狂気樹木の竜.2
「本当だ…ルーナの言う通り、あの花だけは防ぐなりかわすなりしている」
樹木竜の体に生えた、ヴェルデの双子を象徴するかのような色合いの花。あれが、奴にとって、何かしら大事な器官となっているのだろうか。
桜倉はルーナと共に、弱点を見つけるまで牽制を続ける役を担ってくれていたアネモスと雪希のところへと駆けた。
報告を受けて、「鼻?」と頓狂な声を発したのはアネモスだ。
「鼻じゃなくて、花だよ」
「は?」
「だから、こっちの鼻じゃなくて、あっちの花!」
桜倉は自分の鼻と、戦いの烈風にあおられて揺れる花とを指さして、その違いを示した。そうすれば、アネモスは顔を赤くして、「ややこしいのよ、全く」と矢を番えて誤魔化した。
樹木竜の体に生えた花の数は、三つ。一つは背中、二つめは腹部、最後の一つは尻尾の先端だ。
話をしている間にも、樹木竜は咆哮と共に突進を繰り返している。図体と勢いはすさまじいものがあるが、明らかに知性は退化してしまっているようだ。
その触れれば木も石の壁も打ち壊す突進を散ってかわすと、また四人は集合した。
「で、どうする?」と桜倉が尋ねれば、「そんなもん、さっさと撃ち落とすなり、切り落とすなりすればいいんでしょ」とアネモスが矢を放ち答えた。
放物線を描いた矢は、樹木竜の尻尾をかすめはしたが、するりとしなる尻尾に回避されてしまった。
「ちっ」と舌打ちするアネモス。
雪希はそれを見て、改めて作戦を練り始めた。
「単独で狙っても無駄ですね。二手に分かれて一つずつ潰しましょう」
『二手』という言葉に、ルーナが迅速に反応する。
「あ、じゃあ私、雪希か桜倉がいい」
「あぁ?」
アネモスが青筋を立てるも、歯牙にもかけず彼女は続ける。
「だって、アネモスは乱暴だもん。私が飛び回ってても、息を合わせて射撃なんて絶対にしてくれないじゃん」
「ふん、今撃ってやってもいいのよ」
「野蛮だなぁ。ま、当たらないけどね」
何かと馬が合わない二人が勝手に睨み合う。
こんな状況でよく喧嘩などできるものだと、辟易とした視線を桜倉が送っていると、無感情な声で雪希が指示を口にする。
「犬、貴方の都合など知りません。――前衛と後衛一人ずつで組みます。それが一番バランスがいい」
「じゃあ、私は雪希と…」
「駄目です。私は桜倉と組みます」
ちらり、と雪希に一瞥される。他意はないかもしれないが、監視されているような気がした。
「えぇ…?それってさぁ、雪希が桜倉と一緒にいたいだけじゃん。職権乱用ってやつじゃないの?」
「違います。発射速度の問題で、最も俊敏な貴方が弓矢を扱うアネモスと組んだほうがいいと判断したのです。私の魔法は、発射した後でもある程度はコントロールできますからね」
遠回しに自分がのろまだと言われているようで、桜倉はなんとも言えない心持ちで頭の後ろをかいていた。
事実は事実だ。迅雷のように駆けるルーナの動きと自分の動きとでは、雲泥の差がある。
ルーナとアネモスはしばしの間、雪希に作戦の見直しを依頼していたのだが、樹木竜が再び猛攻を開始したことで、うやむやになったまま四人は二手に分かれて戦闘を開始した。
「ルーナ、アネモス!貴方たちは一番面倒な尻尾の花をお願いします!残りはこちらがもちます」
「はいはーい!」
雪希の命令に従って、ルーナが駆け出す。本当に風のようだ。
「あ、コラッ!待ちなさい、犬!」
「あーっ!雪希のせいでアネモスまで『犬』なんて言うじゃん!ぶぅ、私は狼だってば!」
「狼の獣人は絶滅したでしょうが!適当な嘘ほざいてんじゃないわよ――あ、待ちなさいってば!」
ルーナは何やら小言を垂れながらではあるが、樹木竜の突進を軽やかに側転、ロンダートで回避する。その後ろから、アネモスが尻尾の花を狙うが、紙一重で外れる。
「ちっ、惜しい…!」
「あれれ、下手くそだなぁ」
「やかましいわよ!また突っ込みなさい!」
アネモスが命令するより先に、びゅん、とさらにルーナが間合いを詰める。
「なんと緊張感のない…はぁ、私たちもやりましょう、桜倉」
「あ、うん」
犬猿の仲とでも言うべき二人にペアを組ませるのは不安だったが…まぁ、喧嘩するほど仲が良いという言葉もあるくらいだ。信じて任せよう。
桜倉は雪希と簡単に話し合い、まずは背中から、ということになった。
「可能な限り、連続で破壊するほうがいいでしょう。注意が背中に向いたら、そのまま立て続けに腹部の花を斬り落として下さい」
「分かった。どうにか雪希に背中を向けさせてみせるから、そっちは頼んだよ」
「はい。桜倉も気をつけて」
「任せてよ」と長剣に魔力を込める。
すでにルーナとアネモスは尻尾を狙って飛び回っているが、あれでは連携もくそもあったものではない。本当に、獣人の反射速度がなければアネモスの矢は彼女を貫いていたことだろう。
さっさと終わらせて手伝ったほうがいいかもしれない。
「じゃあ、行くよ!」
雪希と顔を見合わせて頷いた直後、桜倉は駆け出した。
跳ね回るルーナをどうにか排除しようという樹木竜。その荒れ狂う動きのなか、ごくりと生唾を飲みながら、桜倉は相手の鼻先に回った。
ぐっ、と剣を握る手に力を込めていると、ルーナが飛び回っているせいで、尻尾がぶん、と頭上をかすめた。慌てて屈んでそれを避けることができたが、時間をかけているといつか直撃してしまいそうだった。
「まずは、こいつの注意を私に向けないと…!」
炎の魔力を柄から刃へと流し込む。すると、銀の両刃がほんのりと赤く光った。ヴェルメリオの炎、その端くれがちゃんと宿ったのだ。
(昔に比べたら、随分と上手にやれるようになったもんだよ、本当!)
今でも炎自体を生み出すことはできないが、こうして物体を通して摩擦を起こせば、多少の火花や熱を生み出せるようになった。
飲み物を温めるくらいしかできなかった頃を思えば、本当に成長したものだと我ながら感心する。やはり、命がかかった実戦は得るものが多いということだろう。
「これでも、くらえっ!」
ちょっとした感傷と共に、樹木竜の顎下にアッパー気味の一閃を振るう。
ルーナに夢中になっていたせいだろう、その大ぶりの斬撃は見事、敵の顎を捉え、激しい火花と共にのけぞらせることに成功した。
断つことはできずとも、木片は爆ぜ、大きく削り取ることができている。
「よしっ!」
会心の手応えにガッツポーズを取れば、どこからかルーナの声がして、「うわぁお、ダイナミックな一撃!」と称賛された。
じろりと、体勢を戻した樹木竜に睨まれる。どうやら、今度の狙いは自分らしい。
「そうだ、おいでよ」
ぶん、と大きな頭が振りかぶられる。城壁や木々を薙ぎ倒すあの一撃をもろにもらえば、魔法障壁があったってただでは済むまい。
重い剣を引きずるようにして後退する。足りないぶんは長剣を空振りしてでも後ろに飛んだ。
一撃、二撃とハンマーのように振り下ろされる頭が、土をえぐり、草花を散らす。その衝撃音と揺れには肝を冷やしたものの、当初の目的通り、敵の注意は完全にこちらを向いていた。
ただ、いつまたルーナや他の二人に標的が向かないとも限らない。
桜倉は継続して相手の注意を引くため、樹木竜の頭が地面に叩きつけられた瞬間を狙って、長剣を振り下ろした。
「はあああっ!」
火花と同時に木片が爆ぜ、樹木竜がよろよろと後退する。
これもまた、渾身の手応えだった。手の痺れがそれを証明している。
樹木竜にとってはハエのような存在であろう桜倉が、二度も同じくして自分の頭部に鉄拳を振り下ろすのだ。奴の煮えたぎる怒りは地を揺らし、空気をどよめかせる咆哮となって表された。
すさまじい気迫に、桜倉も緊張、不安、恐怖を覚える。自分が叩き潰されてミンチになるところを嫌でも想像してしまうのだ。
しかし、そうして表出された烈火の如き怒りは、完全に桜倉方向へと注意が向けられていることの証拠でもあった。
そして、その瞬間を見落とすような仲間たちでもなかった。
びゅん、と空を切ったのは、二本の矢。一発は尾花をかすめるだけだったが、二発目は見事に直撃し、花を散らした。
「でかしたわ、桜倉!」
それはこちらの台詞だと返す暇もないうちに、次は雪希の氷の矢が樹木竜の背中の花を潰す。
痛みがあるのか、花を散らされたことで樹木竜が悲鳴を上げる。憤激と共に相手が反転した際、ぶんっ、と長く強靭な尻尾が桜倉の頭上をかすめた。とっさに屈んでいなければ、吹き飛ばされたことだろう。
樹木竜は咆哮しながら反転し、雪希たちに向かって突進の姿勢に移った。また間合いを離されたら、潜り込むのに時間がかかってしまう。
桜倉はスライドするように間合いを詰めると、一瞬だけ長剣を霞に構えて静止し、それから豪快な動きと叫びで鋭く刺突を放った。
「せやあぁっ!」
樹木竜が動き出す寸前、柘榴石のはまった桜倉の長剣が薄黄色の花弁を切り離す。
ぷつり、と花弁が地面に落ちてから数秒後、樹木竜の動きが停止した。
「やったの…?」
アネモスがおそるおそる呟く。確かに、あれが弱点であったならば、ここで終わりになるはずだ。
しかし…。
「いいえ、まだです!」
雪希の緊迫した声と共に、樹木竜が再び動き出す。
樹木竜は、頭を天に向けて大口を開けた。
それは、いつか降る雨を待つ獣の姿にも見えたが、直後、突如として鳥の悲鳴が――いや、違う。甲高い笑い声が辺り一帯に木霊した。
『あはは、あははは!』
「な、何…一体、この声、まさか、こいつが…!?」
息継ぎの間もなく響き続ける笑い声。聞いているだけで不安や恐怖が駆り立てられるような感じがしたが、「様子がおかしい。みなさん、注意を!」と雪希が警告したことで、桜倉やアネモスはぐっと負の感情を弾き飛ばせた。
やがて、笑い続ける樹木の竜が頭の部分を先ほどと同じ高さに戻した。
その時、桜倉たちはそれを見てしまった。
「こ、こいつ…」
アネモスはそう呟くと絶句し、ルーナは珍しく深刻な顔つきで刀を握り込んでいた。そして、雪希は顔を青くしてから、唇を震わせた。
「…なんて、おぞましいの…」
雪希がそう言って見つめたものは、樹木竜の大口の奥で寄り添い合うようにして笑っているローレル・ヴェルデ、そして、半目になってまどろんでいるようなエリア・ヴェルデの姿だった。




