旅の終わり
朱天が言い終わると同時に、霧綱の屈強な腕が裂け始める。
二人を覆う風が、霧綱の腕に収束している。
赤い血が床を伝う、それでも尚その腕を下げずに耐える。
「兄君……奴の元へと行けるか?」
「難儀な事を言う、だが、必ずや辿り着こう、雪綱……我が身が傷付いても、御前だけは前を向き、その時を待て」
二匹の化生が歩く、その目に獲物を焼きつけ、牙が、爪がその喉元に届くその距離を目指して。
朱天との距離が縮まるに連れ、白銀の獣毛が紅く染まる。
それでも尚、霧綱は歩む事を止めなかった、傷つく左腕を掲げ、その一歩を踏みしめ確実に距離を詰める。
「雪綱、動けるか?……」
「動けるが……まだだ、まだ我の爪は届かぬ」
「なら十分だ、朱天の隙を狙い、奴を討て、信じているぞ我が弟よ」
霧綱はそう告げると膝を付き、雪綱を庇う。
兄に庇われた雪綱にも肉を切り裂く風が襲う、入り込む風だけで肉が裂けるのだ、霧綱の背中は見るも無残な状態に違いない。
「兄君!!何を為さるのですか!?」
驚嘆の声が雪綱の口から零れ落ちる、しかし霧綱は静かに言った。
「まだだ……我が風を止める、その一瞬が分け目になる……今はまだ耐えるのだ」
雪綱の鼻にむせ返る程の血の匂いが包む。
「獣の分際で良く耐えた、いや、獣にしては、か?何れにせよ胸を張るが良い、とは申しても、その誉れは誰にも伝わらぬがな」
紅く染まる瞳は見た、鬼が掲げた手に何かが集まっているのを。
それは微細な塵芥が風によって集められた物だった、その塵芥が象る形は、さながら槍の様にも見えた。
「興も醒める時だ、下賤な化生も我が力を味わえただろう……さあ、汝等の血で華を飾るのだ!!」
塵芥の槍を振り被ろうとしたその刹那、肝を握り潰される様な咆哮が居城に響く。
唸りを上げていた風の音は消え、静寂が包む中、雪綱は意識を失い掛けた。
その頬に鈍い痛みが襲い掛かる。
目の前に居るのは、恐ろしい獣では無く、袂を分けたあの日の兄の顔だった。
「雪綱……奴を……朱……天を……」
霧綱の意識が遠ざかる、消えかけるその一瞬に、獣の咆哮と獲物となった哀れな悲鳴が木霊した。
「霧綱様……霧綱様……」
誰かが己を呼ぶ、柔らかく、そして慈愛に満ち、身を案じているのが感じ取れる。
眼を開くとそこは眼にした事の有る家屋だった。
「ここは……」
朦朧とする意識の中、誰かが更に語り掛ける。
「動かないで下さい、御体に障ります」
乳母こそ居たが、直に愛情を注がれた事は無かった。




