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35.翠緑の天使とその裏側


 ラピスたちの傍に文字通り降り立った少年は、美しい翠緑(すいりょく)色の髪をしていた。

 美醜についてはわからないが、年の頃はラピスより少しばかり下くらいだろうと思う。


「なんだぁ、このガキは」


 ねっとりとした口調で、男が少年を文字通り見下ろす。

 ラピスも身長が高いわけではないが、それよりも更に少年は小さい。だが与えられる威圧感も無視して彼は男たちを睨み続けた。


「ガキだからってバカにしてると痛い目見るんだって、ねーちゃんが言ってたぜ! それに、相手を見た目でしか判断できないヤツはしょーもない人間だって、ちびねーちゃんも言ってたな!」

「な……っ!?」


 少年の言葉に、絶句した男の顔色が変わる。

 少年にはそんなつもりなどさらさらなかったのかもしれないが、彼の言葉は男の何かを傷付けたらしい。そうでなくてもなかなかの暴言だ、反応するなというほうがおかしいのかもしれない。

 もっとも、ラピスにしてみれば、少年の言葉は至極もっともだった。

 どんな相手であれ、侮って掛かることは自分の命を危険にさらしていると同義。幾分か慎重さに欠くという自己評価をするラピスだが、それだけはしないと固く決めている。

 そしてその至極もっともな発言を受けた男たちの反応はといえば、まあ、予想通りだった。


「捻り潰してやらあ、クソガキどもが!!」


 なんとも低い沸点だ。

 一番最初に倒れた男のことなど頭からすっかり抜け落ちた様子で赤い顔のまま激昂する姿に、ラピスは溜め息をひとつ。

 だかやる気だというのなら致し方あるまい。今度こそ躊躇うことなく息の根を止めて――と、ナイフを構えたその時だった。


「おーっ、やるってんならおれが相手だ! おれの目が黒いうちは、弱いものいじめなんてさせないぞ!」


 ぬっとラピスの前に少年が躍り出たのだ。

 おれの眼は黒じゃないけどなー、と付け加えながら肩を一方ずつぐるぐると回して動かし、どこか楽しげに男たちを見据える。

 出鼻をくじかれたラピスは、目をしばたかせてそれを見詰めていたが、何度めかわからない〈弱いもの〉呼ばわりに、僅かに眉を顰めた。

 そんなことをラピスが思っているとは露知らず、と言うべきか。ラピスの目の前に割って入った少年を、男たちは見下ろす。


「それならまずはテメェからだ!」


 踏み出した男の一人が、瞬く間に距離を詰めてナイフを振り回す。

 それは振り回すとしか言えない拙い攻撃だった。とはいえ子供ががむしゃらに振り回すような、とまではいかないが、軌道は圧倒的に読みやすい。

 少年にとってもそれは同じだったらしい。

 踏み込みながら繰り出される斬撃を、彼は後退しながらひょいひょいと左右に上体を反らしながら避けていく。


「くっ……、ちょこまかと……!」


 男の口から悔しげな声が漏れる。

 少年はにやりと笑った。


「今度はおれの番でいいよな?」


 言いながら少年が大きく飛び下がり、間髪容れずに突撃する。

 あっという間に迫る彼に驚きと動揺を隠せないでいる男に、


「そんじゃま、一発――ブッ飛べ!!」


 少年が握り締めた拳を、下から上へと目掛けて振り抜く。小さな拳は、男の顎に見事命中した。だがそれは、どうもただの打撃ではなかったらしい。

 結論から言えば――男の体は天高く舞い上がった。

 有り得ない光景である。小柄な少年の一撃が、大の男を吹っ飛ばすなど。

 当然ラピスも目を疑ったが、すぐに理由に合点が行った。彼は神族なのだ。


「次はあんたらの番だ!」


 少しして地面に音を立てて落下した男に目も向けず、少年は地面を蹴って加速する。その背で、うっすらと(みどり)を帯びて輝く翼が空を叩いていた。

 頭上にも輝く光輪。その全てが、神族であることの証明。

 であれば先程の馬鹿力も彼が神族であるなら納得だ。鍛えれば、細身の外見を保ちながらでも遥かに強い力を発揮できるのが魔族と神族なのだから。

 それにもうひとつ、わかったことがある。


「おらおら! 防戦ばっかりだな、さっきまでの威勢はどうしたんだよ? それとも、あんたらは腰抜けなのか?」


 罵るような怒声を交えながら、少年は男に接近するや襲い掛かる。その手足に、彼は風を身に付けるようにして纏わせているのだ。それによる加速は、繰り出す拳や蹴りを加速させ、それだけで鋭さが増す。

 目視でも捉えにくい一撃を連続で繰り出される男が、次第に紙一重で避けることが出来ずに倒れる。

 やがて、最後の一人に迫った少年は、男の目の前でにっこりと笑った。


「あんたで最後だな。だから記念に一発で仕留めてやろう、痛いのは誰だって嫌だろうからな、うん。てなわけで……」

「ヒッ……!」

「――星になっちまえっ!」


 それは、死刑宣告に等しい言葉だった。

 青ざめた顔で薄い悲鳴を上げた男を、少年ははじめの男にしたように、振り上げる拳で顎を打ち抜く。

 違いをあげるとするならば、その後だろう。

 男は星になった。小さな体、細腕で、殴り飛ばした男の体は天高く舞い上がったのである。ラピスの眼で確認できたのはそこまで。見失ってしまった男のその後については知らないし知りたくもない。

 それよりも、問題は目の前の少年だ。

 結果として助けられはしたが、この少年は断じて味方ではない。もしかしたら、今度はこちらが襲われるかもしれないと思ったからこその警戒だった。

 だが少年は、その動きを注意深く見詰めるラピスに振り返ると、へらりと笑ったのだ。


「大丈夫だったか? なにがあったか知らねぇけど、多勢に無勢って時には無茶せず逃げるのが一番なんだぞ?」

「…………」

「そりゃ逃げられないときもあるかもしれないけどさあ、せめて大通りに出るとかしないと! お前、弱いのに無茶しすぎ。おれがいなかったら死んじゃってたかもなんだぞ?」


 ……なんなんだ、コイツ。

 何も答えないラピスに、少年は近寄ってくると馴れ馴れしく説教じみた言葉を投げ掛け続ける。

 矢継ぎ早に喋り続ける目の前の神族の少年に、思わず眉を顰めていると、後ろから声がかけられた。


「ラピス、大丈夫ですか……?」


 振り向くと、小走りで細い路地から飛び出してきたアリシアが、少年を見て警戒を深める。

 対して少年は、アリシアの姿を捉えると、ぱあっと表情を綻ばせた。


「おおっ、なんだ、守ってたのか! しかも魔族だ! スゲェ! こんなに近くで見たのはじめてだっ!」

「……っ!」


 普通、神族は魔族を見るとまるで汚いものでも見たかのように嫌悪に顔を歪め、距離を取り、排除しようとするものらしい。

 魔族だろうが神族だろうが人間だろうが同じであるラピスはそんな反応をさすがにしないけれど、この少年の反応はその常識から外れていた。

 頭から外套を纏い、耳まで隠していたアリシアは、一見では人間にしか見えない。だが、魔族と神族は互いに種族を見抜くことができる。表情を綻ばせた時点で有り得ないといえば有り得ない反応だったのだが、魔族であると確信するなり少年は更に興奮気味な様子でアリシアへと近付こうとしたのである。

 普通の神族では有り得ない反応だろう。事実、神族が魔族を嫌うように、神族を嫌う魔族であるアリシアは、初対面なのもあってか近付かれた距離と同じだけ離れた。だが少年はお構い無しににじり寄る。

 ラピスは警戒するのも馬鹿馬鹿しくなりながらウェインに押し付けられたナイフを鞘に納めると、少年の襟首を無造作に掴み、アリシアから遠ざかるように投げ放った。


「っだ! 何すんだよー!」


 盛大に尻餅をつく形になった少年が、不満げに頬を膨らませて睨んでくる。

 彼の濃く鮮やかなエメラルドの双眸を、ラピスは睨み返した。


「あんた、神族だろ?」

「ん? そうだぞ?」

「ならなんで魔族を見て目を輝かせるんだよ。普通は近寄るのも嫌がるものだろ」


 呆れたように言うと、少年はきょとんとした顔でラピスを見上げ、不思議そうに首を傾げた。


「なんで?」


 と、心底わからないといった風に尋ね返してくる。

 なんでって、こっちがなんでと聞きたいくらいなのだが。

 面を食らいながら二の句を待っていると、少年は立ち上がってズボンを叩いた。


「魔族は悪いやつらばっかじゃないって、ねーちゃんが言ってたぞ? 悪いのは一部の心無いやつらで、種族全体が悪い訳じゃないって。それにおれ、その人になにもされてねぇもん。嫌う理由なんて一個もないじゃん」

「…………」

「だいたい、おれがおかしいならお前はどうなんだよ? お前だって神族だろ? 魔族と一緒に行動なんて普通ならしない、違うか?」


 純粋で、けれど真っ当な問い。

 ラピスは答えられない。もちろん、アリシアも何も言えないようだ。

 押し黙るラピスたちを見て、少年はまあいいや、とへらりと笑い、ハッとした様子で大通りと続く方向に振り向いた。


「あちゃー……もしかして、まずった? えー、でも見掛けちゃったんだし仕方ないよな、仕方ない」

「…………?」

「あー、悪いけどさっ、おれがここにいたこと、内緒にしてくれる? バレたらねーちゃんにもちびねーちゃんにも怒られちゃうからさ」


 向き直るなり、少年はすまなそうに眉を下げる。

 突然の頼みにラピスが目を丸くする一方で、後ろに隠れるように立つアリシアが口を開いた。


「構いませんけど……」

「ほんとかっ? ありがとう、助かる!」


 アリシアが受諾すると、少年は心底嬉しそうに笑い、そそくさと路地の奥へと小走りに向かう。そこで思い出したようにこちらへと顔を向けた。


「また会えたら、その時にでも礼するからなー!」


 言うだけ言って少年は跳躍すると、美しい翼を広げて飛び去ってしまう。

 残されたのは気を失って倒れる男たちと、ラピスと、お礼をするべきなのはこっちの方なんじゃ、と少年の飛び去った方向を見て呟くアリシア。彼の背は、あっという間に見えなくなってしまった。


「ラピスー! アリシアちゃーん! 無事ーっ?」


 大通りの方角から聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 ゆるりと向き直れば、駆け寄ってくる聖奈とウェインの姿があった。


「セナ様っ!」


 嬉しそうな、安心しきった声を上げてアリシアが飛び出す。

 ラピスはその背を見詰め、もう一度少年の飛び去った方角を一瞥すると、ゆったりとした足取りで聖奈たちへと近付いて行った。

 空は夕闇に染め上げられ、星と月が煌めいていた。


 * * *



 時同じくして、聖奈とウェインによって呆気なく倒された男たちのうちの一人が目を覚ましていた。

 彼は自分が生きていると分かるとカッと目を開き、飛び起きる。そして急いで立ち上がると、脇目も振らずにその場から離れた。

 ――逃げなければ。

 男がまず思ったのはそれだった。


「くそ……っ」


 入り組んだ路地を駆け抜けながら、男は顔を歪める。

 思い出すのは先程まで対峙していた少女と青年のこと。まだ幼さの残す子供に叩きのめされたことは屈辱だけれど、いまはそれはいい。


「話が違うじゃねえか……ッ!」


 男は〈紅牙の蛇〉に身を置いていた。

 共に戦っていた男たちも同じだ。そこで彼らは少女の殺しを任せられた。

 ――この数ならば、行動を共にしている少女と青年の邪魔があっても遂行が可能でしょう。

 自信ありげに、()()()は言い切った。

 だから信じて引き受けた。引き受けたというのに。

 思えばその依頼はどこかおかしかったのかもしれない。

 殺害対象(ターゲット)は〈魔王〉を名乗る風変わりではあるがただの子供。年相応か、あるいは少し強いか程度の素人。

 連れの少女は魔法だけしか使えず、街中では無力。青年の方は旅人であるが故に手強いが、数によって抑え込めば殺害対象(ターゲット)は確実に仕留められる。

 そう聞いていた。だから楽勝だと思った。元々羽振りの良い組織だ。報酬も良く、断る理由などなかった。

 だが、その時点でおかしかったのだ。

 ――楽勝な依頼に、どうしてこんなにも高い報酬が出るのか?

 疑問を持つべきだった。自信を持つべきでも、慢心をすべきでもなかったのだ。そして、失敗した時のリスクを考えるべきだったのである。


「くそ……っ、くそっ!」


 男は路地をひたすら走る。息が苦しくなっても、足が重くなっても止まらない。

 早く、あと少し、この路地を抜ければ、街の外に……!

 (はや)る心でようやく裏路地を飛び出したその時。


「――どこへ行かれるのですか?」


 男は呼び止められた。

 聞き覚えのある声に、男は振り向く。

 そこにはスーツ姿の男性が一人、壁に寄り掛かるようにして佇んでいた。線の細い、優男の風の彼を見た男の顔が一瞬にして青ざめる。

 そいつは、男たちに暗殺を任せた張本人だった。


「な、なんで……っ!?」

「なんで、とは? 私が此処にいることが、そんなにおかしいですか?」


 どもる男に、優男が首を傾げる。

 そのまま足音をこつこつと鳴らしながら迫る彼に、男はあとずさった。それはしばらく続き、やがて男の背は冷たい壁に当たる。

 逃げ道は残されていなかった。


「まあ、いいでしょう。それで、殺害には失敗したようですね」

「……っ」


 穏やかな問い掛けに、男の肩が震える。優男はにっこりと笑った。


「ああ、別に落胆はしていませんよ。そもそも、あなた方に完遂の期待はしていませんでしたので」

「……!」

「更に言えば、あなた方には何も期待していませんでした」


 紡がれる言葉に、男は絶句する。優男はくすくすと愉しげに微笑んだ。


「何を驚くことがあるんですか? 〈紅牙の蛇(われわれ)〉が不要なものは容赦なく切り捨てるということは、あなたも知っていたでしょう? 役立たずを面倒を見続けられるほど、お人好しな組織ではない。それとも、自分は大丈夫なのだとでも思っていましたか?」

「……っ!」

「おっと、図星ですか」


 ぴくりと反応を示した男に、彼は笑う。嗤う。嘲笑う。

 クスクス、クスクスと。ひとしきり笑うと満足したのか、また言葉を紡いだ。


「失礼、あなたがあまりに楽観的な物事の捉え方をしていたものですから、面白くて」

「……どうして俺達だったんだ?」


 やっとの思いで尋ねられたのはそれだけだった。

 しかもそれも震え上擦り、実に情けない声だったが、形振りなんて構っていられる状況ではない。

 真っ直ぐに見据えて言葉を待っていると、優男はきょとんとした顔で、


「そこにいたからですよ?」

「……なに?」


 返された答えに、男は耳を疑った。

 こんなにも静けさに包まれた街のすみにいるのに、相手は目の前にいるのに、聞き間違いだったのではないかと思ったくらいには。

 しかし気にも留めず、優男は言った。


「あなた方を選んだ理由は、あの時、あの場所にいたからです。それ以外にはありませんよ。正直、誰でも良かったんです。かといって、()()を使うわけにはいかなかった。ちょうど良かったんです」


 男は、もう何も言うことは出来なかった。言葉を発するだけの気力も残されてはいなかったのだ。

 すっかり覇気を無くした男を見下ろして、優男は肩を竦める。


「もう抵抗はお仕舞いですか、つまりませんねぇ。ですが、私も浮かれて話をしすぎましたか……けど、そうですね、冥土の土産にいいことを教えて差し上げましょう」

「…………」

「あなた方のおかげで、対象(ターゲット)の少女だけではなく、行動を共にする男についてのある程度の推測を出来ました。その点だけは感謝していますよ」


 愉しそうに笑いながら、優男は別れを告げた。



「それでは、お疲れさまでした」



 その言葉を耳にしたのを最後に――男の人生は幕を閉じた。



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