの日"から。

セレネが女王となった"あの日"、自分たちは選択を間違えて、今もなお間違ったままなのだ。

「……それでも、私は、守らなければ……脆い彼女を、守れるのは……私だけだ……」

アステルはキングをグッと握りしめる。

「何を考えてるんだい? あたいはチェスの話をしただけだろう?」

悪戯好きそうな猫の目を細めて笑うユライは明らかな確信犯に思えた。

どこまでも何もかも見透かしていそうなその瞳に、ある種の恐ろしさを感じる。

"大盗賊"とは、よく言ったものだ。

「……次は、同じ手に乗らん」

「そうこなくっちゃあ、面白くないねぇ」

「師匠頑張れ! 二十一勝ぐらいして、俺よりも負かしちまえ!」

「おや? ソルは通算で二百回ぐらいは負けてなかったかい?」

「う……っ」

そうして夜は更けていく。


■ □ ■ □ ■


三十戦目の敗北を喫した辺りでアステルは戦意喪失しチェスは終わりを告げた。

ユライは不満げな声を上げてつまらなそうな表情をしたが、それ以上チェスをせがむ事は無く、代わりにチェスと同じく彼女の荷袋に入っていた分厚い本を静かに読んでいる。

ソルは十戦目辺りで眠ってしまい、布団の上で未だに夢の中だ。

彼女たちが大人しく罪を認めてここに投獄されたらされたで見張り番は大変な目に遭うんじゃないだろうか、とアステルはげんなりしながらそう思った。

ユライがふと本から顔を上げる。

「ソル、起きな。もう朝だよ」

「んー……」

ユライに揺すり起こされて、ソルはゆっくりと上体を起こした。

眠そうに目をこするその表情はまだ寝惚けている。

こつり、と階段を下りてくる靴音が聞こえた。

姿を現したのは、相変わらずの綺麗な金糸の髪を淡く輝かせたセレネだった。

しかしその表情は昨日とは打って変わって暗く沈んでいるように見える。

「セレネ様?」

アステルが心配そうに名前を呼ぶ。

セレネはちらりとアステルに視線だけ向けて、すぐにユライに向き直る。


「申し訳、ありませんでした、ユライ様」

「ふぅん、つまり、件の盗賊どもが盗みを働いたんだね?」

「はい。無実のあなたがたを疑ってしまい、真に申し訳ありませんでした」


変わらず凛々しい声でセレネは話すが、その声には落胆の影が見え隠れしていた。

セレネの報告にアステルも落胆する。

「アステル、鍵を」

「……はい」

主君の言葉にアステルは頷き、ユライたちが入れられている牢屋の錠前を外した。

ユライはまだぼんやりと寝惚け眼なソルの手を引き牢屋から出る。

それを見届けるとセレネは踵を返してここから立ち去ろうとした。

「セレネ様――」

「すみません、アステル。しばらく、一人にして下さい」

振り返ることもなくセレネは牢屋を後にした。


「――ッ、なぜ分かっていたんだ! 貴様らもその盗賊とグルだったのか!?」

「ああ、そーゆー疑い方もあったかい」


やり場の無い怒りをアステルはユライにぶつける。

「でも、疑うだけ無駄さね。賭けは成立して、その賭けにあたいらが勝った。約束を違えたりは出来ないだろう?」

「なぜ……ッ! なぜ……」

アステルは主君を守れなかった無力感から、己の拳をぎりぎりと握り締めた。

「……あたいの耳はよく出来ていてね。牢屋みたいに静かな場所なら、相当な範囲の声が聞こえるのさ。だから、あたいら逮捕の噂がとっくに広まってるって、すぐに分かったよ。だから、盗賊どもが今までもこれからもあたいらの格好で盗むんなら、必ず盗みを働くって思ったのさ」

ユライは静かに言う。

「なんてったって、あたいらの無実が証明されちまえば、これから盗みがバレたって言い逃れが出来ちまうからねぇ。やりたい放題やれちまうって寸法だよ」

そこまで言って、ユライはにやりと不敵な笑みを浮かべた。


「――さて。賭けはもう一つ用意してあるんだが、乗ってみないかい? 見張りさん。賭けるのは――この国の"未来"さ」


■ □ ■ □ ■


ドォンッ、と夜の静寂を破る破壊音。

付近の住民が音に飛び起き、その音の音源へと集まる。

それは明かりのついていない、この国では一般的な佇まいをした一軒の家から響き渡ったものだった。

無残に壊された扉が、招かれざる客の来訪を示している。

あの盗賊たちが現れたのだ。

住民は各々武器となりえそうな物を持ち、今日こそ盗賊を捕らえようとその家を囲む。

壊れて開けっ放しになった玄関の暗がりから、珍しい薄黄緑の髪をした女性と傷みのない銀髪の少年が悠然と姿を現す。

武器を構えて、緊張の静寂が辺りを支配する。

盗賊が、駆け出した。

住民も武器を振りかざし、鼓舞するように雄叫びを上げて盗賊へ向かって走り出す。

ダンッ、と盗賊は舗道を強く踏み締め、跳んだ。

軽々と住民の壁を乗り越え、軽やかに着地した二人は夜の闇の中へとそのままの勢いで駆ける。

「あっちに行ったぞ! 追え!」

盗賊を追いかけ走り出すも、二人の方が圧倒的に足が速く、どんどん差は広がっていく。

今までのように闇へと消えようとした盗賊の前方に、二つの影が。


「そこまでです」


凛々しい少女の声が響いた。

そこには闇夜の中でも光輝く月のような金の髪をもち、アメジストをそのまま嵌め込んだような凛々しい瞳をもった、この国の女王セレーネウル・フォス・カタフニアの姿。

いつものドレスではなく、騎士団の制服を身に着けており、凛々しさに磨きがかかっている。

その隣には同じく騎士団の制服に身を包んだアステル。

「これ以上、貴様らの好きなようにはさせん!」

アステルは腰に提げた太陽のような煌めきを放つ剣を抜き、二人に突き付ける。

しかし二人に焦った様子はなく、呆れたような困ったような表情を浮かべた。

「やだねぇ、お二人さん。あたいらの無実は証明されたんじゃないのかい?」

「何故ですか?」

「何故って……賭けをしたじゃないか。昨夜あの盗賊が現れたら無実を認めるってさ」

「ええ、確かにユライ様とソル様との賭けは成立しました。その結果、ユライ様たちの無実と認める事となりました」

「ほら、しっかり憶えてるじゃないか」

やれやれと言いたげな女盗賊に、アステルが言う。

「だが、あいつらは、今さら宿屋を探すのが面倒だと言って、まだ牢屋の中だ」

「!?」

「しかも、別の見張りのヤツと楽しくチェスをやってたな」

アステルの言葉に二人は驚愕するも、すぐに今まで通りの笑みを浮かべた。

「やだねぇ、何言ってるんだい。見張りさんの目を盗むのも、牢屋の鍵を開けるのも、あたいらには朝飯前だよ。牢屋に居るのが飽きたから、こうやって外の空気を吸おうと思って――」


「ああ、悪い。あいつらが牢屋の中ってのは、嘘だ」

「……は?」

「自分たちのことなのに、分からなかったのか?」

「――――ッ!!」


絶句する二人とは対照的に、アステルはにやりと笑みを浮かべてみせた。

「いい加減、真の姿を表しなさい! デセカンタール・デ・カンビオ!!」

セレネが呪文を唱えると二人の顔が醜く歪み、体はメキメキと膨れ上がっていく。

アステルがセレネを庇うために前へ出た時、獣の唸り声よりも耳障りな声が響き渡った。

そこには二体の魔物。

腹部辺りまで垂れ下がった鼻に、毛むくじゃらの体から生えた長い牛のような尾。

人間の三倍もの体躯を持つそれは、深い樹海の奥や人里離れた丘に棲むといわれる魔物、トロールだ。

トロールの特徴はその醜悪な容姿と巨躯だけでなく、変身能力に長けている事である。

「ま、魔物……!?」

盗賊を追っていた住民たちはその姿に驚きを隠せない。

アステルは剣を握る手にぐっと力を込めた。

「あいつの言った通りだったか……! セレネ様、お下がり下さい!」

「いいえ、わたくしも戦います」

そう言ってセレネは腰に提げたきらびやかな装飾の施された剣を抜く。

「ですが……」

「此度の騒動は、わたくしの手で決着を着けたいのです。お願いします」

その凛々しい瞳は真っ直ぐに目の前の魔物を見つめている。

「……分かりました。くれぐれもご無理はなさらないように」

「分かっています。さあ、行きますよ!」

セレネの掛け声で二人はトロールへ向かって駆け出す。

まずは一体、先陣を切ったアステルが片足へ一太刀を浴びせた。

魔物特有の黒い血が流れるも、トロールはその怪我を気にも留めずアステルへ向けて腕を振り下ろしてくる。

アステルは後ろへ飛び退き回避する。

トロールの脅威はその巨躯から繰り出される力任せの一撃だ。

その一撃を受けた舗道は抉れへこみ地面をむき出しにし、舗装していたタイルの破片が飛び散った。

「っ、この程度じゃビクともしないか」

ふっ、とアステルに影が掛かる。

振り返るともう一体のトロールが腕を振り上げていた。


「アステル!!」


セレネが叫ぶ。

刹那、ドォンと重い物の地面に落ちる音が響いた。

トロールが地を揺るがすような声を上げ、肘から下が切断された腕を押さえて呻く。

おびただしい量の黒い血が血溜まりを作っている。

一瞬でアステルとトロールとの間に割って入ったセレネが振り上げた腕を切り落としたのだ。

その目にも留まらぬ高速の剣技は、かつて"騎士姫"と呼ばれたセレネそのものだった。

「しっかりしなさい、アステル。それでも我が国の騎士ですか」

トロールが腕を繋ぎ治そうと肘までの腕を伸ばし、それに応えるかのように地面に転がる腕の切断面から筋繊維が触手のように伸びる。

再生しようとするその腕にアステルは剣を深々と突き立てた。

腕はびくびくと痙攣を繰り返し、剣の刺さった箇所から炭のような黒に変色していき、やがて砕け散った。

アステルの持つ剣は魔力を持たない騎士団員に与えられる、ほとんどの魔物を断つ事の出来る"光"の魔法を込めた魔剣である。

そして再生能力を得意とするトロールは、日光に弱い。

「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません、セレネ様」

剣を構え直してアステルはセレネと目を合わせ、そして小さく頷き合うと、腕を切り落とされ弱ったトロールへ駆け出し斬撃を繰り出した。

トロールの巨体が地面に倒れ、腕の時と同じように黒く変色し砕け散る。

それを見届けると二人は振り返りもう一体のトロールを見据えた。

地を揺らす耳障りな吼え声に怯む事無く、セレネが飛び出す。

振り下ろされるハンマーを思わせる腕を持ち前の俊足で避け、トロールの胴体目掛けて高く跳躍すると石のような硬さの皮膚を渾身の力で斬る。

胸を横に切り裂かれ黒い血が噴き出すも、致命傷には至らない。

空中で思うように身動きのとれないセレネへ向けてトロールが腕を振り上げた。

「残念ね」

そう言って笑みを浮かべたセレネの後ろからアステルが飛び出す。

そして硬い皮膚を切り開かれ柔らかい肉の覗いた胸の心臓へ向けて剣を突き刺した。

悲鳴と思しき絶叫がトロールの口から迸る。

トロールは心臓辺りから黒く炭になっていき、地面に倒れ伏す前に砕け散った。


静寂。


キン、と剣を鞘に収める音が響いた後、辺りは傍観していた住民たちの歓声に包まれた。

「セレーネウル女王、バンザーイ!」

「アステル様、バンザーイ!」

「"騎士姫"様、バンザーイ!!」

それは長らくこの国を悩ませた盗賊が居なくなった事に対する歓喜だけでなく、"騎士姫"の再来を祝うものも含まれていた。

セレネとアステルは顔を見合わせて小さく微笑むと、城へ向けて歩き出した。


■ □ ■ □ ■


「アスー! 剣の稽古しよーよ!」


月のような金髪をポニーテールにし、騎士団の制服に身を包んだこの国の王女セレーネウルが、同じく騎士団の制服に身を包んだ少年アステルに弾けんばかりの笑顔で駆け寄った。

アステルもそれに答えるように微笑む。

「ええ、いいですよ」

「やったあ! じゃあ、早く中庭に行こ!」

アステルの袖を引っ張り中庭へ向けて歩き出そうとするセレネに彼は注意する。

「中庭はダメです。この前、盛大に花壇を踏み荒らして、庭師のトリフェリが泣きかけてたではありませんか」

「あ……そーだった……」

「稽古は稽古場でしか行いません」

「ちぇー……外の方が動きやすいのになー……」

そう不貞腐れながらもセレネは稽古場の方へと足を向けた。

王女と騎士という身分違いではあるが、二人は幼馴染みでとても仲が良い。


「セレネ、また剣の稽古?」


セレネとアステルの楽しげな話し声が聞こえたのか、書斎から一人の青年が顔を出した。

「あ、アヴギ兄様!」

王女と同じく月のような金髪をしたこの国の王子アーヴギエルへセレネは駆け寄り、アステルは恭しく一礼をする。

「アステルも、毎日セレネの稽古に付き合ってくれて、ありがとう」

「いえ、騎士として当然の事をしているまでです」

「わたしの方が強いけどね!」

セレネが胸を張り自慢げに言った。

アヴギはくすりと笑う。

「聞いたよ。セレネ、騎士団との稽古試合で全勝したんだってね。おめでとう」

「ありがとう、兄様。わたし、すんごく強い騎士になって、父様と、兄様と、それからこの国ぜーんぶを悪いヤツらから守ってあげるからね!」

「あっはは、それは頼もしいなぁ」

アヴギはセレネの頼もしい言葉を聞いて、笑いながら彼女の髪をわしわしとかき混ぜた。

セレネも髪がぐしゃぐしゃになるじゃん、と文句を言いながらも笑う。


王位継承権は無論王子のアヴギにあり、王女のセレネにはあまり関係がなく、また関心のない事である。

セレネ自身、兄は自分よりも才能に長けているから王位を継ぐのは兄に決まっていると思っており、その兄を支えるのが自分の為すべき事だと思っているのだ。

故に、昔からアステルと共に学んでいた剣術により一層打ち込み、王女の身でありながら騎士団に所属している。

父王もそんなセレネを理解し、帝王学は最低限にし、主に武術や魔法に関する勉強を彼女にはさせた。

そうして彼女の武術の腕はぐんぐん上達し、人々は王女を"騎士姫"と呼ぶようになった。


いずれ、王になったアーヴギエルと騎士団長になったセレーネウルがこの国を守るのだろう。

そう、誰もが信じて疑わなかった。


フィーネモルテ大戦。

史上最大にして最悪といわれる戦争が起こったのだ。

戦場となった大地は荒れ果て、数えきれない人が死に、溢れんばかりの血が流れた。

人間だけでなく獣人族も大勢死に、翼をもった獣人族である翼人族は絶滅してしまったらしい。

戦争への介入を頑なに拒み続けたセレネの国は、あまりにも惨い現状に騎士団を被災地に派遣し救援活動を行う決断をした。

よって、騎士団に所属するアステルとセレネは大戦の被害にあっている町や人を守るために奔走する事となったのだ。

王女であるセレネを戦火の及ぶであろう地へ向かわせる事には反対意見が多数あがったが、本人たっての希望と兄の後押しもあってそれは実現した。

時に壊滅した村で泣きながら墓を作り。

時に町を守るために略奪兵を殺し。

時に戦火に巻き込まれて同胞を失い。

それでも東に西にと奔走する騎士団に、あくる日祖国の伝令兵が訪れた。

最悪の知らせを持って。


「兄様! 父様!」


三日三晩夜通し馬を走らせ、他の騎士団員より早く祖国へ辿り着いたセレネとアステルが見たのは、二つの長方形の箱の中で眠る父と兄の姿。

セレネは二人に駆け寄るとその頬に触れ、あまりの冷たさに思わず手を引っ込めた。

その箱が"棺"だと気付くまでに、そう時間は掛からなかった。

「にいさま……とうさま……いや……いや、いや、お願い目を開けて!! 兄様! 父様ぁ!!」

王女の嘆く声が城に響き渡る。

「国王様……アヴギ殿下……なぜ……」

アステルが誰にともなく呟く。

それを聞いた臣下の一人が震える声で答えた。

「王女様と騎士団が出立してほどなく、流行り病が、我が国を襲いました……。この戦乱の中では他国へ救援を要請する事も出来ず、王と王子は病に倒れ……」

それ以上の言葉が臣下から出る事は無く、またそれ以上の言葉を聞かずとも全てを察する事が出来た。

どうりで出立の時より民も臣下も少なくなったと思った訳だ。

「セレネ様……ひとまず、自室へ戻りましょう?」

「いや……兄様と父様と、一緒にいる……」

力無く首を振る少女に、アステルはそれ以上何も言えず、ただ傍に居る事しか出来なかった。

そしてセレネは泣き疲れていつの間にか眠りにつき、目を覚ますと夜になっていた。

そこには変わらず眠ったままの兄と父。

再びその頬に触れてみるがやはり冷たく、夢ではないのだと思い知らされ、胸が苦しくなってまた涙が溢れそうになる。

けれど壁に凭れ掛かって静かに寝息をたてるアステルに気付いて、少しだけ安心した。

「――――ると、王女が王位に就くしか……」

廊下の方から声が聞こえてくる。

気になって声が良く聞こえる所まで息を殺して歩いて、セレネはその話を聞いてしまった。


「ろくに勉学を学んでいない王女が王位につくなど」

「王女一人に王が勤まる訳がない」

「なぜ我らが王も王子も先立たれてしまわれたのだ」


この国に残された道を嘆く臣下の声だった。

父も兄も居なくなった今、王となれるのはセレネだけである。

しかしそれは、誰も期待していない事なのだ。

セレネはこの場から立ち去りたい衝動に駆られたが、足から力が抜けてその場に座り込んでしまった。

「しかし民の不安を取り除くには、王女に王となってもらわなくては」

「だが、そう簡単な事ではないだろ」

セレネは耳を塞いだ。

自分が王になれる自信は無いし、自分が王になる事を誰も望んでいない。

父も、兄も、頼れない。

自分、一人だけ。

足場が崩れていくような不安と恐怖がセレネを襲う。

手を伸ばしても、掴んでくれる人が、居ない。

誰も、"王女のセレネ"を必要としていない。


――なら、皆が望む王を演じるだけの"人形"になってあげるよ。


「ッ!!」

そこでセレネは飛び起きた。

ぐっしょりと汗に濡れて肌に張り付く寝間着。

振り乱した金糸が視界の端にちらつく。

彼女の荒い呼吸だけが部屋に反響し、つうっと汗が一筋流れた。

額に手をやり、ゆっくりと呼吸を整える。


久し振りに"あの日"、最愛の父と兄を亡くし王女の自分を殺した時の夢を見た。


何度見ても嫌な夢だ。

この夢を見るたびに、無性に父の兄の優しい腕の中が恋しくなって、自分の選んだ道が間違っていなかったのか教えて欲しくなって。

しかしそれが叶わない事なのだと思い出して、泣きそうになる。

王を演じるだけの空っぽの"人形"に、涙も感情も必要ないというのに。

ただただ凛々しく、誇り高く、気丈に振る舞い、独りきりでも決して弱音を吐かず、強く強く在ればいいのだ。

それが、皆の望む王の姿。


――少し早いけど、もう起きよ……。


すでに眠気は消え失せていた。

セレネは部屋に備え付けのバスルームで汗を流し、だいぶ着慣れてきたドレスに手早く着替え部屋を後にした。


■ □ ■ □ ■


セレネが自室を出ると、待っていましたと言わんばかりに一人の男性が駆け寄ってきた。

健康的に日焼けした肌にオレンジの髪、庭師のトリフェリだ。

「女王様!」

「どうしたのですか、トリフェリ」

「聞きましたよ! 昨夜、とうとうあの盗賊たちを懲らしめたられたんですね!」

あの盗賊というのがユライとソルを指していると思ったセレネは暗い表情をした。

「いえ……彼女たちは無実で……」

小さく呟くが、目をらんらんと輝かせたトリフェリには聞こえていなかったようで彼は話を続ける。

「まさかトロールが化けていたなんて思いも寄りませんでした!」

「…………え?」

「アステル様と二人だけでトロールと戦われて……、その勇姿、トリフェリも見たかったです!」

"騎士姫"様の復活ですね、と笑顔で言うトリフェリ。

しかしセレネの頭は混乱していた。

トリフェリが嘘をつけない性格だというのは知っている。


けれど、セレネは昨夜、ずっと自室で眠っていたのだ。

トロールと戦った覚えも、まして盗賊の正体がトロールだった事も、知らない。


「ごめんなさい、用事を思い出しました……っ!」

「あ、急ぐのはいいですが、花壇は踏み荒らさないで下さいね!」

笑いながらそう言うトリフェリの声を背に、セレネは駆け出した。

彼の話では自分とアステルがトロールと戦ったと言っていた。

つまり、アステルなら事の真相を知っているハズだ。

走りにくいドレスで城の中を探し回り、そしてついに中庭で見慣れた藍色の髪を見つけた。

「アステル!」

アステルが驚いてこちらを振り向く。

それから、気付かなかったがアステルと一緒に居る騎士団の制服を身に付けた人物もこちらを向いて、言った。

「やっと、会えたね」


その騎士団の制服を着た人物の姿は、セレネと瓜二つ、いや何もかもが同じだった。


月のように淡く輝く金髪も、宝石をそのまま嵌め込んだようなアメジストの瞳も。

ただ違うのは、着ている服と、柔らかく微笑むその表情だけ。

「な、ななな、何者ですかあなたは!? わたし、じゃなくて、わたくしと何故同じ姿をして」

騎士団の制服を着たセレネはくすりと笑って言う。

「わたしはあなた、あなたがかつて殺した"王女のセレネ"だよ」

「そんなこと、あるわけが……」

「ドレス……似合わないね。兄様も、誕生会のたびにドレスで着飾った私を見て、似合わないって笑ってたもん」

「!!」

セレネは思わず息を呑む。

「ねぇ、どうして、あなたはわたしを、王女のセレネを殺したの?」

悲しげな表情を浮かべて王女のセレネが問い掛けた。

「……必要としないんです、誰も、王女のわたくしなど。わたくしはもう女王でなくてはならない、"騎士姫"などとの野蛮な二つ名はいらないのです」

女王のセレネは努めて冷静に答えた。

「ホントに? ホントに、そう思ってるの?」

「っ……ええ、そうです。わたくしは女王でなくては、みなの望む王でなくてはなりません!」

「じゃあなんで、そんな泣きそうな顔をしてるの?」

「それは……っ」

返答に詰まる。

「わたしを押し殺して、あなたは幸せなの?」

これ以上声を出せば、押し殺し続けた感情も一緒に溢れ出てしまいそうだ。

「たった一人で、王様が出来るの?」

「――ッるさい、うるさい、うるさいっ!! だって仕方ないじゃない! 父様も兄様も、もう居ない、居ないの!! わたしが、わたくしが王を務めないといけない!! たとえ、独りきりでも――」

「でも、アスが居る」

「!」

その言葉に女王のセレネはゆっくりとアステルの方を見た。

「セレネ様……申し訳ありませんでした」

「アステル……?」

「セレネ様が選ばれた道を、何があろうと守り、支える事が私の使命であると思っていました。セレネ様を、独りにするつもりはなかったんです」

女王のセレネの視界が滲んでいく。


「ただ、あなたには笑っていてほしかった。今までと、変わることなく、あの眩しい笑顔で」


ぽたり、と潤んだアメジストの瞳から涙が一粒零れ落ち、地面を濡らした。

そして堪え切れなくなって、後から後から涙が零れて、声を上げて泣きじゃくった。

父と兄の葬儀の席ですら見せなかった涙で顔をぐしゃぐしゃにして、泣きじゃくった。

キングとして盤上に上がった少女は、独り取り残され、自らの無力を知ってしまったのだ。

だから、たった独りでも偉大な父と同じ王である為に、凛々しく気丈に盤上で立ち続けていた。

いつか、家臣たちが自分のために戦っているのだという事を忘れて、家臣たちが同じ盤上に居る事さえ忘れて、一人、孤独に。

「――トロールを倒してきたのは、わたしだよ」

王女のセレネが言う。

「倒した後ね、みんな喜んでたよ。"騎士姫"様バンザーイ! って!」

自身も両手を挙げて万歳してみせる王女のセレネに、また涙が込み上げる。

"王女のセレネ"を"騎士姫"を必要ないと思っていたのは、自分だけだった。

今なら、分かる。

あの時の臣下の話は、この国に残された道を嘆くものではなく、最愛の家族を亡くし王となる事を余儀なくされた王女を心配するものだったのだ。

アステルが懐からハンカチを取り出し差し出す。

女王のセレネはそれを受け取らず、アステルに抱きついて、彼の胸に顔をうずめて泣き続けた。


「おい」

「あだっ」


王女のセレネの頭を誰かが剣の柄で軽く叩いた。

頭を擦りながら彼女が振り返ると、そこには満杯に詰め込まれて大きく膨らんだ麻袋を重そうに肩に背負った銀糸の髪の少年、ソルの姿。

「なーに遊んでんだよ、師匠」

「ちぇー、このくらいいーじゃないかい。ドッペルゲンガーに会ったヤツの顔を拝めるなんてそうそうないさね。夜通し動いてやったんだ、このくらいの駄賃は貰ったってバチは当たらないんじゃないかい?」

そう唇を尖らせて言ったのは、王女のセレネだった。

「…………え?」

女王は訳が分からず王女のセレネと名乗った人物を見つめる。

すると彼女は、にやりと笑った。

「デセカンタール・デ・カンビオ」

王女のセレネが変身魔法解除の呪文を唱えると、髪は輝きを失い薄黄緑色へと変わっていき、アメジストの瞳はサファイアの瞳をもったぱっちりとした猫の目に、きっちりと着こなした騎士団の制服はへそ出しのチューブトップと肩甲骨が隠れる程度のジャケットに下はホットパンツへと変わった。

「あーあ、バレちまった」

王女のセレネ、もといユライ・ヤーノシークは少しも残念そうに聞こえない声で言った。

静寂が辺りを支配する。

「――だ、騙しましたねぇっ!?」

驚きのあまりに涙が引っ込んでしまったセレネが顔を真っ赤にして叫んだ。

「そうなるねぇ」

「全部全部、嘘だったって事ですかっ!?」

「いや、あたいは騙しはするが、嘘はつかないよ」

「……だが、なんであんなに知って――」

「おやあ? あたいの耳は出来がいいって、言わなかったかい? 牢屋で聞こえてきたのはあたいら逮捕の噂だけじゃあなくってね。たくさん聞こえたよ、昔のあんたを惜しむ声がさ」

「あ……」

ユライの言葉にハッとして、セレネは怒鳴り声を上げてしまった己を恥じた。

確かにユライは"王女のセレネ"だと言って騙したが、そうまでしてセレネに真実を教えてくれたのは紛うかたなき事実である。

「その、ごめんなさい。ありがとう、ございます」

「なぁに、大盗賊としての"自由"と"尊厳"を奪われたんだ、きっちり利子付きで奪い返したまでさ」

それに、と言ってユライはアステルの方をちらりと見た。

「賭けはあたいの負けだったからねぇ。まぁ、当然の労働を強いられちまっただけだよ」

「……巻き込まれた俺の方が労働量多かったと思うんだけどよぉ」

そう言って溜め息をついたソルは肩に担いでいた麻袋を地面に下ろし、肩を回して筋肉をほぐす。

「ああ、ゴメンゴメン、忘れてた」

「忘れんなっ!」

「まあまあ。ちゃーんと持って帰ってきてくれたんだねぇ。お疲れさん」

「おう。これでトロール共の隠れ家にあった盗品全部だよ」

ソルは麻袋を軽く叩きながら言った。

「わざわざ取り返してきてくれたのですか!」

「近くのトロール適当にボコれば、一体ぐらい隠れ家に戻って盗品を移動させるハズだ、って師匠に言われたからな。俺は魔法使えるから楽勝だし」

あくびをしながら言ったソルに、ユライは労わるように彼の頭を撫でた。

「さーて、と、そろそろ行くとするかねぇ」

「あの、間違いで牢屋に入れてしまって、申し訳ありませんでした。それから、ありが――」

「最後に、これだけは忘れるんじゃないよ」

お礼の言葉を遮って、ユライは続ける。


「あたいはアンタらから"虚飾"を奪った。これからは取り繕うことも覆い隠すことも出来ないのさ。いいね?」


それだけ言うとじゃあね、と言ってこの国から"虚飾"を奪い、言い表せないほどたくさんのものを与えたユライとソルの二人の大盗賊は走り去っていった。

綺麗に咲き誇った花壇の花を踏んで。

「あ」

「……また、トリフェリが泣きますね……」

「今度は怒られるかな……」

セレネとアステルは顔を見合わせて苦笑した。


■ □ ■ □ ■


国を出たユライとソルはのんびりとした足取りで街道を歩く。

「それにしても、ソル、アンタよくあたいの変装が分かったねぇ」

ずっと不思議に思っていた事をユライが訊ねると、ソルは少し照れくさそうに視線をそらした。

「そりゃあ……アレだ……長年の付き合い、ってヤツだよ」

「長年の付き合い、か……」

ユライは頬を緩ませるとソルの髪を思い切りかき混ぜた。


「――ホントは気付いてたんだろうねぇ、見張りさん」


「ん? 師匠、何か言ったか?」

「別になーんにも。で、きっちりトロールの親玉は倒したんだろうね?」

「ああ。確か、コレが証拠になるんだろ」

そう言ってソルが荷袋から取り出したのは、薄汚れた赤いとんがり帽子。

トロールの親玉が持っていたもので、自由に姿を消す事の出来る魔法が込められた道具である。

ちなみに人間には使えず、トロールしか使えない代物だ。

「ったく……たかが賞金首の魔物倒すだけだったってのに、めんどくせぇ事に巻き込まれたな」

溜め息混じりに呟いた。

「じゃあ、次の町に着いたら、今回の報酬でパーッと飲み食いするかい?」

「お、いいなソレ。さんせー!」

ソルが笑顔で同意したが、何かに気付いたのか心配げな表情でユライを見た。

「……心配しなくても、牢屋行きにはしないさね」

「えっ、なんで分かったんだ?」

「そうさねぇ……長年の付き合い、ってヤツさ」

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