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集落を出た日、俺は初めて王太子妃殿下にお目通りした。
馬車に乗り換えてから少しして、おやつ時になったので休憩しよう、と開けた場所で椅子と机を用意し、殿下方のアフタヌーンティーの用意をしていた頃だった。
「エリック!」
と、王太子殿下が俺を呼ぶ声が聞こえた。
「ティーナ、彼が我が国出身の勇者だよ。名前はエリックで、これからの旅路の護衛をしてもらうから、顔を覚えておいてね」
王太子妃殿下の隣に座っていらっしゃる王太子殿下が俺を指して言い、俺はそれに合わせてお辞儀する。
「勇者エリック様、ですね。これからどうかよろしくお願いしますね」
妃殿下から優しげな声で語りかけられ、「はっ」と短く答えた。
本来ならもう少し言葉で忠誠を示すべきだったかもしれないが、短期間ながら妃殿下に向けられる王太子殿下の寵愛の深さは分かったつもりでいるので、後で睨まれたくないという思いが強かった。
この判断は正解だったようで、視界の端で満足そうに少しだけ目を細めた王太子殿下が見え、
「それでだけど、改めてそちらの彼女を紹介してくれるかい? 君に近い人の事はちゃんと知っておきたいんだ」
「紹介ね、分かったわ」
と、話題が転換した。
「そちらの彼女」とは、あの集落で最も多い髪と瞳の色をした──つまりは混ざり者の少女の事だった。妃殿下の真横に張り付くようにして立ち、妃殿下に近づく者全て、それこそ王太子殿下さえ鋭い視線で威嚇している。
髪も瞳もほとんど同じ色だから、俺に混ざり者だと知られた時のリズの様子を思い出してほっこりしてしまう。あの時のリズ、毛を逆立ててる猫みたいで最高に可愛かったな。
緩みたがる表情筋を強引に気力で押さえつけながら回想していたら、妃殿下が話し始めていた。
「彼女の名前はミシェル。前に1度話したように、川岸に漂着していた私を保護して、更には2週間近く面倒まで見てくれた大恩人なの」
「そっか。ミシェル、ティーナが世話になったね。これからも、彼女のことをよろしくね」
妃殿下に向けるものとはまた違った、繕われた美しさを感じる笑顔で王太子殿下は言い、
「言われるまでもありません」
間髪入れずにミシェルという少女がそう返す。下手したら不敬罪だとかで罰されてもおかしくない慇懃無礼な態度だったが、どうやら妃殿下と一緒に居られてご機嫌な今の王太子殿下はそんな事で怒ったりしないようだ。
俺がまだ王太子殿下について知っていることが少ないから断言は難しいが、そもそも無礼な物言い程度で怒るような人では無い可能性もある。
「忠誠が厚いのは良い事だ。私や男の護衛が立ち入れない場所でのティーナの警護は、女騎士の他に君も頼りにさせてもらおう」
俺の立てた仮説を肯定するように、一見にこやかな表情はそのままで王太子殿下が語り始めた。
「でも、こうして目上の人間に正しい言葉遣いができないのは、君を連れているティーナの教育不足という事になるんだ。ティーナに迷惑をかけたり、ティーナの名誉に泥を塗ったりしたくないなら、そこら辺は真っ先に覚えるように。……良いね?」
「分かっ……分か、りました」
やや不服そうに、でも強い意志を感じさせる声で彼女は返事をして、
「クリス様のためなら、私はなんだってしてみせます」
と愛しげに妃殿下へ向けて言った。
「ミシェル……」
少し複雑そうにしながらも、妃殿下は嬉しそうに微笑まれた。
対する王太子殿下は「『クリス様』じゃなくてだな……」とぶつくさ言いながら妃殿下方に嫉妬の籠った瞳を向けている。
……そろそろ、俺はここから立ち去っていいだろうか。
完全に空気になりながらそう思っていると、思い出したかのように王太子殿下が仰った。
「ああそうだエリック、お前は魔法を使った戦闘もできたな? この道中で彼女に簡単な戦闘の手ほどきをしてやってくれ。ティーナを守ってもらう為にも、いざという時に咄嗟に動けるようになってもらいたいからな。
ここから東にいくらか進めば開けた場所に出る。早速今から頼んだ」
「はっ」
少々驚いたが、譲位の為に妃殿下を置いて帰国した時の護衛を増やしたいのだろうと思えば納得できたので、素直に命令を承る。
「では、失礼いたします」
そして、2人で頭を下げて御前から離れ、王太子殿下の仰った『開けた場所』に向かうのだった。
「女の子に戦闘の手ほどきなんて!」と抗議なさっている妃殿下の機嫌は、王太子殿下に頑張ってとってもらおう。
いくらか歩いて、休憩中の隊列からそれほど離れていない草原に、2人でぎこちなく向き合う。
「……えっと、ミシェル、さん?」
「はい」
「早速ですけど、今から動けそうですか? 『いざという時に咄嗟に動けるように』との事なので、侍女服のままでやろうと思うんですけど……替えとかって」
「侍女服は何着か予備を戴いているので大丈夫です。エリックさん、これから宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします。
じゃあ……まずは、体を慣らすためにも準備運動から」
こうして、俺とミシェルさんの特訓が始まった。
特訓と言っても、求められているのは『護衛』なのだから、反撃より防御重視のメニューにしている。
例えば、最小限の魔力消費でバリアを的確に展開できるようにできるように、俺が投げた石がミシェルさんの背後の木に当たらないように守ったり。
それに慣れてきたら、バリアを展開する合間に魔法で反撃してもらったり。
動きながらでも魔法が使えるように、体力作りを兼ねて走りつつ俺が打ち込む魔力弾を属性相性まで考えて相殺してもらったり。
遠距離で攻撃を仕掛けられた時を想定しての訓練が終わってからは、俺が直接斬りかかって近距離攻撃の時の訓練もした。
そんなこんなで日々は過ぎ、ミシェルが他の侍女から教わっているという敬語を完璧にマスターして、逆に俺がミシェルに敬語を使わないで呼び捨てにするくらいには打ち解けた頃、ようやくユーフォレアの王城に到着したのだった。
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「ごめんねティーナ。できるだけ急いで用事を終わらせて迎えに来るから、どうか待っててくれる?」
「ローレンス様……。私、ずっとローレンス様をお待ちしております。ですからどうか、どうかご無事で……」
隣国の王都に着いてから3日目の朝。
今日が譲位の為にサジュレスへ出発する日だったのだが、その事をついさっき知らされたらしい妃殿下とローレンス王太子殿下のやり取りは、かれこれもう数分も続いている。
両者、外見が整っているのもあって、観劇でもしている気分だ。
本当に劇だとしたら、起承転結の転の部分が今だろう。想い合う2人が祖国の国王という恋路の障害を取り除くために、不本意ながら一時的に行動を別にする。
喜劇なら、ヒーローのピンチに今度はヒロインが駆けつけることで譲位を成功させてハッピーエンド。悲劇なら、これが2人の今生の別れで、譲位に失敗したヒーローを待ち続けるヒロインの描写でバッドエンド。こんなところか。
まあ、どうも腹黒いらしいこの王太子殿下が貴族や教会の傀儡に甘んじている現国王陛下やその背後の奴らにやり込められる未来は全くもってイメージできないから、多分見せ場らしいものもなくあっさりハッピーエンドになるだろう。
俺の存在さえ、既に確実になっている未来の飾り付けとして集められたパーツに過ぎない。
だから、もうそろそろ終わってくれないか、この茶番。とっとと行って、とっとと終わらせて、とっとと迎えに来れば良いだけなんだから。
………………ああ、リズに会いたい。妃殿下とイチャつける王太子殿下が羨ましい。
譲位が終わるまでは計画の部品としての仕事は果たしてみせるから、拉致されたせいで宿に置き去りにするしか出来なかったリズを、一日でも早く迎えに行かせてほしい。俺はリズと一緒にいる権利を捨てようとなんてしていないんだと直接弁明したい。
拉致された日も含めて、もう3回も満月が終わっているというのに。
この王城までの道中で立ち寄った町で、急に帰らなくなった事情を書き連ねた手紙をあの時に部屋を借りていた宿へ宛てて出したけど、リズがきちんと受け取ってくれたのかさえ定かじゃないんだ。
俺が悶々としているうちに、別れの挨拶はどうやら無事に終わったらしい。
「勇者様、行きましょう」
と王太子殿下の付き人に声をかけられ、俺は王太子殿下が駆る馬の警護についた。
道中は、「最短で終わらせて戻るぞ」という王太子殿下の宣言通りの強行軍で、末端の兵士はかなり辛そうだつた、とだけ言っておこう。ケロッとしている王太子殿下と俺が異常なんだ。
……いや、守られる側であるローレンス殿下が体力勝負の兵士以上に平然としていられる理由が1番の謎だった。愛妻パワーという事だろうか。
それから祖国サジュレスに到着した後、俺は王太子殿下の隣に立っているだけの飾りになっているだけで、いつの間にか全てが片付いていた。スムーズすぎる譲位に驚く暇さえ無かった。
教会との癒着はまだ解消し終わっていないらしいが、サジュレスにとって毒にしかならない貴族たちの左遷やら処罰やらは一瞬で終わってしまった。
そうしてユーフォレアに妃殿下を迎えに戻って、サジュレスで新王誕生のパレードをしたのは、ユーフォレアに妃殿下を残して王太子殿下がサジュレスへと旅立ってから、たったの半年後だった。譲位やら事後処理やらより、一往復半という移動期間の合計日数の方が多分長かった。
ミシェル曰く、ユーフォレアに残った妃殿下の周りでは、妃殿下の人柄や整った外見に惹かれたユーフォレアの第2王子が一悶着起こしていたらしいが、それは部外者の俺にとってはあずかり知らぬことだ。
ただ、俺との訓練が活きた場面があったらしく、そのお礼にとユーフォレア出立の前にミシェルから疲労回復に良いらしいハーブティーを淹れてもらった。




