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歯牙を持つ者

「霧綱、汝に覚悟は有るか?二度と戻れぬとも、目の前の鬼を討つ覚悟が汝には有るか?」


 この切羽詰まる状況で、白狼は訊ねてきた。何を言っているのか分らなかったが、霧綱は反応した。


「何を言っているのか分らぬが、我は誓った、我が弟を止める為なら化生にも鬼にも堕ちると、今更何を言っている!何か手立てが有るなら動け!」


「……そうだったな、我は信じておる、決して呑まれるな。化生の真の力に慄け霧綱よ」


 白狼はそれだけ言い残し黙った、熊童子は目と鼻の先にいる。今はただ待つ事しか出来なかった。


「さあ、その魂を我に、我が主に捧げてくれ……」


 刹那、背中に衝撃と耐えがたい激痛が襲い掛かる、恍惚に塗れた熊童子の口が動く。


「その苦悶に満ちた顔、何と美しい事か、この手に命の灯火が握っている。自らの手で奪うのも悪くは無い物だな、しかし、我が主に刃を向けるだけ有る。その命はまだ消えぬか」


 霧綱の眼には鬼の足しか映っていない、声が響く度に背中を押し広げられる感覚と吐き気を催す程の激痛が何度も全身を襲った。


「おお、霧綱殿、御前の肝が見えるぞ……美しく、力強い脈動を打っておる。」


 熊童子は話し掛けて来るが、霧綱は息もするのも精一杯だ、熊童子が肝を傷つけぬように剣を動かしているのだろう、痛みも次第に感じられなくなってきた。

右手に握っている筈の白狼の柄も、今は握っているのかさえ分らない。

 意識が途切れる、化生になり初めて寒気が襲う。

氷よりも冷たく、そして外気が暖かく感じる事に、多少の安らぎを覚える。

 その最中、腹より下、丹田に熱い感覚が現れた、それは次第に全身へと巡り、大きく脈を打ち、耐え難い感情が霧綱の体を動かした、目の前の全てを壊し、喰らい、そして奴を止めろと。

到底死の間際に居る者が考えうる事ではない。

 しかし現実に霧綱は動いた、圧し掛かる死者達の体を押し退け、その身に貫かれた筈の剣は、そのまま抜け落ちた。


「何故だ……何故生きている!?確かに見た!その身から命が消えるのを!なのに何故生きている!」


 後退り、熊童子は戦慄いた。

死を弄んだからこそ霧綱が立っている事に動揺を隠せない様だ。

 霧綱はただ幽鬼の様に立ち尽くしているが、次の瞬間霧綱の身に、変化が起きた。

骨が軋み、獣毛が生えてゆく、口は裂け、白い牙が揃う。

 狩衣を破りながら現れた姿は、怪力乱心の一言に尽きた。完全に変化が終わると、霧綱は天に向かい吼えた。

瘴気に包まれていた空気が弾け、雲を裂く、一筋の月の光が霧綱を照らし出した。

 白銀の獣毛が霧綱の体を包む、その姿は奇しくも弟、弓綱に瓜二つだった。

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