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27.平穏な一時



「お帰りなさいませ、セナ様」

「遅いぞ、セナ。何をもたついておったのだ」


 服を抱えて部屋の扉をノックの後に開いた聖奈をまず迎えたのは、嬉しそうに微笑を浮かべたアリシアと、その傍らに滞空するルキフェルだった。


「ただいま、アリシアちゃん。ちょっとお手伝いしてたら遅くなっちゃった。ごめんね?」


 眉を下げながらアリシアへと言葉を返しながら、素早くルキフェルを捕らえる。

 途端にじたばたと暴れてもがく彼を両手で押さえ込み、腹いせに愛らしい顔をぐにぐにと揉むと、そのうちに指を噛まれた。どういう仕組みなのかは不明だが、ルキフェルは見た目以外は概ね生物とかわらないらしく、噛まれればもちろん痛い。

 更に力を込めてもみくちゃにしていると、視界の端でアリシアがツインテールにされた髪を僅かに揺らしながらクスクスと困ったように微笑んだ。


「いえ、気にしないでください。むしろ、それでしたら呼んでくださればわたしもお手伝いいたしましたのに」

「手伝いとは言っても簡単なお掃除をしてただけだよ。それで呼ぶのもおかしな話でしょ? それにほら、アリシアちゃんにはウェインの手綱を任せてたわけだし」

「……わたし、上手く手綱を引けていたか自信ないです」


 たっぷりの沈黙を置いてぽつりと零したアリシアに、聖奈はまばたきを数回。目の前の少女は酷く疲れきった様子である。

 思わず緩んだ手からルキフェルが抜け出すのと、彼女の姿に短時間の間にあったであろう苦労を察したのは同時だった。


「なんかごめん、アリシアちゃん」

「気になさらないでください。それに、服の方はしっかり仕上げてもらえましたから」


 言って視線を向けた先には、ラピスの姿があった。

 居心地悪そうにはせているが、それまでのボロボロに擦り切れ汚れた衣服ではなく、真新しい衣服を身に纏っている。

 ウェインが言っていた通り本当に着ていなかったらしく、着古された様子はない。控えめな装飾をされたそれは上下共にサイズを合わせて繕ったのだろう、着る分には問題ない程度にはなっていた。

 服ひとつで人の印象は変わるとよく言うが、此処まで変わるものなのか。聖奈は感嘆の息を零した。


「おおっ! ウェインおそるべし……!」

「無駄のない、とても慣れた手付きで直してましたよ」

「どんな者にも一つくらいは優れた能力や取り柄あるということだ。あのようなろくでもない輩であろうともな」

「いや、ウェインは一つどころか多数あると思うわ……私なんて特技らしい特技なんて一つもないんだよ?」


 戦うこともおぼつかないし、裁縫は学校で習った程度、その他の家事に関しても可もなく不可もなく。正直、元の世界でさえ一人で生きていくには少々心許なさすぎる生活スキルである。

 恵まれていたなあ、としみじみと思う。それも、当たり前だと思い込んでいつまでも続くのだと錯覚するくらいには。そそてそれは今でもきっと変わらない。

 元の世界では母に。今はアリシアとウェインに、何から何まで世話になりっぱなしだ。

 思わず溜息を吐くと、視界にいたルキフェルが両手を腰にあてがい、口角をつり上げた。


「安心するがいい。貴様にそうした能力は端から期待しておらん!」

「自分でも自覚はあるし認めざるを得ないけど、改めて言われると腹が立つのは何でなんでしょうね?」


 言いよどむことも、躊躇いすらもない言葉に苛立ちがこみ上げる。だが伸ばしかけた手はなんとか堪えた。

 相手はルキフェルだ。いちいち腹を立てていたらキリがないことは既にわかっているのだから。それに、動く上喋るとはいえルキフェルが乗り移っているぬいぐるみは理緒()からの大切な貰い物。好き勝手に動き回るしウェインと喧嘩したりでそのうち壊れるんじゃないかとは思うが、かといって自分の手でボロボロにするのは避けたい。

 聖奈は静かに深呼吸し、話題を逸らすためにも腕に抱えたままだった服をベッドに広げた。


「そんなことより、店主さんに話したら服を貰えたんだ。お子さんにって貰ったりしたんだけど、結局着なかったらしくて、新品同然でしまってたんだって」

「わあ……! って、あれ。セナ様、何着かラピスが着るには可愛すぎるものも混ざってますけど……?」

「そういうのは私とアリシアちゃん用。替えの洋服、なかったり少ないんじゃ困るだろって。多すぎても困るから、この中から選ばないとだけど」


 早速一着手に取って首を傾げたアリシアにそう答えた瞬間、彼女の目が途端に輝いたのを聖奈は見た。

 世界が変わっても、女の子が服を眺めるのが好きなのは変わらないらしい。人それぞれではあるから必ずしも、というわけではないが、聖奈も好きなほうだ。

 どれがいいかなあ、と選び始めたアリシアの横顔に小さく笑って、沈黙を貫いて事を見守るほかなかったらしいラピスに目を向ける。


「ラピスも、着たいのがあったら確保して。ウェインが頑張ってくれたとはいえ、それ一着じゃ困るもの」

「…………」


 投げ掛けた言葉に、ラピスは答えない。じっとこちらを見詰めるだけだ。


「ラピス?」


 聖奈がもう一度名を呼ぶと、彼はようやく口を開いた。


「〈魔王〉」

「え?」

「〈魔王〉なんだろ? アンタ」

「う、うん。一応そうなるね」

「……〈魔王〉らしくない。隙だらけだし、慣れ慣れしいし」

「馴れ馴れし……! えー……?」


 ズバズバと掛けられる言葉に、僅かに胸が痛む。

 馴れ馴れしい、馴れ馴れしいのか、私は。頭の中で反芻して更に落ち込んだのは言うまでもなかった。

 そんなことなど露知らずといった様子で、ラピスの双眸は未だ聖奈へと向けられている。


「ま、まだ何か……?」


 これ以上口撃されたら、流石に辛いのだが。

 僅かにどもりながら問いかけると、ラピスはふっと視線を逸らした。


「……別に。ただ、アホヅラだなって」

「ぐ……っ! 別に、とはなんだったのかと尋ねたいよ……!」

「アホヅラじゃなくてバカヅラか」

「ラピスー!? というか何で私けなされてるの、ねえ!?」

「うるさい。いちいち声を大きくしなきゃ言えないわけ? あのクソ面倒な男といい、それが人間だからっていうんなら憐れだな」

「ほんとに憐れむような目で見るのやめて!?」


 間髪容れずに叫ぶも、もちろんラピスは止めてくれることはなく、もう見ていられないと言わんばかりに顔を背け、ベッドに広げられた服を眺め始める。

 残された聖奈はどうしてラピスに此処まで口撃されなきゃならないのか、考えども出ないその答えに、目を輝かせ続けるアリシアに何故か着てみてください、と差し出される服を手に脱衣所に入ってもなお、もやもやとし続けていた。



 * * *



「たっだいまーっ!」

「ウェインのせいだ」

「何が!?」


 開け放たれた部屋のドアと、軽快で底抜けに明るい声。その声の主であるウェインに聖奈がまずぶつけたのは、責任の矛先を向ける言葉だった。

 戸惑うウェインを、聖奈はソファに腰掛けクッションを抱えた体勢でじとりと睨みつける。


「ウェインがいなかったから私がラピスにけなされまくったんだあ!」

「おい、待て待て! 何がなんだかわかんねぇけど他人(ひと)のせいにすんなよ!」

「そこは素直にごめんなさいするとこだよ!」

「え、ごめん」

「うん、私も帰ってきたばかりなのに責任転嫁しようとしてごめんなさい」


 思いのほかすんなり返ってきた謝罪の言葉に、いたたまれなくなりながら謝った。

 ウェインのせいではないのだ。言われたのは聖奈であって、他は関係ない。未だにラピスにあんなことを言われた理由はわからないけれど。

 彼が帰って来たのは、あれよあれよという間に始まった聖奈とアリシアの着替え大会が終わってすぐのことだった。

 時間にして一時間ほどだろうか。何処に行っていたのか聞くつもりはさらさらないが、手にした紙袋を見るに何か買ってきたのは間違いないのだろう。


「あ」

「ん?」


 とそこで、聖奈はあることを思い出して、不思議そうに小首を傾げたウェインの目を真っ直ぐに見詰めた。


「おかえり、ウェイン」

「おー、ただいま、セナちゃん」


 するとウェインはにっこりと笑う。

 当たり前の会話に此処まで嬉しそうに笑うものなのか、そんな疑問が浮かんだが、聖奈にとって当たり前すぎて何も思わないだけなのかもしれない。

 何気なしに彼の動きを追っていれば、アリシアと言葉を交わし、それからラピスの下へと近付いた。


「おーい、起きろ。ラピス」

「……」


 ぺしぺしと軽く頭を叩きながら声を掛けられて、ラピスが緩やかに上体を起こす。

 聖奈とアリシアがはしゃいでいる間に自分の服は選び、暇になってしまったのだろう、服が広げられてなかったベッドに倒れ、眠ってしまっていたのだ。

 逃げ出さなかったのも逃げ出す素振りがなかったのも、ひとえにルキフェルが誰に頼まれるわけでもなく見てくれていたからだろうか。それ以前にウェインが出掛けたことから察するに、聖奈がフロントに降りて不在だった時に何かがあったのかもしれないけれど。

 眠そうに目をこするラピスに、ウェインは呆れたような困ったような笑みを浮かべながら紙袋からあるものを取り出した。


「ほら。サイズに問題はないか、履いて確かめろ」


 取り出されたのは靴だった。

 スニーカーではなく、ショートブーツとでも言えばいいのだろうか。くるぶしや足首まで隠す程度の丈の、これまた過剰な装飾のないブーツだ。

 元々裸足だったラピスは、手直ししてもらった服を着込んでも靴は履いていなかった。これではもちろん外出はさせられない。

 なるほど、ウェインはそれで外出したのか。


「買ってきてくれたんだね」


 ベッド下に並べて置かれたブーツに、おっかなびっくりに足を伸ばすラピスの姿に小さく笑みながらウェインに投げかけると、彼は聖奈にちらりと視線を寄越し、


「まあ、出掛けたついでに。服だけ綺麗にしたって裸足じゃなあ」

「そっか。ウェインのそういうとこ嫌いじゃないよ」

「おっと好感触! そのまま惚れてくれちゃってもいいんですよ?」

「そういうとこは残念だよね」

「あれー?」


 がっくりと肩を落とすウェインを見て、くすくすと微笑んでいたアリシアがそっと口を開く。


「ウェインさんは残念が形になったかのような方ですから、仕方ないですよ」

「ひでぇ! てかアリシアちゃん、前よりも容赦がなくなってきてないか!?」

「ふん。貴様のような輩には一ミリたりとも気遣う必要がないと理解したのであろう」

「口縫い合わせて喋れなくされたいか、ぬいぐるみ。今すぐにでも出来んぞ?」


 普段より一オクターブほど低い声を出しながらルキフェルを睨むウェインと、仁王立ちで受け止め睨み返すルキフェルという光景は、もはや見慣れたもので止める気も起きなかった。

 話の邪魔だったり、大惨事にさえならなければもう気にする必要もないだろう。言っても聞かないことの方が多いのだし。

 聖奈は彼らから視線を逸らし、ラピスを見る。


「どう? 大きすぎたり、小さすぎたりはしない?」

「……多分」

「あっ、待ってくださいラピス! 靴紐、ちゃんと結ばないと危ないですよ!」


 小さく頷き立ち上がったラピスに、アリシアが慌てて駆け寄り足元にしゃがみ込んだ。長く普通の生活とは離れていた少年だ。一般的な知識が抜け落ちていても仕方なかろう。

 ほどなくこれで大丈夫です、とアリシアが立ち上がると、ラピスは足元を眺めながら一、二歩ほど踏み出した。

 真新しい衣服で足の先まで身を包んだラピスを改めて眺めると、その整った風貌もあってこの上なく似合っていた。それも、靴も含めなのだから、ウェインのセンスの高さが伺える。


「うんうん、よく似合ってるよ。かわいい」

「……かわいいって言われても嬉しくない」

「じゃあかっこいいなら嬉しい?」

「……どうせ世辞ってやつなんだから、どんだけ言われても嬉しくない」


 ぷい、と顔を逸らすラピスだが、その頬はほんのりと赤みがさしていた。

 素直になることが苦手なのか、それとも慣れていないのか、はたまたそのどちらもか。双子とはいえ兄しかいなかった聖奈にとって、彼の反応は新鮮で微笑ましく、自然と頬が緩んだ。

 そこに、ウェインの声が耳を叩いた。


「よし、問題がないんなら出掛けんぞ。拾ったもんを売りに行くついでに買い出しと、あとは昼飯を食わねえと」

「そうだね。此処で出してもらえるのは夕飯だけだし」


 彼の手の中にはルキフェルの姿がある。

 静かではあったが、どうも素早くルキフェルを捕まえたらしく、顔をぐにぐにと容赦なく引っ張って伸ばしていた。がその時、ウェインの手にルキフェルが噛み付いた。注意が逸れた刹那の不意打ちだ。相当痛かったことだろう。

 当然、拘束が緩んだ隙にするりと抜け出したルキフェルは、ウェインの目の前で羽根を羽ばたかせながら浮かび、見下したのが言葉はなくともわかる。

 ――今から出掛けようっていうのに何で喧嘩を続けるのかなあ、もう!

 噛まれた手を押さえながらルキフェルを睨むウェインが不穏な雰囲気を纏い始めたのを察知して、聖奈は呆れながら割って入った。


「……無駄にやかましいし、バカばっか」

「でも、真面目一辺倒だったりするより楽しくて、わたしは好きです」

「…………」


 そんな様子を見ていたアリシアとラピスの交わしていた会話は、もちろん聖奈たちの耳には届いていなかった。


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