戦う理由.2
中庭での激戦とは打って変わって、再び古城の中に入った後は静かなものであった。
時の流れに取り残され、忘却によってすり減らされたような壁や天井は、味気ない灰色をしていた。外壁に比べて苔も生えていないから、なおさら虚しく見える。
螺旋階段を使い、上に下にと移動する。100m近い廊下だって渡った。とにかく、とてつもなく巨大な建物なのだと分かった。
しかし、どの部屋を覗いても人の生活している痕跡など見当たらなかった。聞けば、連れ去られたエルフは十人や二十人ではないというのに、おかしな話だった。
「ねぇ、エルフたちは本当にここに連れ去られて来てるの?誰もいないんだけど」
誰もが抱いていた疑問をルーナが口にする。
「何を疑ってるのよ。一度何人かで尾行して確かめたから、間違いないわよ」
「気になったのですが、彼女らはどうやってこの古城に出入りしているのですか?門はどちらも錆びついて動かなかったはずですが…」
不思議に思い、雪希が尋ねると、アネモスは人差し指で放物線を描きながら答えた。
「風の魔法でぶわー、よ。目を剥いたわよ、人間を何人も宙に浮かせる魔法って何?馬鹿げてるわ」
「何人もまとめて、あの高さをですか?」
「ええ、そうよ。それを見た仲間が尾ひれをつけながら里中に言いふらすものだから、もう戦意喪失。ほとぼりが冷めるまで大人しくしていようって決めちゃったわけ」
「…閉じこもることを選んだわけですね。力のない者であれば、致し方ない考えなのかもしれません」
「エルフは、戦いを好まないから。私みたいなのは例外中の例外なのよ。――みんな、耐えるのは大好きなんだけどね…」
ふん、と隣でルーナが鼻を鳴らす。もう聞きたくないと言わんばかりに、彼女は歩調を速めて先を行った。
アネモスは、そんなルーナの姿を物言いたげに見送っていたが、隣を歩いていた桜倉に話しかけられて、顔の向きを変える。
「でもさ、アネモスはもう我慢ならないと思ったから、ここに来たんでしょ?」
少し前までアネモスは、敬称抜きで自分の名前が呼ばれる度に訂正しようとしていたが、そのうち諦めたらしく、もう何も言わなくなっていた。
「ふ、ふん。これ以上、里のみんなや、あの忌々しい獣人に馬鹿にされたまんまってのが気に入らなかっただけよ」
「あー…ルーナのことね」
二人の視線は、先を行くルーナの背中に向けられていた。彼女が動く度に揺れる尻尾とスカートの裾は、一見すれば楽しそうな雰囲気を出している。
「ごめんね、ルーナは本当、空気も読まないし、遠慮もないからさ…」
「別に、アンタが――あー…桜倉、だったっけ?こほん、桜倉が謝る必要なんてないわよ。そもそもエルフと獣人が上手くやれるわけないんだから」
「その言い方だと、二つの種族には何か因縁があるのですか?」
桜倉の横から会話に入って来た雪希が、抑揚の無いイントネーションでそう尋ねた。
急に言葉を投げかけられたことで、アネモスは少し驚いたふうに目を丸くしていたが、ややあって、軽く頷き、雪希の名前を確認してから問いかけに応えた。
「遥か昔の時代、エルフと獣人は森の国っていう同じ場所に住んでたらしいんだけど、保守的な在り方を求めるエルフと、革新的な在り方を求める獣人とで、国が分断されたらしいのよ」
「へぇ」と二人揃えて相槌を打つ。
「エルフが穏健だったお陰で、戦争は起こらなかったって言われてるんだから。それで、結果的に私たちの先祖が今のヴェルデ領に移り済んだってわけよ」
「そうなんだ…」
それにしても、アネモスという人物は、思っていた以上にまともなコミュニケーションが取れるらしい。てっきり、もっとヒステリーばかり起こしたり、傲岸不遜で他人を見下したりしているのかと思っていた。
「そういうことだから、根本でエルフと獣人は仲が悪いのよ」
穏健で保守派の多いエルフと、気性が荒く革新派の獣人。なるほど、字面だけ見ると相性は悪い。しかし…。
桜倉は、身振り手振りを駆使して獣人と自分たちが犬猿の仲であることを語るアネモスの横顔を見て、内心、頭をひねった。
(でも、正直に言ってアネモスは…ルーナより荒々しいっていうか、攻撃的っていうか…)
アネモスの性格を鑑みれば、獣人との相性は悪くない気がするのだが…。
「人間とは、もっと昔は上手くやれてたって聞いたけどね。今じゃ、あんたら、この大陸の王様気取りだから」
「…はは」
わざわざ嫌味を言わなければならない病気に罹っているのだろう。ルーナと違いアネモスは、意図して相手の神経を逆撫でしているように見える。『まともな』コミュニケーションが取れる人かどうか判断するのは後にしたほうがよさそうだ。
「というわけで!魔法が使えるからって、いい気になるんじゃないわよ、人間ども」
びしっ、と人差し指を向けられて、桜倉は苦笑するしかなかった。
雪希はというと、警戒するように横目でアネモスを一瞥したが、彼女が話に夢中になっているのを確認すると、静かにため息を吐いた。
――それにしても、昔は人間が他の種族と仲良く過ごしていた、というのは本当だろうか。
もしも、それが真実だとすれば、いつから人間と異種族の関係は今のように支配的なものへと変わってしまったのだろう。
決定的な何かが、遥か昔に起こったのだろうか…。
「またこのタイプですよ、桜倉」
考え事に耽っていると、雪希がそっと腕を掴み、耳打ちしてきた。
「え、あ、うん」
少し下から耳元で囁く雪希が、異常なほどに可愛く見える。そのせいで、曖昧な相槌になってしまった。
「…どうして、変な人ばかりが寄って来るんでしょうか」
異種族の文句を絶え間なく、マシンガンみたいに口にし続けるアネモスと、歩調を合わせることなく随分と前に進んでしまっているルーナを、じっとりとした目で雪希が見つめた。
珍しく子どもみたいな態度を取る雪希に、ついつい、笑みがこぼれる。
「えー?それを雪希が言うの?」
「…それ、どういう意味ですか、桜倉」
想像していた以上に鋭い目つきを向けられて、思わず息を呑む。
「あ、いや…」
「私が変人だと言いたいんですか」
普段より、少しトーンが高くなった雪希の声。ブリザが自分たちを追い詰めてきた夜のことを思い出す。
「…まぁ、構いません。――私が変人でも、貴方はそばに置いてくれるのでしょう?」
きゅっ、と掴まれていた腕が雪希のほうに寄せられる。
触れたことのない他人の柔らかさに、心臓が収縮する。知らない欲望に、体がむず痒くなった。
フルール・ヴェルメリオと、スノウ・リアズールが眠った夜に知った、唇の甘さ。それを今すぐにでも味わいが、自分にはそんな度胸はない。
「ねぇ!みんな」
不意に、ルーナが大声を上げながら引き返してきた。
慌てて雪希の体を離す。雪希は不服そうだったが、妙な顔でこちらを見やるルーナにからかわれないためと思えば、他に選択はなかった。
「何ですか、騒々しい…」
「もぅ、良いところだったのに邪魔してごめんって」
ニヤニヤと笑うルーナは不気味なほど一瞬で真顔に戻ると、突き当りの壁のほうを指差しながら告げた。
「あっち、変なところから風の匂いがしてる。もしかすると、秘密の通路があるのかもしれないよ!」
「あ」と頓狂な声を上げたのは、雪希だった。
ルーナに案内されてやってきた壁の前。彼女は風の匂いだなんだと言っていたが、そんなもの微塵も雪希には分からなかった。
そのため、本当に仕掛け扉があるならばと、リアズールの屋敷のカラクリを参考に壁の溝を指でなぞっていたところ、見事に仕掛けの解除に成功したようだった。
雪希が最後に触れていた場所から、ゆっくりと石壁が沈み込み、左右に分かれていく。魔法の気配を感じないが、これはどういう仕組みで動いているのだろうか。
「おぉ、やるじゃん、雪希。てっきり、また粉々にしてくれるのかと思ってたけど」
「冗談はやめて下さい。城の中でそんなことをしたら、下手すれば生き埋めになりますよ」
どこか残念そうな口調のルーナにぴしゃりと告げる。だが、肝心の彼女はすでに仕掛け扉の向こう側に興味津々で、話を聞いている様子はない。
仕掛け扉の先には、惨憺たる闇と、規則的に置かれた燭台のわずかばかりの光が渦を巻いていた。
闇を恐れて揺れる、燭台の灯火。この先が深淵であることを自分たちに教えてくれているようだ。
雪希は不安になる心を蹴飛ばし、先陣を切って一歩暗がりへと踏み出そうとした。しかし、それは露出した肩に置かれた手によって、やんわりと制止される。
「雪希、ここは私が」
こういうことが様になるのは、いかにも桜倉らしい。もっとも、本人には自覚がないようだが。
触れられた肩先がじんわりと熱くなる。その熱気にやられたみたいに動きの鈍くなった雪希の横を桜倉がすり抜けていく。
桜倉の背中に斜めにかけられた長剣が左右に揺れる。随分と重いだろう剣を真っ直ぐ姿勢よく背負う桜倉は、とても凛として見える。ちょうど、剣の柄にはめられたルビーのように。
闇の中をゆっくりと歩く桜倉に続き、ルーナ、アネモス、そして、自分と進む。
カツン、カツン、と闇に響く踵の音。先に反響する音からして、隠し通路の規模はそう大きくはなさそうだ。
前方では、ルーナが桜倉に高い声で話しかけている。途切れ、途切れ聞こえてくる声からして、彼女が桜倉をからかっているのは間違いなさそうだ。
顔を赤らめて応じている姿に、胸がモヤモヤする。こんなことなら、すぐに自分が桜倉の後に続けばよかったと後悔する。
「ねぇ」
ふと、少し先を歩いていたアネモスが歩調を緩め、隣に並んで話しかけてきた。
「何か?」
すぐさま聞き返したところ、アネモスは面食らったふうに言葉を詰まらせ、ちらちらと眼差しを前方の二人と雪希とに交互に行き来させた。
「言いたいことがあるのなら、率直にどうぞ」
「う…」
淡白な物言いに怯んだようだが、アネモスなりのプライドがあるのか、必要以上に怖い顔をして言葉を紡いだ。
「あ、アンタと桜倉って、ど、ど、どういう関係なのよ」
アネモスが赤くなってどもっているのを見て、下世話な奴だ、と思いつつも、雪希は事もなげに、「許嫁です」と答えた。
「い、許嫁…。そ、そう」
まだ何か聞きたそうなアネモスを、自然な足取りで振り切る。
心を許してもいない相手に自分たちの事情をペラペラと語るほど、愚かではない。それに、単純にあのような高慢な女の相手はしたくない。
前方では、変わらずルーナと桜倉が楽しそうに言葉を交わしていた。
不意にルーナが立ち止まった。ピンと伸びた耳が、何かを探るように角度を変えていた。
「ルーナ?」と桜倉が続いて立ち止まる。
ルーナは呼びかけには応えず、くんくんと鼻を鳴らし、周囲の臭いを嗅いでいるようだった。
「どうかしたのですか?」追いついた雪希が問いかける。
「…嫌な臭いがする」
「嫌な臭い?」オウム返しでそう尋ねたのはアネモスだ。「さすがは獣人、鼻が利くのね。その調子で犬らしくしてなさいよ」
すると、ガシッ、とルーナがアネモスの手を掴んだ。
「きゃっ!――何するのよ!?」
「アネモス、君は行かないほうがいい」
神妙な顔でルーナがそう言った。
「はぁ?どうしてよ、ってか、離しなさいっ!バカ!」
「言ったでしょ、『嫌な臭い』がするって」
その言葉を聞いたアネモスは、初めは怪訝そうに眉をひそめていた。しかし、少しずつルーナの言いたいことを察したらしく、こぼれんばかりに目を丸く見開いた。
不安げな顔で揺れる、サファイアの瞳。
「…うん、不安げな表情も綺麗だね」
「う、うるさい!頭おかしいんじゃないのっ!」
アネモスは、ルーナが一瞬見せた隙を縫って手を振り払い、通路の向こうに駆け出して行った。
「ちょ、アネモス!一人じゃ危ないよっ!」
アネモスの背中を追って、桜倉も走り出す。
「あ、桜倉!」
当然、桜倉の足は止まらない。何だかんだ言って、彼女も直情的な人間だ。
「あちゃー、また言い方間違えたかなぁ」
珍しく苦い顔をしているルーナを雪希が睨みつける。
「あれでは早く行けと言っているようなものです。…全く、余計なことを言って不安を煽って…。何をしているのですか、貴方は」
「――いいもんじゃないからね、アレは」
「アレ?」もったいぶった言い回しに、雪希が苛立たしげに眉をひそめる。「アレとは、一体何のことですか?」
問いかけを受けて、ルーナは暗い表情を浮かべた。
その表情に浮かんだ闇を、雪希は知っていた。
(…ちっ、踏み込み過ぎたわ)
そこは、土足で踏み込んではいけない領域だ。
踏み込みすぎれば、その人に関わることになる。
関わりが増えれば増えるほど、重くなる。重くなれば、たった一つのことを選ぶのが難しくなっていく。
深く沈んだ赤茶けた目が、こちらを捉えた。
言わなくてもいい、と制止しようとしたが間に合わず、ルーナは言葉を発した。
「血と汚物の臭い。なめくじみたいに脳みその裏側にへばりつく…反吐が出るような臭いだ」
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