表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪桜の華冠  作者: null
一部 一章 許嫁
4/53

許嫁.3

稚拙な文章ではありますが、お楽しみ下さい。

 幸か不幸か、フルールを乗せた馬車は淀みなく道を進み、宵の明星が瞬き始めた頃合いにはリアズール領に足を着けることができた。整備の行き届いた街道であったため、魔物や野盗の襲撃もほとんどないと御者が言っていた。


 降車した拍子に、念のために持ってきた長剣が音を立てた。


 この柄にルビーがはめられた剣は、信兵衛から貰ったものだった。古いものではあるが、昔、ドワーフと人間の仲が良かった頃に打たれたもので、上等な一振りである――というのが、信兵衛の説明だった。


 静かな土地だった。水の四大が納めているだけあって、周囲には清流が蜘蛛の巣みたいに巡らされている。水辺には夜光虫が住み、水中を時々照らしていた。


 リアズール原産の夜光虫は、水さえあれば、海だろうと川だろうと生きられることで有名だ。豊かな国力もあって観光名所としても人気の土地である。


 馬車から降りたフルールは、宿に向かうべきか、それともリアズール家に向かうべきか迷っていた。そうこうして歩みを進めているうちに、人通りの多い場所に出た。


 まだ、空も漆黒に塗り潰されてはいない。とりあえず、顔だけでも出して、また明日の昼頃にお邪魔することぐらいは伝えておいたほうがいいだろう。


 そう判断したフルールは、領民にリアズール邸への道程を尋ねて歩き、やがて、目的の場所に辿り着いた。


 リアズール家の邸宅は、外から見ても分かる広大な敷地と巨大な噴水とを持っていた。さすがは統一国家の政略を担う貴族である。彼女らは、他の四大よりも重要な役職に就いているのだ。惜しみのないハイソサエティ感は、むしろ嫌味っぽさがなくて悪くない。


 正門のほうへと移動すると、衛兵が二人並んで立っているのが見えた。怪しまれないよう頭を下げながら近づいたが、お構いなしに大声を上げられる。


 「見ない顔ですが、どなたですかな」

「夜分にすみません。私はフルール・ヴェルメリオ。火の四大貴族ヴェルメリオ家の者です」


 衛兵に事情を告げると、すぐに彼らはフルールの髪を見やった。ヴェルメリオ家の血筋をはっきりと語る朱色だ。


 これはきちんと受け継ぐことができたのに、肝心の魔力を受け継げなかったことは悔しく思う。そうであれば、今頃こんなところに一人で来ずに済んだのだろう。


 彼らは、少し待ってくれとフルールに告げると一人を残して邸宅のほうへと姿を消した。やがて、五分ほどしたところで、消えた衛兵と共に豪奢なローブを羽織った一人の女性がやって来た。


 過去の扉が一人でに開く。フルールは、相手が口を開くより先に頭を深く下げ、改めて名乗った。


 「フルール・ヴェルメリオです。こんな時間に申し訳ございません、リアズール卿」


 瑠璃色の長髪をかき上げたのは、水の四大貴族リアズール家当主、スプラート・リアズールであった。記憶の中の彼女に比べ多少は老けたが、まだまだ美しく、艷やかに見える。女性として十分魅力的なのではないだろうか。


 「やあ、こんばんは。遠くからわざわざご足労すまないね」とても柔らかい物腰でスプラートが応じる。「それで、何の用事かな?」


「はい。急な話で申し訳ないのですが、その、スノウお嬢様のことでご挨拶をと思いまして…」

「こんな時間帯にかい?」

「あ、いえいえ!今日はその辺りの宿に泊まるので、また明日、お顔を拝見させて頂ければと考えております」


 父のせいで自分が礼儀知らずと思われてはたまったものではない。フルールはきちんと釈明し、今日はただ顔を見せたかっただけだと伝えた。


 フルールの説明を聞いたスプラートは、困ったように微笑んで見せると、「お父上の気の早さに巻き込まれたんだね、かわいそうに」と肩を竦めた。「昔から、アイツはそうだった。家の復興で忙しいのは分かるが、急ぎすぎるきらいがある」


 曖昧に笑って返すフルールにスプラートは、「家のことを考えれば、その辺りの宿に泊まるというわけにもいかないだろう」と言って、遠慮するフルールを押し切って、強引に邸宅へと導き入れた。


 正門から館の玄関まで100m近くある。こんなに遠い意味は果たしてあるのかと不思議に思いつつも、庭の至るところで稼働している噴水の美しさに感心する。


 「噴水に興味があるかな?」少しだけ嬉しそうに、スプラートが問う。「はい、こんなに素晴らしい物は、ヴェルメリオの領内では見られませんので」


「それは嬉しい感想だ。だが、君たちのところにも美しい炉や火事場があるだろう?」

「…まぁ、そうかもしれませんが…」歯切れの悪い答えに、スプラートが首を傾げる。


 言っていいものかと迷ったが、長時間馬車に揺られて生まれた疲労感が、フルールの判断力を鈍らせた。


 「正直、あれは駄目です。いくら美しかろうと、ドワーフやホビットに過重労働を強いて生み出しているもの。見栄と虚栄で形作られたものに価値なんて――」

「そこまでにしよう」ぴしゃり、とスプラートが言葉を遮った。それを聞いてから、しまった、とフルールは後悔する。

「申し訳ございません、その、なんと情けのないことを…」

「大丈夫、聞いていないことにしておくよ。…ただ、そういう迂闊な発言は他領ではしないことだね」

「面目ありません…」


 自領の問題――しかも、異種族との問題を他領で口にするなどと、領主の娘としてあるまじき行為だった。


 フルールの住んでいるヴェルメリオ領には、ドワーフやホビットといった人間とは別の種族が暮らしている。いや、暮らしているというのは穏やかな表現過ぎて、欺瞞である気がする。正直に、支配していると言うべきだっただろう。


 こうした異種族の弾圧、支配は何もヴェルメリオ家に限ったことではないと聞くが…やはり、このリアズール領でも同じなのだろうか。


 元々は人間も異種族も同等の立場であったはずだが、統一国家エレメントの創立と、祖父が参加していた反乱運動の結果、彼らは圧倒的弱者としての立場を余儀なくされていた。彼らが一貫して魔法を使えないというのも、この立場の違いを強くする理由だろう。


 過重労働が相次いで報告されるのを耳にすれば、領主の娘として罪悪感を覚えずにはいられなかったが、変える力のない自分が何を言っても無駄だと諦め、目を逸らしてフルールは生きていた。


 家の中に入ると、すぐに食堂に通された。晩飯を抜いていたので、すっかり空腹だ。


 運ばれてきた食事に遠慮なく手を付けている間に、スプラートは仕事に戻ってしまっていた。乞食のようだと思われなかっただろうかと、少し恥ずかしくなる。


 やがて、食後の紅茶がティーポットに乗せて運ばれてきた。メイドらしき女性がフルールのコップに液体を注ごうとしたとき、不意に、誰かが扉を開けた。


 「あら、ちょうど良いタイミングだったわね」


 そこに立っていたのは、スプラートを若返らせたような女性だった。フルールはすぐに、リアズール家のご息女なのだと気付いた。


 彼女は、慌てて立ち上がって挨拶しようとしたフルールに対して、もう一度座り直すよう促すと、メイドに紅茶の給仕をやめて退室するよう命じた。


 わずかばかり困惑していたメイドだったが、ご息女に、「聞こえなかったかしら」と繰り返されると深く頭を下げて部屋から出て行った。


 「あの、申し遅れました、私は――」

「フルール・ヴェルメリオさん」名乗ろうとした言葉の先を、ご息女が奪う。「存じ上げておりますとも、以前、遊びにいらっしゃいましたものね」


「覚えておいでですか?」

「ええ、一度見た顔は忘れないほうなの。それが可愛い人なら尚の事」


 ご息女は気障ったらしくそう言うと、自らをブリザ・リアズールと名乗り、驚いたことにメイドが置きっぱなしにしていた紅茶のポットを手に取って、フルールのカップに注ごうとした。


 「あ、ちょ!いけません!」


 急いで制止に入る。ヴェルメリオのような没落貴族の娘が、リアズールのご息女、しかも、おそらくは長女に飲み物の給仕をさせるなど…知る者に知れたら大事である。


 しかし、ブリザはフルールの制止の手に自らの手を重ねると、逆にやんわり押し返し、こてん、とあざとく小首を傾げた。


 「どうして?お客様を丁重に出迎えるのは、淑女として当然のことだわ」

「そうはおっしゃりましても、その、私たちの関係というものが…」


「私たちの関係?」ブリザは愉快そうに微笑を浮かべる。「ねぇ、それって一体どういう関係なのかしら?私に教えて下さらない?」


 ブリザはそう言って、わざとらしく前屈みになって上目遣いに紅茶を注ぐ。


 否が応でも、彼女のシルクで出来た青の寝巻きから覗く白い双丘に目が吸い寄せられる。


柔らかな質感を夢想しているうちに、ふと、父が自分に投げかけた質問が脳裏に蘇る。


 ――お前、女は好きか?


 その瞬間、体が熱くなった。


 考えたこともなかった。そもそも、恋愛自体に興味がなかったのだ。


 フルールの青春時代の多くが、認められるための努力に費やされていた。


 魔法の鍛錬、礼儀作法、勉学…それらが実らないと勘付き始めてからは、父に反対されようとも、陰で剣術の稽古も追加した。


 自分の性の対象など、爪の先ほども興味がなかったのだ。それが、今になって意識せざるを得ない状況になると…。


 確かに、こうして改めて意識してみれば、ブリザはそういう意味でもとても魅力的に思えた。その気品溢れる立ち振る舞いが、人としての魅力を生んでいることもあるのだろうが、それだけではないはずだ。


 フルールが夢中になって考えていたところ、ブリザがこちらの視線を辿ってから、ふ、と笑った。


 「どうかされましたか?ぼーっとしているようでしたけれど…」明らかに、自分の卑しい視線に気付いての発言だ。フルールは自分が情けなく、恥ずかしく思えた。


 (品のない人間だと思われただろうか…)


 「いえ、別に…何でもございません」と俯いて答えつつも、自分の体が羞恥で熱くなっていることを自覚する。


 結局、ブリザはこちらの言い分など無視して紅茶をカップに注ぎ入れた。


 この甘い匂いは紅茶の香りなのか、それとも、ブリザの香りなのか…それすらも分からなくて、フルールの困惑は続いていた。


 それから二人は、ブリザを主体とじて世間話に興じた。リアズール領で取れる新鮮な海や川の幸のこと、夜光虫が美しく踊る穴場のこと、スプラートへのおかしな小言、領民の様子…。


 何気ない会話の端々から、洗練された人格が見受けられ、フルールは、これこそが四大貴族の娘としてあるべき姿だと感銘を受けた。短い時間だったが、ブリザという人間に好感を抱くのには十分すぎる時間だった。


 フルールは、何となく自分の許嫁が彼女であれば良かったのに、と考えてしまっていた。


 冷静に考えれば、あり得ない話だ。没落貴族の用無し娘を、ブリザのような将来栄光を手にするだろう人間の妻にするなど…相手にとって何のメリットもない。


 「ブリザ様、本当にありがとうございます。こんな時間にお邪魔したのに、美味しい食事に紅茶までご馳走頂いた上に、お話まで聞かせて頂いて…」

「まぁ、そんなことを気にしていらしたの?」ブリザは愉快そうにころころと笑った。「お邪魔だなんてとんでもない、素敵な夜だわ。こんな時間にこんな愛らしい方がいらっしゃるなんて…お月様が天使でも連れて来たのかと思ったもの」


 明らかなお世辞だったが、悪い気はしなかった。ご機嫌取りをされているわけではない、ブリザはそんなものとは無縁の立場に属している。彼女の中にある心のゆとりが、他者を楽しませ、喜ばせるために使われている、ただそれだけに過ぎず、何の嫌味もないのだ。


 それに、彼女のように魅力的な人間から気障な誉め言葉、熱っぽい艶やかな眼差しを受ければ、自然と気分も昂揚して当然だった。


 「か、からかわないで下さい…」

「からかってなんかいないわ」途端に、ブリザの顔から笑顔が消えた。「本気よ。本気で素敵な夜だと思っているもの」


 ぐっ、と心臓を掴まれるような一瞬だった。


 こういうことに慣れている様子だし、真に受けてはならないと自分に言い聞かせる。それでも、高鳴る鼓動は抑えられなかった。


 こちらの心を見透かすような、あるいは、貫くような視線を受けて、フルールは瞳を逸らす。


 (何を…考えているんだ。私は)


 目を閉じ、ゆっくりと開く。目蓋の裏に宿る暗闇が、自分を落ち着かせてくれた。


 期待してはならない。多くの場合、それは自分を裏切ってきた。


 踏みにじられることに慣れても、痛みが消えるわけではないのだ。


 それに…、とフルールはまだちゃんと顔も合わせていない許嫁のことを思い浮かべる。その人のことをこんな形で裏切るのは、矜持も持たない犬畜生以下の沙汰だと思った。


 富も、名誉も、地位も未来もない自分が誇りを捨てたら…一体、何が残るというのだろう。


 「ブリザ様は、本当にお上手です。多くの者がすぐに貴方様の虜になることでしょうね」

「そんなこと――あるかもしれないわね」とブリザが笑う。「フルールさんも、そうであれば嬉しいのだけれど?」

「私は…」もう一度視線をブリザと合わせ、曖昧に微笑む。「一夜の幻に身を沈められるほど、明るく生きていません」


 その言葉をどう受け取ったのかは知らないが、ブリザは少しだけ落胆した様子で肩を落とすと、「貴方の許嫁が、私だったら良かったのに…」と独り言のように呟いた。


 フルールは、自分を嘲笑するように口元に弧を描くと、「そのお言葉、お世辞だって嬉しいです」と答えるのだった。


 その後、あろうことか、自分の部屋に泊まっていかないか、と提案してきたブリザの誘いをやんわりと断ったフルールは、一晩、メイドたちが仮眠などに使っている小ぢんまりとした部屋で睡眠を取らせてもらった。


 四大貴族が眠る場所ではない、と畏まったメイドたちからはうるさく言われたが、それは昔の話だと一蹴し、フルールは眠りに就いた。

完結済みの百合作品もアップしておりますので、

よろしければそちらもどうぞ!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ブリザの胸の柔らかさを想像しちゃうフルールかわいい! その後で、顔も知らない許嫁に操を立てて自分を諌めるフルールも素敵!!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ