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6.追い立てられる者


 その青年は極めて静かに、けれども大胆にも闊歩していた。

 軽装ながら、腰と太股に巻かれたベルトには銃の納められたホルスターがつけられ、それだけで彼が旅人、ないしは冒険者の類いであることがわかる。

 青年の足取りは軽かった。この遺跡に何か目的があるのだろうが、それは魔族という事はないだろう。ならばなんなのか、それは彼のみぞ知ること。

 だが傍から見れば愚か者にしか映らないだろう。

 そしてその青年(愚か者)は、ついに鉢合わせた。


「……」

「……」


 出会い頭に衝突、などという事はなかった。

 しかし、彼は道の先にその姿を捉えてぴしりと固まったのである。

 青年が歩いていたのは、遺跡だった。それもただの遺跡などではない、人間と神族によって囲まれる魔族が身を寄せる最後の砦にして住み処となっている遺跡だ。

 よって、青年が固まった理由はもちろん魔族だった。

 対してその魔族の男も驚いていた。いま自分がいる場所は、多くの魔族が身を寄せて襲撃に耐える大きな遺跡ではなく、古びた武器や道具やらの保管される遺跡だったからだ。

 だがそれでも巡回は行われていた。ここにあるものは大切な物資。決して奪われるわけにも壊されるわけにもいかなかったからだ。それを奴等が知っているかはさておきとしても、いずれにせよ遺跡の中に単身で乗り込んでくる者などいないと思っていた。仮に乗り込んでくる者がいたとすれば、そいつは馬鹿だとも思っていたくらいには。

 魔族はそんな青年バカを見て、呆然とする。


「な、……なんで……」


 ぽつりと青年が呟く。魔族が行動を起こすのと、彼がくるりと方向転換するのは同時だった。


「なんで魔族が此処にいるんだよぉおおおおおっ!?」

「侵入者だ! 一人、この遺跡に侵入者がいるぞーー!!」


 悲鳴と怒号が遺跡内に響き渡り、青年と魔族の男のおいかけっこが始まる。

 だが彼らの間にはかなりの距離があった。それこそ青年にそれなりの脚力があればなんとか逃げられるであろう距離が。

 そのハンデは如実に現れ、青年はうまく外へ逃げ切――。


「――あっ」


 ――逃げきれる前につまずき転んだ。



 * * *



 長い石造りの階段を登りきった先は、開けた広間のような場所だった。

 床も壁も階段と同様に石造り。壁は一部が壊れ、これまで長らく使われてなかったということがわかる。それでもなんとか雨風は凌げるだろうその広い空間には、想像よりもずっと多くの人で溢れ返っていた。


「なに、これ……」


 右も左も人だらけ。それも、万全ではない者ばかり。

 床に横たわる者はどれも男性ばかり何人もおり、皆大なり小なり怪我を負っていた。痛々しく生々しい傷口から鮮血が滲み溢れ、それを忙しなく動き回る女性が止血をしたり治療をしたりしているようだった。

 だが明らかに人数が足りていない。自分では動けず、激痛に呻き悶えるばかりの何人もの男達に対して、女性は片手で数えるくらいしかいないのだ。

 しかも広間にいるそのほとんどが年のいった、熟年の男女。若い男女はおろか子供の姿すらなく、動いている女性の中や横たわる男性の中には年老いた老人の姿までもがあった。

 異様な光景。そして一帯に漂う血臭。


「……ひどい」

「これは……一方的だな。しかも若い魔族は一人もいないではないか」


 臭いに耐えきれずに口と鼻を片手で押さえる聖奈せなの傍らで、ルキフェルは神妙な面持ちで呟いた。

 絶え間なく聞こえてくる呻き声に、顔が引き攣る。

 痛い、苦しい、許さない。まともな言葉にならないような声に混ざる恨み辛みばかりの呪詛のような小さな声をまともに聞いていると、頭がおかしくなりそうだった。


「セナよ、平気か?」

「うん……、なんとかね」

「……なら良い」


 大丈夫。まだ耐えられる。

 チラリとこちらに視線を寄越したルキフェルに、精一杯の強がりを返すと、ルキフェルは短く返して、辺りを見渡し始めた。

 必死に襲いくる不快感を飲み込みながら、聖奈は自分自身を落ち着かせる。


「……アリシア!」


 声を張り上げたルキフェルの視線の先には、治療を終えたのか、立ち上がろうとしていたアリシアの姿があった。

 あ、と小さく口を開いて佇む彼女に、聖奈はルキフェルと共に駆け寄る。


「すみません、置いて行ってしまって」

「いや、構わん。だがこれはどういう状況だ? 人間と神族が来たか?」

「数日前から近くに人間と神族が駐留していていて。まだ何処かの集落に魔族はいるかもしれませんが、首都に暮らしていた魔族は、わたしたちが最後ですから……」


 気落ちした様子でぽつぽつと呟くアリシアと、忙しなく動き回る女性たちと、床に横になる傷付いた男性たち。

 と、その時、また広間に負傷した男性が運び込まれた。


「若い魔族は?」


 ルキフェルが問いかける。アリシアの表情にさらにかげりが落ち、右手で左腕をぎゅっと掴みながら、小さく言葉を紡ぎ出した。


「……いません」

「いない?」

「わたし以外は殺されたか、或いは……奴隷として扱われているはずです」


 冷めきった声音。諦めしか汲み取れないアリシアの言葉に、聖奈は言葉を飲み込むことしか出来なかった。

 殺されたか、奴隷として扱われている。

 それは、生き物としてではなく物として見られていると同義。命を軽んじられている、正にそのもの。

 聖奈には現実味など感じられなかった。だって、聖奈はこんな光景を知らない。こんな凄惨な光景も、殺されただの奴隷として扱われているなど、そんな事柄も、近くて遠い出来事だ。

 なら今は。こうして、呻きながら血を流す魔族の男たちを。彼らの命を必死に繋ぎ止めようとする魔族の女たちや、アリシアの姿を目の当たりにして、現実味がないなど思えるのか。


「……なによ、それ……」


 ――答えは否。言えなどしない。

 見て見ぬふりは出来ない。気付かないふりは出来ない。

 小さく零した言葉がルキフェルとアリシアに届いたかはわからない。だが、聖奈は俯いたまま、ぎり、と歯を噛み締めた。


「……まるで、人間や神族との争いが続いていた頃のようだな。歴史は繰り返すというが、また奴等は同じ過ちを繰り返すというのか……」


 ルキフェルが誰にともなく呟く。その直後のことだ。


「侵入者を捕縛したぞ!」


 宣言するような勇ましい声にそちらを見ると、外へと繋がっているらしい道から広間へとやってきた武器を手にする数人が、何かを部屋の中央に投げ放った。


「ぶべぇ!!」


 それはずしゃりと音を立てて床を滑り、情けない声を上げる。

 縄で厳重に巻かれていたのは、人だった。

 遠目からでは少しわかりにくいが、それでも情けない声からも察するに性別は男。男性と呼ぶには幼さを残す、青年に見える。


「ってえな! 両手両足も使えない奴に対して何しやがんだ!」

「黙れ! 無駄口を叩くな! 人間、単独で侵入をして何をしようとしていた?」

「だからさっきから言ってるだろ!? お宝だよ、お宝! 此処にあるっていうお宝をいただきにきたんだよ、此処は古代遺跡だって俺たちの間じゃ有名なんだからな!?」

「まだそんな嘘を並べるか!」

「嘘じゃねえっての!!」


 とても騒がしいやりとりとは対照的に、広間は静けさに包まれていた。

 それは投げ込まれた侵入者が人間の男であり、彼が本当に何の為に侵入したのか一切わからない恐怖によるもののはずだ。

 聖奈も人間ではあるが、今はこの場に人間などいるはずもないという思い込みにも似た状況によって、魔族たちから警戒されることなくいられているけれど。

 魔族たちは、人間を恐れている。違う、人間でさえも恐ろしいと感じている。だから、彼を疑ってかかっているし敵だと思い込み、その話を決して真実のものとして受け入れようとはしない。

 気持ちは、わからないでもない。だがしかしだ。


「セナ?」


 呼び止めるようなルキフェルを無視して、聖奈は平行線のままで進展のない魔族の男たちと、彼らに囲まれる青年へと近付いた。


「あの、少しお尋ねしてもいいですか?」


 魔族たちの輪をするりとすり抜けて聖奈はしゃがみこみながら尋ねる。するとすぐに彼はこちらを見た。

 ダークブルーの髪の奥から覗く、驚いたように丸くなっている澄み切ったアクアマリンにも似た双眸と視線が合う。とても綺麗だと思った。

 だがなぜだろう? 何か、彼を見ているとこう……?

 胸に浮かび始めた言いようのない何かに顔をしかめかけて、慌てて取り繕う。今はそんなことはどうだっていいのだ。何せそんなことの為に近づいたわけじゃないのだから。


「聞きたいことがあるんです。それを尋ねても……」


 その先は、続かなかった。何故なら。


「にん、げん?」


 驚いたような青年がぽつりとそう言ったから。それと同時に、周囲の魔族たちがざわつき始めたから。

 途端に周囲から突き刺すような視線が注がれ始めたが、聖奈はそれを不快だとも思いやしなかった。だって。


「はい、人間です。貴方と同じ、ただの人間です」


 彼が自分を見て、人間だと言った。

 そんな当たり前の反応が、〈魔王〉である事を否定しても受け入れてもらえずにいた聖奈には嬉しく感じてしまったからだ。


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