対を成す、風木の悪魔.4
明日は幕間を上げさせて頂きます。
「あ…」
隙間風みたいな声がエリアの口から漏れたかと思うと、彼女は瓦礫に囲まれた床の上にぱたりと倒れ込んだ。
桜倉はそれを間近で見ながら、何が起きたのか分からずにいた。だが、そのうち、後方から怒りの炎を静かにたぎらせたアネモスの声がしたことで、ようやく事態を察する。
「本当なら、私が直接殴り飛ばしてやりたかったんだけど、まあいいわ」
振り返れば、矢を放った直後の姿勢で止まったままのアネモスが確認できた。金と青の高貴さが、今の彼女には確かに漂っている気がした。
「みんなの――アイボリーの仇よ」
「アネモス…!」
「ふん」
彼女は長いブロンドを片手で払うと、オークウッドにその場から動かないよう言ってから、桜倉のいるほうへとゆっくり歩き出した。
「まあ、人間のくせによくやったわ。桜倉」
「なにその言い方。偉そう」
「偉いのよ。私は」
ご満悦な感じで呟いた彼女は、ちらりと視線を横に外すと、ほんのちょっとだけ唇を尖らせて続ける。
「あそこで転がってる獣人も…まぁ、役に立ったわ」
桜倉はその言葉を受けてルーナのことを思い出し、急いで彼女の姿を探した。すると、ルーナは崩れた壁の近くに横たわっており、その側には雪希が座り込んでいた。
「雪希、ルーナ!」
瓦礫を飛び越えて、慌てて二人の元へと向かう。
「桜倉。やりましたね」
「え、あ、うん、ってか、ルーナは?ルーナは無事なの!?」
「ええ。傷を負って気を失っていますが…ヴェルデの風魔法が直撃する前に私の氷魔法を割り込ませましたから、この通り。致命傷ではありません」
そう言いながら、雪希はルーナの服をお腹の辺りまでたくし上げた。
鍛え上げられ、しなやかながらも艶やかなルーナの肌の美しさに目が眩みそうだったが、赤い血と青紫の痛々しい痣を見て、そんな感覚も消え失せる。
「ち、致命傷じゃあないかもしれないけどさぁ」
「分かっています。カズーラさんに頂いた薬を使ってあげましょう」
「そうしてあげて」
桜倉はそう言うと薬を取り出し、雪希へと手渡した。しかし、雪希もその薬を見て、どのように扱えばいいのか思案している様子で静止する。そういえば、使い方の詳細を尋ねていない。
凡ミスに頭をかいていると、いつの間にかオークウッドと…それから、唇を尖らせたままのアネモスがそばにやって来ていた。
「よろしければ、私がお塗りしましょう」
「あ…申し訳ありません。お願い致します」
「構いません。この子もまた、貴方たちと同じくエルフの里の英雄なのですから」
薬を雪希から貰ったオークウッドは、美しく微笑んだ。さっきまで地獄の淵にいた人間にも、十代後半の子どもがいる母親にも若々しさだった。
エルフは老化が表に出るのがどの種族よりも極端に遅いと聞いたことがあるが…なるほど、納得である。
オークウッドはルーナの前に膝をつき、腹部の傷口に薬を塗り込もうとした。だが、横から割り込んできたアネモスに突如として薬を奪われてしまう。
「お母さんが獣人の手当なんてする必要ないわよ!」
「まぁ、アネモス!貴方という子はこの期に及んで、まだそんな差別的な…」
「ふん。私がどう思おうと、私の勝手でしょ」
分かりやすく反抗的で、獣人への差別意識を隠さないアネモスの態度に、雪希も桜倉も、さすがにちょっとだけ不快感を覚えていたのだが、彼女が依然として唇を尖らせたままルーナの傷口に薬を塗り始めたことで、互いに苦笑して顔を見合わせることとなった。
「素直じゃないなぁ。自分がやりたいって言えばいいのに」
桜倉がつい本音を口にすると、アネモスは顔を真っ赤にして言い訳を始める。
「ち、違うわよ!これは、その…そう、エルフの長たるお母様に、獣人の体なんて触らせたくなかったの!だ・か・ら!仕方がなく、やむをえず私がやってあげてるのよ!」
「はいはい」
「あ!なによ、その感じは。信じてないんでしょう!?」
「いいから、ほら、塗ってあげてよ。じゃないと、ルーナ、起きちゃうよ」
「う…」
起きたルーナとどういうやり取りをすればいいのか、想像できなかったのだろう。アネモスは小言を言いながらも薬を繊細な手つきで塗り続けた。
「みなさん、本当に色々とお世話になったようで…」
オークウッドがぺこりと頭を下げた。それを見てアネモスがまた苦言を呈したが、エルフの女王は娘を相手にせず、二人に感謝の言葉を重ねる。
「ありがとうございます。エルフと人間の問題において…まさか、エルフ側に立って解決して下さる人間がいるなんて思いもよらず…少し、感動しています」
「ああいや、頭を上げて下さい。私は別に、エルフの側に立つとか、その、そういうことを考えて動いたんじゃなくて、ただ…」
ただ、なんだろう。
桜倉はそこで言葉を詰まらせた。
ただ、エンバーズの一員として、東堂の指示に従っただけ?それとも、四大貴族が相手だったから、戦っただけ?
…いや、違う。私は、そういう理屈っぽい人間じゃない。
桜倉は一人得心すると、ふっと微笑みを浮かべた。
「ただ…あいつらがやっていることが許せなかっただけです。あんまりにも自己中心的で、破滅的で…とにかく、あんなのは間違っている。そう思ったんですよ」
「そうですか」
オークウッドは少し不思議そうな顔をしてから、苦笑した。
「お二人とも、お名前は?」
二人はそれぞれ自己紹介した。すると、オークウッドは難しい顔をして、「何か事情はあるのでしょうが」と前置きしたうえで続けて尋ねた。
「どうして、雪希さんは偽名を使われておいでなのでしょう?」
「え」と視線を受けた雪希が反応する。
どうして分かったのか、という顔をしていたのだろう、オークウッドは、「あれは氷の魔法…リアズール家の者ですよね」と付け足した。
アネモスが見てもピンとこなかったから、エルフの暮らしとはそういうものなのだろうと勝手に考えていたが、どうやらそうではないらしい。
二人は顔を見合わせると、今さら誤魔化しようもないだろうと頷き合い、黙ってこちらを見守るオークウッドに説明した。
それにしても…悲しいかな、桜倉のほうは気づかれていない。
自分たちがエンバーズの一員であること、四大貴族から狙われる身でもあるということ。そして最後に、雪希が一言、「全ては世界を変えるためです」と付け足したことで、オークウッドは悲しそうにしながらも、事情は把握できたと言ってくれた。
「エンバーズに力を貸す件ですが…そうですね。一度、里に戻ってからでもよろしいでしょうか?」
「はい、構いません。そちらも色々と議論しなければならないことがあるのだと思います。ただ、私の出生は内密にしておいて頂けると」
「分かりました。何かと名前だけで判断されてしまうことも多いでしょうしね」
「助かります」
雪希が恭しく頭を下げるのにならって、桜倉も頭を下げる。同じ四大貴族の生まれなのに、雪希に比べてこうした所作が板につかないのはどうしてなのだろう?
そうして話している間に、足元のルーナがうめき声を漏らした。
「う…あ、あれ?」
「あ、ルーナ!」
みんなで揃って倒れたままのルーナを覗き込むと、彼女は一番に、自分の傷に薬を塗り込んでいるアネモスへと視線をやった。
「な、なによ」
「わざわざ、アネモスが手当してくれたんだ。ありがとう」
「…か、勘違いしないでよね、この薬、エルフのだから、みんなは使い方が分からなかったのよ」
ぷいっ、と視線を逸らしてぶつぶつ言うアネモスにルーナは、「それでも、ありがとう」と少し疲れた感じでそう言った。
本当に、アネモスは素直じゃない性格なのだろう。強がりで寂しがり…そんなふうに彼女の友人が言っていたのを思い出す。
(…アイボリー、さん、だっけ。私たちは、あの人たちの魂の安寧のために、何かできたのかな…)
とにかく、あんな悲劇はもう起きない。それだけでも十分だろう。
そうして、桜倉が思惟に耽っていると、段々と呼吸が整ってきたルーナが一同へと静かに問いかけた。
「倒したんだよね。あいつら」
「うん。魔法障壁が完全に壊れた後に、アネモスの矢が心臓に」
「…それ、ちゃんと死んだのを確認した?」
「え?」
桜倉はそう言われて、ぞっとした気分に襲われた。
「まさか、してないの?」
正気か、とでも言いたげな目つきでルーナに睨まれる。
「それは、よく、ない。危険すぎだよ。もしも、まだ息があるなら…!」
殺さないといけないよ、と言葉も無くルーナが視線だけで続ける。
いや、でも、矢は確かにエリアの胸に深々と突き刺さっていたはずだ。魔法障壁が完璧に崩れ去ったという言葉にならない実感も確かにあったから、あの状況で相手が生きているとはとても思えない。
だけど。
だけどもし、まだ彼女が生きているなら。
急いで一同は、エリアが倒れた方向へと振り返った。
桜倉の考え通り、エリアはぐったりと倒れたままだった。
しかし、その体に近寄っている者がいた。
黄緑と薄黄色の髪をサイドテールに結った少女は、ちょうど、エリアと鏡写しにしたみたいな容貌をしている。
そう。エリア・ヴェルデの片割れ、ローレル・ヴェルデであった。
「あの人、どうして…」
雪希はぼそりとそう呟くと、苦虫を噛み潰したような面持ちを浮かべて、瓦礫に囲まれた場所で小さく、二人で固まっているヴェルデ嬢らに駆け寄った。
「雪希!」桜倉も、慌ててその後を追う。
ローレルは、桜倉たちが近寄ってきても視線一つくれず、抱き起こしたエリアをじっと見つめるばかりだった。
「ローレル・ヴェルデ、その傷でよく…」
雪希が言ったように、ローレルの傷は酷いものだった。
片手は上腕の辺りから削げ落ち、片方の足はあらぬ方向に曲がっている。頭からだって血がかなり流れていて、致命傷を負っていることは間違いなかった。
その状態で、這ってでも彼女が成したかったこと。それは、エリアのそばにいることだった…そういうことなのだろうか。
「なんだか…」
かわいそう、と続けそうになった桜倉は、慌てて言葉を飲み込んだ。
ヴェルデ姉妹。彼女らは悪鬼羅刹の所業をエルフたちにやってきた人間なのだし、それに、彼女らをああしたのは自分たちだ。
でも、それなら、酷い目に遭って死ぬのもしょうがないのだろうか?
(私のお父様やシェイム、ブリザ様も…ああやって死んでも仕方がないって言われるのか…?)
優しかった頃の父を思い出す。妹であるシェイムとは、小さい頃からあまり仲良くはなかったが、それでも、不安なときはよく頼りにしてくれていた。
ブリザはどうだろう。
リアズール家の邸宅で初めて会ったとき、正直、自分の胸が高鳴ったのを覚えている。
スノウを襲ったこと、領民を傷つけたこと。確かにそれは許されることじゃない。だけど、ブリザの考えていることは何一つ分からないままだなんだ。
(ブリザ様は言った。『私と貴方はよく似ている』って。あの人は、一体何を…)
そうして思考がよそに向かっていると、雪希が短く、「憐れみは不要ですよ、桜倉」とこちらの腕を掴んで言った。
「誰も、私たちに憐れみなどくれなかった。それを忘れてはいけません」
「雪希…」
誰もくれなかったわけではない。信兵衛は桜倉の身の上を心底心配してくれていた。
そもそも、私が欲しかったのは憐れみではない。
私が欲しかったのは…『誰かに必要とされる自分』だ。
ローレルは、もはや風前の灯となったエリアに何か話しかけている様子だった。もちろん、エリアは口をわずかに動かす程度しか応じる力はなく、まともなやり取りができているとは思えなかった。
胸の痛む光景だった。それでも、雪希は平然と片手を上げ、その指先に冷気をまとい始めていた。
「ゆ、雪希、放っておいても二人はもう死ぬと思う」
「ええ、そうかもしれません。ですが、そうではないかもしれません」
「雪希」
「桜倉。彼女は、私が仕留め損なったのです。私が葬ります」
「で、でも」
「…私たちは選んだ」
雪希の瑠璃色の瞳が、残酷な輝きをもって桜倉の桜色の瞳を貫く。
「そうでしょう?桜倉」
返す言葉がなかった。どう考えても、ふらふらと決めきれない自分が悪い。
四大貴族の支配を打ち破り、世界を変えられるような人は、きっと、自分のような意思の弱い人ではなく、雪希のように貫く意思を持つ者なのだ。
「選んだら、進むだけです。進むことでしか、新しい未来は得られない」
そうして雪希が改めて魔力を練り上げ始めたとき、エリアに語りかけるだけの存在だったローレルが不意にこちらへと言葉を投げた。
「エリアと私はずっと一緒だったの」
絶えず続いていたうわ言と同じではないことは、左右でわずかに色彩が違う瞳が物語っている。
「チョコクッキーが好きなところも、死んだお母様が大好きだったところも、花や植物が好きなところも…一緒だった」
ローレルは震える手をゆっくりと、頭上に掲げた。そして、ぐっと握り込む動作をしてみせる。
「ピーマンが嫌いなところも、お城の兵隊たちが嫌いなところも。全部、一緒」
指を開く。
そこには、例の果実がちょこんと乗っていた。
「ただ…一つだけ、違うところがある」
ローレルは、静かな瞳でエリアを見下ろす。美しい瞳だった。だけれども、その奥には誰からの理解ももはや必要としていない、少女の孤独と狂気が鈍い光を放っていたのだ。
「私はね、エリア――エルフなんて、大っ嫌い」
果実は澱みのない動作でローレルの口の中に運び込まれた。
桜倉も雪希も、呆然と彼女の動きを見守ることしかできずにいた。
ローレルは、ガリッ、ガリッ、とそれを口の中で砕いていたかと思うと、やおらエリアに口づけた。
長い、長い口づけだった。
ローレルの上気した頬と息遣い。多幸感に満ちた彼女と違い、エリアのほうは今や生きているのか死んでいるのかすらも分からないほど虚ろな目をしていた。
「わ、私はね…エリア、貴方が大好きだった。貴方さえいれば、何もい、いらなかった。それなのに、エリアはエルフが大好きだって言う…!お母様が死んでも、エルフのことばかりで葬儀にも出なかった、あのお、お父様と同じことをっ!」
げほげほ、とローレルは血反吐を吐いた。だが、彼女は一切の恐怖を感じさせない瞳でさらに続ける。
「…で、でもね、許してあげる。エリア。私たちは、も、もともと、一つだったんだもん」
ふふっ、と幸せそうに微笑む傍らで、エリアの体がびくん、びくん、と何度も跳ねた。
「エリアの罪は、私の罪…ふふ」
少女のたおやかな指先は段々と枯れ木のように姿を変えていく。それにも構わず、ローレルはさらに唇を重ねた。
「やっと、一つに戻れるね。エリア」
身を重ねた二人を苗床にして、みるみると樹木が伸び始める。
木々は、大きくうねりながら形を変えていき、わずかに残っていた壁や天井を破壊し尽くすサイズになった頃には、『ドラゴン』そっくりの姿になっていた。
「こ、これは…」
ローレル・ヴェルデ。
こいつだ。こいつだったんだ。
このどす黒い狂気の中心にいたのは。
後書きまで目を通していただいている方々、いつもお世話様です。
拙い作品をご覧になって頂いてありがとうございます。
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いっそうの感謝を申し上げます!
今後とも、よろしくお願い致します!




