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43.ドラゴン討伐


 今はまだ距離のある中型のドラゴン(アヤタル)を睨み付けながら、ウェインは思考を巡らせる。

 そもそもドラゴンを相手取るなど、普通の者ならまずしたがらない。それは人間ではなくとも同じのはずだ。

 だからこそ、人間はドラゴンを狩るために討伐隊という部隊を組むと言える。

 どれだけ己の強さに自信を持っていたとしても、一人でドラゴンに挑むなど無謀にもほどがあるし、複数人で行動をすることの多い冒険者でさえもそれを避けるくらいには、ドラゴンにとってのヒトは脆弱なのだ。

 しかし一方でドラゴンは血肉を含め、その何もかもが高値で取り引きされる。それはごく稀に手に入れられた竜の鱗や爪を加工して作り出された武具はただの冒険者や旅人には到底手の届かない額で売り出されながらも、その品質は極めて高いものとして確かに存在するからであり、彼らの血肉が万病に効くとの噂が伝わるためでもある。

 故にドラゴンに挑んでは命を落とす者は後を絶えない。

 だがトレジャーハンターであるウェインからすれば、そうした人間は馬鹿、もしくは愚者以外の何者でもない。

 例えドラゴンを倒すだけで一攫千金が狙えるとしても、その対価が自分の命だなんて割に合わないのは明白なのだから。命あっての物種とはよく言ったもので、周囲にどう思われようがそれこそ姑息と呼ばれようが、リスクの高すぎる選択を徹底的に避けるようにして生き抜いてきたウェインとしては、全くその通りだと思うのだ。思うのだが。


「そうも言ってらんねぇ状況だからなぁ」


 溜息とともにひとりごちる。

 とはいえ見て見ぬふりをして聖奈を見殺しにすることと天秤をかければ軽いものなのだけれど、そんなことは出来ない。しかしながらドラゴンの相手をするのは今回が初めてなのだから、せめて心の内で愚痴を零すくらいは許してほしいものである。


「女のために奮起して命懸けで戦う男……イイわよねえ、情熱的で。あたしもそんな風に愛されたいものだわ」

「軽口を叩いてる場合かよ。そんな暇があるなら大魔法の一つでも唱え始めろ。それなら周辺の魔物も一掃できて一発だろ」

「あら、怒られちゃった。でも残念だけど、それは無理な相談よ。そんなことしたらこの辺、全部火の海だもの。大魔法なんて使えないわ」

「仮にもこういう山に暮らす魔女ならその辺も考慮された魔法くらい考えとけよ」

「魔道はそう容易く修められるものではないのよ。まして、自分で魔法を作り出すなんてことは魔族や神族でも難しいんだから」

「知るか。あらゆる意味で常識から外れてんのが魔女だろう?」


 繰り返すが魔女は知的好奇心に溢れている。その高さたるや、現代に至るまで技術の発展による繁栄をしてきた人間としての性質もあるにしたって、人間よりも真理に近いとされている魔族や神族をも凌ぐ。中には限られた分野で、という補足はあれども限りなく真理に近づくことさえあるのだから恐れ入る。

 常識は全く通じない。少なくとも、人間の常識からはどうやっても外れている。たとえ、カーマインの言葉通り、魔法を新たに作り出すことが簡単にはできないとしても、それをしてのける魔女や魔法使いが存在していることもまた事実なのだから。

 笑みの浮かび続ける魔女の顔をじとりと睨みつけると、彼女はほんの少しだけ眉を下げた。


「そんな風に言われても簡単じゃないのよ、少なくともあたしにはね。母や祖母なら可能だったかもしれないけど、あたしはそういう繊細なことは向いていないの」

「……ガサツな魔女か」

「真っ向からそう言われると流石に傷つくわよ? 乙女の心はデリケートなんだから」

「親しくもない相手に紳士的な対応をできるほど育ちは良くないんでな」

「ふふ、よく言うわ。まあ、ガサツであることに自覚はあるけどね。だから、都合いい感じの魔法を考えるとなるとものすごく大変なわけ。といっても何の策もなく来たわけじゃないけどね」


 言いながらカーマインは中空に指先で魔法陣を描く。うっすらと発光するそれを描き終えると、彼女は躊躇いもなくその中央に片手を突っ込んだ。

 無言のまま眺めていると、これでもない、こっちでもないと繰り返した後に、あった、と零して突っ込んでいた手を引っ張り出した。

 引き抜かれたのは手だけではなく、ひと振りの剣。

 美しい装飾と、燃えるように煌く深紅の鉱石で彩られた片刃の幅広の剣。うっすらと放つ赤は、鉱石を中心にまるで脈動するかのように明滅をし、ほのかに熱気を放っているように感じる。

 その剣を、カーマインはウェインに差し出してきた。


「大魔法の代わりよ、使って」

「……これは?」

「言うなれば魔剣もどき、かしらね。ちまちま魔法研究するのもめんどくさかったから、あたしの魔力をコアに込めて作ってみたんだけど大成功でね、振るうだけでその辺を燃やせるようなモンが出来たのよ」

「おい、物騒すぎるぞ」

「良識さえあればそんなことにはならないわ。それに、普段は狭間にある空間に仕舞ってあるもの。悪用もされないでしょうし」


 だから、アナタに貸してあげる。

 そう言ってカーマインが受け取ろうとしないウェインに強引に押し付けてきた。すぐに手を離され、重力に従い落ちそうになる剣を、ウェインはしっかりと柄を掴んで握り締める。

 重さはない。羽のように軽いとは言わないが、それでも見た目ほどの重量はない。思いのほか手に馴染む赤を放つその剣を見つめて、ウェインは軽く振るう。紅い軌跡は、僅かに炎を纏っていた。


「……燃えないな」

「燃やしたいと思ってもいないのに燃えでもしたら不良品にも程があるわよ」

「充分不良品だっての。ガキでも大惨事引き起こせるってことじゃねえか」


 あからさまに溜息ひとつ。

 それに、とウェインはカーマインを睨んだ。


「剣なんて使いこなせねえんだがな……」

「使いこなせなんて言ってないわ、ただ振るえば良い。それだけで敵は燃えるもの」

「……燃やすには近付く必要があるだろうが」

「サポートはするわ。ほんとならアナタにそんなこと、必要ないとは思うけど」

「過大評価はやめろ。俺は、ただの人間だ」

「ふぅん……()()()()()、ね」

「…………」


 含みのある言い方に、ウェインは何度目かもわからぬ溜息を吐いた。やはり魔女は――この女は好きになれない。

 だが、と手元の剣に視線を落とす。

 カーマインは言った。この剣を彩る鉱石には魔女(かのじょ)の魔力が込められていると。それは真実であると、ほのかに感じる熱が示している。いまこの状況に於いてアヤタルを討つ手段としてはこの剣は何より確実性がある。

 素直にありがたいとは思う。内面性はさておき、魔女の力は認めざるを得ない程なのだから。

 ならば――。


「覚悟は決まった?」

「クルフの実を採取して帰るには、とっとと倒すほかないからな」

「それじゃ、背中は任せて突っ切りなさい。その代わり、一撃で仕留めてちょうだいね。魔力だって有限だし、あたしも我が身がかわいいから、助けられないわ」

「ハッ! 充分だ……!」


 言うやいなや、ウェインは地面を力強く蹴って駆け出す。

 視界に入れるのはアヤタルのみ。周辺の魔物には目もくれない。ウェインに気付いた魔物たちが我先にと迫るが、切り払うのは視界を阻む邪魔なものだけ。例え腕を、足を、頬を、露出する肌に牙や爪を突き立てられようとも、走る痛みは僅か。気に留める必要もないと、駆ける足は止めずに真っ直ぐにアヤタルへと向かい続けた。



 * * *



 貸し与えた剣を手に駆け出したウェインを横目で見送りながら、カーマインは箒に腰掛けたまま、上空へと昇っていく。

 中型とはいえドラゴンであるアヤタルは、その背に携える翼で大空を飛ぶ。故に、アヤタルのいる場所は上空から覗ける開けた場所でもあった。クルフの木にとって絶好の環境は、アヤタルにとってもちょうどいい休息場所も兼ねていたようだが。


「悪評もだけど、そろそろ此処に棲む動植物にとっての安息も取り戻したかったのよね。だから、観念してもらうわよ?」


 誰にともなく呟いて、カーマインは地面に向けて中空に幾つもの魔法陣を描く。

 淡い赤を放つ、無数の陣。視界を遮るほどの数のそれら全てに、カーマインは魔力を注ぎ、魔法を完成させる。


「水か、氷にも少しは適性があれば良かったんだけどね。できないものは仕方ないし……ちょっと焼け焦げるかもしれないけど、大自然の生命力ってものを信じるとしましょう」


 言って、見下ろすのは魔物に囲まれるウェインの姿。

 がむしゃらに駆ける彼と、アヤタルの距離を測る。本当ならば直ぐにでも放ってこれ以上彼が負傷することを避けたいところではあるけれど、今放てば確実にアヤタルが動き出す。

 もうウェインとカーマインの存在には気付いてはいるだろうが、それだけでは動くわけではない。荒い気性のアヤタルが動き出すのは、自身の身に危険が及ばんと感じた時だ。

 凶暴な割に気が長いかのような性質であるが、実際のところはヒトが彼らにとって取るに足らない存在であると示しているに過ぎず、にも関わらず被害を被ることをいとうという身勝手さが如実に現れているだけだ。

 カーマインは見極める。魔法の全てを待機させて、眼下で駆け抜けるウェインを見詰めて。そうして彼が時間にして十秒でアヤタルに辿り着く直前、カーマインはぱちん、と指を鳴らした。

 それを合図にして、浮かんでいた魔法陣が一斉に輝き、無数の火矢が顕現されて降り注ぐ。対象は目視できる下方にいる魔物全て。繊細な操術は苦手でも、ウェインには彼をまじないで保護することによって火矢が命中することが決して無いように済ませてある。

 火矢は雨のように降り注ぐ。それらが魔物も躰を穿ち貫いていく光景を見ながら、カーマインは火矢をすいすいと躱しながら地上へと降下する。

 そうしながらも右手で描き出すのは簡易的な風魔法の陣。火矢を生み出す魔法陣よりも小さなものから生み出される鋭利な風刃は、火矢から逃れてなおウェインへと襲いかからんとする魔物を裂き始めた。



 * * *



 地面を蹴り、ウェインは突き進み続ける。

 眼前を阻む魔物には、明確な殺意をもって剣を振るって見事に斬り伏せ、途端に剣が纏う炎が近辺の魔物をも焼き尽くす様を見るのは幾度。刻まれる傷は増えていく一方だが、構いやしなかった。

 やがて、ウェインの目にアヤタルの姿がはっきりと映る。

 中型、とはいっても人間にとっては十分に巨体だ。幼生体となれば別だが、小型でもドラゴンは人を一口で飲み込むくらいは容易いのだから当然なのだけれど。

 その姿を見据えながら、剣を握り直す。

 強く地面を蹴り、更に緩慢に動き出そうとしたアヤタルを足場にその眼前へと迫り、炎剣を構えた。


「……ふっ!」


 躊躇いなく、迷いなく、振り下ろす。

 軌跡は赤と炎に彩られた一撃を、その顔面に叩きつけた。刹那、紅蓮が噴出する。

 刃は鱗を砕き、炎はアヤタルの顔面を包み込んでいく。使い手には燃え移らないとはいえ、至近距離で放たれる熱はかなりのものだ。

 案の定アヤタルは悲痛な鳴き声を上げながら(かぶり)を振り、暴れ始めた。

 その行為に巻き込まれぬよう、ウェインは蹴り離れる。離れてすぐ、炎を振り払ったアヤタルが怒気をはらみ、獰猛にぎらつく眼でウェインを捉えた。

 頭部には先程刻んだ裂傷や、炎に包まれて焼けただれ焦げた箇所がはっきりと残っているが、致命傷どころか多大なる損傷とまでは呼べるはずもなく。それどころかその怒りを買ってしまったようだ。

 だが狩るべき相手の怒りなど、気にとめる必要はない。


「さあ、でっかいのぶち込むわよ!!」


 上空から降下したカーマインが高らかに声を上げ、伸ばした片手の先に魔法陣が描かれる。

 小さく呟くカーマインの声に呼応するように強く輝き――現れた巨大な炎がアヤタルへと向かって放たれた。

 剣から放たれ、包んだものとは比べ物にならない熱量と威力。それを真正面から、間近から受けたアヤタルは絶叫にも似た咆哮を上げる。

 悶え苦しむアヤタルを視界に、ウェインは剣を構え、地面を強く蹴り、アヤタルの背にある翼の片方へと鋭く振り抜いて切り落とした。


「逃げられても困るからな」


 もっとも、逃げようとしたところで許すつもりはないが。

 低く冷たく言い放って、着地したウェインは未だ炎に包まれるアヤタルへと再度飛び込む。

 鼻腔をかすめるのは焼ける肉の臭い。それはカーマインの放った魔法が目の前のドラゴンを確かに焼いている証だ。

 ただひたすらに暴れ狂うアヤタルからは聞いた通り、知性など感じない。だからこそ、こちらを殺そうと動かないアヤタルの首に、ウェインは躊躇いなく刃を叩きつける。

 手応えはある。炎に包まれてもなお硬い鱗は刃を阻むが、強引にウェインは剣を押し込んでいく。鱗を割り、肉を熱で焼きながら裂いていく。抵抗されてもなお、叩き落とす一点だけに意識と力を込め。


「抵抗は苦痛が長引くだけよ――死んでおきなさい」


 紡ぎ、描いた魔法陣からカーマインが紅蓮の槍を抜き出し、それを無防備な躯に投げつける。

 炎槍はアヤタルの体にずぶり、ずぶりと飲み込まれ、貫き、砕けた。

 そうしてとうとう声を上げるだけとなったドラゴンの首を、ウェインはついに叩き落とす。

 重力に従い、傷口から溢れた鮮血で地面を濡らしながらごとりと地面に落ちたのは頭部。数秒の後に大きな音を立てて倒れた体は、もう二度と動き出すことはなかった。

 それらを背に地面に降りたウェインは、血で汚れた剣を払う。その刀身は明滅する赤い鉱石同様、一切の輝きを失ってはいなかった。


「おつかれさま。ドラゴンの肉や皮は山分けした方がいいかしら?」

「……多少は取り分としてくれ。あとは好きにしろ」

「うふふ、わかったわ。ドラゴンからとれるものって魔術的にもなかなか用途があるのよねぇ」


 箒から降りたカーマインの機嫌は、この上なく良いようだ。

 それがアヤタルを仕留められた事実によるものなのか、ドラゴンの肉や皮といったものを鮮度の良い状態で手に入れられたからなのか。ウェインは深く考えないことにした。

 うきうきとはしゃぐカーマインに魔剣を突き返し、ゆっくりと歩き出す。

 目指すはアヤタルがいた場所の奥。佇む一本の樹――クルフの木。

 葉と実をつけるその木の幹を器用に登り、ウェインは枝の先につけるその実をひとつ、もぎ取った。


「ああ、悪いけど実は複数回収してくれる? 薬を作るぶんには一つで十分だけど今後、いつ実に巡り会えるかわからないし、生育も試してみたいと考えていたところだから。……ここも、採れなくなる可能性があるしね」


 掛けられた声に振り向くと、カーマインはアヤタルの屍の近辺をうろうろとしながら何かしているようだった。おそらく、運ぶためか、収容するために必要なことをしているのだろう。

 ウェインは僅かに顔を顰め、だが断る理由もないと考えて抱えられるだけのクルフの実を採ると、木の上から飛び降りた。


「ありがとう、助かったわ」

「別に。薬の調合は任せていいんだろう?」

「あら、魔女(あたし)に任せていいの?」

「見張りはする。手放しで信頼なんて出来ないからな」

「用心深いわねえ」


 楽しげに笑うカーマインを横目で睨み、それから深く溜息を零す。

 アヤタルの屍は、血だまりを残して忽然と消えていた。



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