23.勇者は黙して抱える
聖奈たちが傷だらけの神族の少年を保護し、宿に運び込んで一悶着があったその頃。
城郭都市ルイゼンより東方。
街道の途中で〈勇者〉クロード=ブレック率いる魔族討伐の為に集められた一団は、野営の準備をしていた。
何人かの兵は〈魔王〉を得て決起した魔族たちの進軍に備えてルイゼンに残しはしたが、大部分はこのまま魔族殲滅の為の侵攻の折りに作られ、今も辺境地に潜伏する魔族の討伐のためにと拠点として残るルギル駐屯地へ向かう予定だ。そこにはまだ此処にいる以外にも兵がいる。
人間の国であるブランシールと、神族の国であるティアグレイ。二つの国の騎士からなる人間と天使の軍隊に属する兵士たちが。
「…………」
黙々と作業をする兵たちを、クロードは手を止めぼんやりと見詰めた。
兵士たちは各々が各々に分け与えられた仕事をしている。口数は魔族相手に敗走したという事実が未だ受け入れ難い影響か少ないが、リラックスした風ではある。けれど、兵士間には溝があるようだった。
当然だと、クロードは思う。
いまこうして人間と神族が協力関係にあるのは、魔族の討伐という共通の目的があってこそ。利害の一致以外に結びつけるものはない。
だがその目的が完遂された時、人間と神族の関係はどう変化するのだろうか。
ふと、そんなことを考えてしまってクロードは忘れ去るように顔を横に振って、止めていた手を動かした。
「クロード様」
と、声が掛けられる。振り向くとそこには一人の男性の姿があった。
彼――ユーシス=レイルズは、ブランシール国の騎士。すなわち人間だ。
ユーシスはまだ若輩ながらも騎士として優秀であり、数年前より〈勇者〉であり国家騎士でもあるクロードの部下として仕え支えてくれている。若い故に血気盛んだが、生真面目である彼をクロードは心からの信頼を置いていた。
「どうしたんだ、ユーシス」
「いえ、急用とかではないのですが……って、何をなさっているんです?」
ゆっくりとこちらへと近寄ってきていたユーシスの足がぴたりと止まる。
途端に眉間に皺を寄せた彼に、クロードは自分の手元に視線をやると、それを持ち上げて向き直り、
「何って、今日の野営で寝泊りする天幕を用意しているんだが」
「……どうして貴方が?」
「どうしても何も、必要なものだろう?」
「それはわかってますけど、部下に任せるとかあったでしょう」
「申し出はあったが、断ったんだ。まだ先の魔族との戦いでの傷や疲労が癒えていない者もいて、人手が少し足りないからね。悪いがユーシス、手を貸してもらえるか?」
「はあ……構いませんけど」
深い溜息を吐き呆れ気味の顔になりながらも承諾してくれたユーシスと共に、クロードは天幕の骨組みを組み立てて行く。
こうした遠征や野営の経験は一度や二度ではない。慣れた手つきで作業をしながら、クロードは思い出したように口を開いた。
「それで、何の用だったんだ? 何か話したいことでもあったんだろう?」
言いながらちらりと視線をやると、ユーシスは目を丸くしてこちらを見詰め、けれどすぐに顔を伏せてしまった。
だが微かに聞こえる音から手は決して止めていないことはわかって、クロードは先を促さず口を閉ざして言葉を待つ。
離れた場所から聞こえる兵士たちの声と、自分たちの手元から響く作業音だけが耳に届く。
そうしてしばらくすると、ユーシスがぽつりと呟くように言った。
「……魔族は、我々への報復に動くでしょうか?」
おずおずとした声音で告げられた言葉に、クロードは視線はやらずに答える。
「どうだろうな……〈魔王〉たるあの少女がそれを許すとも思えないが。それに、あの場にいた魔族たちからは復讐心など微塵も感じられなかったからな……可能性は低いだろう」
「そうですか……、そうですね」
「……ユーシス、君はどう思った?」
静かな問いを投げかけるとユーシスは目をしばたかせ、小さく首を傾げた。
「どうとは、あのガキ……いえ、小娘……〈魔王〉を名乗る変な女のことですか?」
「ユーシス……いや、いい。その子の事だ。君は彼女をどう思った?」
あの少女はこんな扱いを受けるほどの言動はなかったと思うのだが。何度も言い換えながらもどうにも無礼は呼び方しかしない彼に苦笑を浮かべながら、クロードはもう一度問い直す。
すると、難しい顔をしていたユーシスは一度空を仰ぎ、考え込みながらも言葉を紡いだ。
「子供じみた机上の空想論ばかりで、不快しかありませんでしたね。いま現実として起きていることを何も理解していない」
「人間としてはそうなのかもしれないな。しかし魔族として、と考えたらどうだろう?」
「魔族として……? 奴らの立場で考えてみろということですか?」
「ああ」
一声かけて骨組みを同時に持ち上げる。既に大きな耐水性の布は被せるように張ってあり、あとは倒れぬように脚の支えをしっかりとすれば天幕は完成だ。
まずは今支える支柱の脚に別付けの器具をつけ、ユーシスの様子も窺いながら残りにも器具を取り付けて行く。
「彼女は魔族の側に立って発言をしていた。確かにその内容は机上の空想論そのものだったが、彼女は彼女なりに現実を理解していた、そうは思わないか?」
ユーシスはすぐには答えてはくれなかった。
相変わらず難しい顔で口をつぐみ、たっぷりの沈黙の後に口を開く。
「……確かに、そうかもしれません。あの女の言葉は、あの場にいた魔族の思いを確かに代弁していたのでしょう……事実、あの遺跡に残っていた魔族どもは我々よりも遥かに劣っていた。拮抗するまでに奮起をしたきっかけは〈魔王〉でしょう」
「そうだな。あの子が現れなければ、我々は滞りなく掃討が出来ただろう」
許しや助けを求めて泣き叫ぶ者も無関係に、武器を手にする者も抵抗の意思があると判断すればすべて殺して、血の海の上に屍の山を積み上げただろう。
クロードにはそれが可能であるという確信があった。
過信や慢心などはなく、それほどの力をクロードは〈勇者〉と呼ばれるようになったあの時を堺に手にしたのだという自覚があるから。
だから、クロードは人々を守る為に剣を手にして魔族を討ち続けてきた。
それが命令であり、彼らは人の命を脅かす存在だと信じ、そうすることで平和になるのだと言い聞かせて先陣を切り、抱いていた魔族を討ち滅ぼすことにも疑問には蓋をし続けてきた。
その疑問に向き合ってしまったなら、このような殺戮と蹂躙を始めた理由を知らずにはいられないから。
クロードは小さく自嘲にも似た小さな笑みを零した。
「どうして魔族はあんな叶わない理想を信じたのでしょうね……信じたところで何になるんだか」
吐き捨てるように言ったユーシスを咎める気持ちは一切ない。
何故なら彼もクロードも目の当たりにしているのだ。
純血の魔族という、魔族の中でも特に優れた能力を持つ者達によって次々と殺されて行く兵士たちの姿を。
その中にはクロードとユーシスの部下たちもいた。
不意の襲撃によって成す術なく死んでいった。助けを乞う言葉や悲鳴、絶命間際の断末魔。次の瞬間には鮮血を散らして、物言わぬ屍となっていく光景が延々と続いた。
そんな窮地を脱することができたのは、魔族に対して聖王から言伝を預かった事で偶然居合わせていた、王家の近衛騎士隊の隊長である男の機転だった。
〈勇者〉と呼ばれていたところで、敵を討つ力は得られても思考能力が強化されるわけではない。クロードはあの時、自分が取るべき行動を探すことすらできずに呆然とし続けていた。恐らく彼がいなければ被害はより甚大だっただろう。
しかし多くの命を失ってしまったことは事実。それをクロードは許してしまったのだ。
この凄惨な光景を目撃したのはそれほど前のことではない。
多くの命を失ってしまったという事実は、多くの人々に涙を流させ、絶望と恐怖と憎悪を抱かせた。その未だ癒え切らぬ傷を抱えて、果たして誰が魔族と手を取り合えるなど思えるだろうか。少なくとも、あれを目にした者やあの惨劇で誰かを失った者達には不可能だろう。
そしてそれは、きっとクロードたちによって同胞を失っていった魔族たちも同じ筈だ。
許せるわけがないのだ。多くの命を奪ったクロード達を。受け入れられる筈がないのだ。結果として報復という手段に走り、された以上の命を正義を掲げてしてのけながらも彼らを恐れ続けるクロード達を。
ただ、それなのに、という様子のユーシスの疑問の答えが、クロードの中にはひとつだけある。
「眩しかったのだろうな……」
独り言のように呟くと、静かなこの場では微かにでも届いたのだろう、ユーシスが不思議そうに眉を寄せた。クロードはそんな彼を見て小さく笑う。
「彼女の言葉は子供じみたものだったからこそ、甘く優しい夢のような空想論で理想論だったからこそ、眩しくて、どうしようもなく惹かれたのだろう」
「わずかでも希望を持てたなら、いざ死ぬというときにも悔いはない、と?」
「いや、そうではない。ユーシス、君にもあった筈だ。眩いばかりの夢と希望を持って生きた頃が。願うもの全てが叶うのだと本気で信じていた頃が」
――いつしか何処かに埋もれてしまった、そんな頃が。
恐らく老いた魔族たちがあの少女に見たのはそれだ。
月日を重ねるほどに伴い広がっていく世界で、ヒトは自分がどれだけちっぽけで無力かを知っていく。何が出来て、何が出来ぬのか、それを無意識に判断する力が自然と身に着いてしまう。
魔族たちは既に知っていた。自分達が行き着く先には死と滅びしか残されていないと。
そんな絶望の中で、真っ向からその未来を否定する者が現れたとなれば、焦がれるのは道理。
セナが〈魔王〉であったからではない。戦いの経験すらないであろう人間の子供が勇ましく言い放ったから。あんな戦地のど真ん中で、恐怖に震え足を竦ませてもおかしくないような状況で、武力ではなく対話を求めたのだ。突き動かされないはずもないだろう。
そして、心が突き動かされたのはきっと魔族たちだけではない。クロードはそう信じている。
「…………」
黙り込んでしまったユーシスから逸らした目を、そっと伏せる。
――誰にだって幸せになる権利がある。
あの少女――セナ=ナグモは、はっきりとそう言った。
確かにそうだなのだろう。否、クロードもまたそう信じたいと思う。
誰にでも幸せになる権利はあるのだと。幸せでいる権利があるのだと。
だが、世界はそれを許さない。少なくとも、今のこの世界は魔族の幸福は許されない。
〈勇者〉クロード=ブレックも許しはしない。許せる訳がない。
たとえきっかけへの疑問と違和感を抱いているとしても。それ全てが錯覚であると言い聞かせて、〈勇者〉クロード=ブレックは御旗として在り続けなければならないのだ。




