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エリックに素顔を晒したあの日以降、2人きりの時に私がフードと目隠しを身に着けることが減った。
いつ誰が現れるか分からないダンジョン内と、他人の目があるかもしれない宿の中ではまだ目隠しもフードも手放すわけにはいかなかったけど。でも、移動中の野宿では基本着けない。
できれば外してほしい、素顔が見たい、ってエリックが言ったから、そういう時には外したくなった。
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日々は過ぎて、いつの間にか残り3回の予定だったダンジョンでの修行も完遂していて、とうとう国境手前の最後の集落を出発する日になった。
ダンジョンの最後の方では、最初はエリックに預けていた背後の警戒を私が担当することになるくらい、彼の成長は著しかった。
どんな至近距離で戦い始めても、余裕で本来後衛の私が勝てるくらいには実力に開きがあったはずなのに。今では距離を取ってもらった状態で始めても勝率は五分に届かないと思う。
初めて模擬戦で負けた時には思いっきり拗ねて、この旅の中で順調に貯金を始めたエリックからピアスの形に整えられた魔法の補助具を、ご機嫌取りで贈ってもらったこともあった。綺麗な琥珀色の魔石に好みの意匠がされた金具の組み合わせが可愛くて、自分でも驚くくらい簡単に機嫌が治ったのが懐かしい。
そもそも家族以外からのプレゼントが初めてで、泣かなかったのが不思議なくらい嬉しかった。
こうして今までの事を思い返してしまうのも、もうすぐ生まれ育った国から初めて離れるからだろうか。愛着もクソも無いと思ってたけど、17年も住んでたから多少は思うところがあるんだろうか。
そんなことを思いながら、自腹で旅に必要な食料の会計を済ませたエリックに歩み寄って話しかける。
「買い忘れは無い?」
「こういう買い出しももう10回を超えたんだから、さすがに無いって」
なんて何気ない会話をしながら最後の村の中を歩いて、早朝出発のつもりだから宿屋に戻ろうとした。
その時、古本屋のセールと書かれたコーナーに1冊の児童書を見つけて、思わず足を止めてしまう。
「どうかしたのか?」
不思議そうにこちらを見るエリックに、
「なんでもないよ。早く行こ」
と誤魔化そうとするけど、この旅の間で随分と遠慮の無くなったエリックは、こんな分かりやすい態度じゃ誤魔化されてくれなかった。
「嘘つけ、何かはあったんだろ。あの古本屋か? まだ次の予定まで時間あるし、いくらでも寄って行けるだろ? 見て来なよ」
「でも、見たら買いたくなっちゃうかもしれないし、そうなったら荷物になるでしょ?」
せめてもの抵抗でそう言うけど、
「そりゃ何冊も買うなら邪魔になるかもだけど、1冊2冊なら問題ないって。辞書2冊なら勘弁だけど、そうじゃないだろ? 収納袋もまだまだスペースあるし、なんでも言ってみろって」
と、結局押し切られてしまった。
「……で、何が目に止まったんだ?」
ここまで来たら誤魔化せないな、と覚悟を決めて、端の方に立てかけられている色褪せた1冊の児童書を手に取る。
「こ、これだけど……知ってる? 女子向けの挿絵もある児童書で、村にやって来た占い師から言われた正体すら知らない『運命』を探しに、幼なじみの男の子と世界中を旅する女の子の物語」
「……いや、さすがに女子向けの本は知らないな。下に弟が2人いるだけの男家系だから、女子向けの物って家に置いてなかったんだ」
何となく予想していた返答に「やっぱり知らないよね」とだけ返して、パラパラと本のページをめくる。
かなり昔のものだから日に焼けてしまったのか、全体的に挿絵が白黒ではなくセピア調になっている。それでもむしろ趣を感じさせる繊細な挿絵が美しくて、カラーだったらどんなに素敵なんだろうと想像せずにはいられない。
「……あれ、この地名って…………」
私の手元を静かに一緒に覗き込んでいたエリックが、綺麗な花畑で花冠を作っているヒロインの挿絵に差し掛かった時、ふと呟いた。
彼の視線は、挿絵とは逆側のページに印刷されている文章に向いている。
「私も最後にこの本を読んだのは随分前だからあんまり覚えてないんだけど、このお話に出てくる地名とか絶景スポットって、全部実在してるらしいよ。
作者さんと挿絵の担当者さんが現地に赴いて執筆とか挿絵を描いてたって話で、作品の方向性を決めてから完成させて刊行するまでに5年以上かかったって、あとがきに書いてあったはず」
この本があった、王都に移される前に私が最初に保護された孤児院の、もう10年は前の記憶を辿りながらそう話して、エリックが見ている地名を私も本文から探してみる。
「あっ、えっ? こ、これって……!」
そして、ようやく気づいた。
この村から1日もかからない場所に、この挿絵の花畑があるのだと。
「エリック、ちょっと地図出して!」
そう言ってから差し出されたこの辺りの地図をひったくるように受け取って広げ、本の地名と地図上の地名を見比べる。
「一緒、だな」
「うん、うんっ! 凄いよエリック!! 私、今、この本の舞台のすぐ近くにいるんだ!!」
大はしゃぎでエリックの腕を掴みながら飛び跳ねるのを、
「お、おい、目立つからやめろって」
とエリックに窘められてしまう。
でも、そんなんじゃ私の興奮は治まらないで、「ね、この本買っていい!?」と困り顔の彼に迫り続ける。
「分かった、分かったから! 買ってくるからちょっと落ち着け! そんな飛び跳ねてっとフード外れるぞ!?」
フードが外れる、それだけはダメだ。その一言で凍ったように動きを止めた。
そんな私を見下ろすエリックは安心したように溜息を零し、私が固まっている内にと手早く会計を済ませて戻ってくる。
「ほら、1回宿屋に戻ろう」
そう言って差し出された手を握りしめ、ぎこちないながらに誘導されるまま歩いた。
さっきまでの私は、幼少期で唯一の良い思い出とすら言えるこの本を久々に見て、完全に感情のストッパーが外れてしまっていた。まさか、フードの存在を忘れて周囲の注目を集めるくらい盛大にはしゃぐなんて。
歩くにつれて体の強ばりはほぐれてきたが、普段じゃあり得ない事をしてしまったのがショックで落ち込みから回復できない。
「……なあリズ、ユーフォレアで勇者としての使命を果たせって王命だけどさ、『多少時間がかかっても構わんから、道中で十分に備えておくように』とまで言われてたんだから、見張られてる訳でもないし多少寄り道したって問題ないと思わないか?」
俯き気味に腕を引かれる私に気を使ってくれたのか、不意にエリックが話しかけてきた。
「……つまり?」
「さっき見た挿絵の場所に行ってみようぜ、ってこと」
イタズラっ子みたいな笑顔でこちらを見てくるエリック。
「いい、の?」
普段表情が乏しいらしい私だけど、今は目元が隠れていてもはっきり分かるくらいに期待に満ちた表情をしている事だろう。
「もちろん。でも、今日は宿でゆっくり休んで、明日の朝に出発しよう」
「うん! エリック、ありがとう!!」
溢れそうな喜びを抑えたくて、持っている本をぎゅっと抱きしめる。小さい頃に憧れた物語に登場する場所をこの目で見られるなんて、楽しみすぎて今日の夜眠れるか心配なくらいだった。
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「エリック! 早く早く!」
「なあリズ! リズ!! もうちょい落ち着けって! そんなに急がなくても花畑は逃げないぞ!」
挿絵と同じ景色が見たくて朝早くから宿を出て、1晩過ごした村から2時間歩けば着くという挿絵の花畑を目指して森の中を早足で進む。逸る心に釣られるように足取りはどんどん忙しなくなって、最後の方はエリックを置いて行きかけるくらいで、はぐれたり転んだりするといけないから、と手綱のように手を握られてしまった。
「まったく、普段のすまし顔はどうしたんだよ」
からかいと呆れが4対6で混ざったような声色でそう言われて、私の頬が熱を持つ。さすがにはしゃぎ過ぎた自覚はあった。
「し、仕方ないでしょ。文字が読めるようになってから一番読み込んだ大好きな本だったんだから。この本が気に入ってる事をシスターに勘づかれて燃やされちゃってから読んでなかったし、ちょっとはしゃぐくらい許してよね」
それでも私の口から出てくるのは、言い訳じみた事ばかり。エリックが相手だとどうにも感情の制御が上手くいかないのが、本当にもどかしくて仕方ない。
「……仕方ないなぁ」
そう言ってこちらを見つめる瞳は優しくて、気恥ずかしくてそっぽを向くしか出来なくなる。
毎回こうして許されるから、自制心が育ってくれないのが目下の悩み。……なんて、責任転嫁もいいところだ。抑えられないと際限なく増長するタイプだったなんて、自分の事なのにエリックに会って初めて知った。
「あっ、あれか?」
足元に視線を逸らしたままでいると、繋いだ手の先が私を誘導するように歩みを早くする。
慌てて前を向くと、木々の隙間に鮮やかな色彩がチラチラと覗いているのが分かった。
「きっとそうだ! 行こう!」
さっきまでの反省を忘れて、今度は私がエリックの手を引いて走り出す。
あとちょっとの距離がもどかしくて、魔法で私の速度を上げる。なんの断りもなくそうしても、私に速度を合わせて走るエリックはもう息を切らさなくなった。これが長距離だったら、きっと私の方が先にバテてしまうだろう。
「着いたっ!! 〜〜〜っ!!!」
最後の木々の間をくぐって、一面に開けた花畑の色彩に目を焼かれる。森の奥で崖の手前という人が普段立ち入らない場所だからか、花々は隙間なく咲き誇っていて、足を踏み入れるのを躊躇うくらいだった。
「すっげーな、これ……」
私に釣られて立ち止まったエリックの言葉に、ひたすらに頷いて同意を示す。感情の奔流を処理するのに精一杯で、今は発語にまで意識を回せそうになかった。
「リズ、せっかくだし、ここで立ち止まってないで花畑の真ん中まで行ってみないか?」
ほら、と差し出された手をそっと握って、今度は私がエリックに手を引かれながら恐る恐る一歩踏み出す。エリックはその様子を見守るように、私を誘導しようと手を引く腕に力を込めることはなかった。
間引きなどの手入れをされる事がない花畑には足を踏み入れても花を傷つけずに済むような場所はなくて、どうしても花を踏んでしまう事へ罪悪感を感じずにはいられない。それでも少しづつ喜びで昂る心には逆らえなくて、また1歩と足を前に出し続け、とうとう花畑の真ん中までたどり着いた。振り返って、私たちが歩いた場所だけへこんでしまった花の絨毯を見る。
「花を傷つけなくていいように、風を起こさず浮けるような魔法、覚えておけば良かった」
「そんなに気にするなよ。この花畑だって、あちこち野生動物だったり魔物が踏んで行くことくらいあるさ。踏んだからって必ず枯れる訳でもないだろうし、森に自生してるならなおさら、その程度で枯れるほど弱くないだろう。
むしろ、そう思う方が失礼に値するかもしれないぞ?」
茶化すように笑うエリックへ、そうかもね、と笑い返す。
すると、
ぐぅぅー
と音がして、恥ずかしそうにエリックが頬を掻いた。
「じ、実は、朝一番でこれ探してたから、朝飯食べてなくってさ……。昨日見た挿絵の背景にバスケット描いてあったし、せっかくだからと思って買ったんだ。ここで一緒に食べないか?」
「うん!! エリック、ありがとう!!」
その言葉と共に収納袋から取り出されたのは、冒険者向けの出店が並ぶ通りで売られていた軽食セット。奇しくもそれには、本文に書かれていた地域の特産品を使った料理も詰められていた。
偶然の一致はもちろん、エリックが私を喜ばせようとしてくれたこと自体がとても嬉しかったから、私は一も二もなく満面の笑みで頷いた。




