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雪桜の華冠  作者: null
一部 一章 許嫁
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許嫁.4

 いつもどおり、日が昇るより少し前に目覚めたフルールは、日課を行うかどうか迷った末にこっそりと寝台を抜け出し、朝食の準備をしているメイドに色々と尋ねて身だしなみを整えてから、庭のほうに出た。


 四方の噴水から霧のような飛沫が出て、それらが空中を渦巻いている。そのせいか、気温がぐっと低く感じられた。震えるほどではないが、髪が重くなるような感覚には囚われてしまう。


 静かに息を吸う。水気を多分に含んだ清廉な空気が肺を満たすと、自然に気合がみなぎる。


 鞘滑りの音と共に、背中から剣を抜く。初めは、自分の背丈ほどもある長剣に振り回されもしたものだが、今ではすっかり手に馴染んでいる。


 得物の大きさにこだわったのは、祖父フレア・ヴェルメリオを意識したからだ。


 反乱を起こした祖父は、身の丈ほどの長剣を携え、火焔を操り、戦場を駆け巡ったとされる。


 実際にその姿を目にしたことはないが、魔法の才能がないと思い知らされた幼少期の自分にとって、祖父の存在はたった一つの希望だった。すでに潰えた光だが、今となっては、剣術を学ぶことは一種の生きがいとなっている。


 剣術は良い。魔力などに囚われることなく、工夫と鍛錬の次第によって、みるみると上達が感じられた。


 フルールは物心ついた頃から、フレアを題材として作られた御伽噺に夢中になっていた。強気を挫き、弱気を守るそのヒロイックな姿は、彼女の人格を形作るのには十分なスパイスとなった。


 肺に溜まった空気を絞り出すように、剣を唐竹に振るう。しばらくそうしているうちに、体が温まってきた。


 この時間は、全てを忘れられた。


 一心に、心の中に浮かんだ虚像を切り裂く。それは過去の形を伴うこともあれば、今現在の自分であることもあった。


 汗をかく一歩手前で、日課を終える。本当はもう少し続けるのだが、汗をかいてもすぐにはシャワーも浴びられないため、このあたりにしておいた。


 建物に戻るために、くるりと踵を返す。すると、バタン、と頭上の窓が閉まった。


 音に反応して首をもたげる。窓の向こうであどけない少女がこちらを見ていたが、フルールと目が合った途端に彼女は走り去っていった。


 随分と幼い感じだったが、今の子もリアズール家のご息女だろうか。確か、三女までいた気がするから、きっとその人であろう。


 日課を途中でやめたフルールが邸宅内に戻ると、ロングスカートを履いたブリザが食堂の席に着いていた。


 彼女はこちらを見るや否や、少しだけ不服そうに唇を尖らせると、「固い寝台はいかがでしたか?」と尋ねた。


 明らかに昨日の誘いを断ったことへの皮肉だ。ご息女の機嫌を損ねたとあっては不味いことをしたものだが、フルールは努めて冷静に会釈して答える。


 「おはようございます、ブリザ様。昨夜のことで、意地悪をするのはご容赦ください」

「…失礼、断られるとは思ってもいなかったもので」


 大した自信だ、と思わないでもなかったが、ブリザの振る舞いはその地位と力により当然とも言える傲慢だった。


 さて、どうしたらいいだろうかと頭を悩ませていると、ちょうど、スプラートが夫を連れて食堂に入って来た。


 急いで頭を深く下げるも、スプラートが畏まるなという言葉と共に顔を上げるよう促したので、その言葉に従う。


 スプラートの夫はうだつの上がらない印象を受ける男だった。婿養子だと聞いたことがあるが、スプラートやブリザから感じられるハイソサエティ特有の自信みなぎる様子はない。


 スプラートは、ブリザが食堂の椅子にもたれかかり、不貞腐れた様子で腕を組んでいるのを見つけると、何かあったのかと短く問いかけた。それに最もぎょっとしたのがフルールだったということは言うまでもあるまい。


 「いえ、たいしたことではありません。お気になさらず」


 適当に誤魔化そうとしたブリザに、スプラートは得心したと言わんばかりにフルールと娘の顔を交互に見比べた。


 「ははぁ、ブリザ。まさかとは思うがお前、フルール嬢に言い寄ったな?」


 呆れたような、面白がるような声に、再びフルールはぎょっとする。


 「そのようなこと、私はしておりませんわ」


「それで、断られたと?」まるで娘の話を聞いていない発言に、ブリザは穏やかな微笑だけを無言で返した。「妹の許嫁にまで手を出そうとするとは…全く、お前の女好きには困ったものだ。あれほど自由にさせてやっているというのに」


 スプラートはひとしきり笑って見せると、貝のように口を閉ざしたブリザの代わりにフルールに謝ってみせた。もちろん、冗談半分の様子ではあったが、ヴェルメリオの、しかも、次期当主でもない小娘に対する行動としては異例だった。


 「あ、いえ…」余計な口を挟むのは危ういと判断したフルールは、とりあえず曖昧に微笑んだ。ヴェルメリオ家のことを考えれば、自分の発言などは不要だと思ったのだ。


 やがて、食卓には豪華な食事が並べられた。こんな予定ではなかったフルールは、申し訳なさそうに食事に手を付けていたのだが、あまりの美味さに途中からはそうした謙虚さも忘れてしまっていた。


 ヴェルメリオ家では、美味しいものはすべからく妹であり、次期当主でもあるシェイムが口にしていた。栄養をつけなければならないから、と周りは言うが、本質がそこではないことにくらい気が付いている。


 嫌なことを思い出してフォークが止まっているフルールに、スプラートが、それにしても、と思い出したふうに話を切り出した。


 「フルール嬢、私は君が気に入った」

「ど、どうなさいましたか、突然」


「いやね、そこのブリザは母親の私から見ても、それはそれは男女問わず人気のある奴で――」じろり、とブリザが母親を睨んで咳払いをする。「んんっ、お母様…。フルールさんに変な誤解をされますから、よして下さい」


 スプラートはそれを聞いても笑うだけで、自分の話を続けた。ブリザも観念したのか、ため息と共に肩を竦めて大人しくなった。


 「とにかく、ブリザは将来を約束された女だ。そして、生まれのみならず、教養や魔法の才、容姿にも恵まれている。多少の人間的欠陥に目をつむれば、ブリザに気に入られておくほうが得だと考えるのが道理。それこそ、抱かれでもしておけば、後々甘い蜜を味わえる可能性だってあっただろう。それなのに、君はそれを選ばなかった。とても人間として好感の持てる、筋の通った貞淑な女性だと感じたよ」


 抱かれでもしておけば、という言葉を聞いて、やはり、昨日の誘いはそういうことだったのかと顔が熱くなる。あのとき、断らずについて行ったら、今頃自分はどうなっているのかと。


 しかし、それでいて、自分の想像とは違うところで、自分に似た何者かの美化された虚像が出来ていることに焦りを覚えたフルールは、手を眼前で交差させて振ると、「過大評価です、自分は打算を嫌ったわけではありません」と告げた。


「ほう、では、なぜブリザの誘いを断った?よもや、恥ずかしいからという理由だけでもあるまい」


 もはや、誘われた前提で話が進んでいるが、それでいいのだろうかと悩んでいる暇もない。


 そこまで言われて、フルールは改めて理由を口にする。


 「…誇り、です」それを聞いたブリザが、「誇り…」とオウム返しで呟く。


「没落貴族の、しかも、ろくに魔法も使えない出来損ないの小娘が、と笑われるかも知れませんが…、それまで捨てたら、私はこの命を捨てねばならないでしょうから」


 はっきりと言い切るフルールに対して、ブリザが興味深そうに尋ねる。


 「死ぬ?貴方は、誇りのために死ねるの?」

「はい」

「本当に?」

「はい。むしろ、一体、それ以外の何のために死ねるというのでしょう?」


 何かに感心するような、驚いたような、ぼーっとした眼差しで自分を見つめるブリザ。自らの命に重責がのしかかっているブリザたちからすれば、こんな考え方は邪道か、野蛮に映るのだろうとフルールは思った。


 スプラートも、その夫も、何か得心したふうに頷き合うと、「是非とも、次女のスノウに会ってやってほしい」と訴えかけてきた。


 「はい、私のようなもので良ければ、ありがたくそうさせて頂きます。私はそのために来ましたから」


 そう応じるフルールを、感情の読めない瞳でブリザが見つめていた。




 繰り返すようだが、ヴェルメリオ家のような没落貴族、しかも、反乱分子の生き残りの血筋を引く無才の娘などに、今をときめくリアズール家のご令嬢を嫁にやるなど、土台おかしな話ではあったのだ。


 絶対に何か理由がある。父のことだから、何か代償を支払ってでも自分とスノウ・リアズールを結婚させようとしたに違いない。


 それは予測していたのだが…。


 (…とはいえ、さすがにこれは予想外だ)


 スプラートらに案内されて辿り着いたスノウ・リアズールの部屋の前には、空になった食器と、それを乗せたトレイが置いてあった。


 「引きこもり…ですか」フルールは、つい先程当主が語った言葉を無意識で繰り返した。「そうだ。恥ずかしい話だがね」


 スプラートは、ブリザや夫を部屋に戻すと、事の経緯をフルールに語った。


 スノウ・リアズールは、フルールと同じ十八歳になる少女だ。彼女は十二歳の頃に、飼っていた犬を誤って魔法で氷漬けにしてしまい、そのパニックで魔法のコントロールを違え、目の前で粉々にしてしまった経験があるということだった。


 それがトラウマとなって、以来、魔法が一切使えなくなった。同時にショックから自分の部屋に引きこもるようになってしまい、六年経った今でもこうして暮らしているという。


 時折、夜中に雪女のような風体で館をさまよっていることもあるらしいが、誰の姿を目にしても逃げ出してしまい、いつ誰が最後に言葉を交わしたのかも覚えていないほどらしい。


 いつまでもこうしているわけにもいかない。どうしたものかと悩んでいたところ、旧知の仲で、事情も知っていたヴェルメリオ家当主がフルールに何とかさせよう、と持ちかけたらしい。


 つまり…。


 「引きこもりのスノウ様をどうにかすることが、婚約の条件だと…そういうことですか」


 あまりに身勝手な事情に、フルールは辟易とした気持ちを隠さずに口を開いた。


 「まぁ、そういうことになる」


 さすがにバツが悪いのか、スプラートも抑揚のない口調でそう言った。


 「魔法が使えない、というのも間違いないんですか?」

「ああ。アレはもう魔法が使えん」


「アレ…」とフルールが独り言のように言えば、彼女は慌てて訂正して、「スノウのことだ」と付け足した。陰では、娘のことをそう呼んでいるのがはっきりと分かった。

 「そうですか…」


 フルールは曖昧に笑って扉を見つめると、誰にも聞こえないようにため息を吐いてから、普段通りの表情になって、当主に深く頷いてみせた。


 「分かりました。少し声をかけてみたいので、失礼ですが、二人きりにさせてもらっても構いませんか?」


 スプラートも本当は早くその場から立ち去りたかったのか、フルールのお願いを快く引き受けると、スノウ・リアズールの部屋の前から足早にいなくなった。


 家族はおろか、メイドも誰も来ない。三階の一番奥に、彼女の部屋はあった。忘れたい記憶を頭の奥に押し込むような、そんな場所だ。


 フルールは、誰もいなくなったのを確かめると、扉にずるずるともたれかかり、その場に座り込んで頭を抱えた。


 「…はは、何だ、結局はそういうことか」


 ――魔法の使えない、用無し娘。


 かつて、酒で泥酔した父が私のことをそう呼んだ。


 一家の恥さらし、役立たず、用無し…私を、私たちを形容する言葉なら、きっと山ほどある。


 結局は、どこも同じだ。


 リアズールも、ヴェルメリオも。


 何もかも、何もかもが身勝手極まりない。


 好きでこういうふうに生まれたわけではない。


 好きでああいうふうに成長したわけではない。


 …なのに、誰も分かってくれない。


 後ろ指差されることも、陰口を叩かれることも、平気なはずがないのに。


 「いらないってさ、私たち…」


 厄介者で厄介事を片付けられればそれでよし。


 スノウ・リアズールと自分を結びつけたのは、そんな打算で塗り固められた糸であった。

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