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雪桜の華冠  作者: null
二部 幕間 ローレルの独白

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ローレルの独白.1

 父、ウィンドル・ヴェルデがエルフたちに深く傾注するようになったのは、母が風土病に罹ってからであった。


 弱りゆく母から目を逸らすように、父はエルフを館へと呼ぶようになった。


 元々、祖父の影響もあってエルフたちには寛容だった父だったが、母の病気をきっかけにその没頭具合が高まったのは明白で、それこそ、人間よりもエルフのほうが大事なのだろうと周囲に思わせるには十分なほどであった。


 そしてその『人間』の中には、例外なく私たち、双子の姉妹も含まれていた。


 初めは反感で済んでいた感情も、父が母の葬儀にさえ出席しなかったことで、大いなる憎しみへと変わっていた。


 だからこそ、私――ローレル・ヴェルデは、エルフのことが嫌いだった。


 エルフは、父の中から私たちへの愛を、そして、母への愛と、その喪失の痛みを奪い去ってしまったからだ。


 母の死後、ヴェルデ邸にエルフが出入りするのは、もはや日常茶飯事で、彼ら彼女らの誰もが父と淫欲に浸っていた。それを良く思わない使用人たちも多かったが、父がかつて母をどれだけ溺愛していたかを知る者は、それを失った反動なのだろうと目をつむった。


 エルフたちは、意外にも父のことを嫌ってはいなかったようだ。先々代の頃、他の四大貴族と同様に異種族を弾圧していたことを考えると、大事にされているぶん、マシなのかもしれなかった。


 とにかく、父は弱い人間だった。母を失った痛みを、他のもので埋めるしかできなかった。そうしないと、生きていけないと思ったのだろう。


 喪失は耐え難く息苦しい。それは分かる。だけれども、その穴を違うもので埋めることだけは理解し難かった。


 私は、母のことを忘却の彼方に押しやり、娘たちに見向きもしなくなった父のことを日ごとに嫌いになっていった。


 双子の姉妹であるエリア・ヴェルデは、あまりそれを気にしないようだったが、おどおどしていて、とても口数が少ない少女に成長していった。


 私は、それが虚しくてエリアのそばにいた。彼女が紡がない言葉を紡げるよう、常にそばに。


 ただ、そんな日々も、段々と崩れていった。歪められていったのだ。


 事の発端は、私とエリアが十歳になった頃に起こった。




 その日も、美しい風が撫でるヴェルデ邸で、私とエリアは花冠を編んでいた。


 ヴェルデにしか咲かない、薄黄色と黄緑色の一対の花びらをもった花――風花かざはなで編む冠。


 私は風花が大好きだった。だって、私とエリアを象っているみたいだったから。


 二人で花を摘んでいると、いつの間にか、エリアがいなくなっていた。ヴェルデ家が所有する花畑は広い。きっと、花を探して歩き回っているうちに、離れてしまったのだろう。


 だから私は、すぐにエリアを探した。私はエリアと一緒にいて、彼女を守らなければならないと思っていたから。


 そして、見てしまった。


 母が死に、父の心が侵されてしまって以降、まともに見えることのなかったエリア・ヴェルデの憧憬の笑みを。


「あら、お嬢さん、どうしたの?」


 青い瞳、金色の髪。それに、尖った耳と美しすぎる容貌。


「…エルフ」


 奇しくも、私たちはシンクロしたみたいに同じ呟きを洩らしていた。


「え?うふふ、そうよ。私はエルフよ、お嬢さん」


 美しく、スタイルの良いエルフがエリアの頬に触れる。


 白魚のような指先と、陶磁器のようにきめ細やかな肌。これ以上ないくらいにマッチした二つだった。それなのに、私はそれを見た刹那、ぐわっ、と胸の内から燃え上がるどす黒い感情に息ができなくなった。


 その感情の名前を、私は当初、知らなかった。知らずに生きてきていた。


 今振り返れば、簡単に分かる。


 私は、誰とも知らないエルフが――私から父の愛を奪い、母との思い出を穢した存在が、最も愛しい魂の片割れに許可もなく触れたことに、狂おしいまでの激情と嫉妬心を燃やしたのだ。


(エリアに触るな!)


 心のなかで、そう叫ぶ。


 それでも、私は飛び出せなかった。当時、四大貴族とはいえ幼い子どもでしかなかった自分に、大人に楯突く勇気はなかったのだ。


「…貴方、もしかして、ウィンドル様の娘さん?」


 こくり、とエリアは頷いた。


「まあ、かわいい!」


 エルフは愛玩動物でも愛でるみたいに、エリアの頭を撫でた。そのおぞましい感覚が自分にまで伝わってきそうだった。


 目を細めたエリアを見下ろしたエルフは、一言、二言、彼女と話をしたかと思うと、不意に、ぺろり、と舌なめずりしてから、「ねえ、パパのところに行きましょうか?」と甘い言葉で囁いた。


「…それは、駄目だよ。怒られる」


 私が木の後ろに隠れて呟くと同時に、エリアもそう答えていた。ただ、私の呟きが拒絶的だったのに対し、エリアのほうは脱がせてほしいシャツを差し出すような感じだった。


「大丈夫、お姉さんがちゃんとパパに説明するから。ね?」

「…でも…」

「お嬢さん、お名前は?」

「…エリア」

「エリア、綺麗な名前ね。風が泣いているみたい」

「あ、ありがとう」

「お姉さんはね、ベルモットっていうの。よろしくね」


 こくり、とエリアは頷く。そんな名前覚えなくていい、と私は木の後ろから歯ぎしりする。


「ねぇ、エリア。私はエリアとお話したいんだけど、エリアは違うかしら?」

「…え、っと…」


 何度も、何度もエリアの名前を馴れ馴れしく口にしたベルモットが小首を傾げて、その返事を待った。


 私は、絶対に断って、と心のなかで繰り返し念じたが、祈り虚しく、エリアはいつぶりかも分からないような明るい微笑みを浮かべて、「一緒に行っても、いいの?」と問い返した。


「ええ、もちろん」とベルモットがエリアの小さな手を掴む。


 くいっ、と彼女の体が引かれる瞬間、私は木の後ろから身を乗り出し、「駄目だよ…!」と誰にも聞こえない声で呻く。


 今度の声は、ただ一人、空虚に発したものだった。重なる片割れの背は遠ざかっていくばかり。


 すると、手を引かれていたエリアが不意にこちらを振り返った。しかも、きちんと私と目が合ったのだ。


「あ」とエリアの口の形が変わる。


 よかった。思い出してくれた。


 私は一瞬、幸福感に包まれた。エリアが自分を選んでくれると理由もなく思い込んだからだ。


 だが…。


「どうしたの?」


 ベルモットに声をかけられたエリアは、すぐに顔を戻した。


「な、なんでもない」


 ちらちら、とこちらを振り返ったのに、彼女はそんなことを口にした。


 エリアは、私に気づいていた。きっと、行かないで、という気持ちも。


 それなのに、どうして?


 どうして、そんなやつと行っちゃうの?


 そいつらが、私たちの人生を狂わせたのに?


 私は灼熱の憎悪に身を焼きながらも、ただ、己の半身を見送るしかなかった。


 私はその日以降、酷く変わっていくエリアをどうすることもできないまま傍観した。そして、その原因を作った父を、エルフを――もっと大仰に言えば、世界を憎んだ。

本編は夕方に更新致します。

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