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16.その夜の出来事


 宿屋に行くと、清潔感あふれるフロントには中年の男性が立っていた。部屋は空いているのか尋ねると、今日は宿泊者がいないのだという答えが返ってくる。

 聖奈は一泊すると告げて料金を支払い、店主から部屋の鍵と地図、それと先程貰ったリクルの実を剥いて食べるための果物ナイフと皿を借りて受け取って、部屋まで向かった。まではいいのだが――。


「どうしてあなたまで一緒についてきてるんですか……?」


 人目を気にして頭から被っていた外套を脱いだアリシアは不機嫌だった。無理もない、何せ彼女の視線の先にいるのは、


「助けてセナちゃん、アリシアちゃんの視線が冷たーい」

「セナ様に近づかないでください! というか、わたしの質問に答えていただけますか!?」


 アリシアが部屋に備え付けられたクッションを投げつける。緩やかに放物線を描いたそれを難なくキャッチしたのはウェインだ。

 アリシアが怒りの矛先を向けているのはウェインだった。

 彼は自分の料金を支払ったかと思えば何故か聖奈とアリシアとの相部屋を望み、そのまま部屋までついてくるとそのままベットに転がったのだ。

 年頃の男女が相部屋だなんて、倫理的に大変な大問題である。付け加えてアリシアは多感な時期に見えるとなれば、彼女に過剰反応をするなという方が難しいだろう。ただでさえウェインは人間であるというだけでも警戒されているのに、ダメ押しまでするとは。


「普通は同じ部屋に泊まろうだなんて思わないからねえ」


 荷物を置いてぽつりと呟きながらソファに腰掛けた聖奈は、紙袋からリクルの実を一つ手に取る。途端にほのかにただよう甘い蜜の香りは、見た目通りリンゴとよく似ていた。

 それを果物ナイフで六等分になるように切っていく。中の色はうっすらと黄色がかり、中心にある芯、それにそった実の中央には種。リンゴである。


「だーって、一人で泊まるのって退屈じゃん? 寂しいじゃん? なら二人と一緒の方がいいじゃーん!」

「意味がわかりません! 常識的に考えても普通は異性で相部屋なんて有り得ないというのに!」

「んんっ? なになにアリシアちゃんってば意識しちゃう? 俺のこと意識しちゃうっ? いやー、俺ってばイケメンだからわからなくもな――ばふぅ!」


 ちらりと横目で窺うと、丁度ウェインがアリシアに枕で顔面を殴られているところだった。

 アリシアが怒っている理由をウェインなら分からないはずはないと思うのだけれど。それでもからかうのをやめないウェインは、さながら思春期の妹を構う兄という感じだろうか。二人兄妹ではあるが双子である聖奈には経験はないが、確か仲の良かった友人の一人がお兄さんとこんな関係だったはずだ。

 友人のお兄さん曰く、歳の離れた妹は可愛いのだそうだ。おそらくウェインがアリシアを構うのも、似たようなものだろう。


「仲良しだねえ」

「仲良くないです!」


 表情を緩めながら口にした言葉にアリシアが間髪容れずに叫んで否定した。食い気味な否定である。

 すると頬を膨らませ猛抗議といった様子のアリシアの後ろで、枕を片手で掴んで退かしたウェインがにんまりと笑い、


「またまたぁ~、照れちゃっ、ふぐっ! ……っ、こらアリシアちゃん! 喋っている人の顔を枕で殴っちゃいけません! 痛いし苦しいだろ!」

「知りません!」


 ぼすぼすとひっきりなしに聞こえてくる鈍い音は、アリシアが振り回す枕が鳴らす音か。

 なんというか、楽しそうで何よりである。口に出したら即座にアリシアによって否定されるのは目に見えるため、決して言わないけれど。

 聖奈は六等分したリクルの実の一つを手に持ち芯を切り取って皮を剥くと、ソファの真ん前にあるテーブルに立って聖奈の手元をじっと見ていたルキフェルにそれを差し出した。


「はい、どうぞ」

「うむ」


 剥かれたリクルの実を受け取ったルキフェルは、その場で一口。もきゅもきゅと口を動かし表情を緩ませているところを見るに、どうやら美味しいらしい。

 聖奈は残りの等分したリクルの実に手を伸ばし、向きながら口を開いた。


「アリシアちゃんとウェインも食べるー?」


 途端にどたばたとした物音が途絶え、真っ先にアリシアが視界に入り込んだ。


「食べたいですっ!」


 と、じいっと手元を見てくる彼女に隣りに座るように促して、聖奈はそうだと思い立つ。

 芯を取るのはさっきと同じ。そこから皮を剥くのではなく、切れ込みを入れ、逆Vの字になるように皮を切り取れば出来上がり。


「じゃーん、リンゴうさぎー! あ、違った、リクルうさぎか」


 熱を出したり風邪をひいたりした時や、小さな頃のお弁当に入っているような、赤い皮を耳に見立てたあれである。こちらの世界にうさぎがいるのかはわからないが、それを聖奈は隣りに座ったアリシアに差し出した。

 受け取ったアリシアはリンゴうさぎ――もといリクルうさぎをじっと見詰め、皮の部分をちょんちょんと触れると、


「此処が耳、ですよね? かわいいです……たべるのがもったいないくらい」


 ふんわりと微笑むところを見るに、どうやら気に入ってくれたらしい。

 それに食べるのがもったいない、という気持ちもよく分かる。聖奈自身も子供の頃に初めてそれを見たとき、もったいなくて食べられなかった覚えがある。

 それでも食べるようにと促して、聖奈は催促してくるルキフェルにまた剥いて差し出して。とそこでようやく、ウェインがこちらにやってきた。


「酷い……! アリシアちゃんったら容赦ない! 枕で殴られるのって、枕がけっこうな硬さを持ってるから痛ぇんだぞ……!」

「お疲れ様。はい、ウェインもリクルうさぎ」


 背もたれにのしかかるようにしてアリシアとは反対側に当たる聖奈の隣りから顔を出したウェインに、今まさに作ったリクルうさぎを差し出す。

 ウェインは聖奈の差し出すリクルうさぎを不思議そうに見詰め、何故かおっかなびっくりに受け取るとつまんだまま首を傾げた。


「……皮ごと?」

「そうだけど……?」

「ふーん」


 皮付きのまま食べたことがないのだろうか? だが、アリシアを見るにそんな食べ方をまったくしないというわけでもないだろう。

 しばらく様子を見ていると、ウェインがリクルを一口食べた。もくもくと咀嚼して、飲み込む。


「うまい」


 そう言って、またかじった。先程までの恐る恐るといった風が嘘のようだ。けれどもその理由について考えたところできっと答えは出ない。

 聖奈はリクルを剥く作業に戻りながら口を開いた。


「でも本当にどうしてウェインは一緒の部屋に泊まろうとしてるの?」

「んー?」


 間延びしたような声から少し、リクルを飲み込んだらしいウェインはわざとらしく悲しそうな表情を浮かべ、


「セナちゃんまで俺に一人さみしく泊まれって……!?」

「倫理的にとか道徳的にはそうするべきだと思うけど」

「えー? つまりはセナちゃんも俺のこと意識しちゃってだ、」

「それは違うかな。今のところウェインの事をそんな風に見たことないし」


 きっぱりと言い切ると、ウェインがソファの背もたれで溶けた。ウェインのそうした発言は冗談だろうに、落ち込むようなことだろうか。

 とはいえウェインはイケメンではあるんだよなあ、と聖奈は思う。この世界においての美醜の基準は分からないが、少なくとも聖奈の感覚でいえばモデルのような容姿端麗さで、道行く人達の目を引くような整った顔立ちだ。

 それなのにときめきを抱くことはないのは、多分言動の節々から残念な気配を感じてしまっているせいであろう。それに、理緒()に似たような感覚も。


 もっとも、ウェインを初めて見た時から今もずっともやもやとするような感覚は胸をしめているのだが。


「セナちゃんまでつめたーい」


 顔を上げたウェインが不満げに唇を尖らせる。子供っぽい仕草だが気持ち悪いとは思わない。むしろ可愛いとさえ思えるのは、彼のこれまでの言動あってのものだろう。

 もちろんアリシアがそうした仕草をしたほうが可愛いのは間違いないのだけれど。


「いいから、本音を述べよ」

「えー? そりゃあ、かわいい女の子たちと過ごした――あ、嘘! 冗談だからナイフ向けないで!」

「まったく……」

「危ねぇ、すげぇ怖かったー……本音はな、今日でお別れだから名残惜しいなあとか思ったわけで」


 そういえばウェインにはエルリフまでの道案内を頼んだだけだった。その先については一切口にしていないし頼むつもりも無かったから、確かに此処でお別れだ。

 そう考えると、名残惜しい気はするかもしれない。

 彼は言動に問題はあったが、魔物を退けてくれたり野宿の際には見張りさえ買って出てくれていたのだから。お礼すら言葉で伝える以外できそうにない自分が、すこしだけ恨めしい。


「ふん、ようやく貴様と離れられるのか。清々するな」

「うるせえ、ぬいぐるみ。てめえに限ればそれはこっちのセリフだ」


 睨み合うウェインとルキフェルに剥いたリクルを差し出して受け取らせて黙らせてナイフを仕舞おうとしたところで、アリシアに服の裾を引かれた。

 振り向くとアリシアがおずおずとリクルの実を差し出されていて、聖奈は瞬きを数回。それからふっと頬を緩めながら手に取ると、再びリクルの実を六等分に切り分けた。その手元をじいっと見詰めるアリシアとルキフェルに吹き出すように笑んで――不意に肩が叩かれる。

 この状況でそれが出来るのはウェイン以外いない。

 何か用だろうかと見上げると、口元に何故かついさっき彼に剥いて渡したリクルの実が押し当てられた。


「えーっと、こういう時は……ああ、そうだ。セナちゃん、あーん」


 などと言うウェインを不思議に思いながらも一口かじってみる。するとすぐに口の中にはほんのりとした甘味と僅かな酸味が広がった。リンゴだ、間違いなく。

 そう理解すると共にそういえばまだ自分では食べてなかったことを思い出して、満足気なウェインを見て聖奈は微笑んだ。


「ありがと、ウェイン」

「どーいたしまして」


 へにゃりと笑って、ウェインは残りも食べるかと尋ねてくる。それに首を横に振って答えると、彼は一瞬悩んだ様子でリクルを見て聖奈を見た。

 本当にいいのか? と確認めいた視線に今度は頷いて見せると、もう一度リクルを見てからぱくりとかじった。

 そんなウェインを、何故か顔を赤くしながらアリシアが睨んだ。聖奈は一瞬その理由がわからず、だがすぐに察する。

 間接キスに対しての恥じらい。なるほど多感な時期だもんなあ、と微笑ましい気持ちだ。生憎と聖奈は意識もしていない相手に対して反応する理由もないと考えているせいか、そのような事はすっぽりと頭から抜けていたけれど。

 考えてるうちに剥き終えたリクルをアリシアに差し出すと、彼女は未だうっすらと頬を朱に染め、僅かに憤然とした様子ながらも両手で受け取るとしゃりしゃりと食べ始めた。とても可愛らしい女の子である。


「それで、ここからほかの街に行くってなると、何処に行くのがいいのかな。何ヶ所か行けるものなの?」


 誰にともなく尋ねると、真っ先にウェインが反応した。

 ソファを回り込んで改めて聖奈の隣りに腰掛けると、テーブルの上に置かれたままの地図を手に取る。折りたたまれたそれを開くと、彼は地図上を眺めて一点を指差した。


「此処が、セナちゃんやアリシアちゃんがいた遺跡がある〈魔の森〉な」

「うわぁ……あの森、そんな名前だったんだ」

「昔、森に純血の魔族が暮らしてたんだと。だから〈魔の森〉。あの遺跡もその魔族の持ち物で、でもほかの魔族たちとの交流がなかったらしくてさ、財産もそのままに朽ちたって言われてる」

「へえ……」


 ウェインは〈魔の森〉と書かれているらしい地図上の箇所を指先で数回叩くとすーっと動かし、別の場所を指差す。


「んで、ここが今いる〈エルリフ〉」

「となると、行けそうなのは二ヶ所?」

「はい。ここから南西にある〈ファージル〉と、南東にある〈ルイゼン〉ですね」


 地図を覗き込むアリシアが此処と此処です、とわかるように順に指差した。

 示された二点は〈エルリフ〉からの距離にさほど差はないように見える。となると、選択する基準は一つだ。


「どっちの方が情報を集めやすいかな?」

「そりゃ断然、〈ルイゼン〉だな。行商人もよく出入りしてるし、道中の道も整備されてる。魔物もいるけどスライムとかそんなレベルだし。セナちゃんたちが強くなるのにもちょうどいいはずだぜ」

「どうせ今の私はスライムとなんとか張り合える程度の強さだよ……」


 むくれながらぼやくと、ウェインが楽しそうに笑った。笑い話ではない。


 スライムとはゲームでもよく出てくるようなゲル状の生物だ。体の中心にあるコアを破壊すると倒せる魔物で、動きも遅く、基本的に一辺倒な攻撃方法しか持たないため冒険者が最初に相手をするような魔物であるらしい。

 つまるところ、世界最弱の魔物だ。

 とはいえスライム種は適応能力が高いらしく、火山近くには炎の魔法を自在に操るフレイムスライムなるものがいたり、雪原には水の魔法を自在に操るアイススライムなるものがいるそうで、そういう奴らに普通のスライムと遭遇したときのような感覚で挑むともれなく返り討ちにされるそうだが。


 ウェインの見立てによれば聖奈はスライムに勝てるか勝てないかくらいの強さらしい。うまくいけば倒せるが、油断すれば負けるとのこと。

 自分はどんだけ弱いんだと頭を抱えかけたが、聖奈くらいの歳の女性であればこれでもいい方とも言われた。なんでも普通の子供ではスライムに歯が立たないのだそうだ。

 対してアリシアはといえば、力は聖奈以下であるものの場数を踏んで攻撃魔法の扱いに慣れていけば問題はなくなると言われていた。

 つまりは聖奈は最弱、ということだ。最初からわかっていたから傷付くこともないけれど。


「あー、でもなあ……」


 と、ウェインの表情が渋い顔になる。

 彼は何かを思い出したように聖奈とアリシアを見ると頭を掻き、それからぽつぽつと切り出した。


「〈ルイゼン〉は、多くの人間と神族が集まってる。首都ほどじゃないが警備兵も多いし、何かの弾みでアリシアが魔族だってバレたらどうなるかわからない。それに……」

「それに?」


 不自然に黙り込んだウェインに、聖奈は首を傾げる。たっぷりと間を置いて、彼は言いにくそうにそれを口にした。


「あの街では魔族が奴隷として働かされてる」


 その言葉を聞いた瞬間アリシアの肩がびくりと跳ね、その顔が見る見るうちに青ざめた。

 彼女は言っていた。若い魔族の中には捕らえられ、奴隷として使われている者もいるのだと。その一部が、《ルイゼン》という街にはいるのだろう。

 ウェインが言うのを躊躇っていたのも分かる。


「そんな数は多くなかったと思うが、様々な労働を強いられてる……人間(俺達)にしてみればそんな気になるようなもんじゃないが、お前らにとっては違うだろ?」

「まあ、ね……」


 聖奈にとっては胸糞悪い程度だが、アリシアにとっては事情が違ってくる。それに、先代魔王を自称するルキフェルにとっても。

 けれど、だからといって避けるわけにもいかない。

 目指すべき理想の上には奴隷として扱われる魔族などいないのだから。


「じゃあ、〈ファージル〉はどうなの?」

「〈ファージル〉は、エルリフ(此処)とそんなに変わらないな。特産物が違う程度で農村だ」


 つまり情報収集目的ならば立ち寄る価値はない、ということか。となれば自然と次の目的地は〈ルイゼン〉になる。

 それがわかっているからか、ウェインもアリシアもルキフェルも何も言わず無言のままで。

 聖奈は二つ目のリクルの実を剥き終えると、気を取り直すようにアリシアに話しかけた。


「アリシアちゃん、一緒にお風呂はいろっか。この宿屋、広めのお風呂あるんだって」

「えっ?」


 突拍子もない提案に驚いたらしいアリシアは、ぱっと顔を上げるとぱちくりと目をしばたかせ、それからあわあわと慌て始めた。


「えっ、ええっ!?」

「でもお風呂ってどうやって沸かしてるんだろ……アリシアちゃん、知ってる?」

「あ、それは、熱を溜め込む性質のある鉱石を加熱して、浴槽に入れてですね! って違います、セナ様、一緒にお風呂って……!」

「へえ……、そういう方法なんだ。薪をくべてひたすら燃やしてーって感じかと」

「そのやり方をしていることももちろんありますが、ってセナ様お話を聞いてください!」


 あたふたとするアリシアからは、さっきまでの顔を青くして今にも震えそうな様子は見られない。どうやら気を紛らわせることには成功したらしい。

 すると、ぽかんとしていたウェインが、ややあってからにんまりと口元に弧を描いた。


「じゃあ、俺も一緒にはい、」

「それはダメー」

「絶対に嫌です! というかそれはただのヘンタイです!」

女子おなごの湯浴みに混じろうなど、言語道断! 貴様にはきつい灸をすえねばならぬな……!」

「あっれ、俺フルボッコ!? てか上等じゃねえかぬいぐるみ、やれるもんならやってみやがれ! 返り討ちにしてやらあ!」


 という声を合図に、何故かウェインとルキフェルが取っ組み合いになる。どたばたと騒がしい二人と、ルキフェルを応援するアリシア。そんな三人を眺めて、聖奈はただただ静かに微笑んだ。



 その後、聖奈はアリシアを連れてお風呂に入ることに成功した。

 脱衣所にまで来てもなお渋られたが、なんとか説得に応じてくれて――どさくさにまぎれて入ってこようとしたウェインのことは、言うまでもなく蹴って追い出した。男女に分かれているのに堂々と女湯に入ろうとする見習いたくないその根性は認めるけれど。

 お風呂から上がると、店主が夕飯を用意してくれていた。

 宿代には含まれてはいないようだが、滅多に客が来ないし食材も痛みそうだったから、という好意による食事をありがたく頂くことにした。

 そのお礼にと洗い物を済ませた頃には、外はもう真っ暗で。部屋に戻り、久しぶりのベッドでの就寝となれば聖奈が眠りに落ちるのはあっという間だった。



 * * *



 ――深夜。

 誰もが寝静まるエルリフの村を歩く人影ひとつ。それは宿へと裏口から侵入し、屋内を迷うことなく歩いていく。

 足音ひとつ、物音ひとつ立てずに向かった先は、客室だ。

 人影がドアノブを捻る。鍵は開いていた。

 その事に疑問を抱いた様子もなく、音もなく身を滑らせて室内に入る。

 中にはベッドが三つ。彼らは一人一つのベッドを使い、寝息を立てていた。

 人影はベッドを一瞥すると、目的の少女を見付けて忍び寄る。

 枕元に立ち、今一度それが標的(ターゲット)と確認すると、緩やかな動作でナイフを引き抜いた。頭上にまで持ち上げられたその曇りのない刀身が、窓から差し込む月明かりに閃く。

 それをそのまま躊躇いなく、勢いよく振り下ろし、


「動くな」


 動きが止まった。否、止めざるを得なかった。

 切っ先が少女――聖奈の体を毛布ごと穿つ寸前。低い声と共に、後頭部に押し当てられた冷たい何か。

 いつ目を覚ましたのかはわからない。けれど、背にしていたベッドで眠っていたはずの青年が起き上がり、構えた銃口を押し付けていた。


「見え透いた罠に掛かるなんてな……誰にその子を殺すよう依頼された?」


 紡がれる言葉は、淡々と冷たく。その青年――ウェインの表情もまた、氷のように冷え切ったものだった。



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