内なる殺意
人はなぜ、人を殺すのか。
欲望か。憎悪か。
いや、違う。
殺意とは、愛だ。
対象を哀れみ、苦しみから救済しようとする慈悲。
自らを傷つけた世界への、歪んだ自己愛。
そして、その瞬間を永遠に保存しようとする執着。
ゆえに、善人面をして電車に乗っている貴様らも、その腹の底には等しく殺意を飼っている。
ただ、その引き金を引く勇気がないだけだ。
恥の多い生涯を送ってきた。
親不孝な人生だ、と自分でも思う。
日本人の父と、中国人の母。
私は二つの国の血が混ざり合う「ハーフ」として生を受けた。
幼少期の私は、ある種の選民思想を持っていた。
「ハーフは優秀である」「特別な存在である」
母もまた、そう言って私を育てた。
ピアノ、水泳、テニス。あらゆる英才教育が、私を「特別」な人間へと仕立て上げるための儀式だった。
だが、その幻想は脆くも崩れ去る。
小学校の教室。
授業で意見を求められた私は、無垢な自信と共に口を開いた。
私が何を言ったかは覚えていない。間違っていたのかもしれない。
だが、返ってきたのは賞賛ではなく、「嘲笑」だった。
ドッ、と沸いた教室の空気。
私を指差し、腹を抱えて笑う同級生たちの顔。
その瞬間、私の中の何かが死んだ。
「お前は特別ではない。ただの異物だ」
そう宣告された気がした。
あれがトラウマとなり、私は表立って声を上げることができなくなった。
喉元まで出かかった言葉を飲み込み、腹の底に澱のように溜めていく。
それが今の「内なる殺意」の正体だ。
母の言った「あなたは特別」という言葉は、根拠のない戯言だった。
鏡を見ればわかる。
そこに映っているのは、特別で優秀な人間ではない。
進路に迷い、社会のレールから脱線した、ただの浪人生だ。
かつての友人たちは、岐阜高校や滝高校といった、いわゆる「名門」へと進んだ。
世間は彼らをエリートと呼ぶ。
だが、私には彼らが「精巧な録音機」にしか見えなかった。
彼らは、教科書に書かれた答えを再生することは得意だ。
しかし、「なぜ?」と問うた瞬間、フリーズしたコンピュータのように沈黙する。
政治の話を振れば、彼らは困惑した顔でこう言う。
「それはテストに出ないから」
この国の中枢を担うはずの彼らの脳内が、これほどまでに空っぽであるという絶望。
それが、私の殺意の原点だ。
満員電車は、地獄の縮図だ。
背を丸めた群衆が、死んだ魚のような目で、手元の発光する板を覗き込んでいる。
Instagram、Twitter。
そこには「他人の幸福」という名の虚像が溢れている。
なぜ、貴様らはわざわざ他人の生活を覗き見て、自分と比較し、自らを卑下するのか?
それは精神的な自傷行為だ。
自分より楽しそうな写真を見て、脳内でドーパミンとコルチゾールを無駄に垂れ流す。
その非生産的なマゾヒズムに、私は吐き気を覚える。
私は見ない。他人の虚像など、私の人生には1ミリも必要ない。
比較することでしか己の価値を測れない人間は、生物として欠陥品だ。
政治に対してもそうだ。
連日のように報道される汚職、裏金、不祥事。
政治家たちは、この国の未来など1ミリも考えていないのかもしれない。
彼らの頭にあるのは、保身と利権だけだ。
地に落ちた信頼。泥沼の国会。
しかし、問いたい。
これは本当に、政治家だけの問題なのだろうか?
真の絶望は、その腐敗に対して「怒り」すら持てなくなった、我々国民の側にある。
「どうせ変わらない」「誰がやっても同じ」
そう言って思考を停止し、関心を捨てた瞬間、我々はこの国の腐敗に加担した共犯者となる。
腐った土壌からは、腐った作物しか育たない。
今の政治家の醜悪さは、政治に無関心な日本国民自身の「心の腐敗」を映し出す鏡でしかないのだ。
日本を腐らせているのは、政治家ではない。
その現状を黙認し続ける、貴様ら国民自身だ。
若者は投票に行かない。権利を放棄し、口を開けて餌を待つだけの家畜になり下がっている。
私は高校時代、逃げた。
「問い」を立てることをやめ、「安定」という名の麻薬を求めた。
理系への進学。
それは、私の本質を殺し、数字と論理の世界に身を隠すための迷彩服だった。
だが、偽りは長くは続かない。
理系としての私は死んだ。本質的に向いていなかったのだ。
だからこそ今、私は浪人という「執行猶予」の中で、六法全書と向き合っている。
これを読んでいるあんたはどうだ?
「人生にリセットボタンがある」とでも思っているのか?
目を覚ませ。ここにあるのは現実だ。
どれだけ待ってもステータス画面は現れないし、レベルアップのファンファーレも鳴らない。
自分がなぜその分野を選び、なぜ生きているのか。
その「問い」から逃げるな。
思考停止したバランス型の人間など、これからの日本には不要だ。
かつて日本人が持っていた、強烈な自我と、狂気にも似た美学。
それを失った今の日本を、私は愛せない。
今、SNSを見れば、安全圏から石を投げるだけの「匿名裁判官」で溢れかえっている。
自分の手を汚さず、他人を叩いて悦に浸る。その醜悪な姿こそが、この国の精神的没落の象徴だ。
私は、そんな社会にトラウマを抱き、理系からも逃げ出した、ただのクズだ。
親不孝で、何者にもなれていない。
誇れるものなど何もない。
だからこそ、この文章を読んでいるあんたたちには、私を「反面教師」にしてほしい。
私のような、言葉を飲み込むだけの人間になるな。
匿名の闇に隠れて人を叩く、卑怯な人間になるな。
思考しろ。問いを立てろ。そして戦え。
かつて私が愛し、誇りに思っていた「気高い日本」を、
取り戻してほしい。




