対を成す、風木の悪魔.2
上からはけたたましい轟音が響いており、桜倉やルーナがエリアと激戦を繰り広げていることが察せられた。
「どうか、無事でいて下さい…」
雪希はぼそり、と城壁の上にて、王の間のほうを見上げながらそう呟いていた。
辺り一帯は、すでに白く凍りついている。自分がやったことだ、何も驚くことはない。しかし、ヴェルデの片割れはそうではないようで、目を丸くしたまま、樹木の壁の向こうからこちらを覗いていた。
「な、何なの、お前…!?」
ローレルの言葉に、再び意識を戦いへと戻す。
雪希は唖然とした様子のローレルを、目を細めて見やると抑揚のない声音で告げた。
「それを知って、どうするというのですか?」
一歩、前に踏み出す。パキッ、と冷気で凍結していた石畳が音を立てる。
「これから死ぬ貴方に、私が何なのかなど知る必要はありません」
「くっ…!」すっと、相手が片手を伸ばす。
樹木の魔法だ。さっきから何度も見ている。
軽く手のひらに魔力を込めて、歩みを止める。
ローレル・ヴェルデの扱う樹木の魔法は、急激に成長する木々の力を利用した攻撃が主だった。
十分な魔力で練り上げられた枝の鋭さとしなやかさを利用し、この身を刺し貫かんとする勢いには肝が冷えたが、それも最初のうちだけだ。
「私に、近づかないで!」
ローレルが伸ばした指先に強い魔力が宿る。肉眼では揺らめきのように見えるものだが、魔力を感じ取る端々の神経がそれを確かに捉えていた。
どこから樹木が伸びてくるのか、それさえ分かれば話は簡単だった。
エルフたちに悪魔と揶揄されていた少女は、いつまで経っても成長して生えてこない樹木に蒼白になって癇癪を起こす。
「ど、ど、どうして!どうして、誰も出てきてくれないのぉ!?」
魔力をまるで人のように言い表すのを耳にして、ローレルが木の化け物――という呼び名はもう相応しくないかもしれないが――を『妹』と呼んでいたのを思い出してしまう。そのせいで、自然と雪希の眉間には深い溝が刻まれた。
苦虫を噛み潰したような表情のまま、雪希が告げる。
「結論から言いましょう。貴方の魔法は、私の魔法とあまりに相性が悪すぎます」
「あ、相性…?」
びくっ、と肩を竦めて樹木の壁の後ろに身を隠したローレルを見ても、雪希は何の感情も湧かなかった。
不安や恐怖はもちろんのこと、怒りも、呆れもない。
ただ、良かった、という感想だけがあった。この調子なら、そう遠くないうちに桜倉たちの援護に行けると考えたからだ。
「貴方の魔法、おそらくは魔力の塊を樹木の種のようにして地面に植え込むことで起動するのでしょうが、残念なことに、芽吹く前にその地面を凍らせてあげれば力は無と帰します」
「あ…」今頃の仕組みが分かったのか、ローレルは手を口元に当てて驚いていた。
「ですから…貴方の魔法は、もはや魔法として用をなさない」
カツ、カツ、とローレルの前に歩み出る。大気中の水分が冷気によって凍りついていくが、全く寒さは感じない。
「ち、近づかないでってば!」
何度やっても無駄だと理解できないのか、ローレルは再び魔力を指先に集めると、こちらに向けて放った。
今度もまた同じように、樹木が根を張るより先にその土台を凍結する。命も凍えるリアズールの魔法の前には、無機物も有機物も関係ない。
「だから、無駄だと…」
呆れ半分で言葉を口にしていると、ふと、周囲から魔力の気配を感じたため、雪希は辺りを見渡した。
「これは…」
彼女の周囲に浮かんでいたもの、それは、魔力の塊だ。おそらくは、ローレルの木の魔法が凝縮されたものだろう。
「あは、あははっ!引っかかった、引っかかった!」
童女のように繰り返しはしゃいでみせたローレルは、宙に浮いているものが自身の魔力を元にして生み出した植物の種だと説明した。
「有利不利の理屈を得意げに説明してくれて、どうもありがとう、青髪のお姉さん。おかげで土が無くても成長できる木の種を作る時間ができた」
薄黄色と黄緑色のグラディエーションが美しい髪を左右に揺らしたローレルは、ぱちん、と指を鳴らして歪んだ笑みを浮かべた。
「さぁ、みんな!このお姉さんを刺し殺してっ!」
音をトリガーにしたみたいに、いくつもの種が割れ、そこから細長い木の幹がメキメキと成長する。やがてその鋭く尖った先端は、一斉に雪希を目がけて踊りかかった。
「貴方も、私の家族にしてあげる!」
雪希は自らを囲う鋭い枝木を見て、なんとなく、鳥かごを彷彿としていた。
自分を閉じ込め、逃さぬよう覆い潰す格子の一本、一本を目で追いながらも、彼女は何も不安がることはなく、ふぅ、とため息を吐いた。
「――言ったはずです。無駄だと」
「え?」
直後、雪希に襲いかかっていた木々の先端が、ぴたり、と制止した。
「え?あ、なんで」
ローレルは、何度も何度も握り拳を作った。だが、彼女が生み出した樹木はほんのかすかに震えるだけだ。
「ど、どうしてぇ…!?わ、私、地面から生やしてないのに」
狼狽するローレルに向けて、再び雪希は歩き出す。
「私が貴方に相性云々を語ったのは、すでに勝敗は決したと確信したから」
雪希はふと虚空を見つめると、彼女にしか見えない雪でも握り潰すみたいに拳を作って見せた。すると、その瞬間、彼女を囲んでいた木々は粉々に砕け散ってしまった。
「絶対零度の中で芽吹く植物は、この世にはない…!」
その無感情な瞳の奥底に、闇すらも食い潰す瑠璃色の深淵を見たローレルは、幼子が悪夢に怯えるような悲鳴と共に尻もちをつき、城壁の縁まで後退した。
「貴方の敗因は、私の魔法を目の当たりにしてもなお、その相性の悪さを想像することができなかったことです」
「いや、来ないで!」
ローレルは両手を無茶苦茶に眼前で振り回すと、桜倉たちが戦っているだろう城のほうを向いて叫ぶ。
「え、エリア!助けて、エリア!」
パキパキ、と音を立てて、城壁の石畳が凍り続ける。雪希がローレルの前に立ったときには、彼女のまつ毛すら凍て付き始めていた。
所詮、彼女は自分と同類なのだ。桜倉やブリザのように実戦経験が豊富ではない。それゆえ、有利不利を察することもできず、こうして崖っぷちに追い込まれた。
(…扱える魔法が逆だったのなら…今、追い詰められているのは私のほうだったかもしれないわ)
とても良い経験になった、と考えつつも、雪希は額をおさえた。
そろそろ、魔力のほうが心もとない。いくら相性が良いとはいえ、こちらは久しぶりに魔法を使い始めたのだ。長期戦になればどうなるとも分からない。
「さぁ、もう終わりにしましょう」
右手を伸ばし、手のひらをローレルに向ける。すると、すぐに彼女の足元が凍りつき始める。
「あ――嫌ぁっ!」
ローレルは腰を抜かした状態で反転し、逃げ出そうとした。だが、逃げる先などなく、彼女はがくんと城壁の下へと落下しかける。
慌てて城壁の縁を掴む彼女を見て、雪希は内心、ひやりとした。
(この子も、私と変わらないくらいの魔法障壁を持っているはず。たいした手傷も負わせていないままでは、ここから落下しても致命傷にはならないかもしれない…!)
すぐさま、縁に掴まったローレルの片手を凍結する。
「あ、あ、あ…!」
少女の瞳が絶望と恐怖に染まる。
「え、エリア!エリア、エリアエリアエリアぁ!助けて!お願い、エリアぁ!」
一心不乱に泣き叫ぶ少女の声を聞いても、雪希の心は、凍ったまま動くことはなかった。むしろ、耳をつんざく叫びに嫌気の差したような表情を浮かべていた。
「少し、静かにして下さい」
強い冷気が、ローレルの顔の周りに漂い始める。そうすると、冷気を吸い込んだ彼女の喉は霜であっという間にはりつき、やがて、空気穴から漏れ出るような音しか出なくなった。
体がこうも傷つき始めれば、時間の問題だ。そのうち、ろくな障壁も展開できなくなるだろう。
数秒後、城壁に掴まっていたローレルの片手は、パキン、と音を立てて粉々になると、そのまま彼女の体ごと遠い地面へと向かっていった。
雪希は、鈍く、くぐもった音を聞くと、小さくなったローレルの体が身じろぎ一つしないことを確認してから反転し、剣撃と風泣きの音が響く場所へと歩き出した。
「さようなら、ローレル・ヴェルデ…貴方が蒔いた理不尽の種は、きちんと私が摘み取りますので、悪しからず」
一方、城内では、狂気じみた怒りに燃えるエリア・ヴェルデの猛攻が始まっていた。
びゅんびゅんと、風泣きの音が際限なく続いており、その都度、桜倉は長剣を間合いの外で振り回し、機敏に角度を変えて動いていた。
可能な限り足を使って回避に徹していたが、それが間に合わないと判断したときは、まるで長剣を放り込むようにして飛び上がり、その重みを利用して空中の姿勢を制御した。
エリアも、明らかに苛立ちを覚えている様子だった。それもそのはずである。彼女にとって桜倉は、『その気になればいつでも潰せる虫』と思っていたからだ。
「…虫らしく、飛び回り、跳ね回るのは上手なようね」
皮肉混じりの言葉に反応する余裕は、桜倉にはない。一度、エリアの放つ風刃が自分の体をかすめれば、その部位が弾け飛ぶことぐらい、壁や柱に刻まれた深い傷を見れば分かるからである。
「でも、いつまでもそうして動き回れるとは思わないことね」
びゅん、と三日月状の魔力エネルギーが桜倉のすぐ横を通過する。ギリギリでかわせたが、この間隔は段々と狭まってきている。
「片手、片足…ゆっくり、切り落としてあげる」
絶え間ない攻撃は続く。このままではジリ貧になる。だが、それが分かっていても、今の桜倉にやれることはこうして粘る他にはない。
「ねぇ、虫けら。蝶の羽とか足だったり、バッタの足をもいだりしたことってあるかしら?」
(あるわけないだろ、そんなの…!)
心の中で、エリアの気味の悪い問いかけに返事をする。
本当だったら最高の皮肉と一緒に剣撃を叩き込んでやりたいところだったが、いかんせん、触れることはおろか、近づくことさえできはしない。
「手のひらの中で、段々と動きや反応が鈍くなっていく…あれはなかなか面白いものよ。分かるかしら?この手のひらの上に、そっと小さな死が出来上がっていくの」
「悪趣味…!」
繰り返される攻撃の間断に顔を上げてそう唱えるも、よくよく見るとエリアはこちらを向いていない。一人舞台に立っているみたいに、傷だらけの天井や柱、壁へと手を伸ばし、見渡し、台詞を明朗に告げる。
「殺戮こそが――四大貴族の宿命。連綿と続く私たちの血塗られた歴史の中で、受け入れざるを得ない宿命なのよ」
「何だと…!?」
ふっ、とエリアが口元を歪め、桜倉を嘲笑と共に睨みつける。
「どうせ殺さなければならないのであれば、せめて、それは美しく、優雅でなければならないと思うの。そういう意味で、エルフの方々は完璧な存在だわ」
桜倉はその言葉を受けて、地下牢で見た無惨な光景を、アイボリーという少女の悲劇を、アネモスの大粒の涙を思い出した。
「き、貴様っ…命を、なんだと…!」
「散り際ですら美しい彼女らには感謝しかないわ。おかげで…私は幸福なの。ねぇ、そうでしょう?オークウッド様」
そう言って、エリアは後ろを振り返った。
だが…。
「オークウッド、様…?」
エリアが呼んだ愛しのオークウッドの姿は、そこにはなかった。
彼女は必死でオークウッドの姿を探した。そして、謁見の間の入口、桜倉たちが入ってきた扉付近でその姿を発見する。
「オークウッド様!」
オークウッドは、ルーナに抱きかかえられた状態で運ばれていた。その隣には嬉しそうな、でも、少し怒ったような顔のアネモスがいる。
「む、虫けらめ!オークウッド様から離れろ!」
虫けら呼ばわりされたルーナは、にっ、と不敵に笑ってみせると鮮やかにオークウッドを床へと下ろし、それから、わざとエリアに見えるようにしてオークウッドの手のひらへとキスを落とした。
「あはは、嫌だよ。私だって、とびきりの美人には目がないんだもんね」
「…っ、い、犬畜生…ッ!」
ばっ、とエリアは両手に魔力を込め始めたが、エルフ二人に当たることを嫌ったのか、怒り心頭の面持ちのままそれを放てずにいた。
桜倉はそんな彼女に、低い声で言う。
「虫けらに夢中になりすぎて、大事なものを手放してしまったようだな」
「ぐっ…」
「どう?虫けらに出し抜かれる気分は。私に教えてよ、エリア・ヴェルデ」
みなさん、お疲れさまです。
みなさんのちょっとした楽しみになれればと、執筆しておりますが、
一ミリくらいはそうなれているでしょうか?
何はともあれ、ご覧になって頂きありがとうございました!




