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26.宿への来訪者


 一方その頃。

 フロントに降りて店主に不要な服があれば貰えないか尋ねに来ていた聖奈は、ブレザーを脱いで雑巾を片手に棚上やテーブルの拭き掃除をしていた。


「いやあ、すまないねえ。そんな雑用なんか頼んじまって」


 フロント奥の部屋から申し訳なさそうな声が聞こえてくる。

 物探しの真っ最中である店主の男は、聖奈の無茶な頼みに快く応じてくれた。子供にと貰ったは良いが、一度も着ることのなかった洋服があったはずだから、と。

 積んである箱の中に閉まってそのままだと言う店主に、手を煩わせることとなりいてもたってもいられず、聖奈は雑用を進み出たのだ。


「気にしないでください。何でも構わないから手伝わせて欲しいと言ったのは私ですし、それに掃除は好きですから」

「そう言ってもらえるとありがたいよ、っと。これなら着れそうかな」


 と、言いながら開けっ放しの扉から出てきた店主の男は数着の服を腕に抱えていた。

 それをそっと、ソファの上に一つずつ広げて行く。装飾の少ないシンプルなデザインのものばかりであるが、どれも新品同然だ。


「ちょっと地味かもしれないが、男の子が着る分には問題はないだろう」

「ありがとうございます。助かります!」

「それと、お嬢ちゃんも自分で着る分を持ってきな。いくら旅の途中だからって、年頃の女の子が部屋着の一つもないんじゃ困るだろう?」

「え、良いんですか?」


 思わぬ言葉に目をしばたかせていると、店主は柔和な笑みを浮かべながら深く頷いた。


「もちろんさ。このままじゃいずれ捨てちまう事になりそうだしな。それなら誰かに活用してもらった方がずっと良い。遠慮せずに持ってきな」

「すみません。重ね重ねありがとうございます」


 聖奈は店主に深々と頭を下げた。

 不要な服がないかを唐突に尋ねること自体失礼にも思えるというのに、彼は頼んだラピスの服のみならず、気遣って聖奈にまで服を持ってきてくれたのだ。感謝せずにはいられない。

 思わず下げた頭上から、店主の慌てたような困ったような声が聞こえる。

 その時だ。店の入口が乱暴に開け放たれ、入店を知らせるベルが大きく鳴り響いた。

 目を向けると、そこには男性が二人。身につけられた鮮やかな紅の装飾が目を引く彼らはずかずかと入ってくると、無言のまま中をぐるりと見渡し始めた。


「い、いらっしゃいませ」


 見るからに普通とは一風変わった雰囲気。かといって人混みには紛れそうな風貌ではあるが、なんというべきか、率先して関わってはならないようなそんな気がした。

 それは店主も感じていたのだろうか。店主が発した声は上擦り、どもっていた。だが掛けられた声にも彼らは一切答えようとはしない。

 それどころか、フロント前の待合のスペースを物色し始めた。だが物を壊す風はない。観葉植物の裏や、収納能力の高そうな戸棚の戸を開けて確認するだけ。聖奈にはそれが、何かを探しているように見えた。


「お、お客様! 勝手にされては困ります……!」


 慌てて駆け寄る店主に、男たちは一瞥するだけ。何かを探す手は止まらない。

 店主が彼らにすがるように腕を掴もうとしたところで、店の入口がまた開かれた。ベルがカランカラン、と涼やかな音を響かせる。

 入って来たのは男性だった。先の二人組の男よりも目測で年下、ウェインよりも僅かに年上に思える青年といった印象。短く刈り上げられた燃えるような紅蓮の髪が何より真っ先に目につくような、精悍な顔立ちをしたその男を聖奈は見詰める。

 見た目は普通の人間にしか見えない。だが聖奈には分かった。彼は人間ではなく〈神族〉――天使だ。

 それともう一つ。この男は、おそらくラピスよりも高い力を持った天使だ。

 何がどうしてそんなことがわかるのかはわからない。けれど直感的に、本能的に、この男を相手取ることの危険性を脳が警鐘を鳴らして告げている。

 ――それは、〈勇者〉と対峙した時には一切感じなかった感覚だった。


「失礼」


 男が口を開き、店主を真っ直ぐに見据える。

 低く、重厚感のあるよく通る声。店主は未だ探す手を止めぬ男たちを気にしつつも彼を見上げた。


「なんでしょう?」

其者(そのもの)らは私の連れ。まずは無礼を謝罪させてほしい。本当にすまない」


 赤髪(せきはつ)の男は言うやいなや頭を下げる。

 その角度は九十度。見事なまでに直角の謝罪に、聖奈は目を見開いた。こんな頭の下げ方、実際に目にするのは初めてだ。そして後生こんなにも綺麗な直角を見ることはないだろう。

 目の前でそれを見ることとなった店主は、困惑しきっているようだった。必死に言葉をさがし、ようやく出た顔を上げて欲しいという言葉に応じてくれた赤髪の男に改めて尋ねた。


「あの方々がお客さんの連れということは分かりました。それであの、ご用件はなんなのでしょう?」

「ああ、そのことなのだが……」


 そこで、彼は言葉を一度切る。

 赤髪の男はおもむろに天井を僅かに仰ぎ、それからふ、と視線を聖奈へと向けた。


「っ!?」


 思わぬ視線の交わりに、肩がびくりと跳ねる。

 ずっと見詰めていたばかりに、不快にさせてしまったのだろうか。そうであれば謝らねば、と思いはしたが、向けられる視線は非難ではないように感じた。

 落ち着いて受け止めると、それは品定めにも似ているように思う。好奇と興味、それでいて僅かに交じるのは――聖奈には読み取れない。互いに無言のまましばし。


「――すまぬ。店主よ」


 男がすっと視線を逸らす。まるで興味が失せたかのように、彼は店主を見下ろし、


「この店に、神族は来店してはいないか? まだ幼い子供なのだが、目を離した隙に見失ってしまってな」

「神族の子供、ですか?」


 不思議そうに繰り返す店主とは対照的に、聖奈の脳裏にはラピスの姿が過ぎっていた。

 引きつりそうになる顔を必死に堪え、思考を働かせる。短絡的に結びつけてはいけない。落ち着いて、状況を整理しなければ。

 まず第一に、やってきた三人はラピスを追い掛けていた男たちではない。だからといって無関係とも言い切れはしないし、万が一街中を駆ける姿でも見られていたらという可能性はあるものの、おそらく追い掛けて来たとかではないはずだ。

 そして第二に、幼い子供に殺しを行わせるような組織に神族が身を置いているとは思えない。赤髪の男が神族という種から弾かれた者であるなら可能性はなくもないが、相も変わらず鳴り響く警鐘からするに、それは考えにくい。彼が天使と神族して何の欠陥もないとしたら、果たして潔癖ともいえる者が裏社会に身を置くだろうか。おそらく答えは否だ。

 第三に、赤髪の男は神族の子供とは言ったが性別を述べてはいない。故にラピスを探してはいないとは言い切れないが、別の誰かを探している可能性がある、くらいならば言っても良かろう。そこにラピスを探しているという絶対は存在しない。

 それらから導き出せる結論は、極めて灰色(グレー)。まだ確証がない以上、今は警戒をするべきに留まる。


「……いいえ、見てませんね。我々人間には神族は見目でのみしか判断できませんが、それらしき子供は此処には来ておりませんよ」


 店主の男は、緩やかに顔を横に振った。

 はっきりと告げる彼に、赤髪の男が真偽を確かめるように真っ直ぐな視線を向けていたが、すぐに一度目を伏せた。


「……そうか。であれば客ではない我々が居座るわけにもいくまい、失礼させてもらおう。邪魔をしたな」


 言って彼は二人組に声を掛けると踵を返し、来たときと同じようにベルを鳴らしながら開いた扉から出て行ってしまう。

 男たちも従い同じように出て行くと、残されたのは店主と聖奈だけ。もちろん店内は荒らされた形跡など残っておらず、穏やかな静けさが戻ったのみだ。

 聖奈は口を閉ざしたまま、しばらく閉じられた扉を見ていたが、不意にその耳を店主の声が叩いた。


「ふう……まさか、奴らがこの店に来るとはなあ」

「奴ら?」


 深く息を吐いた店主に、彼に視線を向けて首を傾げる。


「ん? ああ、先に入って来た男二人組がいただろう? 彼らは〈紅牙(こうが)の蛇〉と呼ばれる組織の一員さ。彼らが身につけていた紅いものは、組織で下働きする者がその所属を示すための証なんだ」

「……その人たちのこと、店主さんはあまりお好きではないんですか?」

「そりゃそうさ。表じゃまあ、なかなかどうして寄せられる依頼を迅速かつ確実にこなすと評判高い善良な、言ってしまえば〈何でも屋〉なんだがね、この街の住人ならみんな知っているよ――彼らが裏では汚れ仕事を請負っていること、そしてそれこそが彼らの本業であるとね」


 低く静かに告げられる言葉に、聖奈は押し黙る他なかった。店主は険しい面持ちのまま、さらに言葉を続ける。


「〈紅牙の蛇〉は金さえ積めばどんな相手でも殺す、暗殺集団として有名なのさ。相手が貴族であろうが何だろうが、もちろん関係がない。そして奴らは殺ったという確たる証拠を残さない。だから国は奴らを裁けない……いや、それどころか、へたすると貴族どもの方が御用達なんだろうな」

「暗殺集団……」

「そうさ。だから出来れば接触もするべきじゃないんだ……お嬢さんも気を付けな。まあ、旅人ってんなら余程じゃなきゃ無縁だろうけどな」


 柔らかく微笑んで言い括った店主に、聖奈は笑って頷いた。だがすぐに思考する。

 〈紅牙の蛇〉――この街を拠点として動く暗殺集団の組織。

 ラピスはこの街で、男たちに追われていた。そして聖奈の首を持っていくのだとも。彼の身を置いていた場所は、此処なのだろうか。だとするならば。


「想像以上に厄介な選択をしたかも……」


 呟いて唇を噛む。それでもこのまま帰すことは明確に危険だという事はわかった。もちろん今更見捨てるつもりはないのだが。

 と、小さく息を吐いた時だった。


「あー、いたいた。なにやってんだセナちゃん、遅いぞー」


 階段上から聞こえてくる声と、足音に聖奈は顔を上げる。

 そこにはウェインの姿。コートを脱いだ部屋着姿ではなく、しっかりと着込んだ格好で軽やかに階段を下りてくる彼は、ほんの少しだけ眉をつり上げた。


「単に服を貰えるか聞いてるにしちゃ随分時間かかってたな。ちゃんと貰えたみたいだが、なにしてたんだ?」

「あ、ごめん。掃除をしてたの。それと、ちょっとね」

「んんっ? もしかして変な奴でも来てたのか? それならそれでウェインさんのことを呼んでくれれば、ワンツーでソイツを仕留めたのに」


 佇む聖奈の元までやってきたウェインが、不思議そうながらもシャドウボクシングの要領で左右の拳を交互に突き出して見せる。

 聖奈は小さな苦笑いを浮かべながら口を開いた。


「いや、そこまでしなくていいから」

「拳一つでもその辺の奴らなら伸せる自信あるぞ?」

「そういうことじゃなくてね。力技で解決ってダメだと思う」

「えー?」

「えー、じゃなくて」


 しまいには不服げに唇を尖らせたウェインに、深く溜め息を吐くと、耳に控え目な笑い声が届く。

 見遣るまでもなく店主の男性だ。何が笑いのツボをくすぐったのか、必死に笑いをこらえているようだ。


「それで、ウェインはどうしたの? 心配して来てくれたわけじゃないでしょう?」


 僅かな羞恥を感じながらも気を取り直すように聖奈が尋ねると、ウェインはきょとんとした顔で目をしばたかせた。


「え、心配で様子を見に来ただけだけど」

「わかりやすい嘘吐かないでよ。その格好じゃ、出掛けるついでに通り掛かるから私の様子を見るつもりだったんでしょ」

「そこは心配してくれて嬉しいー、とか、ウェイン大好きー、とか言うところだろー? 優しさに惚れちゃうとこだろーっ?」

「ウェインが優しいのは知ってるけど、それはないと思うの。うん、絶対ない」

「なんだと!? ま、まさか此処までこの俺が拒絶されるだなんて……!」


 後ろに数歩、後退りを交えて大袈裟な反応をするウェインに、聖奈はもう何も言わない。

 ついに吹き出した店主にも気付かないふりをして、掃除用具を手際よく片付けて行く。あれ? という間の抜けたような声が聞こえたが、それすら無視だ。下手に構うと調子に乗るであろうから、徹底しなければ。


「ちぇー。セナちゃんが冷たいから、ウェインさんは大人しく出掛けますよーだ」


 すっかりヘソを曲げてしまったらしいウェインが、ぼやきながらとぼとぼと宿の扉へと向かう。

 少しだけ遠退く足音に、ふと聖奈は思い出して振り向いた。


「あ、ウェイン」

「んー?」

「いってらっしゃい。気を付けてね」


 立ち止まり、緩慢な動作で肩越しに振り返ったウェインが、澄み切ったアクアマリンの双眸を軽く見開く。

 それから視線が逸らされたかと思うと、すぐに真っ直ぐにこちらを見詰めて嬉しそうに頬を緩ませた。


「おー。すぐ戻る」


 それだけを残してウェインはそのままドアを潜り、外に出て行った。

 フロント内に響くのは涼やかなベルの音。

 用具の片付けを終えた聖奈が脱いでいたブレザーを着込んだところで、落ち着いたらしい店主が聖奈を見詰め口を開いた。


「はー、面白い兄ちゃんだな」

「面白いというより、変わってるだけだと思いますけど……」

「ははっ。そうかもしれないな」


 軽やかにまた笑う店主に、聖奈は眉尻を下げる。

 それからそっと並べられたままだった洋服にそっと手を伸ばした。


「それじゃあ、お洋服いただいちゃいますね。本当にありがとうございます」

「こっちこそ掃除をしてもらって助かったんだ。遠慮なんかする必要はないからな?」

「ふふ、はい! かわいいもの、いただいちゃいますね」

「もしサイズが合わないときにも言ってくれ。別のものと取り替えるなりして構わないからね」


 店主の言葉に甘えて聖奈は選んだ数着抱えると、もう一度頭を下げるとルキフェルとアリシア、そしてラピスの待つ部屋へと足を向けた。

 その途中、店主から聞いた〈紅牙の蛇〉の話とウェインが来る前にやってきた男たちのことを思い出す。

 どちらもウェインが帰り次第、皆に伝えるべきだろう。〈紅牙の蛇〉に関してはラピスに聞かれぬように細心の注意を払う必要があるだろうが、赤髪の男と、彼に対して感じた危険性と鳴り響いた警鐘については特に。

 静かに決めて、聖奈は足を早めた。



 * * *



 宿の外へと出たウェインは、店先で一人佇んでいた。


「いってらっしゃい、か……」


 いまさっき掛けられた言葉を繰り返すように小さく呟いて、視線を落とす。そして目を閉じ、けれども目を開くと何かを振り切るように歩き出した。

 足を向ける先は、大通りの方角とは真逆に路地の奥。しばらく進んで行くと、側面の家屋に背を向けて腕を組んで立つ人影がひとつ。

 ウェインはそれに近付いて、目を細めて見据える。


「まさか、貴方が動くとは思わなかったよ」


 独り言のような呟きに人影は真っ直ぐにウェインを見詰めると、無言のままに目礼を寄越した。



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