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37.立ち尽くすは幼き子


 深夜にルイゼンから逃げるように飛び出してから、一夜明けた。

 あの夜、部屋に戻ろうとした聖奈とアリシアを呼び止めたウェインは、就寝には自分達の部屋を使ってほしいと言い出した。更に目を輝かせて付け足されたのは、枕投げして遊ぼうという要求だったが、ラピスが再び投げつけた濡れタオルによって黙らせられたのは言うまでもない。

 そんなウェインに呆れはしたが、訝しむことは決してしなかった。

 彼は〈紅牙の蛇〉との交戦の際に言ったのだ。聖奈を殺そうとする動きは、時間も場所も選ばなくなってきているかもしれないと。

 それを思い出せば、突然の言葉にも疑う必要はなかったわけである。とはいえ、その真意を口にしなかったウェインに(なら)い、決して彼らについては口には出さず、呆れ気味の態度を貫いたのだけれど。もしかしたら誰かに話を聞かれているかもしれないと思っての行動だったが、それが正しかったのかはわからない。

 だが聞いていたのは部屋を同じくすることと、ただし眠ることなく、あとは荷物を持って窓を開けるということだけ。店主には早朝に出るから見送りは要らないと前もって伝えてあったものの、詳細はもちろん聞いていなかったのである。


「まったく、どうしてあんな無茶なことをしたのかなあ?」

「我ながらあの場では最善の策だったと思うけどな。おかげで追っ手もないわけだし」

「……結果的にはそうだけど」


 だろー、と誇らしげに胸を張るウェインを横目に、聖奈は小さな溜め息を溢した。

 聖奈たちがいま歩くのは、ルイゼンから見て南南西に広がる森林地帯だ。遺跡のあった〈魔の森〉とは違う、悠々と生い茂る木々。目をやれば草花がその身を揺らし、緩やかな斜面に、人が二人ほど並んで歩いて余裕がある程度の幅しかない踏み締められた道だけが続いている。

 ルイゼンから続く石畳で舗装された街道は、真っ直ぐに進めばエルフェメトと呼ばれる街に着くようだが、平原地帯を抜けるとその前にルギル駐屯地と呼ばれる、人間と神族が魔族の国への侵攻と殲滅のためにと作られた基地に到着する。

 魔族殲滅作戦はほとんど完了したと言えるが、かといって兵たちが不要となったわけでもない。今でもそこには多くの兵士が詰め、おそらく〈勇者〉が向かうとするならばそこだろうというのがウェインの推論だった。

 となれば、街道を使うことは出来ない。残されたルートは、ルイゼンより南東部にそびえるユディス山脈へ続く細い道のみ。山脈は平原を眼下に続き、山を下ればルギル駐屯地をエルフェメトごと越えてしまうとのことだった。

 もっとも、こちらの道の先にもガルディア砦なる場所があり、少数ながらも兵士が詰めているだろうことは言われているのだが、駐屯地でまともに〈勇者〉とやり合うよりはずった良いのは言わずもがなだ。


「それにしても、此処は気持ち良いねぇ。同じ森でも、〈魔の森〉とは違うみたい」


 ぐうっと伸びをしながら言うと、先導するように斜め前を行くウェインは、くすくすと笑った。


「そりゃそうだ。この森に棲んでるのは大人しい魔物ばかりで、そのせいか動物たちも多く生息してる。魔の森(あっち)じゃ考えられないくらい平和だからな」

「それだけでこんなに違うものなんだ……」

「大人しい魔物には草食っつーか、特殊なものを好んで食べるやつらが多いせいだな。動物はその命を脅かされることがない……とはいえ、食物連鎖は存在するが」

「まあ、仕方ないよね」


 ヒトもまたその食物連鎖に含まれているのだから、どんなに平和な場所でもそればかりはどうしようもなかろう。

 野生は野生だ。一から十まで介入することはきっと許されない。


「ちびどもー、大丈夫かー?」


 と、振り返りながらウェインは呼び掛ける。

 聖奈もまた視線をやると、けろりとした顔でついてくるラピスがきょとんとこちらを見詰め、


「オレは平気。けど……」


 言い掛けながら、ラピスは更に後方に見遣った。

 そこには必死について来るアリシアの姿がある。彼女の傍らには心配そうなルキフェルが中空に浮かび、アリシアを見下ろしていた。

 いま歩く森林道は丘陵地帯で、決して急勾配ではない。ある程度まで進むと険しい道になるようだが、それまではなだらかなのだそうだ。

 にも関わらず疲労感を滲ませるアリシアに、思い当たることがないわけではなかった。


「……強行過ぎたんじゃない?」

「おっしゃる通りで」


 思えばエルリフを出てからずっと歩きづめで、ゆっくりと休めてはいない。ルイゼンにも立ち寄りはしたが、ベッドの上でしっかりとした睡眠を取ることも叶わず、飛び出してきてしまったのだ。そろそろ疲労が目に見えて現れても仕方ない。

 眉をハの字にしながらちら、と目を遣りながら尋ねると、ウェインがすまなそうに肩を落とした。


「フン、考え無しめが」

「うるせぇぬいぐるみ羽引きちぎって投げ捨てんぞ」


 いつも通りわざわざ近付いてから突っ掛かってくるルキフェルと、律儀に買うウェインは無視して、聖奈は立ち止まりアリシアを待つ。

 ラピスもまた、横を通り抜けることもなく聖奈の隣で立ち止まり振り返った。


「アリシアちゃん、大丈夫?」

「だい、じょうぶ……ですっ!」

「…………いや、無理あるだろ」


 途切れ途切れに返すアリシアだが、その顔には誤魔化すことが出来ない疲れが見て取れる。ラピスが悩みながらもぼそりと呟くのも無理はない。

 可能であるならすぐにでも休みたいところだが、落ち着けるような場所までどれくらいあるだろう。

 聖奈はルキフェルを取っ捕まえてウェインから引き剥がし、口を開いた。


「ウェイン。休めるような場所ってある?」

「んぁ? あー……あるな。ちょっと進んだところに開けた場所がある。そこからなら湖も近かったはずだし、今日は早いがそこでゆっくり休むか」

「文句なしの賛成! アリシアちゃん、一緒に行こう? あと少しだって」


 ウェインから返された答えに大きく頷いて、聖奈はルキフェルを離すとアリシアに手を差し伸べる。

 彼女は目をしばたかせながら聖奈と、差し伸べる手を交互に見ていたが、やがて怖々と己の手を重ねた。その白く小さな手をぎゅっと握り締め、先導するように歩き出す。

 急かさぬようにゆっくりと。ちらりと肩越しに視線をやると、アリシアは目が合うと嬉しそうに笑った。

 その後方で。


「にっしても、セナちゃんの方は元気だなぁ。疲れててもおかしくなさそうなもんだが」

「街道の襲撃を経て、単純な体力も増幅されたのであろう。腕力や脚力とは異なり、生活とも密接したところにあるが故に、無意識でも恒常的に維持できるのだろうな」

「単に体力バカとかじゃないんだ?」

「ラピス、お前ね……」


 交わされていた会話も、少年の言葉に呆れ果てた青年がいたことも、聖奈とアリシアは知るよしもない。



 * * *



 アリシアの手を引き進むとウェインの言葉通り、そこには寝泊まりが出来る程度の開けた場所があった。

 自然に出来たのかどうかまではわからない。だが炭になった木片が焦げた地面の上に残されていたり、程近くには腰掛けるに適した大木が横たわっているなど、少なからず旅人が使っている形跡は残されていた。


「ほんじゃ、ウェインさんは甲斐甲斐しく(たきぎ)を集めて来ますかねぇ」

「あ、私も手伝うよ」

「ほーう、それはつまりお兄さんと一緒に水浴びしたいと?」

「鞘でぶん殴りますけどよろしいです?」

「すみません冗談だからやめてください」


 意地悪くにやつくウェインに、聖奈はにっこりと笑って腰にさげた剣を鞘ごと抜き出そうと手を伸ばす。

 途端に平謝りし始めた彼に、わかればよろしいと頷いて、鞘へと伸ばした手を下ろした。


「それで、本当に手伝わなくて大丈夫なの?」

「平気だよ。セナちゃんはアリシアちゃん連れて水浴びして来い。終わったら火の番はして貰わなきゃならないかもしれないが、あとは休んでても良いさ」

「それはありがたいけど……」

「安心するが良い。此奴の監視は我がしておくからな」

「何様だぬいぐるみ、火炙(ひあぶ)りにすんぞ?」


 羽音を立てながら飛び込んできたルキフェルの頭を鷲掴みにして低い声を出すウェインの額を叩いて止めながら、彼の聖奈は微笑んだ。


「それじゃあ、お言葉に甘えて水浴びしてくるよ。アリシアちゃん、タオルの準備しよっか」

「あ、はい!」

「そっちの道を行けばすぐだが……、途中の植物には決して触れないように。毒のある植物も少なくないからな」

「はーい」


 窘めるような物言いに軽く返事をして、聖奈は自分の荷物からタオルを引っ張り出すと、同じくタオルを取り出したアリシアと共に教えられた道へと進んで行く。

 背後から、ほんとに気を付けるんだぞー、という再三の言葉が飛んできたが、聞こえないふりをした。さすがにそこまで子供じゃないのだからむやみに植物に触れたりなんかはしない。

 それに、だ。


「……なんかウェインに子供扱いされるのは納得いかない」


 抱えたタオルに顔を寄せながらむすりと呟くと、すぐ後ろから困ったような笑みが耳を僅かに叩いた。


「そればかりは仕方ないですよ、セナ様。ウェインさんはセナ様より年上なのですし」

「わかってるけど……兄さんと似てるから、釈然としないんだよね」

「セナ様のお兄様、ですか?」


 不思議そうに繰り返したアリシアに、聖奈は肩越しに振り返り、ああ、と思い出す。


「そういえば言ってなかったね。私、上に兄が一人いるんだよ」

「まあ! そうなんですか」

「兄とは言っても、双子なんだけどね。前にも話したじゃない? 理緒のこと。その理緒が兄さんで、ウェインと少し似てるの。あそこまで変わってはないと思うけど……」

「なるほど……お兄様とは仲がよろしかったんですか?」

「良かったとは思うよ。友達には驚かれたけど、理緒と二人で出掛けることもあったし」


 興味津々といった様子で目を輝かせるアリシアに、聖奈は小さく笑いながら答える。

 話していると、思い出す。両親や理緒(あに)と過ごした日々。

 まだ一ヶ月も経っていないのに懐かしく、僅かに寂しく感じるのは気のせいだと思いたい。それにあの理緒のことだ、聖奈を信じてくれているだろう。

 だから平気だ。そう心の中、自分自身にそう言い聞かせる。

 けれどそれがアリシアの眼には映ってしまったのかもしれない。彼女は立ち止まり見る見るうちにしゅんと視線を落としてしまった。


「あの……ごめんなさい、セナ様」


 すまなそうに呟くアリシアに、聖奈は足を止めて向き直り首を傾げる。


「どうして謝るの?」

「ご迷惑ばかり……かけていますから」

「そんなこと一度だって感じたことないよ?」

「でも……っ!」


 弾かれたように顔を上げ、だが視線が合うと逸らすように伏せられた。

 聖奈がアリシアに対して迷惑と感じたことも、(こうむ)ったこともない。むしろそれは、逆だと思っているくらいだ。

 酷く無知で、無謀なことを言い出す自分。聖奈をこの世界に喚び出したのは確かにアリシアだけれど、進むと決めたのは自分自身で、けれどもその行動に伴う迷惑をいつだって周りに掛けてしまっている。


「迷惑を掛けちゃってるのはむしろ私の方だよ」

「そっ、そんなことないですっ!」

「あはは、ありがと。でも、私はそうだなーって感じてる。だから少しずつそれを無くしたいって思うんだ。……アリシアちゃんもそう思っているなら、一緒に頑張って欲しいな。私ひとりだけじゃきっと、挫けてしまうかもしれないから」


 思うだけでは変わらないけれど、その思いがあるのなら、きっと今より前に進めるはずだ。

 真っ直ぐにアリシアを見詰める。目を丸くしこちらを見ていた彼女は、不意に両目を閉じ、やがて開くと柔らかく微笑んだ。


「そう、ですね……わたしも、頑張ります」

「ほどほどに、ね。無理したら倒れちゃうよ」


 ほんの少しだけ元気を取り戻したアリシアに、笑みを溢す。

 それに聖奈は知っている。彼女が暇を見付けては分厚い本を取り出して、真剣に読み進めていることを。その本が何なのかはわからないけれど、恐らくは召喚術に纏わる物だろうと推測を立てていた。

 そうした姿を知っているのだ。誰が彼女に迷惑を掛けられていると思うだろう。少なくとも、聖奈は思わない。


「大丈夫です。こう見えてもタフですから!」

「それは、なんとなくわからないでも……まあいっか、早く水浴びして戻ろうね」

「はいっ!」


 力強く答えたアリシアを見てつられるように笑いながら、聖奈は止めていた足を動かし、茂みを踏み潰すようにして出来た一本道を進んだ。



 * * *



 聖奈とアリシアが湖へと向かったその頃。

 二人が消えた道を両手を腰にあてがって見詰めていたウェインが、眉を寄せて呟いた。


「……大丈夫かねぇ。変なもの触ったりしなきゃいいんだが。特にセナちゃん」

「アリシアがいるのだ、杞憂だ」

「いや、そこはセナちゃんのことを信じてやれよ、ぬいぐるみ」


 自信たっぷりに言い切るルキフェルに、ウェインが呆れたようなため息を溢す。

 そんな様子をじっと見詰めるだけしか出来ずにいたラピスだが、不意にウェインのアクアマリン色の双眸と目があった。


「ラピス、お前は此処で待ってろ」

「あ、待っ……!」


 それだけを言い残してくるりと背を向けようとする彼を、慌ててラピスは呼び止める。

 しっかりと言葉にもなってない声ではあったが、ウェインは気付いて振り向いてくれた。


「なんだ?」

「オレも、」

「要らねぇよ。お前は荷物番しとけ」


 阻むように言い捨てられ、ラピスの眉間に自然と皺が寄る。

 語彙(ごい)の少ない自分が言えることではないけれど、もっと言い方というものもあるのではないかと思わなくもない。

 睨むように見詰めると、ウェインはがしがしと頭を掻きながら口を開いた。


「いずれにしろ此処には一人残さねぇとなんないだろ。セナちゃんたちが戻ってきた時に困らせるわけにもいかねぇし」

「…………」

(たきぎ)集めたら戻ってくる。食料集めには手ぇ貸して貰うことになるから、それまでにその顔をどうにかしろ」

「――顔?」


 おうむ返しに呟いたラピスをそのままに、今度こそ背を向けて茂みの方へと歩き出したウェインを、呼び止めるだけの言葉は持っていない。

 次第に小さくなる彼の後ろ姿を眺める他ないラピスに、中空に浮かぶルキフェルはふっと笑った。


「まあ、今の顔付きの方がヒトらしいとは思うがな」


 羽を羽ばたかせ、ルキフェルがウェインを追って空を駆ける。

 鳥のさえずりと葉擦れの音だけしか響かぬ場に立ち尽くすラピスには、彼等が言い残した言葉の意味は考えども分からなかった。



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