残り火の元へ.4
こちらにて五章は終了となります。
夕方にはエピローグを投稿して二部は完結しますので、
そちらまでお付き合い頂けると幸いです!
桜倉は雪希が何を言っているのか分からず、ぽかんと口を開けたままで彼女を見つめた。それからややあって、聞き間違えかと思って繰り返す。
「私が?」
「…はい」
「誰を嫌うって?」
「…」
ちらり、と雪希の瑠璃色の瞳が桜倉を捉える。
桜倉は、この知性のみなぎった、夜空のような瞳が大好きだった。覗き込めば、飲み込まれそうなほどに深いのに、その先には魅力的な闇が広がっている。
夜空を映すきらきらした瞳が、自分を遠慮がちに見つめている。こんな眼差しを受けて、胸が高鳴らずにいられる人が果たして存在するのだろうか?いや、いるはずがない。
血色が少し悪い唇だって、自分からしたら破滅的なほどに蠱惑的だ。今日が世界最後の日なら、迷うことなく食らいついたことだろう。
じっと見つめていると、時間すらも消え去ってしまったような感覚に陥るが、向こうから一際大きな声でアネモスの怒号が聞こえたことで、ハッと我に返る。
「そんな、ありえないよ」
それだけ告げるので精一杯だった。
別に図星だったからとかじゃない、雪希の存在があまりに眩しかったせいだ。
この態度がいけなかったのだろう、雪希はますます不安そうな顔をして、さっと目を伏せる。
「最近の私は…情けのない話、桜倉の考えていることが分からないことも少なくありません」
木漏れ日が彼女の白い肩に光を落としているのを眺めながら、桜倉はじっと話を聞く。
「どうして、ローレル・ヴェルデと戦ったとき、あれほど感情を乱されたのか…そして、彼女を倒したときに、どうして光でも閉ざされたみたいな顔をされたのか…私には分かりませんでした。ただ、貴方が苦しんでいるということしか」
「それは…」
選んだ道の過酷さに、歪な世界の残酷さに押し潰されないように必死だった。
そんな自分の弱さを雪希にさらけ出せと?
そういうわけにはいかない。彼女が自分にヒロイックな幻を見ていることは重々理解している。
たとえ幻だとしても、それを霧のように消すわけにはいかない。いかないのだ。
桜倉はあえて笑顔を作り、たいしたことはないんだとアピールした。
「ごめんね、不安にさせたよね。私も色々と考えちゃって…でも、もう大丈夫」
悩みながらでも、進むしかない。迷わないことは強さではないとルーナが言ってくれたのを思い出し、桜倉は少しだけ本心から前向きになった状態で続ける。
「ルーナに聞いてもらったら、だいぶ楽になったから」
そのとき、明らかに雪希の表情が強張った。それこそ、彼女の魔法で凍ったみたいだった。
あれ、と思いつつ、雪希の顔を覗き込めば、彼女は痛みを覚えたように顔を歪め、桜倉から体の向きを逸らした。
「雪希…?どうしたの?」
淡雪が積もったような、彼女の白い肩に触れようとした、そのときだった。
「どうしたの、じゃありません…!」
悲愴に縫い留められた声音に、ぴたり、と桜倉の指先が固まる。
「どうかしないと思いますか?こんな状況で、そんな話を聞かされて」
「そ、そんな話…?」
自分は何も変な話はしていないはずだ。それなのに、雪希は何に心をかき乱されてしまっているのだろう。
横顔だけでも、今、雪希が泣き出しそうなのが伝わった。それくらいに瞳と唇は震え、夜空を映したラピスラズリは渦を巻いている。
「そんな話ですよ!」
突然、雪希が大きな声を出してこちらを睨みつけた。
魚は去り、鳥のハミングも止んだ。ヴェルデの匂いが残る風だけがそこにいて、頭上からまだ青い葉を二人の元へと降らしている。
「フルール様、私の話を聞いていましたか?私は、貴方のことが-―貴方の苦しみが分からなくなっていると言ったんです。だから、それが知りたかった。知りたかったけれど、貴方はそれに触れさせてくれない。『今は、一人にして』と…そう言ったのはフルール様、貴方じゃないですか!?」
怒涛の如き勢いで責め立てられ、桜倉は目を丸くした。まさか、彼女がこんなふうに自分へ悲愴と怒りをぶつけるとは、思いもしていなかったのだ。
雪希は桜倉が言葉を挟む余地もないほどの勢いで続けた。
「それなのにどうしてッ――」
雪希は氷の槍のような指を、ぽかんとした顔でこちらを見ているルーナを指さした。そのせいで、ぴんっ、と彼女の両耳が立つ。
「私ではなく、あの犬に相談しているのです!?貴方のパートナーは私でしょう!」
はあ、はあ、と息を荒げて一気にまくしてたてた雪希は、徐々に冷静さを取り戻したのか、声の大きさを小さくし、彼女の心とは違って凪いでいる水面へと視線を落とした。
「…やっぱり、私のような陰気な女より、あんなふうに明るく朗らかな女のほうがいいですか…?」
「そんなことないよ」
「そんなことあります。だから、フルール様だってルーナと話している時間や回数のほうが多いのでしょう。私のは見ないくせに、ルーナの下着は見ようとした。私には相談しないくせに、ルーナには相談した――それが答えです」
今、明らかに不名誉なものが混ざっていたが、笑える状況ではない。雪希はちゃんと苦しんでいるのだ。
「ルーナのほうが、好きなんでしょう…」
吐き出した言葉に生えた棘が、まるで自分に突き刺さったかのように彼女は表情を歪める。言いたくもなかったこと言ってしまったことで、その鋭さに耐えかねているようだった。
私は今、何を言ってあげられるだろう。
この身にまとうヒロイックな幻影を消さずに、どう伝えたら彼女の不安を払えるというのだろか。
伸ばした指先を引っ込める。そこに自分の本性があるような気がして、さっと桜倉が視線を逸らしたとき、ちょうど、湖のほうから自分たちを見つめるルーナとアネモスに気が付いた。
こちらに向かって歩き出そうとしているアネモスの手を掴み、ルーナがそれを引き留めている。
彼女は、ガッツポーズを作ると、ふんふん、と上下に振ってみせた。口の形は、『頑張れ』と動いている。
(そうだ、ここで逃げ出すのはあんまりだ)
桜倉は深く頷くと、もう一度、雪希へと手を伸ばした。
届くように。この深海みたいに暗い瑠璃色の光へと。
「私が好きなのは、雪希だよ」
ぎゅっ、と彼女の冷たい手を握る。
「そんなの、慰めです」
「慰めじゃない。雪希に嘘は吐かない」
「だったら、どうして私ではなくルーナに…」
「雪希には格好悪いところ見せたくなかったんだよ」
そうだ。当たり前のことだ。
好きな人には幻滅されたくない。
雪希以上に、私のことを必要としてくれる人はいないんだから、私は雪希を大事にしたい。
ヴェルメリオ家では、自分はいてもいなくてもいい――いや、むしろ、いても物笑いの種にしかならない、厄介者だった。
雪希も…スノウもリアズール家では同じだった。
同じ暗がりで生きてきた人間同士、自分には雪希しか、雪希には自分しかいない。
だから。
だから、私は雪希を…。
「雪希やルーナと違って、私は決めたことをいつまでもうだうだ悩むんだ…これは正しいのかとか、この子たちの未来はどうなるんだろう、とか…とにかく、情けのない奴と思われたくなくて。それで、雪希には話したくなかったんだ」
「そ、そうだったんですか…」
少しだけ納得してくれたらしい雪希に、そのまま桜倉は続ける。
「ルーナには、たまたま独り言を言ってるところを聞かれただけ。ま…ルーナは仲間だし、戦いに関してはだいぶ先輩だし、助言を貰ったの」
「は、はぁ」
「だから、私はルーナより雪希が好き――っていうか、ルーナのことそんな目で見てないし、そもそもが比べるようなものでもないの」
雪希もルーナも、自分の二十年足らずの人生にすれば、過ごした時間はそう長くはない。それでも、ルーナは戦いにおいて相棒とも言うべき存在になりつつあったし、雪希もパートナーとしてかけがえのない存在になっていた。
「分かってくれた?」
荒波のようだった雪希も徐々に静けさを取り戻していった。だが、今度は今度で雪のように白い頬にさっと朱で染めると、「わ、私、な、なんて恥ずかしいことを…」と両手で顔を覆った。
「いいよ、気にしなくて」と桜倉は雪希の頭を撫でる。「嫉妬…してくれてたんだよね、今のは。その前のは、単純に不安だったんだろうけど」
「あぁ…うぅ、て、てっきり、ルーナの言う通り、私がしつこくて重い女だから、嫌われたんだと…うぅ」
「嫌わないよ。それに、軽く扱われてきた私たちは、互いに重いくらいがちょうどいいって」
桜倉が半分本気、半分冗談でそう言えば、ようやく雪希は顔を上げて、「そうですね」と穏やかな面持ちで微笑んでくれた。
「…ふぅ…ごめんなさい、桜倉。私、自分の頭の中で決めつけて、被害妄想気味になっていたといいますか…」
「いいよ、誤解させるような振る舞いをしたのに、自分から説明しようとしなかったのは私なんだし」
「気になっているくせに、ちゃんと尋ねもせずに抑え込もうとしたのは私ですね」
おあいこだ、と微笑む雪希と共に笑う。
「ルーナにも、謝らなければなりません…あー…いえ、やめましょう」
「え、なんで?」
「見て下さい」と雪希が視線だけ湖のほうの二人を指す。
そこには、やたらとご満悦そうなルーナと、顔を赤らめて唇を尖らせているアネモスがいた。
「あの腹ただしい顔。なんなのですか、あれは。後でからかってくるに決まっています。そもそも、あの犬が桜倉に近づくから…!」
「こーら」
桜倉は優しく雪希の頬をつつく。
「また恨みがましくなってるよ。鬱陶しいのはいつものことなんだし、放っておけばいいって」
「…はい、そうですね。今は…」
そっと、つないでいた手を雪希が自分の頬に当て、そうして、幸せそうな瞳でこちらを見つめてくる。
「今は…貴方との時間を…大切にしたい」
「…うん。私も」
あぁ、なんて幸せな時間なのだろう。
こうして話し合うことで、自分も雪希も、誤解を解き合うことができる。人と人の関係もそうであれば、本当は一番良い。
エルフたちと協力関係を築けたことだって、きっと対話を諦めず行動に移したからだ。
(…あの子たちとも、ああなる前に話し合いができたらよかったんだろうけれど…)
そう、問題は話し合いもできない状況にあること。
互いが互いを悪とし、裁き合ってしまうことだ。
(そうならないために、私ができることは…)
それはなんだろう?
エンバーズとして、戦い続けること?
四大貴族の一人として、強くなること?
それとも、四大貴族を打ち倒して、世界を変えること?
憎しみや使命感だけで敵を打ち倒して変えた世界って、一体、どんな世界だ?
そこでは、本当に人間もエルフも、ドワーフもホビットも獣人も、人魚も、魔力がない人もある人も、笑っていられる世界なんだろうか?
変えてしまった後の世界。それを想像してもいない自分に今さら気づいて、桜倉は苦笑する。
「雪希、これからは、もっと話をしよう。私たちが、何と、何のために、どう戦えばいいのか…。一緒に考えてほしいんだ」
こくり、と雪希は頷く。
「私も、もっとたくさんのことを貴方に尋ねます。そしたら、教えて下さい。貴方の胸の内側にある気持ちを、温かい感情だけではない――不安や怒り、悲しみも喪失も、嫉妬も虚しさも、すべて…」
「うん…」
そのときの雪希が…スノウ・リアズールが、あまりにも美しく、魅力的で…私は重力に引かれるみたいにして、彼女の唇に触れてしまった。
ほんの少し冷たい感触。自分の熱が奪われる感覚さえも、愛おしさの前では狂おしいものとなった。
離れたところから、アネモスとルーナが騒いでいる声が聞こえるが…もはや、どうでもいい。
自らが課した業に押し潰されないように、私はこうして、スノウと共に生きていく。それさえできれば…私、本当は…他には何もいらないんだ。
「あの…」
「ん…?」
「早速、一つだけお聞きしてもいいですか?」
「もちろんだよ」
「私に相談しなかったことを、ルーナに相談した理由は分かりました。まあ、交わす言葉の差は、単純に私の言葉数の少なさによるものでしょう」
「うん」
「ですが…」
「…え、なに、その目。怖いんだけど…」
「ですが…――ルーナの下着を見ようとした理由は、一切、微塵も、花のひとひらほども理解しかねるのですが、どういった深いお考えがあったのか、教えて頂けませんか?桜倉」
「…」
「だんまりは、氷漬けの刑とします」
「え…じょ、冗談だよね…?」
「ふふ…冗談だとでも?」
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