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34.夕暮れの街中にて


 対峙する男は一人。

 だが実力は間違いなく相手の方が上。ならば勢いだけで踏み込むのは得策ではない。先程は奇襲のような形と、相手の侮りがあってうまくいっただけなのだから。

 狙うのは、相手が行動を起こした時。あるいは――と、正にその時、男が地面を蹴った。


「セナ、動きをよく見ろ!」

「わかってる!」


 肉薄する男に、剣を持ち上げる。ナイフの動き――ひいては男の腕の動きに集中し、軌道上に剣を運ぶ。

 刹那、ナイフの切っ先により受け止めた刀身が音を上げた。同時に、力が込められる。

 やはり重い。油断すればすぐに押し込められてしまいそうになるくらいには。

 だが。


「っ!」


 奥歯を強く噛み締め、地についた足で踏ん張りながら負けん気だけで押し返す。

 圧倒的な力の差があろうがなかろうが、気持ちで負ければそこまで。慢心が本来の力を引き下げるというのなら、逆も然りであるはずだ。

 聖奈はギッと鋭く目を細め、柄を握り締める両手に、腕に強く力を込める。途端にギチギチと鳴り始めたナイフを、男の腕ごと押し返し、そのまま剣を横薙ぎに振り抜く。

 描き出された美しい軌跡は、加えられた動きに合わせて飛び退いた男の服に掠めて薄く切り裂いた。

 顔を顰める男を見据えたまま、聖奈は剣を握り直し距離を詰める。


「くそっ、名ばかりのただのガキじゃなかったのか……!?」


 動揺した様子で吐き捨てられた言葉に、聖奈は眉を寄せた。

 その言い方はまるで化け物と対峙しているようじゃないか。納得がいかない。


「私は名実共にただの一般人よ! 〈魔王〉であることは認めざるを得ないけど!」


 そんな称号がなければ、ただただ平凡で当たり前の生活を送っていたのだ。〈魔王〉であることは認めてもこれだけは絶対に譲らないし、紛れもない事実だ。


「〈魔王〉である時点で一般人とは言い難いのではないか?」

「揚げ足を取るなー!」


 ルキフェルが真面目に問ってくるものだから、ほんの少しだけ恥ずかしくなったのは言うまでもない。

 目の前の男はこのやり取りが気に食わなかったのだろう。カッと目を見開いたかと思うと、


「クソッ、調子に乗るなクソガキがあっ!!」


 強引に此方へと飛び込んで来ると素早い動作でナイフを振り抜く。

 唐突に、流れるような動作で振るわれたナイフを、聖奈は剣で受け止めることは出来なかった。代わりに差し出す形となった左腕に、裂傷を刻まれる。

 その瞬間の痛みはなかった。だが制服ごと裂かれた傷口が外気に触れると痛みが走り始め、真新しい血が溢れ出す。

 だが怪我を気にしている暇はない。

 振り抜かれたナイフは角度を変え、再度聖奈へと迫っていた。

 聖奈は剣を振り上げ――だがその前に中空に浮かんだ魔法陣が、ナイフの切っ先を音を立てながら阻んだ。


「防御の障壁か……!」

「フン、二度も見逃すような真似はせん!」

「ありがとう、ルキフェル! 助かった!」


 悔しそうに距離を取る男を前に、聖奈はルキフェルを見上げて礼を述べた。

 あのままではもう一撃もまともに食らっていただろう。本心より救われた思いだ。

 鈍く痛む刻まれたばかりの傷口を押さえることも出来ず、警戒を続けながら聖奈はひとつ息を吐く。

 直後だった。


「無駄な抵抗をしなけりゃ、そのまま魔族と神族のガキどもの後を追えたってのになぁ」


 男は聖奈を嘲笑うようにそう言った。

 その言葉に聖奈は瞠目し、彼を見据える。

 ――魔族と神族のガキども。それをこの場で言うということは、意味するのもただひとつだけ。


「……アリシアちゃんとラピスになにしたの?」


 ぽつり、と口から溢れ落ちた問いに、男が(わら)う。


「何をしたかって? 決まってんだろ、今頃は俺達の仲間が殺して……――ッ!?」


 言い終わる前に、聖奈は彼に剣を振り下ろしていた。

 どうやって距離を詰めたかなど自分でもわからない。だがその口を黙らせなければと思い、地面を蹴った時には目の前に迫っていた。

 寸ででナイフで受け止められ、力がこもる。そのせいか傷口から走る痛みが増し、溢れる血の量も増えた気がするが、今はそんなものはどうだっていい。


「貴方達の狙いは私ひとりでしょうっ!? それで何故無関係のあの子たちを巻き込むのっ?」

「し、知ったことかよ! 俺達は依頼をこなしてるに過ぎねぇんだからな!」

「その依頼とやらには私ひとりの命じゃダメだって書かれてたわけね……! であるなら、ラピスを狙うのは何故っ? あの子が貴方達の組織から逃げ出したから?」

「は……? ああ、そういやそうか、アイツは金で買われた使い捨ての駒だったな! ハハッ、それなら殺されるのも時間の問題だったってわけか……っ!」


 グッと押し込んだ剣。ギリギリのつばぜり合いとなった魔剣は、ナイフによって受け流された。

 更に後方に距離を取る男を、聖奈はこの上無い怒りを込めて睨み付ける。


「――貴方、最低ね」


 この男は、人の命を――ラピスを笑ったのだ。

 確かに、彼の言っていることの一部は事実だ。だとしても如何なる者にも誰かの命を笑う権利はない。

 聖奈にはそれが許せなかった。


「最低で結構! テメェらさえ殺せりゃあそれで良いのさ!」

「――残念だが、ソイツは無理だ」

「ぐっ!?」


 声と共に、聖奈の真横を駆け抜ける影。

 僅かな風を立ててすり抜けたそれは、愉しげに笑った男の背後に回り、首に腕を回した。

 苦しげに呻く男の首を締め上げるのはウェインだ。相手にしていた三人は無力化し追えたらしい。

 首筋にナイフを突き付けることで抵抗を許すことなく、彼は男に言葉を投げ掛ける。


「組織に戻り、残虐な殺され方をするか、今此処で死ぬか。選ばせてやるよ」

「ぐ、う……っ!」


 音を立てて、男の手からナイフが滑り落ちる。

 首に回る腕に手を伸ばし、引き剥がそうともがく姿は、見苦しいまでに生に執着をしていた。それは、ヒトとして当たり前の姿だが、そうであるならなぜ命を軽んじるようなことが出来るのだろう。聖奈には理解が出来なかった。


「まだ生きたいってんなら答えろ。この件の依頼主は誰だ?」

「っ、はっ、は……! 知ってても誰が答える……ぐぁっ?!」


 ナイフを突きつけたまま、答えを促すように腕が緩められたのも束の間。上から目線以外の何物でもない言葉を吐いた男の首は、再度絞められた。

 先程までと違うのは、腕に込められる力の強さだ。息苦しさに顔を真っ赤に染めて暴れもがく男だったが、間もなくパタリと動かなくなった。

 ウェインが腕を離すと、完全に意識を失った男は地面に崩れ落ちる。


「まだ生きたいなら必死で逃げろよ? 聞こえてねぇだろうし、揃って始末されるのは避けられないだろうけどな」


 それに目も向けず、ナイフを放り投げたウェインは男を飛び越えると、怪我をする聖奈の腕を取った。


「いっ……!」

「この血の量じゃ痛くて当たり前だ。――ぬいぐるみ、お前怪我させるとかなにしてんだ。何のために回数確認したと思ってんだ」

「我とて万能ではないのだ、仕方なかろう」

「あれだけ偉そうに言っときながら、んな言い訳通じるか!」


 傍らに浮かぶルキフェルに怒鳴りながら、ウェインは取り出した布を聖奈の腕に慣れた手付きで巻き付けていく。

 聖奈は抜き出していた魔剣を鞘に収め、眉をハの字に下げた。


「ウェイン。ルキフェルを怒るのは違うよ、私が油断してたってだけだもの」

「優しいのは美点ではあるが、このぬいぐるみの働きを考えたらお前も怒っていいとこなんだぞ? 下手すると死んでたんだからな、マジで」

「それでも私は生きてるよ。それもルキフェルのお陰なんだから」

「…………セナちゃんがそう言うなら良いけどさぁ」


 と、渋々といった様子ながらも納得してくれたウェインは、同時に止血の為の布も結び終えてくれて、聖奈は迷わずありがとう、と告げた。

 どういたしまして、と答えたウェインは、そのままくるりと背を向け駆け出す。だがその手は聖奈の指先をそっと掴んでいて、手を惹かれるようにして聖奈は彼の背を追い掛けた。


「にしても判断に誤った。最優先はセナちゃんで、それが済んだらラピスの方を狙うとばかり思ってたんだが……」


 苦虫を噛み潰したかのように言うウェインをルキフェルを伴い追い掛ける聖奈もまた、表情を曇らせた。


「二人とも、大丈夫かな……」

「それについては心配ないだろ」


 はっきりと言い切るウェインに、聖奈は首を傾げる。

 すると彼は肩越しに振り返り、


「アイツはさっきの奴等よりよっぽど強い。アリシアちゃんがいたところで、それは変わりないだろう程にはな。一度戦った俺が言うんだ、その点だけは心配はいらねぇよ」


 言いながら、ウェインはにっと笑う。

 答えも待たずに前へと向き直ってしまった後ろで、聖奈は間を置き、頷く。


「そう、だね。大丈夫だよね」

「そうそう、大丈夫なんだよ。あの程度なら、近くで誰かが無茶しなけりゃ余裕余裕」

「あう……、ごめんなさい」


 ウェインの声に僅かに込められた怒気に、思わず謝らずにはいられなかったが、それでも聖奈は剣を抜いたことにも戦うことを選んだことにも後悔はなかった。



 * * *



 聖奈たちが〈紅牙の蛇〉に行く手を阻まれた少しあとの頃。ラピスとアリシアの前にも彼らは姿を現していた。


 それは大通りから逸れ、宿のある路地を進んだ時の事。

 音もなくラピスとアリシアを取り囲んだ男達。一目見てあの組織の人間だとラピスには分かったその数は、四人ほど。

 だが、包囲網は戸惑うアリシアを連れていてもラピスには容易に突破できた。

 だが走って逃げたところで振り切るのは到底不可能だ。目的の宿屋の前を通り過ぎ、離れたところでラピスは細い裏路地にアリシアを突き飛ばすと、執拗に追ってくる男達へと向き直った。


「ラピス!?」

「そこから一歩も出るな!」

「っ!」


 戸惑いの声を上げるアリシアを鋭く制して、抜き身のナイフを逆手に握り締めて男達を見据える。


「おーおー、ガキがいっちょまえに女守るってか。見上げた精神だねぇ」

「…………」

「何とか言えよ、死ぬのが怖くて組織から逃げ出したクソガキよぉ」


 ニタニタと醜悪な笑みを浮かべる男達にも、掛けられる言葉にも、ラピスは一切の関心がなかった。

 その代わりに思うことがひとつ。


「――あんたら、ただの雑魚だな」


 答えの代わりに吐き捨てると、男達の表情から笑みが消えた。


「……いま、なんつった、クソガキ」

「いつもはどうでもいいような雑用を押し付けられて、たまに与えられる大きな仕事に意気揚々と挑んでは死んでく、掃いて捨てるような駒の中の一握り……それがあんたらだ。なのにどうしてそんな勝ち誇ったように振る舞えるんだ? 頭でも沸いてるのか?」

「……っ!!」


 ――〈紅牙の蛇〉。

 ラピスは幼い頃にそこに金で買われ、以来身を置いていた。

 与えられた仕事は()()だった。

 売られたその日からナイフを与えられ、ラピスは人殺しをするための技術を叩き込まれた。

 はじめは動かぬ人形を相手に、慣れると動物を相手に一撃で仕留めるための技を覚えていく。何度も失敗すれば当然罰が与えられ、上手く出来ればご褒美として甘いお菓子が貰えた。

 やがて全ての水準を満たすと、実際に殺しの仕事を任せられる。

 ラピスはそうした立場にいた一人だった。

 組織からすればラピスも、ただの駒に過ぎない。だが、幹部たちのほとんどはラピスのように殺しの仕事から入り伸し上がった者たちばかりで、目の前の男達のような存在はふるいにかけられてそのほとんどが命を落としていた。誰よりもラピスたちのような者達を小馬鹿にしながらも、真っ先に消えるのはこうした奴等なのだ。

 もっとも、結局のところラピスも彼等と同じようにふるいにかけられていて、(てい)よく処分されかけていたのだけれど。


「最後の強がりにしちゃあ怖いもの知らずに言うじゃねえか」

「最後? 寝言は寝て言えよ、冗談でも笑えない」

「減らず口を……! なぶり殺してやらぁ!」


 男の一人がラピス目掛けて迫る。――それは、ひどく緩慢に映った。

 応戦するように踏み出したラピスは、その無防備な懐に飛び込み、逆手で握り締めたナイフで深く斬りつける。

 飛び散る血飛沫。そのまま更に目を見開く男の剥き出しの腕を切り裂き、軽く後方へ。屈伸運動を駆使して強く踏み出すと、軽い跳躍をして首筋目掛けて回し蹴る。

 嫌な音を立ててぶつかる足を振り抜けば、男の体は地面へと叩き付けられた。

 着地したラピスはその男の握り締めていたナイフを空いた手で拾い上げ、たじろぐ残りの男達へと距離を詰める。


「……たかがガキ一人に……!」

「多勢に無勢なんだから勝てるとでも思ってたのか?」

「はや……っ!?」


 間近な場所にいた男を浅く斬りつけ、流れを止めることなく次の男へ迫る。目を剥くばかりのその男にも斬りつけ、最奥の男へ肉薄しながらその首筋を裂くために刃を向け――。


「殺しちゃダメです!」


 響き、耳に届いた声に、一瞬だけ生じた躊躇。足も止まりかけたその瞬間を好機として、目の前の男がナイフを振るう。

 咄嗟に上半身をそらしてかわすも前髪を僅かに掠め、切られた毛先が視界を舞った。

 切り返さなければ、と睨み付けた直後、横っ面に拳が叩き込まれる。

 予想だにしなかった一撃に、横に流される体。だがそれ以上、好き勝手にするのをラピスは許しはしなかった。

 倒れまいと踏み止まり、視界の端で閃いた刃を身を屈めてかわす。空を掻くナイフの下で立ち上がる前に目の前の男の足を払い、ナイフは握り締めたままの片手の力も加えて地面も強く蹴って飛びさがった。


 ――なぜ躊躇ってしまったんだろう。


 眉を顰めながら、ついさっきの失敗をラピスは恥じた。

 あのまま殺してしまえば良かったんだ。どうせこの男達が生き残る道なんて何処にもない。例えラピスが手を掛けずとも、組織が生きることを許さないのだから。命令を完遂しようが出来ずじまいとなろうが、彼らの結末に変わりはない。

 それなのに躊躇ってしまった。掛けられた声に、一瞬だけ。恥じるべきミスだ。

 もう、自分はあの場所には戻れないのだけれど。それでもあってはならないミスだった。

 男達の動きを注意深く見詰めながら、そう思考していたその時――闖入者(ちんにゅうしゃ)は突然に現れた。


「こらーっ! そこでなにしてんだ!!」


 聞き慣れぬ第三者の声に、ラピスの肩が跳ねる。

 増援か、とも思ったが、ラピスと同じように跳ねた肩を見るにそうではないらしい。

 声が聴こえてきたのは、建物の上。

 男達への警戒はしながらも見上げると、そこには夕陽に照らされた少年の姿があった。

 屋根の上から、少年が飛び降りる。高い場所から落ちてきたにも関わらず、彼は不自然なまでにふわりと地面に着地した。


「弱いものいじめか?! もしそうなら、おれが成敗してやる!」


 などと叫びながら指を突きつける先はラピスではなく、男達の方だ。方なのだが。


 ……誰だ、コイツ?


 当然ながら見知らぬ少年を前に、ラピスは目をしばたかせた。


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