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戦術的バレンタイン

作者: 加上鈴子

2月14日じゃーん。と気づいて思いついて、突発的に仕上げました。

 俺は、バレンタインデーが嫌いだ。などとは一言も言った覚えがないのだが、なぜか彼女の中では俺がバレンタインを嫌っていることになっているらしく、13日の夜になってもカケラもそんな話題が上らなかった。だが自分から話を振ることは、男のコケンに関わるというものだ。意地でも言うもんかと思う一方、俺がバレンタインを嫌っていると思わせる言動を取ったとすれば、それはいつの何だったのだろう……? と、俺は心密かに思い悩む2月を過ごすハメになったのだった。

 こういう時、男は自分が何をして女を怒らせたのかが分かってなくて困る……と、聞いたことがある。でも何にも思いつかないのだ。後から言われれば、なるほどと思う場合もあるが、紳士がごとくドアを開けて欲しかったとか言われても分からないに決まっている。

「そんなわけないでしょ、両手いっぱい荷物もってドアが開けられなくて困ってたのに、それを見ていて気づかないなんて、どうかしてるわよ!」

 と、叱られたのは、いつの話か。

 ああ、まだ先月だった。福袋を買いあさった新年の出来事だ。時のたつのは早い。

 などと思い出しては反省する振りも、今日限りである。今日が終われば、俺は悩みから解放されるのだ。別にチョコなんて、いらないもんね。絶対、くれなんて言わないもんね。

 もらわなければ、来月14日のことも忘れられるわけだから、こんな行事はない方がいいのだ。

「んじゃ行ってくる」

 同棲して2年を越えている。よく越えたものだと思わないでもないが、これは俺の平常心によるところが大きいのではないかと俺は思っている。朝の挨拶、出かけの言葉、ただいま、おやすみ。これらの言葉を欠かさない日常を作ってこそ、2人の関係も揺るぎないものになる。邪魔で余計な行事など、なくてよろしい。

「って、そんなこと言って先輩、本当は欲しいんでしょう~。見え見えですよ」

「見え見えとか言うな、気持ち悪い」

 彼女募集中の後輩は朝から、いいないいなの連発であった。同棲してる彼女さんからは当然、手作りのチョコケーキもらったりとかするんでしょう? いーな、いーなイーナイーナ、

「うるっせぇっつーに!」

 で、つい今朝までの葛藤を吐露してしまった次第だ。

「でもラブラブのくせに、こういう時だけ妙にシャイだなんて、先輩ったら、このこのコノコノ」

「だーっらっ!!」

 イーナ攻撃がコノコノ攻撃に転じたのを見るだに、やっぱり言わなきゃ良かったと後悔するに至るが、出した言葉は戻せない、いっつスピルトミルクである。

「だって、好きな子に告白だなんて、普通は恥ずかしくてできないじゃないですか。それを世間が後押ししてくれるんですよ? 世界中がラブですよ? いつもはシャイな人だって、堂々と好きだって言っちゃっていいなんて、カッコイイじゃないですか」

「お前ちょっとオカシイ」

 カッコイイって表現は、そぐわんだろうが。

「でも世間に流されてるみたいで、流行に乗りたくない、みたいな頑なな人も、たまにはいますもんねぇ~」

 オカシイ呼ばわりされた台詞をガン無視して、後輩は俺をニヤリと睨めつける。コイツを黙らせる最強の言葉を俺は知っているが、あまりに可哀想だから言わないでおいてやる。

 と、俺は言ってしまったのだった。

「お前を黙らせる最強の言葉を俺は知っているが、あまりに可哀想だから言わないでおいてやる」

「……ストレートに言われるよりも傷つきます、それ」

 悔しかったら彼女作れってんだ。

 ――ってな感じの仕事を終えて。違う。仕事は真面目にやりました。彼女より早く出勤して、彼女より遅くにしか帰宅できないぐらいには忙しいのだ。

 もちろん、メールは欠かさない。もうすぐ帰るとメールを打って、だいたい40分後に玄関を開ける計算だ。そうしたら俺は大抵、出来立てのごはんが食べられる。同棲をはじめて2年、一番嬉しいのは、この瞬間かもしれない。

「ただいま~」

 疲れて帰って、玄関を開けた瞬間にふわりと漂う、この香り。

「……?」

 なんかおかしい。

「おい……?」

 低く小さく呟いたものの、

「おかえり~。なにぃ?」

 と、あっかる~く切り替えされたので、俺は「いや」と疑問を引っ込めた。なぜだか訊いてはいけない気がした。

 玄関に充満する匂いが、あまったるい理由だなんて。

 今日の夕飯は何? ぐらいなら訊いてみてもいいかなと思わないでもないが、どうせ5分後には食卓だ。わざわざ訊けば、この甘い香りの根元を気にしていると受け取られてしまう。そうはさせない。会社の女の子がくれた義理チョコの件を話題にするのも、もうちょっと後だ。

「腹へったわー。今日もよく働きました」

 などと、おどけながら靴を脱いでダイニングに入る。なにげなくと見せかけてテーブルを見ると、そこには甘い香りを放つ今日の主役たるはず黒い物体が、存在しないではないか。

「ごめんねー、今日お先に食べちゃった」

 台所から聞こえる彼女の声は、何の布石なのか。

 冷蔵庫に入れたのかなと思うも、香りはリアルタイムで放たれている。残り香じゃない。俺の、すぐ目の前にある。

「待ってね、お味噌汁もってく」

 キッチンからの声を受けて俺は「ああ」と返し、とりあえず戦場を離れてリビングにて部屋着に着替える。だがダイニングと続きになっているリビングにも、これでもかとばかりにヤツの香りが漂っている。潜伏している。ヤツはどこだ。っていうか戦場って。

 自分の思考にツッコミを入れつつダイニングテーブルに戻り、俺は今日のおかずを凝視した。

「……!」

 こ、これか……!!

 思わず声を上げそうになったが、ここは堪えるべきだろうと俺は瞬時に判断した。何しろ敵は、とんでもない擬態を使っていたのだ。やはり俺の、すぐ目の前に黒い物体は存在していたのである。

 ちなみに。

 俺は、甘いもの好きだ。

 辛いものよりというほどではないが、普通に好きだ。彼女と一緒にケーキも食うし、まんじゅうも食べる。もらってきた会社のチョコだって、彼女の許可さえ出れば俺が食うつもりでいる。たぶん出ないが、少なくとも一緒に食うだろう。

 だが、これは。

 目前に鎮座する、この形状には何と応えてよいやら困り果ててしまう。

「はい、どうぞ」

「サンキュ」

 彼女が笑顔で差し出す味噌汁を手にして、椀の中身にも若干ひるみかける。ま、まさかお前もかブルータス……!! とか思うも彼女の手前、平常心、平常心だ。

 きっと、これはサインなのだ。

 何のサインなのかは、推して知るべし。

「いただきまーす」

 と、まるで素知らぬ振りをして、俺はソイツを一口食べる。ニコニコしながら俺を見つめる彼女の様子は貞淑な妻そのもので、今日が普通の日だったなら、何てことない幸せな夕食の一幕だっただろう。

 だが今日は違う。その瞬間の、彼女の顔は一生忘れられそうにない。してやったりとは、このことだろう。ニコニコがニッコーッに変化する。彼女が彼氏を見る目でなく、勝者が敗者を見る目に変わる。高笑いでもしそうだ。

 俺は、この世のものではない料理を口にしたような驚きを表現した。

「おまっ……これ……!」

「んっふっふ~っ! ビックリしたでしょ! 本物のハンバーグだと思った!?」

 もちろん、ここで「そんなわけないだろ」とか言ってはいけない。

 食卓に鎮座ましまして、ほわほわと湯気を上げている黒い物体、ハンバーグの形状を模したフォンダンショコラを前にして、俺は感嘆だか絶叫だか分からない雄叫びを上げた。

「すげ~っ! お前、全然バレンタインの話しなかったじゃん。なのに、こんなハプニングもとい、サプライズ仕掛けてくるなんて……おい、まさか、これも?」

 と言いながら俺は、味噌汁に見せかけてあるホットチョコレートを飲んだ。具が本当のネギと油揚げなのをどうにかして欲しかったが、ここは突っ込んではいけない。

「やるなぁ。思いつきもしなかったよ」

 これは本音だ。てっきり今年はしないものだと思っていた行事に、無理矢理参加させられるとは思ってもいなかった。

「良かったぁ、喜んでくれて。だって去年、手渡しても素っ気なく受け取られただけで、あんまり喜んでもらえなかったから、こういう行事が嫌いなのかなと思って……。でも、あたしは何かやりたかったから」

 ああ、そうか、そういうことか、と合点する。去年は初めてのバレンタインだったから、慣れてなくて、どこまで喜ぶべきかとか何を言うべきかとか来月は何かを返すんだよなとか余計なこと色々と思い悩んでいるうちに、お礼すら簡素になってしまったのだ。

「ごめん。嫌いじゃないよ」

 こんな形で参加させられたことは、案外と悪くない気分である。むしろ、ちょっと楽しかったりして……いや、あえて男らしく認めよう。情けないが、嬉しいものだ。

 俺は玉葱が入っているフォンダンショコラハンバーグを一口食い、葱が入っているホットチョコレートを一口飲んで、口から喉からを全部あまったるくしてから立ち上がり。

 座っている彼女を、背中から抱きしめた。

 彼女が振り返る。見上げてくる目を見つめて、半開きの唇を奪う。甘い味を共有する。いや。チョコ食わなくても充分甘いものかもな。

「好き。ありがとな」

「……あたしも」

 涙目の彼女を、このままテーブルに押し倒して食っちまいたい衝動にかられたが、俺の勢いは彼女の右手に止められたのだった。

「待って、まだご飯が終わってないもん。あったかいうちに食べないと、おいしくないんだよぉ」

 フォンダンショコラだもんな、と、そこは同意する。するが、問題はこれがフォンダンショコラだからという理由ではない。

 しかし彼女は俺の皿を引き寄せて、俺の口へとハンバーグもどきを運ぶので、さすがに拒否れない。

「はい、あーん」

 とか言われて引き下がれる男がいるか! 否!

「あー……」

 俺は微妙な味わいのチョコを食いながら彼女を抱き上げ、その席へと座り、膝に彼女を乗せて、あーんごっこを続ける。これぐらいのオプションつけなきゃ食えるかボケ。

 まあ、ある意味これは罰なのだ。去年、喜びを顔に出せなかったシャイな男よ生まれ変われってこった。おかげで明日は、後輩に偉そうな顔できるし、きっと来年のバレンタインは普通に流行通りのことができるだろう。

 来月のお返しをクリアすれば。

「んふふ、楽しい。こんな機会、滅多にないもんね」

 喜ぶ彼女を眺めつつ、俺は苦悩の日々がもう一ヶ月続くことになった事実に、そっと息をつくのであった。

 心なしか、甘い口中に葱の辛みが広がった。

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[一言] やったー、鈴ちゃんのバレンタイン小説だー \(⌒∇⌒)/ と思ったらチョコの味噌汁か……ぜったいムリだ (ToT)
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