12
卒業式の翌々月。
周囲と、特にローレンスに急かされるようにして結婚式を挙げた後、幸せの絶頂ながら王太子夫妻として始まった政務に慣れるべく、蜜月そっちのけで仕事に精を出していたある昼下がりの事。
「……あんの、クソ親父めっ!!」
「王太子殿下、お気持ちも分かりますが……ここは人目もありますから、そのような発言はいけません」
「うるさいっ! 下手に権力がある人間が無能だと下が困る事になるんだ! こうなったら早々に譲位してもらって優秀な人材を自分で集めた方がよっぽどマシだ!!」
本来なら国王がするべき仕事さえも押し付けられ、優秀な人間も一人では限界があるのだと思い知らされつつ大量の書類に追われる日々の中で、愛しの妻不足に陥った王太子、ローレンスの我慢がついに限界を迎えた。
「優秀な人材……例えば、そこのお前とかな」
ギロリ、とやや血走った目でローレンスに睨みつけられたのは、現宰相の息子であり、王太子の補佐官でもある元同級生の青年だった。
「譲位に関しましては我が父共々賛成したい思いではありますが、それと今以上の仕事量に追われるのはまた別の話でしょう。少なくとも、私は嫌ですよ」
今でさえなかなか安定した休日がいただけないというのに、と愚痴るその青年は、ローレンスの睨みをものともしていない。
「ああもう、優秀すぎるのも本当に考えものだ。傀儡政治をできる限り長く続けたい大量の腐れ貴族共から譲位の賛同が得られない上に、父本人が私から無能の烙印を押されて追放されるのを恐れていて、いざ譲位してもらおうにも一切そのきっかけとなる議会の開催が許可されない」
「いっそ、今の国王がいかに無能なのかを知らしめられたなら、譲位反対派の貴族たちも多少心を入れ替えてくれるかもしれませんけれど。いかんせんその隙に周辺国から侵攻でもされたら、それこそ国家存続の危機ですからね」
「本当にその通りだ。……あ、いや、しかし…………」
ふと、何かを思いついたらしいローレンスが難しい顔をして黙り込む。
やがて、イタズラが成功した子どものような、輝かんばかりの笑顔を浮かべて言った。
「決めたぞ! 私はクリスティーナと新婚旅行に行かせてもらう!!」
ーーーーー
「ティーナ、新婚旅行に行こう!!」
夫であるローレンスが急にそう言い出した時は、お互いの仕事量から現実逃避半分で願望を口にしているのかと思っていた。
しかしその想像に反して、彼は本気だったらしい。
定例議会で強引に3ヶ月近い休みを取り付け、隣国への視察も兼ねた公務として新婚旅行を国王に認めさせたというのだ。
そんなわけで私は今、愛しの夫と同じ馬車に乗って国境へ向かう旅路を進んでいた。
仕事の忙しさと旅行の準備もあって、久々にこうして落ち着いて2人きりになれたのが嬉しかったのか、ローレンスは私の隣に座って常に私のどこかしらに触れたまま一切離れようとしない。
それがあまりにも執拗くて、この馬車の旅があと一週間以上続くと思うと窮屈で……つい、森の中での休憩の時に護衛たちすらも振り切って、近場でちょっとした探検に出てしまった。
お忍びでローレンスと城下町デートをした時の技術がこんなところでも役立つなんて、身につけた当初は思ってもみなかった。
でも、その浅はかで軽卒すぎる行動は、やっぱり間違っていたようで。
「はぁっ、はぁっ、……っあ!?」
どうやら私を狙っていたらしい武装集団に追われ、逃げている内に森の奥に入り、濡れていた土に足を取られて転んだどころかそのまま斜面を転がって、最後は川の中へと落ちてしまった。
「……あ、目が覚めたんですね、良かった。もう丸1日は寝たままだったんですよ。私の声が聞こえますか?」
妙に硬い布団で目覚めたかと思うと、ほんの少し離れた場所に星の輝きを集めたような白を見つけた。
次いで、その白の中にある神秘的な黒い瞳と目が合う。
「あな、た……は?」
想像以上に掠れた声が、私の口から出ていた。丸1日寝たままだと言っていたのは本当らしい。
「私はミシェルです。昨日の昼間に近くの川へ洗濯と水汲みをしに行って、流れ着いている貴女を見つけました。貴女のお名前は?」
「私はクリス……、クリスよ。助けてくれてありがとう」
本名は教えない事にした。私は狙われて死にかけたばかりなのだから、恩人であろうと不用意に身柄を特定できるような情報を教える気になれなかった。
「クリス、ですか。……クリスは変わった人ですね。この髪色も目の色も見えているのに、私にお礼を言うなんて」
「……? それってどういうことなの?」
「いえ……分からないならいいです。やっぱりクリスは、私たちみたいな存在を見ないで済むような偉い人なんですね」
急に確信したような口振りでそう言われて、一気に体が強ばった。
「ああ、ごめんなさい。別に詮索しようって訳じゃないので、そんなに警戒しないでください。
貴女を助けた時に、私、濡れた服を着たままでは風邪をひいてしまうと思ってドレスを脱がせたんです。そのドレスが、すごく肌触りの良い布を使っていたので、服の1着にそれだけお金をかけられる人なんだろうなって思っていただけですから」
「そ、そう……なの?」
「ええ、もちろん。
それで、体の調子はどうですか? さっきおでこで測った限りでは熱はなかったと思いますが」
「これから急に発熱する可能性も捨てきれないけど、今のところ大丈夫だと思うわ」
何でもないように話を変えられたので、素直にその問いに答えた。
「そうですか。でも、足首を挫いているようなので、暫くは安静にしていた方がいいですよ」
「そ、そうなのね。分かったわ。重ね重ねありがとう」
自分でも気づいていなかったが、確かに足首を固定するように包帯が巻かれている。
見ず知らずの女なんて適当に放置しても良かっただろうに、こうして怪我の手当まで丁寧にやってくれるだなんて、良い人に見つけてもらえて本当に良かったと心から思った。
「ミシェル! 洗濯物たたみ終わったわ!」
ミシェルに世話になって数日。
結局あの後に熱は出なかったものの、まともに動けないのが不便だし暇だしで、私は恩返しと称してミシェルの家事を手伝い始めていた。
一刻も早くローレンスの元に帰りたいと思っても、全治2週間と言われてしまったこの足では遠出なんてとてもできない。
目覚めた翌日に、ここが隣国側の国境の近くにある小さな名も無き里であるとミシェルから教えられていた。
それは私が最後にローレンスと一緒にいたあの休憩場所からかなり離れていて、貴族子女の足ではひと月かかってもおかしくないくらいに遠い。いっそこの里にとどまって、迎えが来るのを待つ方が早いと確信できるくらいには。
幸いにも私が流された川の下流にこの里があるので、川を辿るようにして探して貰えたならこの足が良くなる頃には迎えが来ていても本当におかしくは無いのだ。
「ありがとうございます、クリス。これから夕食を作るつもりなんですけど、何が食べたいですか?」
私がたたみ終わった衣類を回収に来たミシェルが聞いてくる。
「うーん、そうねぇ……。じゃあ私、今日はお肉が食べたいわ!」
ミシェルはとても料理上手で、森の中で採集しただけの品種改良すらされていない食材を使う割に、王城の料理長に負けず劣らずの食事作ってくれる。
苦手な山菜が使われていてもペロッと食べられてしまうくらいには美味しい。
……ただ、ずっと魚か山菜ばかりで、少しだけ飽きてしまった。居候の身分でして良いお願いじゃないだろうけども、もうこの衝動を我慢し続けられなかった。
ミシェルの腕前で料理された肉は、さぞ美味しいのだろう。そんな期待もあっての要求だった。
「お肉、ですか……」
しかし、私の要求を聞いたミシェルの顔は暗い。
もしや、してはいけない願いだったろうかと思って、慌てて撤回しようとする、が。
「……いえ、分かりました。お肉料理ですね。じゃあ材料買ってきますから、少し留守番おねがいします」
くるりと背を向けられたかと思うと、足早に私の使わせてもらっている部屋から出て行ってしまった。
「ミシェル……何か、あるのかしら」
胸に過ぎった一抹の不安を、当たらないでくれと一人で祈った。
だが、こういう当たってほしくない予感ほど、当たってしまうのが世界の理であるらしい。
「……遅いわ。この家が里の外れにあるからって、いくらなんでもお肉をちょこっと買いに行ったにしては時間がかかりすぎてる」
という事で、ミシェルお手製の杖をつきながら迎えに行くことにした。
「どうしてお前の畑だけ枯れてないんだよ!!」
「里の大半の作物がダメになったのは、お前が余所者なんかを連れてきたせいに決まってる!!」
「なんで余所者なんて拾ったんだ!! この里が外部に知られたら、俺たちみんな死ぬんだぞ!?」
「……っミシェル!!」
ミシェルと同じ髪や瞳の色をした男たちが、寄って集ってミシェルを責めていた。
一人小さくなってその責めをやり過ごしているミシェルを見て、私はたまらず飛び出してしまった。
「……チッ、二度と顔見せるんじゃねぇぞ!」
私の姿を見た男たちは、口々に捨て台詞を吐いて立ち去って行く。
「く、クリス……どうしてここに」
「ミシェルがあまりに遅いから、心配になって来てみたの。ミシェル、大丈夫? 怪我は無い?」
「は、はい。……あの、心配かけてすみません」
「どうしてミシェルが謝るの!? あんな風に責められるような悪い事なんて何もしてないでしょう!?」
叫ぶように訴えながら、俯いてしまっているミシェルを抱きしめる。頼れるお姉さんのようだったミシェルがこんな風に暗い表情をしているのが耐えられなかった。
「クリ、ス……っわたし、わたしっ……!」
堰が切れたように泣きだしたミシェルが、私に縋りついてくる。
私はミシェルを宥めるように、泣き止むまでその背中をそっとさすり続けた。
帰り道で話を聞いてみたところ、そもそもミシェルは閉鎖的なこの里で肩身の狭い思いをしながら暮らしていたと言う。そこに私のような外部の人間を保護したのが知られて、尚更距離を置かれるようになったのだとか。
それからタイミングの悪い事に、私が保護された頃から里の畑に植えた作物が枯れ始めた。分かりやすい変化の種がこうして目の前にあるものだから、ある種必然のように、里の人々は家から中々出られない私ではなく私を保護して家に置いているミシェルを攻撃するようになった。
具体的には、「余所者をお前が里に迎え入れたからこんな事になったんだ」とか、「お前のせいで俺たちは餓死するんだ」みたいな事を言って詰め寄られるらしい。さっき私が見てしまったように。
「私のような人と魔族の混ざり者を受け入れてくれるのは、ユーフォレアではこのような隠れ里くらいしかないんです。この里の外で混ざり者だと知られたら、きっと殺されてしまう。人間の国であっても、私たち混ざり者は受け入れて貰えません」
こんな里にずっと居る理由があるのか、と聞いた私へのミシェルの返答がこれだった。
恥ずかしながら私は、王太子妃という立場にありながらも混ざり者と呼ばれる人々の存在を知らなかった。我が国で彼らが迫害されている事も。
「っでも、そんなのおかしいわよ! 生まれなんて誰も選べないのに、混ざり者だからってだけで受け入れて貰えないとか、あまつさえ、こっ、殺されるなんて!!」
「そう言ってくれるクリスみたいな人ばっかりだったらきっと、こんな里は要らないんでしょうけどね。……残念ながら、これが現実なんです」
そう言うミシェルの表情は、里の人々に詰め寄られていた時よりも暗かった。無理に浮かべられた笑みが痛々しく思えて仕方なかった。
「そんな現実、私が変えてみせるわっ!! ミシェルの居場所を作ってあげる!!」
だから、衝動的にそう言っていた。
目を丸くして驚いているミシェルの肩に手を置いて、
「まずはこの里の中からよ! 作物が枯れた原因を突き止めて、悪いのは私たちじゃないって証明してやりましょう!!」
そう、力強く宣言した。




