対を成す、風木の悪魔.1
これより三章のスタートです。
ゆっくりと楽しんで頂けると幸いです。
バタバタと押しかけてきた四人に、扉の先――王の間にいた三人は面食らった表情を浮かべて動きを止める。
「あ、貴方たち…っ!」
焦ったような声を発したのはエリアだ。イエローグリーンのビロードがかけられた古い王座に足を組んで座っている。その隣の王妃の座にはローレルがかけている。
そして、二人の前に跪いているエルフが、おそらくはオークウッドであろう。
オークウッドはアネモスに似て美しい金色の髪をしており、こちらを振り向いた瞳は青い色をしていて、とても子のいる女の顔には見えないほど若々しかった。さすがはエルフだ。
「ど、どうやってここまで…」
ローレルが言葉を言い終わらないうちから、アネモスが矢を素早く放った。
正確な軌道で飛んでいく矢を追うようにして、桜倉とルーナも加速する。
卑怯なやり方だとは自分も思っていた。しかしながら、戦力差が大きい相手と戦う際に、奇襲以上の効率的な戦法がないとも分かっていたため、ルーナのこの提案に乗ったのだ。
矢の速度に反応しきれなかったエリアは、「きゃっ!」と身を丸くした。当然、魔法障壁に防がれたわけだが、出鼻をくじくという目的は達成している。
「エリアっ!?」
ローレルの注意が逸れたのを確認し、桜倉は彼女に向けて全速力で突進する。
莫大な魔力を持つといっても、所詮は生の戦闘訓練を受けていない子どもだ。盾の内側から大軍を吹き飛ばし、制圧する訓練は積んでいても、間合いを詰められた後の訓練はやっていないようだ。
長剣を抜き払い、魔力を込める。雀の涙だろうと、それだけでも価値があるとその身で学んでいた。
ローレルが反応する。手をかざし、魔力を練り上げ、こちらを迎撃しようとしている。
だが、全てが遅い。大ぶりの逆袈裟斬りよりも、遅かった。
「はあっ!」
剣撃が、迎撃の間に合わなかったローレルの肩を横から打ち据える。
魔法障壁が発動したときの独特の感触、そして、光。それでも構わず、桜倉は思い切り長剣を振り払った。
吹き飛ばされたローレルの体は、そのまま横の窓を突き破って、城壁へと擲たれる。まあまあの高さだが、下にいる彼女が致命傷を負っている様子はない。
「では、行きます」
言うや否や、雪希が割れた窓から飛び降りた。
四大令嬢と一対一で渡り合えるのは、間違いなく雪希しかいない。
三人がかりでエリアを仕留め、残る一人を雪希が仕留める。これも元から考えていた作戦ではあった。
――大丈夫です。同じ四大なら、勝機はあります。
王の間の扉の前で雪希が言った言葉を思い出す。
彼女は、何も恐れていないふうだった。負けて、殺されるかもしれないなんて微塵も思っていない瞳をしていた。
(本当は、こんなことをしたくなかったけど…)
桜倉が現実と理想がもたらす後悔に苛まれていると、刹那、ぞわりと肌が粟立った。脆弱な魔力しかない自分でもヒシヒシと感じられる魔力の奔流が、自分の身に迫っているのが分かった。
振り払った長剣を引きずりながら前方に飛び込めば、先ほどまで自分がいた空間を縦長で黄緑色の大きな三日月が通り抜けて行った。
三日月は石壁に衝突したかと思うと、衝突した部分だけを切り裂いた。まるで、石壁で型抜きしたみたいに跡が残っている。
「私の聖域に、よくも土足で上がり込んでくれたわね…っ!」
怒髪天のエリアが高い声で忌々しそうに言う。愛らしい顔立ちは歪み、悪魔、という表現がぴったりの容貌になった。
「ここはエルフと私の聖域。獣臭い獣人や、穢れた人間が足を踏み入れてよい場所じゃ――」
すると、女王のようなふてぶてしさで一同を睥睨していたエリアの視線が、ぴたり、とある一点で止まった。
エリアの表情は悪魔の如き様子から、段々と元の天使のような顔つきに戻っていった。それを見て、感情のバランサーが明らかに壊れていると桜倉は思った。
「まぁ、まぁ…!」
両手を頬に当てて、ふらふらと前進するエリアに向けて、アネモスは何の遠慮もなく矢を番え、放った。
しかし、矢は当然のように魔法障壁に弾かれ、ぽきりと折れてその場に落下する。
「くっ…あんなの、ずるいじゃない!」
悔しそうに呟くアネモスへ、エリアがまた一歩、近づいていく。
上気した頬、歳不相応な艶やかな微笑み。狂人の類だと一目見て分かる。ブリザとは違う意味でまともではない。
「エリアさん!その子には手を出さないで!」
叫んだのはオークウッドだ。娘の危機を前に、声が裏返るほどの必死さであった。
「アネモス、貴方も逃げなさい!」
「冗談じゃないわよ!」
アネモスは逃げようとしない。不退転、こうなれば矢が相手を貫くまで…と次の一射を構えるも、さっと振り払った右手が起こした風で、矢は天井に舞い上がる。
(まずい!)
ルーナと桜倉は、ほぼ同時に動き出していた。エリアを左右から挟み込むように、阿吽の呼吸で間合いを詰める。
容赦なく、一閃、胴薙ぎを繰り出す。ルーナも、反対側から飛び上がりながら逆袈裟斬りを放っていた。
隙だらけの胴に一太刀入る…そう思っていた矢先、エリアと二人の間に眩い閃光がきらめいた。
魔法障壁だった。まるでびくともしない障壁が、エリアの右と左の掌から発せられている。目には見えない魔法障壁だが、確かに自分と相手の間には、互いの干渉を阻む壁があるのだ。
「ローレルのものとは違う、なんていう硬さなんだ…!?」
シムスのときも同じようなシチュエーションになっていたが、彼女は片手では防ぎきれずに慌てて反撃に出ていた。
しかし、エリア・ヴェルデは違った。
両手を左右に突き出し、悠々と仁王立ちしており、とてもではないがこのまま押し切れる気がしない。
「邪魔よ、虫けら」
エリアは冷たくそう言い放つと、素早く左右の手を入れ替え、掌から風の魔力を放出した。
ずん、と攻撃を受けたみぞおちが沈む。息ができない苦悶と共に、体が真横に吹き飛ばされ、あわや、桜倉とルーナも雪希たちを追うことになりかけた。
練り上げられたものではなかったため、酷い傷になるようなものではなかった。しかしながら、しばらく床の上から起き上がれなくなるには十分な威力だった。
「あぁ…何という美しさっ!貴方がオークウッド様の言っていた娘、アネモス様なのね!」
「え、えぇ…!?」
「はあぁ…月の戴く金冠よりも麗しい金糸、紺碧の空を吸い込んだ蒼玉の瞳、そして…そして、文句のつけようのない、流線型のボディライン!」
耽溺した口調で詩かなにかを口ずさむようにしてアネモスににじり寄ったエリアは、困惑するアネモスをよそに、彼女を絶賛する言葉を重ねた。
「貴方のような方なら、大歓迎よ。さぁ、あっちで一緒にお話しましょう」
ぺろり、と赤い舌がエリアの唇の上を這う。
「今夜は満月だと聞いたから…きっと、貴方の白く透明な肌が、はっきりと暗がりに浮かぶことでしょうね。ふふ、うふふ…」
「な、何こいつ、気持ち悪い…!」
突然、自分に向けられた理解不能の粘着質な感情にアネモスが戸惑っていると、玉座の近くに跪いたままのオークウッドが声を上げる。
「約束が違うわ!その子には、アネモスには手を出さないと言ったでしょう」
「まぁ、オークウッド様。それを言ったら、そちらだって話が違いますわ。貴方様に似てこんなに美しいとは、一言も聞いておりませんもの」
持論の展開が止まらないエリア。彼女は、自らこそがこの法廷における正義の秤だと言わんばかりに、その善悪を疑っていないようだった。
「…と、とんでもないサイコだね、本当。おかげで、罪悪感も少なくて済みそうだよ」
ようやく動けるようになった桜倉は、皮肉を口にしながら立ち上がると、再び長剣を構えた。
すると、桜倉より少し早く立ち上がっていたルーナが、ちょうどエリアに向かって飛びかかっているのが見えた。
ただ、戦い方について、いつもと違う点が一つだけあった。それは、二刀流ではなく、一刀流であったことだ。
ルーナはアネモスに夢中になっているエリアの背後から飛びかかっていた。
エリアは死角からの攻撃にも関わらず、その一撃を、手を後ろにやって障壁で防いだ。そして、先ほどと同じように逆の手でルーナを追い払おうとした。
ルーナは空中で身をよじって迸る風の魔法をかわすと、刀を持っていないほうの手を地面に着いた。
それから、逆立ちの状態で鮮やかに回転蹴りを放つ。さらに、軽やかにまた体の上下を入れ替えると、両手で太刀を持ち、力強く袈裟斬りを叩きつけた。
「ちっ…」とエリアが顔を歪める。ほんの少しだけ、姿勢が揺らいでいた。おそらく、障壁のピンポイント展開が間に合わなかったのだろう。
「よほど死にたいらしいわね。私が新しい天使と親交を深める邪魔をするのなら――」
鬱陶しそうにエリアが一歩後退し、同時に、激しい魔力が彼女の両手に渦を巻いた。
それを見て、桜倉はすぐさま察した。
――ヴェルデ家にのみ扱える、四大魔法、『絶風』が来る。
「ルーナっ!やばいのが来るっ!」
背後から接近しつつ、桜倉は仲間のために叫んだ。
「あはは、上等だね。見せてみなよ、本気の魔法…っ!」
桜倉の警告を受けたルーナは、不安になるどころか、むしろ楽しそうな顔つきを見せた。
彼女が、魔法使いとの戦いが楽しいと口にしていたことを思い出す。きっとそれは本心なのだろう。獣人としての性なのか、それともルーナ自身の性格なのかは分からないが。
右手に持った刀の腹を、すぅっと左手の指でなぞる。銀の輝きが、赤茶けた瞳に差し込んだとき、エリアの魔力が解放された。
「消えるがいいわ、尻尾の生えた虫けらめ」
ぼん、とくぐもった大きな響きが空間に木霊する。子どもの頃に空気砲で遊んだときの音に近い。
エリアの真正面の床が激しい音を立てて剥がれ、浮き上がる。その衝撃波は、あっという間にルーナの立っている位置にまで到達した。
対するルーナも、目にも止まらぬ勢いで横に飛んで回避しようとしていた。だが、エリアの直線軌道上から逃れたように見えても、その風圧はすさまじいらしく、そのまま浮きあげられ、壁の近くの床に叩きつけられた。
ルーナを捉え損なった後も、風の魔力は満足することなく直進した。
(…これが、『絶風』)
直撃すれば文字通りミンチになってしまいそうだ。いや、雪希の氷の魔法を受けた相手が実際にそうなったことを考えれば、あながち考えすぎではあるまい。
――エリア・ヴェルデ。想像以上の強さだった。
特筆すべきはあの魔法障壁の頑強さだ。唯一、ルーナが吹き飛ばされる前に叩き込んだ一撃だけが有効打となったようだが、それ以外はまるで駄目だ。
桜倉の操る長剣は、それなりの質量と重量がある。叩きつければ、障壁がろくに展開できない人間なら、簡単に大怪我を負う代物である。
ローレルは、不意を打ったこともあってか押し込めた。しかし、エリアにはまだ通じていない。
それに自分の戦闘スタイルは、ルーナのように手数と火力を両立できるようなものではない。悔しいが、根本的に自分とルーナの間には剣士として一つ壁があるのだ。
そんなルーナが容易く一蹴された。そんな相手に、自分たちで勝ち目があるのだろうか…。
桜倉は表情を曇らせながらも、エリアが執心しているアネモスの前に盾のように立った。エリアはそれを見て、不愉快そうに眉をひそめる。
「邪魔よ」
「随分とエルフにご執心だな!何でなんだ」
「なぜ?なぜですって?」
エリアの表情が不愉快を通り越して激昂に染まる。
「あぁ、下らないっ!彼女らはこんなにも美しいでしょうがっ!」
無造作に、風の弾丸が放たれる。しっかりとアネモスには当たらない角度で向かってくる攻撃を長剣の腹で受け止めるが、あまりの衝撃にルーナと同様、部屋の隅に飛ばされた。
(たいして魔力を練ってもいないのに、この威力か…)
四大として望まれる、本来の姿、力。
これだ。この圧倒的なまでの魔力なのだ。
結局、自分だけがこれを持っていない。
スノウ・リアズールも、すでにこの力を取り戻してしまった今、自分だけがこの孤独に取り残されてしまった。
埃が舞う中で立ち上がった桜倉は、その事実にエリアや雪希のことを妬ましいと思った。だが、それ以上に強い火が心の中では燃えていた。
「美しいものを愛で、収集し、独占する!人間が古来より芸術品に対して持つ、プリミリティブでピュアな使命感!それを理解できないお前たちの居場所なんて、この城には塵一つ分もないのよ!」
「ふふ…」
高らかに言い切ったエリアの言葉に、思わず、妙な笑いがこぼれる。
「何を…笑っているの、虫けら」
触れれば自分を切り裂いてしまいそうな、狂気で研ぎ上げられた眼差し。それを一身に受けてもなお、桜倉は口元を吊り上げた。
「いやぁ、ありがたい御高説をどうもと思ってね」
皮肉な笑みを浮かべたままで、長剣を支えに立ち上がる。
大丈夫だ、まだほとんどダメージは受けていない。戦う力は潤沢に残されている。
「でも――その使命は今日、この日までだ。エリア・ヴェルデ、このイカれたお人形め」
青筋立つエリアに向けて、切っ先を構える。長剣の心地よい重みが、桜倉の怒りの炎をますます激しくたぎらせた。
「アネモスも、オークウッド様も、お前なんかに渡さない。人の命を勝手な御託で踏みにじっておきながら、さも選ばれた人間ですって顔をしてみせる、お前なんかにはなっ!」
「虫けらの分際で、彼女らの前で私を口汚く侮辱するなんて…!」
ごうっと、大きな魔力のうねりを感じる。エリアの周囲に、無意識下で生成された魔力が渦を巻いていた。
とてつもない力だった。自分の魔力など、小指の先にも満たないであろうほどに。
だが…それでも桜倉は堂々と言いきる。それが気高い生き方だと疑わぬように。
「勝負だ、エリア。生憎と私は、虫けらの中でも特段しぶといほうだからな。簡単に勝てるなんて、思わないほうがいいぞ」
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