解放されし剣
「離れろ!剣が届かぬ場所まで!」
霧綱は声を荒げ、後ずさる、気を抜くと体ごと距離を詰めようとしてしまう。
「兄君……こ……これは……何が……」
弟は何が起きたのか理解出来ないのか、ただ、その場に立ち尽くしていた。霧綱は剣戟が届かぬ場所まで下がり、弟の無事を確認した後、自らの手に握られた剣を手放そうと躍起になるが無駄な事だった。
「おのれ化生が!我の腕を操り、弟の命を奪おうとするなどと!」
霧綱の言葉に触発される様に、弟もその手から剣を手放そうと動く、二人が懸命に事態を打開しようとしても好転するでもなく、剣は互いを罵り合っていた。
『この者を使い、再びこの世を狂乱の坩堝にしてくれよう……』
『止めぬか!その度に何が残った!?』
終わりが来ない剣の押し問答に、霧綱は弟の足元に転がった鞘を見つける、霧綱の視線に気が付いた弟は、剣に気取られぬように鞘を蹴り、霧綱の元へと送った。
「よし!この喧しい剣もこれで黙れば良いのだが!」
剣は、一言二言何か罵声を出していたが、抵抗する事無く鞘へ収まった。霧綱が持った剣は鎮まり、そして弟が対の剣を収めようとした時、弟へ話しかける者が居た。
『待て!汝はこの様な場所に何故閉じ込められておる?その瓜二つの顔、汝等は双子だろう?外の世界を見たくは無いか?』
甘言だった、霧綱は焦燥に駆られた。長い月日をただ一人で過ごして来た弟にとって余りにも魅力に満ちた言葉だった。
「惑わされるな!その様な誘いに乗らずとも、必ず我が、外を見せてやる。だから我を、兄を信じてくれぬか!」
弟は兄へ向い、顔を見せる、その顔を見た霧綱は悟る、弟は得体の知れぬ剣の誘いに乗ると。
「よせええぇぇぇ!」
大声を上げ、牢に駆け寄ったが弟は手の届かぬ位置に動き、剣に言った。
「我、汝の主として命ずる、何者にも捕らえられぬ力を、忌むべき因習を貫かんとする者に死を願う」
そう呟いた瞬間呟いた瞬間、弟が蹲る、そして驚愕する事が起きた。
弟の体が人から変化していく姿を、霧綱は見た。
人から生える筈の無い体毛がありとあらゆる場所から生え、華奢だった腕は、容易く人を縊り殺せるまでに巨大な腕になり、
口は尖り、目は紅く染まった。まるでそれは獣と人が入り混じった様な様相を呈していた。
狩衣を突き破る程逞しくも、恐ろしい存在へと変わった弟は、兄をその紅い目で見る。
漆黒のような獣毛に包まれた弟は立ち上がり、いつもと変わらぬ声で兄へと語りかける。
目の前で弟が化生に変わるのを、霧綱はただ見る事しか出来なかった。
「兄君……私はこの冷たく、恐ろしい牢から出ます。私が泣き、懇願しようが誰一人として、この牢を開けようとしなかった……兄君一人を除いて……それ故に、私はこの目で世の全てを見聞させて頂きます。この国の人々が、真に、兄君が導くに相応しい国なのか、それとも唾棄すべき国なのか……もし、導く価値の無い国ならば、全てを壊した上で、兄君に相応しい国を創り上げましょう兄君……いや、霧綱……何も心配する事は無い、兄はただ待つ、それだけで良い……我の願いが叶えば、約束した二人で国を導く事も、誰もが気兼ねする事無く往来を交わせられる、兄君……どうか、我を追う事無かれ……」
霧綱に思いの丈を伝えた獣は、石壁に剣を向ける、次の瞬間、紫電の様な剣撃に石壁は容易く崩れ落ちる、恐ろしい程の速さと力で石壁は、土は、切り崩されていく。
弟の変貌に言葉を失い、去っていくその姿を見る事しか出来ない霧綱は、唯一人、牢へ残されている。
格子から腕を伸ばすその姿は、弟の姿そのままだった。
そしてそれは、霧綱と弟の溝も示していた。
自分以外の人は誰も我を見ずに去っていくと、悲痛な顔を浮かべながら笑った弟の顔が、霧綱の頭に焼きついている。
ただ産まれるのが遅かった、それだけで誰もがその存在を忌み嫌う――霧綱は何も考えられなくなっていた。




