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斬屋顚末

作者: 木下望太郎


 因果な世でござンすなァ、お客人。あんたさんみてェなお若い方でも、斬って捨てたい輩があるなんざ。ま、お上がンなさいやし。何分やもめの侘び住まい、お構いもできやせンがね。出涸らしでよけりゃ茶など……あ、結構と。

さてと。若旦那、斬屋へのご用向き、詳しいとこ――ああ、これはご無礼。てっきり、どこぞの大店おおだなの脛っかじりかと。お武家の長男坊とはねェ。それにしちゃ生っ白いが。いやさ、色の白いは七難隠すと申しまして、結構なことで。腰の刀が目に入らなかったかと? あんまり自然に差してらしたもんでね、むしろ目に留まりませんで。ええ、鰻に串でも刺したる如くお似合いでござンして。それよっかァ聞きやしょう、どこのどなたさんを斬りゃァいいンで? 


 何、どんな奴でも斬れるか、と? 自慢じゃァねェがこの桐谷平九郎、剣術やっとうで遅れ取ったること無し……と、ぬかす輩を一二三四五六七ひふみよいむな、九つ飛ばして、八、十(やっ、とう)ほどは、ざっくと斬って捨てたもんで。斬れぬものなしの斬屋たァ、あっしのことでさ。

 やけにもじもじとなさる……ははァ、何ぞ後ろ暗いことがおありで。何、お気にかけるこたァありますまい。しょせん、人が人に人斬らせるなど、人の道に外れたること。それは外道の底も底、そこより後ろはそこになく、そこより暗きもそこになし。後ろ暗さは遠慮なし、いっそ、ずかりと言いなさいやし。

 ただし、いずれでございやしょうと。外道のせめてものけじめ、何ゆえ誰を斬るのかは、言ってもらうが斬屋の決め事。さ、なんぞ恨みのある輩で? 出世仇、恋仇? ははぁ、袖にされた腹いせに女をとでも? それとも――


 って、ちょっと。いきなり奥に上がられても困るンですがな。え? ああ左様で、そこに掛けてるのがあっしの商売道具でさ。ああ、刀がお好きなんでござンすか、さすがお武家で。

お目汚しですが抜いて見せますか、そら。商売に使い込んでも刃こぼれなし、折れず曲がらずよく斬れる。銘? ありゃァしやせん、相模の物とは聞いてますがね。刃紋は飾り気なし、筆でさッと引いたような直刃すぐはの紋。他にも刀があるにはあるが、これが気に入りでございやして。

何です? ……だから何です、その勝ち誇った目は。あ? お客人の刀を見てみよと? 

 どれ、……ほゥ。ほゥ……。くちばしの如く切先鋭く、羽根のように刀身伸びやかに反る。刃紋はあたかも陽炎かげろうごと、まるで浮かんで消えるよな。高ぶり舞い散る波飛沫、はたまた、霞にけぶる幽谷の、朧に揺らぐ森の様か。こいつァ匂い立つような、いィい刀だ。へェ、備前は長船長光の大業物。中でもこれは二つ名を白鴉しろがらす、見た事も無きほどの出来物と、左様で。


 え? 此度の依頼、これにて斬ってもらいたいと? ははァ……対手あいては何ぞ、ご一族の仇ですかな。積年の恨み晴らすべしと、そ奴を家伝の宝刀で……え、違う? 家伝のものでもないし、何、ふむ……へ? はァあ?

 ご自分を、これで斬れ、とォ? …………はは、洒脱なお方だ、ご冗談もたいがいに……本気で? 何で、また。

 はァ、刀がお好き、そりゃァ聞きましたがな。好きで好きでたまらない、左様で。中でもこの刀が一等お好きと。

 ふむ、ご自分は武家の長男、すなわち武芸弓馬の家の者、闘争に備え刀槍の腕磨くもの。励めどそれがご自分の手に余り――その生っ白い腕じゃ左様でしょうな――我が事ながら情けないと。ならばいっそ死して詫びん、と。そうしてせめて、心より愛でた刀にて斬られたし。己が体の一部の如くは扱い切れずとも、せめて刃の露として、己を刀の一部としたし、と。

 よほどの、お覚悟で。いささかの笑みもなく、冗談でもなさそうにござンすな。膝はずいぶん笑っておいでですが。ふゥむ、お代は……ああ、それだけありゃァ釣りが出ますな。返さずともよい? 左様で。


 ……良うようそろ。良う候、お受けしやしょう。御佩刀みはかし、お借り受け致しやす。仕事が済みゃァ、お家へお返し致しやすので。

うむ、良き刀。抜いただけで違いが分かりますな。さ、お覚悟。

 ――え? そりゃァ今からここででござンす、仕事が早いのが取り柄でして。ご心配どうも、うちの畳なら丁度替えようと思ってた時分で。ささお座りなすって、おぐしに衣服など整えられませィ。整えなさいましたか。良う候。

 参りますぞ! ――と言ったら参ります故、そのおつもりで……あァ、今のは違いますよって、座り直されませィ。

 辞世の句? 念仏? さしたるものは詠む間もなく、不意に死ぬるがの死にござる。少なくとも、あっしの商いじゃァ左様で。ささ、お覚悟。

さ、ささ。さァ。さァ、イヤ、さァ。さァ、さァッ、さァ! 参る――


 ――のは、やめときやしょう。

 泣いた鴉がもう笑う、それはよく聞く話なれど、死んだ鴉は泣いたきり。……目ェ、拭いなせェ。迷いのあるご依頼は、受けぬことにしておりやす。と申しますか、ちゃんと座ってて欲しかったンですがね。鼻でもかんで落ち着きゃ、金と刀持って帰ンなせェ。

――と、ン? 何ぞ、表が騒がし――ぅおッ! な、何です奥方、人の家に……と申すか誰……え? この? お客人の? 母君? 

 ちょ、母君、母君、叩かない、息子殿を叩かないで、落ち着きなすって落ち着きなすって、人んちの急須で叩かない! ほらっもっ割れっ……ああもう!

 とにかく、落ち着きなすって……ほら、ご両人一度離れて、ゆっくり息を吸って――吐いて――はい吸って――あァ母君、急須は片付けますよってお構いなく。よござンす、ほんとよござンすから。

 えェと、で? 母君は何故こちらに。息子殿の後をつけた、ふむ。え? えェま、大きな声じゃ申せませんがね、確かに人斬り稼業なぞしておりやす。


 ……は? もう一度申して下さい、何と? 金は払う? 息子殿を? 斬ってくれ?

 ちょ、母君、叩かない、息子殿を、叩かない、泣かないで母君話をちょっ、絞まってる絞まってるそれ息子殿の首絞まってる! 手ェ離しなすって、手! 

 何、つまり? 息子殿はロクにお勤めもなさらず? 病身と申して? 稽古も手習いもそこそこに、書画観劇に太刀の鑑賞、お好きな事ばかりで? はァこの穀潰し(ごくつぶし)めが恥ずかしいと。いっそ斬って下さいましと。

 なるほどねェ、あァ息子殿、首の具合はどうで。え? そんなだからいっそ斬られて死のうと? そうでもしなきゃとんでもない道場に入らされる? あァ平山先生の。真貫流は厳しいですからな、内弟子ともなりゃァ生半可な性根じゃ務まらねェ。それで狂い死にするぐらいならいっそのこと、ってそりゃ大袈裟な。

 あァ母君母君、叩かないで! ちょ、痛ッ、何を投げて……勿体無い、銭をバラ撒かないで欲しいですがね。へ? あァ確かに、ひィふゥみィの、これだけありゃァお代に足りまさァ。斬りますかい? 息子殿を、斬りますかい? ――良う候。


 しからば息子殿、せめてもの情け。ご自分のご依頼通り、白鴉にて、そっ首ィ斬って差し上げやしょう。いやさ、こりゃまた先とは別ですよって、止める理由もありゃしませんな。恨みはねェが、ささ、お覚悟。

さァ。さァ、イヤ、さァ。さァ、さァッ、さァ! 参る――


 ――って、ゥおおっ! 何、危なッ、何だ! 何者だあんたァ、人んちに刀振り回して躍り込むたァどういう了見だ! どこのどいつ――えェ? こちらの奥方の? 夫君? つまりは息子殿の? 父君ィ? なるほど奥方の後をつけ、中を見ればこの有様と。すわ、息子の一大事とて止めに入ったというところですかい? 

 息子殿、悪運がござンしたなァ。律儀で鳴らした斬屋とて、邪魔が入っちゃ斬れやしねェや。此度は刀を納めますぜ。母君、お代はお返ししやす、ご依頼は又の機に。

父君、そちらさんもどうかお腰のものをお納め下されィ。だいたいそんな、仇討ちでもあるまいに。白鉢巻にたすきがけ、袴の裾までからげなすって。さァさ、お刀を鞘へ……って危なッ! 振り回さないで、いやさ、あっしはもう斬る気なんざさらさら……ってどちらへ? 

 あァ、息子殿と何ぞ話が? さもありなん、危機一髪の所にござりました故、息子殿まだ震えていらっしゃいやすぜ。そうそう、そばへずいっと寄って言葉の一つもかけて――無言ですかい。左様、親子に言葉は要りませんな。あァされど、息子殿どんどんひどく震えてらっしゃいやす、せめてそう、手を上げて、肩に手でもかけておやりに――いやさ、刀はもう仕舞った方がよろしいンじゃ……って、刀を提げた手を上げて、大上段に振りかぶって、息子殿へ向かって振り下ろ――って待ったァ!


 待った待った待った危ねェ! 離せ離せ、ったって離せませんぜそりゃ、いったい何でまた。え? 助けに来た訳じゃァない? 斬りに来た、息子殿を父君ご自身で? 

 はァ、息子殿が家の宝を質入れして、お家の金も持ち出して? この白鴉を買った? あらま何と、刀好みもそこまでいっちゃァね。

 はァそれで、この馬鹿者めがと。ようもようも我が子ながら、武士の風上にも置けぬ、ご先祖様に申し訳が立たぬ。いっそ我が手で討ってくれよう、と。あァちょっ、ちょっと、どうぞ落ち着きなすって落ち着きなすって。いや、唐変木とうへんぼくのこんこんちきのと申されましても。あァちょっと母君、泣かないで泣かないで。


 え、どうしたんで息子殿? 何? 何が我が子か、って? どういうことで? 

はァ、知っているぞ、って何を。は? 父君が、浮気を。ほゥ、四丁堀の小唄の師匠さん、あァあだっぽい良い女だありゃ、あの人と。へ? 母君も、こっちはこっちで髪結い床の旦那と。あらら。で、あァどうせ俺の生まれも妾腹に違ェねェ、さもなきゃ間男種だ、と。それかいっそ、妾腹の間男種に決まってらァ、ってそりゃさすがにおかしい。

 あァ父君、そんな真ッ赤にならなくたって。あァ、何ぬかしやがる、と。この馬鹿息子めがたわけめが、てめェはこのわしが腹ァ痛めて産んだ子に決まってる、ってあんたの腹は痛んでないでしょうに。そこへ直れ、我が二親も疑うような奴は成敗してくれる、って結句それですかい。

 父君お待ちを……あッ! 何てェ馬鹿力だ、振りほどかれるたァ。

 父君父君、ちーちーぎーみ! 危なッ危なッ、と申しますか、人んちで刀振り回さないで欲しいンですがね! ちょ、ほら障子が、鴨居まで傷が、あああ掛け軸を真っ二つに! ちょ、お聞きなせィ、落ち着きなせィ、そこへ直れ、ったって息子殿が聞く訳ないでしょうに。だからお聞きなせィお聞きなせィ、だ、か、ら――

 あァこンの…こンの、すっとこどっこいがァ……。いィい加減にしてもらわねェとよ、こっちだって黙っちゃいられねェ。そっちが抜くならこっちだってよ、刀使わにゃ止めらンねェや。一丁チャンバラ、致しやしょうかい。参りますぜ、でえェやァ!


 ――やァァ、あ? あれ? ゥおおォッ!? 何で息子殿、こっちに飛びかかって――と思ったら母君まで息子殿をかばって――ッて痛ッ! 何であっしゃァ、父君にぶん殴られてンですかい? 痛てて……

 何? 息子殿は白鴉――そういやあっしが持ってやしたね――が傷付くのが嫌だった? で、母君は息子殿を父君からかばおうと? で父君は、何だか知らんがお二人があっしともみ合ってンで殴った? はあ。

 やれやれ……あっしが請け負いまさァ、あんたらよっぽど血の濃い親子だ。揃いも揃ってそっくりの、とんだ人騒がせときた。

 あァ息子殿、まだそんな震えて。怖ろしかったでしょうな、二手からの白刃の間、飛び込みなすったンだ。はは、左様で、父君がお怪我もなくよござンしたな。全くもって、左様で。

 やれやれ、良う候、良う候。斬れぬものなしの斬屋とて、親子のえにしゃあ切れやしねェ。さ、お刀お返し致しやす。父君も刀を納められて。あァ母君、障子の切れっ端なんざ片付けますよってお構いなく。よござンす、ほんとよござンすから。

 お後はもう、ささッとお帰り下さいやし。これより面倒にならねェうちにね。あァそうだ父君、息子殿。面倒の元だ、白鴉は手放しなせェ。息子殿もぼちぼちお勤めしていただいて、お家重代のお宝も、そのうち買い戻されればいかがでやしょう。あァ母君、息子殿を通わせるンなら、緩めの道場がよござンしょうな。

 え、障子や何ぞの代金? あァもうよござンすよござンす、とっととお帰り下さいやし。――やれやれ、ようよう行きよった。


 ――と思ったら何ぞ、揃って戻りよった。いかがしやした、忘れ物でも。

 え? あっしを剣客と見込んで? これも縁とて息子殿を、弟子入りさせてェと?

 よしやしょう。律儀で鳴らした斬屋とて、そこまで面倒、看切みきれやしねェ。





                               (了)

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[良い点] スゴい面白かったです! 脳内に咄家さんが参上してくれました。笑
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