賽の河原で石積みしてる場合じゃない
ガシャン。
「もう一度だ」
「はい」
積んでは壊され、壊されては積む。この繰り返し。それ以上でもそれ以下でもない、単純作業。
ここは賽の河原。親より先に死んだ親不孝な子供が落ちる、現世で言うところの更生保護施設みたいなところです。
ここに来てもう五年になるので、当初感じていたこの不毛な作業に対する抵抗はかなり減りました。
どうしてこんな場所で、五年などと日付を把握できるのか、疑問に思う方もいるでしょう。もちろん、毎朝朝礼があるわけでもないですし、地獄時間にまで対応している高価な体内時計を有しているわけでもありません。地獄では定期的にメンバーが入れ替えがあって、その周期を一年と定義しているにすぎないのです。
ゴーン。ゴーン。ゴーン。
鐘の音が三度鳴りました。新メンバー紹介の合図です。鬼さんが子供たちを引き連れて私たちの作業場にやって来ました。
「お前たちにはここで石積みをしてもらう。詳しいことはコイツに聞け」
それだけ言って鬼さんは立ち去ったのですが、ほとんどの子がまだ怯えていて、私が口を開くのを待っています。
「みなさんはじめまして。このチームのリーダーのハルナです。今からここで必ず守らなくちゃいけないルールを教えます。大事なことなので、忘れちゃったり聞き逃しちゃったりした人は何度でも聞いてくださいね」
つかみはバッチリ。子供たちの安心が目に見えて分かります。今日から私も頼れるお姉さんキャラの仲間入りです。
「ルールは三つ。一つ目、石を積みなさい。ある程度積み上げたところで鬼さんがそれを壊しちゃうんだけど、それでも積み上げ続けないとだめです。でないと鬼さんに金棒で殴られるので注意しましょう。二つ目、お喋りしてはいけません。ひそひそ声でも、鬼さんにバレると金棒で殴られるので注意しましょう。三つ目、川には決して近づいてはいけません。ちょっとでも近づくと、鬼さんがいっぱい来て、その全員に金棒で殴られるので注意しましょう。説明はこれで終わりだけど何か聞きたいことがある人はいるかな?」
「鬼さんはどこに行ったの?」
「お家に帰ったのかなあ」
「チームはいくつあるんですか?」
「百個くらいかな」
「今は喋ってもいいの?」
「あと五分くらいは大丈夫だよ」
「あれ何?」
「あれは水車っていうの」
「おしっこしたくなったらどうするの?」
「おしっこをしたくならないから大丈夫だよ」
「お腹が空いたら?」
「お腹も空かないから大丈夫だよ」
「へんなの」
「そうだね」
取るに足らない質問ばかりですが、リーダーらしくテキパキと新入りの質問を捌いていると、自分が成長しているのを実感できて気分がいいです。
「ねー、早く石積みしようよー」
「僕も石積みしたい」
「僕も!」
「私も!」
他のチームもそろそろ作業を開始しそうです。頃合いですね。
「そうだね。みんな、石積みを始めたらお喋りはダメだからね」
「はーい!」
「それじゃあ、よーいどん」
作業を開始した直後、一人の女の子が私の傍に来て地面に文字を書き始めました。
「初めましてハルナさん。私はモモ」
彼女はボブカットに着物と、いかにもな出で立ちではあるものの、明らかに西洋混じりの大人びた端正な顔立ちなので、日本人形特有の不気味さは一切感じさせません。むしろ、これこそが真の大和撫子なのだとさえ思えてきました。
そんなことを考えながら見惚れていると、彼女は訝しげな表情を浮かべて
「はじめましてハルナさん。わたしはモモ」
と書き直して見せてきました。どうやら、漢字の読めない子だと思われたようです。
「ごめんなさい。可愛くてつい見蕩れてしまいました。漢字で大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「そう。蕩けていたのが脳でなくて安心したわ。漢字が分からない程の低能はこれからの計画に不要だから」
モモちゃんはなかなかの毒舌家のようです。それにしても、計画?
「計画って何のこと?」
「この地獄から脱するの。文字通り、脱獄よ」
「?」
「だつごくよ」
「漢字が読めなかったわけじゃないよ!」
「あら、それじゃあ何が疑問なの?」
「何が疑問って、ここは地獄よ。私たちはもう死んでいるの。脱獄なんて出来っこないわ」
「そっちこそ、自分がどこにいるのか分かっていないようね」
「どういうこと?」
「いい、私たちがいるのは賽の河原なの」
「モモちゃんって、法隆寺を建てたのは誰でしょうって問題に大工って答えるタイプでしょう」
「そう言うあなたは、今どこにいるのかって質問に日本って答えるタイプね」
その瞬間私の頭には血が猛烈な勢いで集まってきました。普通ならここで我を忘れて大いに喚き散らしてしまうところなのですが、幸運なことに、頭に血が上ったおかげで頭の中がスッキリしてモモちゃんの言いたいことが理解できました。
「三途の川」
「〇」
そうです、ここは賽の河原。つまりそこにある大きな川は、溺れれば生き返ることができるという、三途の川に違いないのです。
「でも三途の川に近付くと、鬼さんがたくさんやってくるよ」
モモちゃんは少し考えて、私に指示を出しました。
「両手に石を持って立って」
私は言われるがままに立ち上がりました。
「腰で一分キープ」
モモちゃんが何をしたいのかは分かりませんが、とりあえず石を腰の高さに持ち上げました。
「へそ」
「みぞおち」
モモちゃんの意図を探りながらも指示通りに石を持ち上げていきました。
「むね」
そろそろ腕が疲れてきましたがモモちゃんの期待に応えるため、一生懸命石を胸の高さで固定していると、私の目の前に突然、鬼さんが二人も出現しました。
私はモモちゃんの狙いを完全に察し、すぐさま回避行動を取ろうとしましたが間に合いませんでした。
鬼さんが振るった金棒は私の腹部を抉り取って行きました。
苦しむ私のことなど気にも留めず二人の鬼さんは一言一句違わず口を揃えていつもの台詞を言いました。
「「もう一度だ」」
「うう」
気が付くと鬼さんの姿は見当たらず、私のお腹も元通りになっていました。
「なるほど。大体わかったわ」
「……」
「どうかした?」
「他に何か言うことは?」
「ご苦労様?」
「ごめんなさいでしょ!」
「あははっ。ごめんなさいね。でもおかげで脱獄の目途が立ったわ」
「ほんとに?」
「ええ。まず、ここでは現世の物理法則が通用すると仮定し、鬼は現象として扱いましょう。約一メートルの高さに二十秒間石があれば、鬼は起こる。多分センサーの様なものがあって、ちょうどあと少しで石を積み終えるってタイミングで鬼が出現するように設定されているんだと思う」
今のでそこまで考えつくだなんて、やっぱりモモちゃんはすごいです。まあ、だからと言って許そうとは思わないんですが。
「力学的エネルギー保存則から考えて、石の得た位置エネルギーを変換したとしても、人のお腹を抉る程の運動エネルギーは得られないわ。なら、鬼を起こすための莫大なエネルギーは一体どこで生み出されているのか」
難しい話になってきました。りきがくてき……ちょっとよく分からないですね。
「ごめん。もうちょっと簡単に」
「携帯電話って充電がないと使えないでしょう。同じように、鬼を起こすにはエネルギーが必要だってこと」
「エネルギーを生み出している装置を壊せば、脱獄できる」
「そういうこと。で、その装置がどこにあるのかだけど」
私たち二人は目を見合わせ、お互いを誘い合う様に三途の川へと視線を運びました。
視線の先にあったのは、川に沿って果てしなく立ち並ぶ無数の水車でした。
水力発電とは何とも日本らしい発電方法ですが、せっかくなら土地の広さも日本らしく控えめにしてほしかったです。これでは水車破壊作戦が実行できません。
「モモちゃん……」
「まあ、現実的じゃないわよね」
せっかくの作戦が台無しになって落ち込んでいると思ったのですが、案外あっさりしています。でも、この無限の水車にどうやって対抗するつもりなのでしょう。
「他に何か考えがあるの?」
「目には目を、歯には歯を、無限には無限よ」
無限には無限?
私たちが無限に使えるものといえば……。
「時間?」
「馬鹿言わないで、時間は有限よ。作戦決行日は次の新入りが来る日」
「どうして?」
「あなた言ってたでしょう。説明の時間は声を出しても鬼は現れないって」
「なるほど。たくさんの鬼を同時に歩かせたり喋らせたりしたから、エネルギー不足になってるんだ」
「多分、川に近付かせないための鬼を出現させるのに全エネルギーを回してるんだと思う。だからそのタイミングに合わせてエネルギーを一気に消費する。そして鬼が出現しなくなったところで、私たちは川へ飛び込むの」
「モモちゃんすごい!」
「これくらい当然よ」
そう言いながらも、モモちゃんは満足気な表情をしています。ドヤ顔のモモちゃんも、すごく可愛いです。
「ってそんな話はいいの。私たちの持つ無限が何か分かった?」
「☓」
「正解は、私たち自身よ」
「☓」
「鈍いわね。ここにいる子供の数は間違いなく水車よりも多い」
「まさか、全員で同時に鬼を起こすの?」
「〇
次に鐘が鳴った時、三十秒間、両手に石を持って真っすぐ腕を上げ続ければ家族に会えるって言いふらすの。そうすればきっとエネルギー不足にさせられるはずだわ」
「モモちゃん……」
「これくらい当然」
「足りないよ」
「え?」
「そんなのじゃ全然足りないよ。やるならもっと徹底的にやらなきゃ」
「何を言って」
「石を持ち上げて二十秒待つよりも、三途の川に近付いた方が効率的に鬼を起こせるでしょ」
「殴られると分かっていて近付こうとする子はいないわ」
ああ、モモちゃんはなんて優しいのでしょう。ますます大好きになりました。
「そこは伝え方次第だよ。任せて、私こういうのは得意だから」
ゴールは私とモモちゃんが二人で脱獄すること。手分けしてそれぞれ逆方向へ進んで行くのが最も効率的だけど、それだと二人一緒に脱獄は無理。
なので私はグループの中で私の次に古株の四人を呼んでこう言いました。
「また家族に会える方法がわかったの。鐘が鳴ってから三分以内にリーダーが水車まで辿り着ければそのグループの子たちは全員お家に帰れるんだって」
――疑惑。歓喜。
「ただ、注意しなきゃいけないことがあるの」
――不安。期待。催促。
「リーダー以外の子は服を脱いで、それに石を出来るだけたくさん詰め込むの。そしたら、川を背にしてそれを一分間、頭より上に持ち上げないといけないの。」
――安堵。期待。焦燥。
「このことを他のグループにも伝えてほしい。このグループの中で一番頭がいい四人にしか頼めないの。お願い、みんなを助けて」
――優越感。使命感。
四人は手分けして、二方向に散っていきました。
こんなものでいいでしょう。多少の粗は見えますが、人は自分の信じたいものを信じる生き物です。
他に心の拠り所もないので信じるしかありません。
ゴーン。ゴーン。ゴーン。
いよいよ脱獄の日です。
「せーの!」
私の一言で、リーダーたちは水車へ向かって駆け出し、子供たちは一斉に袋を持ち上げました。
四人の働きのおかげですね。
これほど大勢の人間が同時に同じ行動を取ったのは、きっと人類史上初めてだと思います。
早速、リーダーが殴られ始めました。現れた鬼の数は十。明らかに過剰防衛ですよね。もちろん、警備が厳重であるのに越したことはないのですが、今回ばかりはそれが裏目に出ます。
十五秒経過。
そろそろですね。
「行こう。モモちゃん」
「そうね」
私はモモちゃんの手を取り、歩き始めました。
二十秒経過。
そこかしこで悲鳴が上がっています。
消し飛び、元に戻る身体。
鬼の合唱。
散らかる血肉。
泣く暇を与えず襲い掛かる金棒。
「血も涙もない……」
「まさしく地獄絵図ね」
「ふふっ」
なんだかとっても楽しいです。
諦めず、一心不乱に水車へと足を運び続けてくれた勇敢なリーダーたちのおかげで、鬼の姿が霞み始めました。
這いつくばる勇者たちを横目に私たちは歩きました。
悠揚迫らぬ態度で歩きました。
お花畑でも散歩しているかの様に。
優雅に。
華麗に。
大胆に。
川へ向かって。