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リズが部屋を出て行ってから少しして、魔法が範囲外になったのか、込められた魔力が尽きたのか、俺は動けるようになった。
それが分かってすぐに、痛みに強ばる身体を叱咤して立ち上がり、リズが踏んだ草の跡を追って森の中に入った。
空の高いところにいた陽が赤く染った頃、足跡が入っていく浅めの洞窟を見つけた。中は無人に見えるが、俺はここにリズがいると知っている。
リズが野宿の時に、いつもこうして不可視の効果を持つ防御壁を展開している事も。
普段は、防御壁を出入りできる存在に俺を含めた状態で、この魔法を展開してくれている事も。
「…………」
浅く見える洞窟の最奥にある石壁に手を付き、転ばないように気をつけながら体重をかけていく。
今回も俺の出入りが許されている防御壁なのかどうかは賭けだった。
だが、俺は賭けに勝った。
「エリック!? ど、どうしてここに……」
冷たい岩壁に背中を預けて座るリズが、突然現れた俺を見て目を見開く。その反応から、俺がこうしてリズの後を追うはずがないと思っていたのが見て取れて胸が締め付けられた。俺の信用がないのか、リズが他人に期待できなくなっているのか、はたまたその両方か。
どれであろうと、今の俺が言いたいことは一つだけだった。
「リズ……無事で、よかった。本当に良かった。
なあ、お願いだから、こうしてひとりで居なくなろうとしないでくれ。怪我してるし、魔力だってまだ回復してないのに、ろくな用意もせずに森に入るなんて自殺行為だ。俺のせいでリズに何かあったらと思うと生きた心地がしなかった」
本当に怖かった。
リズが俺にかけた拘束魔法が解けた時、それが術者の、リズの死が理由なのかもしれないと考えただけで血の気が引いたんだ。
自分がこの森の中でリズに会う前に死ぬかもしれない事よりも、リズの危機に間に合わない方が嫌だと思ったんだ。間に合わないくらいならリズの肉壁になって死にたいとさえ考えた。
リズが俺の前から永遠にいなくなるのは、たとえ想像でも耐えられない。いつからかは分からなくても、もうとっくに俺は手遅れな所まで来てしまっていた。
「そっ、そんなこと、言われたって……」
気まずいのか、しゃがみ込んで頬に手を添える俺から視線を逸らし、蚊の鳴くような声でリズが呟く。
「俺の為を思うなら、俺を置いて行こうとしないでくれ。
俺……リズが好きなんだ」
「う、嘘っ!!」
俺の言葉に驚いたらしいリズが半ば反射で叫んだ。顔は驚愕と困惑と僅かな恐怖で彩られていて、リズにとって俺の感情が未知のものだと物語っている。
「嘘なんかじゃないよ。ベタだけど、こうして一緒に居る内にいつの間にか好きになってた。確信したのは崖から落ちたあの時。失いかけてようやく好きなんだって自覚した。恋かどうかは分かんないけど、リズと離れたくないし一生離れなくていい権利が欲しいって思ってる。
今の俺は、リズにとってきっと足手まとい以外の何ものでもないだろうけど、それでも、どうか一緒にいさせてほしい」
「でも、でも……私、混ざり者で……」
「知ってる。でも、だから何だよ。その髪色も瞳の色も、すごく綺麗なのに。……いや、リズが纏う色だから、俺はその色を綺麗だって思うんだ」
今度こそリズは俯いたまま黙り込んでしまった。洞窟を気まずい沈黙が満たし、遅れてやってきた傷の痛みだとか貧血で目の前がグラグラ揺れる。
今じゃないだろ、とか思ったって体調ばかりはどうしようもなく。暗転する意識の中、慌てたようなリズの声で名前を呼ばれた気がした。
次に目覚めた時には朝日が昇っていて、やっぱり綺麗だなって、隣にいたリズの白い髪が朝日に照らされるのを見て思った。
一晩中こうして隣に居てくれて、随分心配をかけてしまったらしいリズに抱きつかれて、結局それを口に出すことはできなかったけど。
それから、「森の中は危ないから一日でも早く人里を目指そう」と主張する俺と、「エリックのこの怪我で移動する方が危ないから、怪我がある程度良くなるまではこの洞窟を拠点にしよう」と主張するリズで一悶着あった。結局は俺がリズに泣き落とされたのは言うまでもない。
だって考えてみてほしい。
「エリックが心配なの……」って涙声からの涙目で上目遣いとかいう高等テクニックを好きな人にされたんだ。折れない方が失礼だろ。衝動的に抱きしめようとして腕の痛みに呻く羽目になったのは本当に一生の不覚だった。
昼間はリズが食料調達に行くのを泣く泣く見送って、その間に食事の準備だとかを俺がやって、夜にお互いの傷を治療して、というのをひとまず3日続けた。俺がこの森を抜けられるようになるまではまだ半月はかかりそうだが、リズの脇腹の傷の方はだいぶ良くなっている。
しかし、どうしてもリズの傷跡は残ってしまいそうで、遣る瀬無さを感じずにはいられなかった。
俺があの時リズをきちんと庇えていたら、俺の命と引き換えでも、リズに傷は残らなかったかもしれないのに。
3日目の夜、どうにも寝付けなかった俺は、月でも眺めてみようと思って洞窟を出た。
「……あれ、どうしたのエリック?」
しかし、そこには先客がいた。洞窟の中に姿が見えなかったから何となく察していたが、どうやらリズも今日は眠れなかったらしい。
「寝つきが悪かったから、どうせなら夜景でも見ようと思って来たんだ。今日は雲も少なかったし、昨日見えた月からして今日は満月だろうから。
やっぱり、自然の中で見る月は綺麗だよな。そういうリズもお月見?」
「まあ、そんなところ」
言葉少なくそう言ったリズは、こちらを見るのも程々に近場の岩に腰掛けたまま月だけを眺め始めてしまう。
月光に照らされる彼女の肌はいっそう白く儚く見えて、月を眺める横顔の頼りなさに胸が締め付けられるようだった。
「……ねぇリズ」
「なに?」
思わず話しかけた俺を、月光を受けて虹色に輝いて見える黒い瞳は映してくれない。ただひたすらに月を、遠くを、過去を見ている。
「リズの小さい頃って、どんなだった?」
「……べつに、面白い話もないけど。どうして知りたいの?」
ようやくこちらを向いてくれた彼女の顔は、月の光が逆光になっていてよく見えない。
「過去の話にこだわりがあるわけじゃないんだ。ただ、リズの事が知りたくて」
「そう。…………じゃあ、今日から毎日少しだけ、寝る前に話してあげる」
そしたらきっと眠れるでしょ? と悪戯っぽく言ったリズは、声音通りの表情だったのか、俺に知る由は無かった。
ただ、
「じゃ、戻ろっか。横にならないと寝物語とは言えないもんね」
一方的にそう告げ、背を向けて歩き出したリズに何も言えなかった、手を取る事すらできなかった俺が、どうしようもない臆病者だった事だけは確かだった。
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さて、何から話そうか。
私が孤児院に入る前の、実の両親と暮らしていた頃の話がいいかな。だって、寝物語だしね。
面白すぎなくて、胸糞悪くなりすぎることもない話がいいだろうから。
我が家の場合は、母親が魔族で父親が人族だった。
暮らしてたのは、サジュレスの人里から少し離れた森の傍の一軒家。
両親と一緒に過ごせたのはほんの数年でも、家族3人で慎ましく暮らしてた頃は割と普通に生きられてたと思うよ。
私とお母さんはあまり人が居るところに行けなかったけど、森の中で一緒に魔法使って狩りをしたり、薬草を採集したりして遊んで、お父さんがそれを売って生計を立ててた。
家事は基本的にお母さんがしてくれてたんだけど、お父さんの方が料理上手だからご飯の担当はお父さんだったな。
毎月1回は森の中の綺麗な泉のある開けた場所に、家族でピクニックしに行った。
ピクニックの時は、お母さんが荷物を用意してる間、私もお父さんと一緒にサンドイッチ作ってた。
具材とパンの枚数が上手いこと合わなかった時もあって、具材が余ったら凄い分厚いサンドイッチを「これお父さんのね!」って言って作って、具材が足りてなかったらお父さんが即席でシュガーラスクを作ってくれた。
夏場だったら泉で水遊びして、春は泉のほとりに花畑があったから花束を作って、冬はさすがにピクニックはしなかったけど、家の近くで雪だるまとか、かまくらを作って遊んでた。
お母さんは夏に魔法で氷像を作ってくれて、私とお父さんで何の氷像なのか当てっこもした。
生活は楽じゃなかったけど、冬は3人で一つの狭いベッドで身を寄せあって寝たり、家族仲はかなり良くて、私は別に苦じゃなかった。
夜中に目が覚めた時、お父さんがお母さんに「こんな生活しかさせてやれなくてごめんな」って謝ってた事もあったけど、お母さんは「幸せだから平気よ」って楽しそうに返してた。
それから、4歳の誕生日に買ってもらったのがエリックが「買っていいよ」って言ってくれたあの本で、寝る前にお母さんから毎日読み聞かせしてもらった。
そんな思い出の本だったから、孤児院でも見つけた時は本当に嬉しかった。
孤児院で見つけた時に初めてひとりで本を読んだんだけど、読み聞かせで内容を覚えてたから、そのおかげか結構スラスラ読めたし、その後に始めた文字の勉強もそんなに苦労しなくて済んだ。
本を読んで貰った時に「春になったら花冠作ってみようね」ってお母さんと約束もしてたんだけど、結局できなかったんだよね。だから、挿絵と同じ場所でエリックが花冠作ってくれて、すっごく嬉しかったんだ。……ありがとね。
えっと、あとは、何かあったかな……。
…………あれ? エリックってば、もう寝ちゃってる?
まあ、今日は寝物語の初日だから、このくらいでいっか。これから毎日話すんだもんね。
おやすみ、エリック。




