蟲
顎を鳴らし複眼が霧綱を見る、顎の下に人の顔が有る事から余計に嫌悪を際立たせている。羽が広がり鎌を大きく広げ。威嚇の構えを取る。
「霧綱、注意するのだぞ、虫というのは中々厄介だ。」
「うむ……委細承知した。」
霧綱は地面を蹴る、怪我を負った部分は未だ治らずともその速度は常人には捕らえられぬ物だった、が。完全に翻弄したと思っていた霧綱の目前に皮膚を切り裂き離さぬ鎌が迫る。
「ぐっ!?」
霧綱は小さく嗚咽し、地面へと降りる。
鎌こそ当りはしなかった物の、返しが霧綱の胸を掠めていた。
蹲りながらも霧綱は鬼の方を見る、鬼は鎌に付いた血をなめずり、恍惚に身を歪めている。
そして恐ろしい速度で距離を詰める。体勢を整え向き直る。二つの風を切る音が霧綱を包む。それに対し霧綱は完全に防戦に回っている、歪に並ぶ鎌の返しが霧綱の体を掠め取る。
目も留まらぬ猛攻に、徐々に霧綱は追い込まれていく。だが霧綱も何時までも防戦に徹する気は無かった。
壁を背にし、鎌が後ろの壁を貫く、その一瞬を狙っていた。
振り払う一つの鎌が背後の壁ごと霧綱を斬ろうと振り下ろされる、それを剣で防ぎ、二撃目を待つ、容易く胴を貫く鎌の切っ先が霧綱を貫く直前に、霧綱は残りの手で鎌を掴む、返しが霧綱の手に食い込みそこから血が流れ落ちる。
これで双方まともに動けぬ状態になったかと思えば、それは違った。
霧綱の眼前に溶け合った人の顔が迫る。虫の顔は牙を打ち、不快な音を奏でている。次の瞬間、更におぞましい事が起きた。
溶け合う人の、腕の部分が乾ききらぬ塗料の様に剥がれ、新しい腕が霧綱の首へと回る。呼吸を止められた、霧綱の腕は、鎌を止める為に塞がっている。
凄まじい力で首を絞められた霧綱の左手は徐々に力が抜けていく。
食い込んでいた返しも、鋸の様に霧綱の手を削ぎ、鋭い切っ先が徐々に霧綱の胴へと向かっていく。背後は壁、目前には鬼、八方塞がりだった。
「ぐうう……がはっ!……」
霧綱は堪らず嗚咽を漏らす、意識が飛びそうになる度に、握った鎌の返しが肉を削ぐ。
「霧綱!退け!退くのだ!!ええい……気を強く持て!」
その声も虚しく、霧綱の顔が人のように紅く染まっていく。首を折られるのが先か、鎌で貫かれるのが先か。どちらに置いても絶望しか残されていなかった。これまでかと思ったが、首を絞める手が緩んだような気がする。いや自分の体も動かない。この状況は覚えがあった。
「鬼と化生が争いあっておる、どのような経緯かは知らぬが……二匹とも塵へと還れ」
霧綱と鬼を取り巻く空気が変わる。存在自体を否定するような感覚が霧綱の体中にひしひしと伝わる。鬼もそれを感じたのか、人の顔が歪んでいる。