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心配とは自分の欲求を満たすための口実なのではないだろうか
明日、車で九州の知人に会いに行くことにした。
新幹線でいってもいいんだけど、車の方が安上がりだからね。
知人はこう言う。
車でくるの、心配だよ。新幹線にしたら?
心配された。
この心配は何だろう。
私が心配だから、高コストの新幹線で来てほしい。
こういう知人の希望を伝えられただけな気もする。
知人はコストがかかってでも私の心配をなくしてほしい。
こう言われている気もする。
どうしよう。知人の心配をなくしてあげるために新幹線で行こうか?
私の経済的負担を軽減するために車で行こうか?
心配する人のニーズを満たすか、自分のニーズを満たすか。
知人の「心配」によって、この2択になってしまった。
「無事を願っている」
こう言われたら私は自分の選択を最優先にする。
ただ、「心配」と言われたら、相手のニーズを汲み取らざるを得なくなる。
「心配」って本当に相手のための感情なんだろうか。
もしかしたら、自分の欲求を満たすための口実なのではないだろうか。
こんなことを思いながら新幹線の改札を通り抜けた。




