紅き業火
『汝!はよう後を追わぬか!あれは弟では無い!化生なのだ!追え!追って始末をしなければこの国は終わる!』
霧綱の頭に何者かが話掛けている。その声が剣からだと気づくのに時間は掛からなかった。
「化生め!弟を返せ!何故弟を誑かし、化生へと変えた!?」
霧綱は怒りの声を上げるが、剣は霧綱をまくし立てる。
『弟が大事ならば追え!逃げられる前に止めるのだ!弟が消えるぞ!』
弟が消える、その一言が霧綱を動かした、剣を落とし、牢を後にする……月は雲に隠れていたが、私宅の方向が妙に明るい事に気が付いた。
それを見て、何も考えずに霧綱は駆けた。
いや父と母、そして弟を憂いていたのだ。ただ生きていくなら二人だけでも十分出来るのだ、あばら家だろうがどこであろうが大切な者と生きていくには必要の無い物だ。
それに気が付くのは遅れてしまったが、まだ間に合うと自分に言い聞かせて自宅へと戻る……辺りは一面火の海だった。焼け落ち、禍々しい炎が私宅を包み、飲み込んでいる。屋根の上に化生が佇んでいる。まるで戦の幕開けだと言っているようだ。
「何て事を……」
それしか言葉が出てこなかった、燃え盛る業火の中、逃げ惑う人々が化生に気づき、恐怖の声を上げて慈悲を求めた。
弟だった化生は助けを求める人々を見ると、明らかに怒り、そして吼えた。
耳を劈く様な獣の声人々は身を竦め凍りつく、そして弟の体から溢れ出る黒い塊が一斉に飛び出す様相を目撃すると、怯え逃げ出した。
これが人だと、人間なんだと、他人を守る事もせず、我先と逃げる様をとくと見よと、そう弟は霧綱へ伝えたかったのかも知れない。
だが、霧綱は腕を広げ化生に対峙する。
狩衣が大きく揺れ動き、愛に満ちる微笑を変わらず化生へ、弟へ示した。
化生はそんな兄を悲しげに見つめた後、闇の中へと消えていく。
赤い、紅い火が煌々と霧綱を照らす、弟が居なくなった後でも、私宅を包む業火が収まった後でも、腕を広げ、家族が戻ってくる事を信じていた。
日が昇り……もう自分の下へ訪れる家族が居ない事を悟り、霧綱は子供の様に泣いた。
絶望に打ちひしがれる霧綱を、道を行き交う人々は、何もしなかった……腫れ物を見るような視線を霧綱に浴びせ、その場を後にする。
霧綱はひとしきり泣いた後、立ち上がり林の中へ消えた……その姿を最後に彼は消えた。霧綱が向かったのは誰も居ない牢だった。
「我が弟よ……何故誑かされた……何故我は気づかなかった……何故剣を見せてしまったのか……」
ぶつぶつと幽鬼の様に歩き、そして呟き、後悔した。
自分が弟と共に逃げ出さなかった事を。牢の床には白鞘に納められている剣が落ちている。
駆け寄り……そこで再び涙を流した。




