対を成す、風木の悪魔.3
「黙れっ!」
激情のままに、エリアの魔法の矛先が自分へと向けられたのを確認すると、桜倉は壁際まで勢いよく走り出した。
「逃がすか、虫けら!」
風刃がびゅん、びゅん、と連続で桜倉の身を襲う。
「さ、桜倉!」叫んだのはアネモスだ。
「大丈夫、私は…!」
壁に無数の風穴が空いていく。あと少しで桜倉に追いつくというところで、今度は反対側からルーナが壁に沿ってエリアへと駆け出していく。
「あはっ、いいよ。付き合うよ、桜倉っ!」
それを見逃さなかったエリアは、右手と左手をそれぞれ桜倉とルーナに向けて、間断なく風刃を発射し続ける。
「私たちは負けない…っ!」
ちょうど反対側を駆けるルーナを見やれば、彼女もまた同じようにこちらを見ていた。
互いに、こくりと頷き合う。
ルーナは、自分の意図を理解してくれている。
普段はどうしようもなく空気が読めないくせに、こういうときは阿吽の呼吸で自分に合わせてくる。
東堂が言っていた。獣人は、戦いの匂いに敏感だと。
ルーナももちろんそうだ。そしてそれは、戦いにおけるあらゆるものに敏感だということだったのだ。
そろそろ、ぐるりと一周する形になる。最終地点ではルーナと桜倉は合流することになるが、同時にそれは、風刃に挟み込まれるということでもある。
「無駄なあがきを」とエリアは笑う。
だが、二人はそんなこと微塵も思っていなかった。
粉塵が舞う中、パラパラと、石が頭上から落ちてきていた。
まだ、エリアはこちらの本当の狙いに気づいていない。絶対的な力を持っているという慢心から、何も考えず、『部屋中の壁を、柱を』自分の手で壊している。
直後、ずしん、と大きな音が天井から聞こえた。
「えっ!?」
エリアが顔を上げる。
壁から天井にかけて出来た亀裂が、蜘蛛の巣の網目みたいにそこら中に広がっていた。
「虫けらども、初めからこれが狙いで…!」
この部屋はかなりの広さがある。それを支えている壁や柱を壊してまわるのは、本来、現実的なことではないが、四大の魔力なら――ヴェルデの風刃なら容易なことだった。
エリアの魔法障壁は異常だ。ルーナと自分、二人がかりでも壊せない以上、それ以外の力を借りなければならない。
そう、例えば…巨大な質量を持った、石の天井とかだ。
ゆっくりと、亀裂が大きくなり、そして、とうとう、大きな石片に砕けた天井が三人の元へと落下してくる。
これに巻き込まれれば、ルーナも桜倉もひとたまりもなく押し潰されてしまうことだろう。しかし、だからといってこの作戦は、相打ち覚悟のものではなかった。
その証拠に、とうとう合流した二人の表情に恐怖や不安はなかった。むしろそこにあるのは、言葉もなく通じ合えた仲間への言葉にし難い熱い想いだ。
「桜倉、行くよ!」
「ああ!」
天井が崩落を始めているさなか、二人はエリアに向かって駆け出した。
そんな彼女らに対し、エリアは一瞬、両腕を構えて風刃を放つ準備をした。
しかしながら、それは放たれることはない。
「ちっ…!」
エリアの注意は、頭上へと戻った。崩落してくる天井の処理を優先したのだ。
当然である。いくらエリアの魔法障壁が尋常ではないとはいえ、あれだけの質量に押し潰されて無事でいられるはずがないし、生き埋めになったら元も子もない。
「こんな小細工を…私はエリア・ヴェルデなのよ!石なんて、風刃で消し去ってあげるわ」
有言実行。自信満々なだけあって、エリアはその後、数発の風刃を炸裂させただけで崩落してくる天井を粉々にしてしまい、多量の粉塵を巻き上げた。
「げほっ、げほっ…ふん、どうかしら、これが私の力よ!虫けらども!」
小粒の石礫が周囲に降り注ぐも、粉塵のせいで視界は最悪だった。
「こんなもので、私を倒そうだなんて――」
だからこそだ。
だからこそ、エリアは二人が手にした刃が間近できらめくまで、その接近に気づくことができなかったのだ。
「なっ――」
砂煙の中から飛び出してきたルーナが、刀を両手で握って渾身の袈裟斬りをエリアの首筋目がけて叩き込む。
「まずは一撃!」
「っ!」
当然、魔法障壁がそれを防ぐが、彼女の姿勢は大きく崩れていた。
「この、犬畜生!」すかさず、エリアが反撃の魔法を放とうとするも、すでにルーナは煙の中に消えている。「くそ、どこに――」
「はあああっ!」
次はエリアの背中側から桜倉が一閃、長剣を振り払う。
「ぐっ」
「魔法障壁だって無限じゃないんだ!いつか、この剣はお前に届くぞ!」
「ち、調子に乗って…!」
すさまじい風圧のために砂煙が巻き上がるが、混沌としたうねりの中にあっては、決して闇を晴らす光のようにはいかず、視界は悪いままだ。
びゅん、と風刃が放たれる。屈んでかわそうとしたが、わずかに剣先かすめた。しかし、十分に練り上げられていない魔法では、この質量の物体を弾き飛ばすことはできなかった。
桜倉は、弾かれた反動を利用して再び煙の中に消えた。
「面倒な真似を!だったら、いっそ!」
エリアが両手を高く掲げた。強い風を起こして砂煙を吹き飛ばそうと考えたのだ。
だが、そんなことをしているうちに、再びルーナと桜倉が煙の中から躍りかかる。
何度も何度も、三人はそれを繰り返した。最初は反撃の意思を見せたエリアも、次第に魔法障壁で身を守るので精一杯になっていき、今度はどこから飛び出してくるのかと焦燥の瞳で辺りを見回していた。
(いける!手応えが大きくなってきている!魔法障壁の展開が追いついていないんだ!)
いくら四大貴族とはいえ、その魔力は有限だ。あれだけの威力の魔法を連続で放った挙げ句、幾度となく直撃コースの攻撃――しかも、獣人の攻撃と、巨大な剣による攻撃を受けているのだ。限界は近いに決まっているし、自動展開する障壁で傷を負うことは防げても、痛みまでは完全に遮断することはできない。
ただし、砂煙も段々と薄まっている。これ以上、奇襲の連続は見込めない。
(次で決める)
桜倉はそう心に言い聞かせた後、ぐっと、魔力を長剣へ全開で注ぎ込んだ。
柄を通して、ヴェルメリオの熱がじんわりと刀身に伝わっていく。その感覚に、桜倉は大きく息を吸い込んだ。
シェイムの炎のように、立派なものじゃない。
かつて『火焔のヴェルメリオ』と呼ばれた炎の足元にも及ばない。
(だけど…!)
煙が薄まる。じろり、とこちらを睨んだエリアと目が合う。
とうとう、奇襲をかける前に発見されてしまった。
「だとしても…っ!」
桜倉は駆け出す。エリアの掲げた手元に風の魔力が満ちていくのを目の当たりにしても、もう止まらない。後は信じるだけだった。
(ヴェルメリオの――フレア・ヴェルメリオの誇りの炎だけは、ここにある!)
間合いまでまだ数メートルある。エリアの攻撃が間に合う可能性が高い中、颯爽とエリアの死角からルーナが刀を手に躍りかかる。
「せいやぁっ!」
袈裟斬り。魔法障壁に阻まれつつも、エリアの体をよろめかせ、魔法の発射体勢を崩す。
「この、犬風情がっ!」
エリアが振り返るも、すでに彼女はいない。
「だぁから、私は犬じゃなくて狼だって!」
ルーナはその短い時間のうちに素早く着地して相手の背後に回ると、電光石火を体現するみたいにエリアの背中に斬りかかり、最後に苛烈な回し蹴りを叩き込む。
「きゃっ」
エリアが尻もちをつく。
体勢が完全に崩れた、絶好のチャンスだった。
「トドメ。いくよ、桜倉!」
ルーナが飛び上がる。桜倉も間合いの内側に入っている。
「分かってる!」
長剣を引きずるようにして踏み込み、少し手前の距離で下から上へと、切っ先で地面を擦りながら大きく振りかぶる。
その拍子に、きらきらと赤い火の粉が舞う。夕焼けを彷彿とさせる輝きだ。
渾身の一撃を放つ数秒前、ルーナの体が浮き上がった。
「まずは、お前からだ!」
風でふわりと浮いたルーナへと、エリアが風刃を放つ。すさまじい衝撃音を耳にしながらも、桜倉は決して動きを止めず、倒れ込んだ少女へと全力の袈裟斬りを叩きつけた。
「これで――どうだぁっ!」
寸秒前に聞いた衝撃音に負けず劣らずの轟音の後、ぶわっ、と一瞬だけ赤い燐光が強まり、そして、パリンという高い音と共にエリアの周囲を覆っていた魔法障壁が割れた。
陶器を地面に叩きつけたような響き。エリアも、桜倉も、目を丸くしていた。二人とも、魔法障壁の崩壊を目の当たりにしたのは人生で初めてだったからだ。
そんな中で唯一、虎視眈々と機会を窺っていた者がいた。
彼女は、限界まで引き絞った矢を指から離すと、『エルフ』という一族が先天的に持つ弓術の才能を遺憾なく発揮した。
次の瞬間、バスッ…という音と共に、エリアの胸には一本の矢が深々と突き刺さっていた。
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