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序幕

「これからどうしたら……」


 アスファルトに照り返す熱が容赦無く、喉を枯らせる、珠の様な汗が伝い嫌悪を誘う、それなのに俺は外に出て、目的も、夢も無く彷徨う。

無能な上司の肩代わりに首を突きつけられ、生きる目的すら見失いつつある俺にとって、何もかもが煩わしく、羨ましかった。

 どうしようもない怒りと共に虚しさが去来する、それを紛らわせる為に小さな箱から葉の詰まる紙を咥え、火を灯す。

俺の視界に霞が掛かる、紫煙の前を通り過ぎる人が何処か別の世界の住人の様な気がしてならない。

 頭を垂れ、項垂れていると、涼しげな風と共に音が耳に響く。


 ――リン!


 風鈴よりも澄み、喧騒に消されても可笑しくも無い音が鳴る、顔を上げると仮装かと思える出で立ちの男が通り過ぎようとしていた。

その姿は、何かの映画で見た様な姿で、そしてそれは時代を感じる衣装だった。

 男が歩く度に、澄み切った鈴の音は遠ざかる、この場に似合わぬ姿だというのに、それが見えていない様に通り過ぎる人々は、男を無視する。

自分自身、人に興味を持ったのは何時以来だろうか、そしてその後を追う事も……目の前を歩く男は足取りも軽く、そして美しい、幻の様な感覚だが、確かに俺の目の前に居る。

 何度も道を曲がり、男が歩みを止めたのは小さな公園の前だった、微かに木々が風に揺られ、涼しい風が体に溜まる熱を奪う。

目の前の男は、何も言わずに公園の中へと入る、俺は光に誘われる蛾の様に、男の後を追った。


「些か、早かったか……其処な人々、我に何か用か?」


 男とも女とも取れる様な声、だが、一人称に我を使う以上男だというのが解る。


「揃いも揃って、後を付けても何も良い事は無いぞ……しかしまあ、何と生気の抜けた顔ぶれだ。少し噺をしてやろう」


 揃いも揃って?何の事かと思い、周りを見渡せば老若男女、数は少なくも無く、多くも無いが、後を追うには数が多すぎる。

何故気が付かなかったのか、余りの事に皆、驚きと、事の異常さに、声を上げる、なぜこれだけの人が居たのにも関わらず、その存在に気が付かなかったのか、自分自身驚きを隠せない、そんな中。


 ――パン!


 静かに、しかし確実に公園の前にいる人にその音は聞こえた。定まらぬ視線を一身に受ける、男は地面へと座っている。

そして静かにその声は響く。


「見た所、汝等は何をすべきか、何を成すべきなのか迷って居る様だ。それこそ我が人だった頃の様に……一つ噺をしてやろう。何、御伽噺だと思い聞けば良い。誰も知らぬ御伽噺だとそう思えば良い、さて皆立って聞くのは骨が折れる、御座など無いが偶にこうして大地に座ると言うのも悪くない」


 何が起きているんだろう、目の前に座る男の言葉に逆らえない。

心の奥底を焼けた火箸で突かれているのに、怒りを出すよりも、ただこの声が俺の体を支配している事が分かる、灯に誘われる蛾の様に、公園へと入り男の前で座る。

 その出で立ちは着物より古く、そして何よりも雅という言葉が似合う服だった、そして顔を隠す為なのか、薄布が付いた笠の奥、瞳が金に輝いた様な気がした。


「さて、全員座ったの……今から話すのは遥か昔の国の事だ、今は無い風習、悪習、言い伝えが多く、そしてそれを人々は信じていた、そして最も忌むべき存在として双子は特に忌み嫌われていた、我が話すのは人から忌み嫌われる双子の御伽噺だ」


 男は懐かしむ様に言葉を紡いで行く、俺はただその一言一句を刻み付けるように聞き入った。


上弦の月が地上を優しく照らしている、夜の静寂を見守る様に。

虫の音に満ちた芒の原に、二人の人影が涼しい風と共に現れる、語る事も無く、ただ二人は互いを見、その腰に差した剣を抜き対峙する。

緊張の糸は極限にまで高まり、その様子を覗いていた月は、二人の姿を見ていられぬのか、雲にその顔を隠してしまう。

 しかし、隠れていても二人の様子が気になって仕方が無いのか、とうとう月は雲からその顔を覗かせてしまった。

再び、月の光が二人を照らす。

 それを皮切りに、二つの影は一気に間合いを詰める。その姿は人には似ている、ただ、それだけだった。

一人は頭から布を被り、その隙間から覗く瞳は、人が用いる瞳では無かった。

 そしてもう一人も獣の様な尾と耳を持ち布を被る男に駆け出している。

二筋の光が走る、しかし、それは各々の灯火を消すに至らなかった。

 互いが向き直り、布を被る人成らざる者が問い掛ける。


「何故?……何故!追うのですか!」


「弟よ、我が追う事の意味が理解できぬか?汝が行った所業でどれ程の人が泣き、そして恐怖した事か!」


 弟と呼ばれた男は、再び駆ける、その手に握られた剣を振りかざす。甲高い金属音が、虫の音色と静寂に満ちた芒の原に木霊する。

火花を散らし、白刃が重なる、そして弟は答えた。


「兄君!我は実際に人という物を見定めて来た!本当に兄君が導く価値が有るのか!応えは否!人は下らぬ因習で我の存在を認めなかった!忌み子として消されはしなかったものの、我と兄君の立場は産まれた瞬間決した!何故我を止めようとする!?兄君は飼い殺された我を訪ね、時世の事を教授したではないか!権力を求め続け、つまらぬ因習に枷を付けられた双子を、人と見ぬ輩に嫌気が差したと!」


 布から覗く、その瞳は、紅く染まり、その色から計り知れない、憎悪と怒りが見える。それとは対照的に、兄と呼ばれた男の瞳は、金色に染まり、悲痛な感情が伺えた。

そして、一言二言、静かにそして目の前に居る者だけに呟いた。

 それを聞いた弟は猛り狂う炎を、更に燃やし、吼える。


「黙れ!黙れだまれええええええ!」


 何を言われたのかは知らぬ、だが、苦虫を潰した様な悲痛に満ちた声が、その場に響く。

月は悲しげに二人を照らしていた、忌み子達の命はまだ尽きてはいない。

 何故二人は争うのか、それは稀有な物語だ。


 さて、皆々様、これより幕を開けるのは、不肖ながらも語る、御伽噺で御座います。

道行く方も、待ち人を待つ方も、その時分が訪れる、その時分まで、どうかお付き合い願いたいと思います。

 それでは、それでは御伽噺の、はじまり始まり。


「善綱様……お覚悟を……」


 善綱――そう呼ばれた男は顔面を蒼白に染める。

彼の正妻が出産を迎えて2日、未だ、我が子は産まれていない。

 その事が、焦りと苛立ちを膨らませ、善綱を駆り立てる。

善綱は焦燥に満ちる心を静めようと、月を見上げ祈る、どうか、我が子と妻に平穏が訪れる様にと。


 ――おぎゃあおぎゃあ!


 まさしく祈りが届いたと、産声が聞こえ安堵した。そして、今すぐにでも妻に会い、我が子の顔が見たいと。

父としての欲望が湧き上がった。

 そんな希望に包まれた欲望も、次の瞬間、泡と散る。


「善綱様……」 


 当主の名を呼ぶ、女奴の顔は強張り、絶望の表情を携えている。

その顔を見た善綱は、妻の下へと急いだ。


「律!律!」


 善綱は妻の本名を口にしてしまっていた、只ならぬ気配が屋敷を覆っている。

開け放った部屋の中は、めでたき事とは思えぬ程、重苦しく異様だった。

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