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雪桜の華冠  作者: null
一部 二章 幻想の数日間
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幻想の数日間.3

慰めの言葉を貰っても、本当に欲しかったのは『それ』じゃない。

そんなご経験、みなさんもありますか?


欲しかったものが誰からも与えられないなら、みなさんはどうしますか?

 フルールが再びスノウのいるリアズール領へと帰って来たとき、その両肩にはすさまじく重苦しい何かがのしかかっていた。


 それは、目には見えないものだ。だというのに、異様に重く、今にもフルールの心を押し潰してしまいそうだった。


 領民に対するシェイムの残虐な仕打ちを見た後、父の元へと向かったフルールは、彼の口からシェイムが早めに家督を継ぐことが決まったことを聞かされた。それについて理由を聞いても、父はもう決まったことだと頑なに説明を拒むばかりで、ろくに何も話してはくれなかった。


 シェイムが領民を焼き殺したことを伝えたときには、さすがに苦い顔をしたものだが、それが異種族だと聞くと途端に興味を失ったようにあしらわれてしまった。


 スノウと良好な関係を結び、リアズールとの交流の礎を築いたことだけは賞賛されたが、そんなものに一ミリたりとも価値は感じられなかった。当たり前だ、使える道具として褒められても、嬉しくもなんともない。


 そして…、父は自分をリアズール家預かりの身にすることを告げた。つまり、もう家にお前の居場所はないと宣告を受けたのだ。


 驚きの連続に、フルールはとうとう考えることをやめた。あるがままを受け入れ、そばにある幸せを享受することが一番良いのだ。その幸せの足元に、どんな惨たらしい花が咲いていようとも…。


 初めはリアズール家の邸宅に一緒に住むのかと思っていたが、スプラートは所領の端のほう、森の中にわざわざ別の住まいを用意していた。それだけ二人を遠のけたかったのだろう。


 出立は、星も眠るような夜更けに行われた。スノウがそれを望んだのだ。


 彼女が嫌ったのは、光差す道か、それとも、己の家族と顔を合わせることか…。考えたくもなかった。


 最後の最後まで、一家は誰一人として顔を出さず、見送りもしなかった。たった一人、スノウの妹だけがフルールのいない間に声をかけたらしいが、彼女とはこの数週間で一度も会っていないため不思議に思った。


 荷物はすでに必要な分をメイドらが運んでいたため、世界の変わる月夜歩きはとても身軽なものとなった。


 一歩後ろに離れ、スノウが付いて来ている。彼女は一言も発さない。暗い沈黙だった。


 鬱蒼と茂る木々の隙間をたった二人だけで歩く。それはどこか、遠い街へと旅に出ることを彷彿させた。


 それをそのままスノウに伝えると、彼女は暗闇の中、「それも悪くないですね、フルール様」とほんの少しだけ口元を歪めて告げた。


 「あー、あのさ…そのフルール様っての、どうしてもやめられないの?」

「え?」と驚いたふうに声を上げるスノウ。驚きたいのはこちらだ。


「ヴェルメリオ家の娘なんかが、リアズール家のご息女に“様”付けで呼ばせてるなんてみんなが知ったら、大騒動になるよ」

「そ、そうなのですか?」

「うん」

「すみません、考えもしませんでした…」

「…まぁ、そういうところに私は救われるんだけどね…」


 スノウと会ってほぼ一ヶ月あまりが経っているが、本当に想像していた以上に堂々とした人間なのだと知った。


 スノウは人目を避けて部屋に閉じこもったのではない。ただ、スノウのほうが世界を見限ったのだ。そうフルールは確信していた。


 とはいえ、一人でいるときのスノウはよく俯いていた。砂の隙間に、水たまりに映る空に、草木の裏に、木目の床に、彼女を誘う何かがあるのかもしれない。


 もちろん、フルールはスノウがそうした陰鬱な雰囲気をまとっても毛嫌いすることはなかあった。


 これがスノウなのだ。何の問題があるだろうか。スノウの本質がそうではないとしても、それを歪めたのは環境だ。歪みを是正する必要があると言うのなら、それは時間と、この森がしてくれることだろう。自分だってその手伝いはするつもりだ。


 穏やかな道だった。静謐で満ちた空間を、青く幻想的な月光に照らされながら歩く、追い出されるような形さえ取っていなければ、本当に素晴らしい始まりだった。


 不意に、スノウが口を開いた。


「あの、フルール様…」人の話を聞いていなかったのかとも思ったが、フルールは苦笑と共に返事をした。「なぁに?」


「…大丈夫でしょうか?」

「え、何の話?これから先のこと?」

「いえ、そうではなくて…」


 ぴたりと、スノウが足を止める。それにつられてフルールも足を止めて振り返る。


 「ヴェルメリオ領から戻って来られてから、フルール様、とても元気がないように見えます」

「え?そう?」


 誤魔化そうと思い曖昧に微笑んだが、珍しくスノウが真っ直ぐこちらを見つめていたので、驚いて、ぎこちない表情になってしまった。


 極寒の青を思わせる、貫くような青い瞳。ブリザに似て意志の強さも感じられる。


 (…私が思っている以上に、スノウも人のことをよく見ているな)


 誤魔化しは不要だ、どうせもう、スノウも確信を持って発言している。


 フルールはスノウのほうへと引き返した。それを見て、スノウも不安そうに俯き、自分の手を自分で握ったが、やはり、ある種の気高さをもって視線を上げた。


 真正面に立って、スノウを見つめる。


 どこから話そう。いや、どこまで話そう。


 軽蔑を恐れて、フルールの口は重くなった。同類にまで蔑まれ、見捨てられたら、自分は本当にどうにかなりそうだと考えた。


 だが…やがてフルールは内心で薄く笑った。


 (私もスノウも、互いに軽蔑し合えるほど立派な人間じゃないか…)


 フルールは、そうやって自分とスノウを貶めるようにして話の口火を切る。


 話したのは、妹のシェイムが領民を目の前で焼殺したことだ。父も、異種族だと知るや否や興味を失ったこと、そして何より、自分はその場にいながらも、見殺しにしてしまったことを伝えた。


 フルールの話を聞きながら、スノウは酷く顔を歪めていたのだが、フルールが遅れながらも火を消そうと飛び出したことを聞いて、ほっとしたように安堵の吐息を洩らした。


 「お、恐ろしい話ですね」

「うん、私も怖かったし、驚いたよ。シェイムがあんなことをするなんて考えもしなかった。お父様も…まさか、異種族ならよしとするなんて…」

「…ですが、それも今の統一国家であれば、ありふれた話だと思います」

「え?」フルールは目を丸くする。「まさか、リアズール領でも同じようなことが?」

「はい」


 リアズール領の異種族と言えば、魔法ではないが、魔法に近い仕組みで足を尾ひれに変えられる人魚族だ。エルフと同じで美男美女が多いことで有名な一族だが…。


 フルールが先を促すようにスノウを見つめると、彼女はすっと視線を逸らして、「聞かないほうがいいと思います」と表情を暗くした。


「教えて、聞きたいんだ」理由は分からなかったが、フルールは聞かなければならないと思った。


 異種族が徹底的に虐げられるようになったのは、元を正せば祖父が参加した反乱に原因がある。その系譜を継ぐ者としてそう考えたのか、それとも、怖いもの見たさか…。


 スノウはしばらく逡巡するように視線を虚空へとさまよわせていたが、ややあって、重々しく恐るべき惨状を語るための扉を開いた。


 「…人魚の肉に、不老不死の効能があるという迷信をご存知ですか?」


その一つの問いかけだけで、フルールはスノウの言いたいことが分かった。


「…嘘、でしょ」

「本当です」とぼやいてから、スノウが再び歩き出した。「もちろん、そんなものに実際の効能がないことぐらいはみんな知っています。――所詮、健康食品と同じなのです。『何か体に良いらしい』…ただそれだけの理由で、人魚を誘拐する者、売りさばく者、そして、人魚の体を解体する者がこのリアズールの闇に潜んでいます」


 語るべきことがあるときのスノウは饒舌だ。これだけで、彼女の頭の良さが窺える。


 フルールは、スノウの言葉を聞いて周囲の森と、その奥で渦巻く闇を見つめた。途端に悪寒が走り、剣の柄に手を伸ばしたくなった。


 「…誰もが、人魚族の現状など見て見ぬフリです。だから、どうか落ち込まないで下さい」


 フォローの言葉を受けても、フルールの顔を覆う影は消えなかった。むしろ、その闇はより濃くなっている。


 その様子に、フルールが自分のせいで落ち込んだと考えたスノウは、慌てたように言葉を付け足した。


 「だって、フルール様は、見て見ぬフリなどしていない、むしろ、我が身を省みず、火を消そうとしていますから」

「…ありがとう、でも、遅すぎたからさ…」


 そうだ。自分が最もショックだったのは、シェイムの残虐さでもなく、父の無関心さでもない。自分自身の臆病さだ。


 「誇りのために死ねるなんて、スノウのご両親に対して偉そうに口にしておきながら…結局、私も我が身が可愛いんだなぁって、自分に失望しちゃったんだ」


「失望なんてしないで…!」突然、スノウがフルールの左手を握った。あまりに急なことだったため、「わっ!?」と頓狂な声が出てしまう。


 「私だったら、絶対にできないです。目を逸らして、逃げ出してしまう。だけど、フルール様は、貴方は違う…っ!」


 予想していなかった熱量で訴えかけられたフルールは、思わず固まってしまった。


 スノウ自身、衝動的な行動だったのだろう。彼女は繋がれている二人の手をじっと見つめると、顔を赤らめながら、弾かれるようにして後ずさったのだが、足が引っ掛かったようで後ろに倒れ込んだ。


 「う、うぅ…」すぐに顔を両手で覆うスノウ。「すみません、わ、私…」

「スノウ…」


 我を忘れるほどに、自分のことを励まそうとしてくれたスノウのことを思うと、フルールは胸が温まるのを感じた。


 たとえ、彼女の瞳に映る自分が過剰に美化されたものだとしても、嬉しくないはずはなかった。期待される、というのも、随分と懐かしい感じがした。


 「ありがとね、スノウ」そう言って、フルールは手を差し伸べる。「こんな私を褒めてくれるのなんて、スノウぐらいなものだよ」


 はは、と笑って語りかけると、スノウもくすぐったそうに口元を綻ばせて、少し迷ってから手を握り返した。


 「私…フルール様がいなかったら、あの部屋から出る意味など考えなかったと思います…だから、その、ありがとうございます」


 立ち上がったスノウは、真っ直ぐこちらの瞳を見つめた。酷く彼女らしい仕草だと思えた。


 (スノウといれば、やるせない自分のことも忘れられるのかもね…いや、だけど…)


 フルールはスノウの手を引き、月明りが道標となっている、新しい居場所への道を歩いた。


 自分には、忘れることが善いことだとはどうしても思えなかった。


 (やっぱり、違うんだ、違うんだよ。スノウは私の行動を褒めてくれたけど…私は、そんな、結果の伴わない形ばかりの自己満足がしたかったんじゃないんだ。私は――)


 歩きながら、天を仰ぐ。瞬く銀河が冷たく見下ろしている。


 (—―私は、目の前で焼き殺されている二人を、ちゃんと助けたかったんだ。見捨てたく…なかったんだよ…)


 フルールは、ただ正しくありたかった。自分に嘘を吐きたくなかったのである。


 ホビットを焼き殺した美しい炎を彷彿とさせる星々は、暖かな左手のことも忘れてしまいそうになるほど凍えた夜空で輝いていた。

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