「すれ違う現実」
シフトが終わった。
ユイはミニスーパーのドアを閉め、長い息を吐いた。
疲れが消えるわけではないが、それでも一日の終わりを告げるための呼吸だった。
肩にリュックを掛けながら、何を食べようか――早くて安いもの、そう考えていた。
夕方の冷たい空気が頬を打ち、昼の熱が引いた後に漂う濡れたアスファルトの匂いが鼻をかすめる。
角を曲がった、そのとき――彼女がいた。
肩下まで真っ直ぐに伸びた、漆黒の髪。
輝きの奥に不信と哀しみを湛えた緑の瞳。
縁が擦り切れた深緑のコート、寒さをものともしない短いスカート。
そして片肩に掛けた大きくてくたびれたバッグ――まるで持ち物すべてがその中にあるかのようだった。
ユイは迷わず声を掛けた。
「リカ。」
自分でも珍しいほど、あたたかさを帯びた声だった。
リカが足を止める。
ゆっくりと顔を向け、その表情は驚きから安堵へと変わった。
「ユイ……」
疲れを帯びた小さな笑みが唇に浮かぶ。
「また会ったね。」
「もちろん。」
ユイは二歩ほど近づく。
「同じ街ですれ違ったくらいで、挨拶をやめたりしないよ。」
リカは小さく、控えめに笑った。
「ユイって、いつも何かをくれるよね。」
「それって悪いこと?」
ユイは首を傾げた。
「ううん……」
リカは静かに首を振る。
「今の私には、それしかないから……思ってる以上に助かってる。」
短い沈黙。
周囲の街のざわめきが、遠のいたように感じられた。
ユイは擦り切れたコートと、バッグの紐を握るリカの手を見て、ふと口を開いた。
「何か食べに行く? 安いけど、あったかいもの。」
リカは周囲を見回し、何かを計るように考え込む。
そして、完全ではないが、小さな笑みを浮かべた。
「行きたいけど……今日はあまり遠くまで行けないの。本当にごめん。」
「わかった。」
ユイは押しつけがましくならないようにうなずく。
「でも、何か必要なときは言って。ひとりで抱え込むことないよ。」
リカはユイを見つめ、その瞳に別の光を宿した。
「ありがとう、ユイ。……本当に、私をちゃんと見てくれるのはあなただけ。」
その言葉は、リングで受けたどんなストレートよりも胸に響いた。
胸の奥に、不思議な温もりが広がる――まるでその小さな繋がりが、二人を結ぶ目に見えない糸であるかのように。
「またすぐ会おう、リカ。」
「ユイも、気をつけて。」
リカは人混みに紛れ、コートの裾を風に揺らしながら遠ざかっていく。
ユイはしばらくその背を見送ってから歩き出した。
ほとんど交わらない二つの人生。
けれど、その距離は――ほんの少しだけ、近くなっていた。