第10話:第一の犠牲者
雪峰病院の夜は深く、赤い警告灯が不吉な影を伸ばしていた。
氷室アサギはユナを抱え、廊下を慎重に進む。
手の震えは止まらない。
だが、命を守るためには、この手を止めるわけにはいかない。
遠くから、低く呻くような音が響いた。
最初は風の音かと思った。
しかし、廊下を曲がるたびに、音は確実に近づいてくる。
「……誰かいるのか?」
氷室は息をひそめる。
廊下の奥で、モニターが異常な赤色を点滅させた。
そこに映ったのは、病室の扉の前で倒れている医師の姿だった。
血の跡が冷たい床に広がり、かすかな呼吸が確認される。
「……第一の犠牲者……?」
氷室は胸が締め付けられるのを感じた。
震える手を握り直し、ユナを守りながら医師に近づく。
倒れているのは若手の外科医、桐生ミオ。
監査AIの封鎖による異常信号の影響で、心拍が不安定になり、巡回中に倒れたらしい。
医師としてのデータは完全だが、感情値が上昇し、システムが過剰反応した結果だった。
「……こんなところで、死なせられない」
氷室は手の震えを逆に力に変え、桐生のバイタルを確認する。
微細な脈動を手の感覚で読み取り、救命処置を開始する。
手の震えは恐怖ではなく、精密な感覚として命を支えている。
結城セイが背後から声をかける。
「氷室、落ち着け。焦るな。君の手で救える」
その声は冷静だが、背中に確かな温もりを感じさせる。
氷室は深呼吸し、手をさらに繊細に動かす。
監査AIの監視下でも、数字だけでは救えない命を守るために。
桐生の呼吸が安定し、血圧もゆっくりと上昇する。
ユナの小さな手が氷室の腕に触れ、勇気を与えるように握られる。
「……大丈夫、私がいる」
氷室の声が廊下に響き、赤い光の中で確かに生きる力となる。
雪峰病院の封鎖は進行中。
しかし、氷室の手と少女の声、結城の冷静な判断が、最初の犠牲者を救い上げた。
この小さな勝利は、長く続く戦いの序章に過ぎない——。




