狂気樹木の竜.3
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『あはは!あははははっ!』
笑っている。幸せそうに、笑っている。
童女のようにあどけない声と笑顔で、正真正銘の狂気を奏でるローレル・ヴェルデ。
上半身は人の体裁を保ってはいるが、下半身はもう喉奥の濡れた樹木と同化しており、その部分を通じて、隣り合うエリア・ヴェルデと一つになっているように見えた。
(これが、こんなものが…!)
グロテスクな風貌に息を呑んでいたアネモスが、ハッと我に返って、ヴェルデ嬢らが大事に握り合っているものを指差す。
「見てっ!黄色い花、あんなところに!」
樹木竜の命を成す、最後の花弁。それは彼女らがきちんと大事に握っているのだ。
「狂気に支配された人間の成れの果て…こんな醜いもの、なんとしても破壊しなければなりません」
醜い。
そうだ。雪希の言う通り、醜い。
だが、これが?
これが、ローレル・ヴェルデが死の間際に願ったことだったのか?
「アネモスと私でなんとか口腔を攻撃してみせます。お二人は、注意を引いて下さい!」
雪希の指示に従い、アネモスが下がり、ルーナが前に出る。
桜倉はというと…反応できずにいた。
それをどう勘違いしたのか、雪希が苦しげに呼びかける。
「危険な役目ですが…どうか、無事で。恐れないで、桜倉…」
違う。
怪物が怖いとかじゃない。
彼女が、怪物になってしまったことが怖いんだ。
“本当に大事なもの”さえも飲み込んでしまったことが…。
「えぇ、私はぁ?」
「貴方も、無事で」
冗談っぽく尋ねるルーナに、雪希は真面目に返す。それがどうも驚いたようで、ルーナは頬をかいて樹木竜に踊りかかった。
回避最優先でルーナが側面を駆ければ、樹木竜はぐんと旋回して、その尻尾で彼女を打ち据えようとした。
「危なっ」
跳躍してそれをかわすと、ルーナは太い左足を撫で斬りにする。しかし、木片が少し散っただけで、何のダメージにもなっていない。
『あはは、あは、あははっ!』
木霊する笑い声。耳を塞ぐこともできず、桜倉は拳を握りしめる。
『花、花が見えるよぅ、エリア!綺麗な花!青、赤、茶色に金色!私たちの、家族にしようねぇ!』
「何が家族よ、この、クソ野郎!」
正気など此岸に置いてきたような発言に、アネモスは激怒し、樹木竜の頭を目がけて矢を乱射する。
「あんたは、イカれた家族ごっこのために、みんなを、アイボリーを犠牲にした!今さら、罪を償う必要なんかない――さっさとくたばってくれればそれでいいわッ!」
アネモスのどす黒い感情をまとい、矢が軌跡を描く。ぶすり、ぶすりと樹木竜の頭に突き刺さるも、花には届かず、ローレルの狂笑もまた止まない。
『花、花!枯れない花!うふふ、あはは!』
恨みと憎悪が渦巻くこの場所で、背中を突き飛ばされるようにしてようやく桜倉が駆け出した。
(なんでだよ)
長剣を肩に担ぐようにして、加速し、間合いを詰める。
(なんでなんだよ…!)
強く地面を蹴り、跳躍する。長剣の重さが、自分のやっていることの重さのような気がして、桜倉は血が出るほど唇を強く噛んだ。
「ローレル・ヴェルデ!」
もはや、彼女とは呼べない存在に向かって、彼女の名前を叫ぶ。
「こんなもんが、お前の望んだことなのか!?」
問いを投げると同時に唐竹一閃。
振り下ろした長剣の切っ先が、樹木竜の頭をがくんと下げさせる。その瞬間だけは心を苛む狂笑も止んだが、すぐにまた再開され、じゅくじゅくと、桜倉の心を苦しめた。
『あは、あはは!エリア、お家壊れちゃったねぇ!新しいお家建てないとねぇ!』
がぱっ、と目の前で大顎が開かれる。
その暗い水底で、鏡写しになった少女が鎮座している。
右は笑い狂い、夢幻を語り、多幸感にあふれる瞳をきらめかせ、
左は沈黙を保ち、何も語ることはなく、ただ虚無的な瞳をたたえている。
「骸になった大事な人を葬ることもせず、お前自身!自分が自分でなくなってまで、意味のない破壊を繰り返す!」
絶望を生み出す顎が迫るなか、それでも桜倉は言葉を紡ぐ。
「誰かに呪詛を吐き捨てられて、恨まれて――それでも、お前はこんなことがしたかったのか!?ローレル・ヴェルデ!」
聞こえるはずもないと分かっていた。分かっていながら、桜倉は言葉を紡ぐことを止められなかった。
「ちっ、がうだろう!お前は、ただ…!」
木で出来た牙が桜倉を捉える寸前、樹木竜の横っ面を、二刀を一つに束ねたルーナが斬りつける。
「馬鹿桜倉、何やってんの!?」
ルーナの茶色がかった髪とスカートの裾が、ひらひらとヴェルデの風にたなびく。人間では到底及びもしない獣人のしなやかさも、今の桜倉の心には何の感慨ももたらさない。
「桜倉!冷静になって下さい!」
雪希の声が遠く響くも、やはり、桜倉の耳には届かない。
桜倉を気遣ったルーナが軽やかに着地した直後、樹木竜の矛先は桜倉からルーナへと向いた。
『あはは、お犬さん。お犬さんも、一緒に遊ぶ?』
「あぁもう!私は犬じゃ――」
ルーナが珍しく目くじらを立てていると、ぶん、と鞭のような尻尾がルーナ目がけて叩きつけられた。
「うわっ!」
紙一重で横に飛んでかわしたが、跳ね上げられた泥が顔に飛んできてしまい、反射で目を閉じた瞬間に樹木竜が強靭な足でルーナを蹴りつけた。
鈍い音の後には悲鳴も残らず、ルーナの体は斜面の先へと転がっていく。
「るー…な」
今の一撃をもらって、ルーナは無事なのだろうか。
いや、無事なはずがない。あの太く強靭な足は、城壁さえも破壊する突進を生み出す動力源なのだから…。
「あんた!いい加減に目を覚ましなさいよ!」
アネモスがヒステリックな声で桜倉を責める。
「あんたは戦うんでしょうがっ!?この世界から、四大とか、魔法とか、エルフだとか人間だとか、そういう隔たりが無くなるまで!」
そうだ。
私は戦うんだ。
眠りについたあの子たちが次に目を覚ましたとき…隔たりない世界で幸せに生きられるように。
(だけど、それはきっと、隔たりを作って生きてきた者たちから、色んなものを奪う道だ)
ようやく、桜倉は今、自分が一番何をするべきなのか――否、自分がどういう道を選んだのかを思い知らされた。
もはや、迷うとか、迷わないの段階ではない。
分水嶺は越えたと…雪希がすでにそう言っていたじゃないか。
ある種の覚悟を決めた桜倉の前に、再び、樹木竜が大顎を開けて迫る。
桜倉は身の丈以上ある長剣を、音を立てて振るうと、霞に構えて大きく息を吸った。
(私たちが…幸せになれる世界のために)
彼女の朱く色づいたショートヘアの先が、ほんの一瞬だけ、ちりっ、と小さな燐光をまとった。
「いつか…私の背負う業が私を地獄へ導くとしても…!」
成し遂げなければならない。
全てを選べないことは、分かっていたことだ。
桜倉、と遠くで誰かが自分の名前を呼んだ。
眠ったあの子の代わりに作り出した、私の名前を。
刹那、大顎に生えた樹木の牙が、桜倉の体を頭の先からつま先まで貫こうとした。
直後に弾けたのは、きぃん、という音と、朱色の燐光。
大きな牙は、桜倉の構えた長剣の柄と、剣先とで止まっていた。
魔法障壁――しかも、いつもと違って勝手に『面』で展開された薄っぺらいものではなく、意図して『点』で展開されたものだった。
頭で深く考えてやったことではない。ただ、漠然と、剣に魔力を注ぎ込むことのほうが慣れ始めているのだから、障壁の展開も剣を通したほうがいい――そう思っただけだった。
統一国家の魔法騎士やシムス、それから、エリアがやってのけた障壁の展開を、桜倉は慣れ親しんだ長剣で行っていたのだ。
『きらきら、オレンジ色!綺麗!きれい!あはは、あははっ!』
桜倉の機転により、樹木竜の攻撃は確かに止まっていた。しかし、突然にして桜倉の魔力量が増えるわけではない。
「ぐっ…なんてパワーだ…!」
この状態は長くは維持できない、そう悟っていたからこそ、彼女はすぐに大声で叫んだ。
「今だ、撃て、アネモスッ!」
爆ぜるオレンジ色の輝きに見惚れていたアネモスは、それでハッと我に返り、矢を番え、狙いを絞った。
「分かってるわよ、私に…任せなさいっ!」
静かに、矢を握っていた指先が離れていく。
「これで――家族ごっこはお終いよ」
放たれた矢は真っ直ぐな軌道を描き、桜倉の頭の横を抜けて樹木竜の大顎の中に飛び込むと、ヴェルデの花を貫いた。
散華した黄色い花びらが、桜倉の瞳を横切る。
『あ、あはは、あははははははっ!』
悲鳴みたいな笑い声が響くと同時に、樹木竜の顎の力が弱まった。
「はぁっ!」
その隙を見て、桜倉は長剣を牙の間から強く引き抜く。それだけで、木片のみならず、樹液みたいな液体が舞った。
そして、数秒後、樹木竜の体がパキパキと音を立てて凍り始める。雪希が自分の役目を遂行しているのだ。
「撃滅します…!」
首だけで振り返れば、雪希もこちらを見ていた。
瑠璃色の瞳には、言葉にし難い感情が宿っている。同じ道を選んだ者に向けられた、美しく熱い眼差しだ。
「私たちの望む、世界のために」
決別の調を雪希が口にすると、樹木竜の体が加速度的に真っ白に彩られていった。
絶対零度の超魔力。四大貴族として、才能に恵まれた女の力。
霜が雑草のように木々の表面に覆い、身じろぎすることも難しいくらいにあらゆる関節を凍結していく。
それにも関わらず、ローレルの口は滑らかだった。
『あはは…エリア、冬が来るね。エリア…うふふ、あはは』
ローレルの尋常ならざる狂気がそうさせるのか、冷気は樹木竜を完全に押さえつけることができずにいた。
「諦めの悪い…!」と悪態を吐く雪希に対し、ローレルは徹頭徹尾、まとまりのない言葉をエリアの成れの果てに向かって語りかけている。
『これが終わったらね、エリア、ね?春がくるよ。春、春。あったかいねぇ、ね?ね?エリア』
きっと、彼女らが春夏秋冬を感じることはもう二度とない。
その事実が、桜倉の心を苛んだ。
「くっ…」
突如、雪希がふらつきながら片膝をついた。
「ちょ、ちょっと、あんた!」
慌ててアネモスがそばに駆け寄るも、雪希は青い顔でただ、「少しふらついただけです」と強がるのみ。
桜倉は、雪希がいつから無理をしているのだろうと不安になった。いくら再び魔法を操れるようになったとはいえ、つい最近まで、魔法が使えない状態だったのだ。
使っていなかった筋肉が弱っているように、魔法に付随するあれこれが、雪希の中で弱まっているのは間違いない。
(それでも、雪希が無理をしなければならなかったのは…私が役に立たないからだ)
ならばせめて、今の自分にできることを。
桜倉は長剣に魔力を注ぎ込むと、冷気荒れ狂う中に飛び込んだ。
「さ、桜倉、危険です!何をするつもりですか」
「私もやる!」
雪希が意図して発生させている冷気だからか、桜倉の体は凍りつかない。
「私たち、二人で選んだ道だ!そうだろう!」
熱気をまとう長剣は、彼女の桜色の瞳の中、幾度となく剣撃を閃かせる。
苛烈な袈裟斬り、重みを利用してそのまま回転し、さらに袈裟斬り。
振り抜いた勢いを殺さず横に回転して斬り払い、続けて、全身の筋肉が悲鳴を発するほどの逆制動をかけながら左斬り上げ。
散る火花が、冷気に反射してきらきらと輝く。まるで、ダイヤモンドダストのようだ。
そのきらめきをまとったまま、豪快に斬り上げた桜倉は、その反動で大きく間合いを作った。
トドメの踏み込み斬り――それを放てる間合いを。
「桜倉!」
雪希の息も絶え絶えな声と共に、振りかぶった熱気まとう桜倉の剣が冷気に覆われる。
「つ、使って、私の、私の、最後の魔力…!」
「雪希…――ああ!」
そうして、桜倉は飛び込む。
もはや、そうすることでしか解放できない同胞たちの元へ。
「これで…」
冷気と熱気、相反する力を帯びた一振りの長剣は、真昼の太陽に照らされて樹木竜の頭上で輝いた。
「終わりだぁッ!」
振り抜かれた剣閃は、樹木竜の体を両断すると、その斬撃の後に、大きな氷の華のようなものを咲かせた。
そしてそれは、共にしていた熱気のことを思い出すと、内側から樹木竜の尽くを巻き込んで弾け散るのだった。
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