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雪桜の華冠  作者: null
二部 一章 古城と青い瞳

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古城と青い瞳.2

 ルーナが去り際に残した言葉は、アネモスの心を容赦なく貫いていた。その証拠に、サファイアみたいな彼女の瞳には、大粒の涙が浮かんでいる。


 嗚咽もなく、歯を食いしばって泣いているアネモスを、桜倉は放っておけないと思った。


「ごめんね、あの馬鹿、包むオブラートを持ってないんだ」アネモスのそばに寄って声をかけると、彼女は子どものように金切り声を上げた。「うるさい、放っておいて!」


 どこまでも拒絶的なアネモスに、桜倉は小さく微笑む。それこそ、子どもにするみたいに。


「一生懸命やっても、実らないものがある辛さ。—―分かるよ、私も」

「あ、貴方に何が分かるのよ!私の、何が!」


 どうやら、アネモスの地雷を踏み抜いたらしい。彼女は八つ当たりするように近くの椅子を蹴飛ばした。


 部屋の端まで転がっていった椅子は、誰にも起こされることはなかった。そうして、恨みがましい沈黙を保っている。


 騒ぎを聞いて、雪希とルーナが集会所の入り口に戻って来た。桜倉は、すぐにでも間に入って来ようとしている雪希を視線だけで制すると、黙って相手の話したいように話させた。


「私はね、高貴な生まれなの!そのせいで、色んなものを求められるのよ!そして、期待に応えられなかった分は、失望っていうプレゼントを貰って生きてきたのよ。優秀な姉を持ったせいで、過剰に比べられて、求められてね!それで答えられなかったら、—―ほら、見てみなさいよ、みんなであんな顔してくるのよ。出来損ないだって、馬鹿にしてくるの!もう、沢山よっ!」


 噴火したことで、多少は落ち着いたのか、アネモスは肩で息をしながらその場に立ち尽くしていた。やがて、自分が蹴飛ばした椅子のことを思い出すと、悔しそうに元の位置に戻し、腰を下ろした。


「…早く、消えて」


 退出を促されても尚、桜倉はアネモスのそばを動かなかった。だが、いつの間にか寄って来ていた雪希に手を引かれると、名残り惜しそうに背を向けた。


 集会所の出入り口に差し掛かった辺りで、カズーラとすれ違った。彼の瞳が、『余計なことを』と言っているような気がして、桜倉は俯いた。


 余計なことをした、と反省したのではない。カズーラや、エルフのみんなが瞳に宿している、アネモスというヒステリックな娘への諦めが、胸を締めあげたのだ。


 どれだけの孤独がアネモスを包み込んでいることだろうか。この場と彼女の発言を鑑みるに、彼女に味方はいないようだ。


「行きましょう、桜倉。これからどうするかを考えなくてはなりません」


 そうだ。今はもっと他に考えなければならない大事なことがある。自分がエンバーズの一員として生きる以上、ルーナのようにここで諦めてはいけない。考えなくては。


 …分かってはいるけれど。


「…桜倉?」


 手を引いても、立ち止まったまま動かない桜倉を不審そうに雪希が見つめる。


 ただ、雪希もこれ以上、無理に桜倉を動かそうとはしなかった。彼女が聡明で魅力的なのは、まさにこの点である。急かし、促すようなことはしない。委ねてくるのだ。


 だから十分に、桜倉は思惟にふけることができた。それにより、彼女は言葉を紡げた。


「私の知り合いにさ、四大貴族として生まれたのに、まともに魔法が使えない不憫な女の子がいたんだ」


 ゆっくりと語られた話の導入に、多くの者が怪訝そうに眉をしかめた。もちろん、ルーナや雪希はその限りではない。桜倉が何を話そうとしているのか、十分に理解できていた。


 しかし、こうも簡単に名乗ってしまっては、偽名を使っている意味がない。そのため、雪希は素早く口を挟もうとしたのだが、桜倉の桜色の瞳があまりに真剣さを帯びていたため、言葉に詰まり、結局言い出せなかった。


 座ったまま、低い視線で自分を睨み上げてくるアネモスにも臆さず、桜倉は続ける。


「その子は、四大貴族の娘として当然に求められるものを持っていなかった。その事実は、努力でどうこうできるものじゃない…家族にも、使用人にも馬鹿にされ、軽んじられた。悔しくて悔しくて、たまらなかった。何かできることを探して励んだ剣術も、貴族令嬢としてあまりに不似合いだと認められなかった」


 真に迫る物言いに、アネモスも何か思うところがあったのだろう。彼女は先ほどとは違い、探るような視線で桜倉を見ていた。


「…哀れな話ね。まぁ、四大貴族なんて、不幸になればいいと思ってるけど」


 ぴくり、と雪希の目元がわずかに上がる。もちろん、そこで感情を抑えられない人ではない。


「それで?その子は今どうなってるの。王子様でも迎えに来た?」


 ふ、と口元を綻ばせる。


 アネモスの冗談は、あながち間違いではなかったからだ。…まぁ、迎えに行ったのは自分だが。


 微笑んだまま、桜倉はアネモスを振り返った。思った以上に真剣に聞いているアネモスに、やはり、彼女も何かを探していると直感する。


「その子は眠ったよ。—―世界から、四大だとか、魔法だとか…人間だとか、エルフだとか、そういう下らない隔たりがなくなるその日まで」


 目を丸くするアネモスを前に、カチャリ、と長剣の柄を鳴らしてみせる。


 桜倉なりに、何かが伝われ、と想いを込めたつもりだった。


 これで…同じような境遇にあっても、戦っている人間がいるのかも、と少しでも考えてくれたら嬉しい。


 まだ何か聞きたげなアネモスから視線を切り、そばに立つ雪希へと呼びかける。


「行こう、雪希、ルーナ」

「りょーかい」と先ほどとは打って変わって、明るい笑顔で応じるルーナ。


 それに対し、雪希は物悲しそうな色を瞳に宿し、桜倉の目を見つめ返していた。だが、すぐに気持ちを切り替えるように深く瞬きをすると、「はい」と頷き、三人揃って集会所の外へ出た。



「それで、どうしますか?」湖の畔まで移動すると、雪希がそう二人に尋ねた。


「どうしますかって、何のこと?」とルーナは不思議そうに小首を傾げる。「ですから、どのようにしてエルフを味方につけるか、ということです」

「えぇ?冗談きっついよ、雪希。その件に関しては断られたじゃん。それにあんな連中、エンバーズに引き入れたって無駄だって」


 ルーナは、どうやら本気でエルフを見限るつもりらしい。そのあまりの切り替えの早さは、ヴェルデ兵と戦ったときの、彼女の残忍さを思い起こさせられるようであった。


「…はぁ、貴方のそういう態度がエルフに警戒心を抱かせたのです。反省したほうが身のためでしょう」


 大仰にため息を吐いた雪希に、ルーナは明らかにムッとした様子で応じる。


「家族のために戦えないような奴ら、どうせ戦場じゃ役に立たないよ」

「――また『家族』、ですか」


 ふ、と嘲笑に近い笑いを雪希が漏らした。


「そちらは随分と『家族』が大事な様子ですね。まぁ、別に貴方はそれでいいでしょう。ですが、それを押し付け、感情的になるのはやめて下さい」


 雪希は雪希で『家族』に良い思い出がない。自分も似たようなものだが、少なくとも、家族に殺されかけるような経験はないだけマシだろう。今のところは、だが。


「そういう雪希だって、なんか感情的みたいだけど?」

「これは嫌味です。私はよほどの時以外、自分の感情を抑える術を心得ています」

「ふぅん」


 嫌な空気である。さて、どのタイミングで仲裁の言葉を挟もうか…。


 そんなことを考えているうちに、ルーナがゆっくりとこちらに寄ってきた。


 雪希では話し合いにならないと判断したのかもしれないが、自分だって雪希と同じでエルフを仲間に入れることを諦めるつもりはなかった。


 それが、自分たち三人に課せられたエンバーズの一員としての使命だと思ったからだ。


 しかし、ルーナの行動は桜倉の想像の斜め上を行っていた。


 刹那、何の前触れもなく、桜倉のコートの裾がまくり上げられる。


「え?」


 苛烈な春風に払われたような裾の下から、血色の良い足が露出する。脛のあたりから、太ももの上のあたりまで惜しみなくだ。


「きゃっ!」


 後で振り返ると、自分らしくもない悲鳴が出てしまった。とはいえ、これは反射的に声を出してもおかしくない出来事だと思っている。


「こ、この馬鹿!急に何を――」


 桜倉がルーナを怒鳴りつけようとした矢先、白い頬を真っ赤に染めた雪希がルーナと自分の間に立ちはだかるように立った。


「よくも…!」


 ここから顔は見えないが、殺気に満ちた声音だった。地の底から響く、地鳴りにも似ている。


「あれれ?雪希ちゃん、感情を抑えきれてないように見えるけどぉ?」

「これは『よほど』に値します!」


 すさまじい怒声だった。こんな大声を雪希が出すなんて、出会った当初は考えもしなかった。


「今度同じことをしたら、問答無用で氷漬けにします。いいですね」

「ひえー。こわぁい」


 煽ることをやめないルーナに、もう一度雪希が激昂してしまう前に、慌てて桜倉も言葉を挟んだ。


「ちょっと、二人とも!遊んでないで、真剣に考えてよ」


 遊んでなどいない、と不満そうにする両者を無視して、話を本題に戻す。


「私は雪希の意見に賛成。エルフは何とか味方につけなきゃ」

「もぉ、桜倉もそんなこと言うの?」

「もちろん。この大変な時期に東堂さんたちが、わざわざ私たちを使いにやったのは、それなりの必要性があったからだと思うんだ。なのに、『相手が拒んだし、役に立たなそうだから帰ってきました』じゃ、失望されるんじゃないかな」


 失望、という単語にルーナの耳がぴくり、と動く。


 東堂に愛想尽かされるのは、ルーナにとって最も危惧することだろう。この路線で説得するのが現実的かもしれない。


「彼女らを見限るのは、私たちに打てる手を全部打ってからでも遅くはないと思う。そのほうが、東堂さんも褒めてくれるんじゃない?」


 ぴくぴく、と茶色い毛が生えた耳が動き、尻尾が左右に揺れる。興味が向いたのだ。


 ルーナの頭の中にどういった光景が描かれたのかは定かではない。


「あんなのでも味方にできたら、褒めてくれるかな?」とルーナが問う。

「まぁ、手土産がないよりかは良いでしょう」


 こちらの意図を把握した雪希が、素っ気なく加える。畳みかけるなら今である。


「頭くらいは撫でてくれるんじゃない?」

「…頭、撫でてくれる…」ぴん、とルーナの尻尾と耳が立つ。


 チェックメイトだ。


 ふんふん、と頷いてみせたルーナは、ややあって、満更でもなさそうに微笑むと、改めて、エルフたちを味方に引き入れるという方針に賛成した。動機が不純だが、彼女らしくて悪くはない。


 一向は、目的の再設定と共有ができたことで、次にその手段について話し合いを始めた。


 日はさんさんと輝き、湖の水面をきらきらと光らせる。その上をゆっくりと滑る鳥たちの姿に、森では見られなかった穏やかさがあるような気がした。


「一先ず、古城に向かうのがよいかと」


 そう提案したのは、雪希だ。新しい衣装が落ち着かないのか、すぼまった胴の部分をしきりにさすっている。


「うん、それしかないだろうね。他の連中はあんな調子だし」


 両手を頭の後ろで組んだルーナが、つまらなさそうに言った。


 桜倉もその点に関しては同意見だったが、一つ大きな懸念点が胸にしこりのように残っていた。


「…下手すると、ヴェルデ令嬢と衝突になるね」


 風の四大貴族、ヴェルデ。その令嬢が相手となれば、ブリザのときのような苛烈で不利な戦いを覚悟しなければならない。


 いや、それ以上に…四大と争う覚悟のほうが自分にとって難題か。


 どうせ、リアズール家に逆らい、こうしてエンバーズとして武器を取った時点で自分の運命は決まっている。それにも関わらず迷いが消えないのは…弱さなのだろうか。


 その言葉を後押しするみたいに、雪希が平然と応える。


「そうなるでしょう。ですが、この道を選んだときから分かりきっていたことです」


 そうだ。雪希はもう決めている。きっと、姉に殺されかけ、家族に見限られたそのときには、それに近い覚悟を決めていたのだろう。


「――もう、戻れません。…分水嶺はとうの昔に越えている」


 深く暗い、雪希のブルーの瞳。その眼差しとぶつかった瞬間、まるで自分の情けなさが責められているようで、心臓がきゅっと痛くなった。


「おぉ、良いこと言うじゃん、雪希」雪希の発言を気に入ったらしいルーナが、ぴょん、ぴょんと彼女のそばに跳ねて寄った。「そーだよね、決めたら貫く。それが強さだよねぇ」


「気安く触らないで下さい」


 馴れ馴れしく腕を組んだルーナを、一瞬で雪希は跳ね除ける。自分にはこれもできない、と悔しくなった。


 何はともあれ、今後の動きは決まった。古城があるという方角へと向かおう。


 そんなふうに桜倉が気持ちを切り替えようとしていると、近くの建物の角から人影が現れた。


 素早く刀の柄に手をやったルーナだが、それが誰だか分かるや否や、軽い調子で声を上げた。


「何か用?おじいちゃん」


 影はカズーラだった。


 カズーラは無言のまま三人のそばへやって来ると、出し抜けに桜倉を見つめた。


「え、何?」観察するような目つきに、桜倉が怪訝な表情で応じていると、カズーラがほとんど消えそうな声で言った。「よもや、お主は…」


 カズーラの青い瞳は、幾万の知識が埋め込まれたような輝きを持っていた。長い年月が、そのガラス玉をそれほど深いものにしたのだろうか。


 自分の正体に気付かれたか、と桜倉は少しだけ身構える。当然、そうなるだろうと思って自分の話をしたわけではあるのだが。


「何の因果か…。いや、こういうものを運命と呼ぶのかもしれんな」

「え、と…カズーラさん、何の話を――」

「よい、こちらの話だ。必要となれば、また語るべき者の口から話はあろう。それより、奴らの根城に向かうつもりなのか?」


 深刻さそのものの表情で告げられたカズーラの問いに、桜倉はルーナと雪希の顔を見て頷いてから肯定した。


 カズーラは、「無謀なことだ」と口にした上で、目礼するように瞳を伏せた。それから、変わらず愛想の悪い感じでいくつかの荷物を手渡した。


「これは?」渡された革袋を眺めながら、桜倉は確認する。

「森の地図と一日分の食料。それから、薬だ」


「ふぅん、今さら何のつもり?」


 ルーナの淡白な物言いに、彼は鼻を鳴らして答える。


「我々にも思うところはある。獣人の小娘なんぞに言われずとも、このままではエルフとしての誇りが危ういことも分かっておるのだ」

「それはそれは…。でも、『分かっている』だけじゃ、意味ないけどね」


 どこまでも喧嘩腰なルーナを軽く諫める。咎められた彼女は不服そうに背を向けた。


 どうやら、保守的な種族であるエルフと、開放的で活動的な獣人とでは、根本が合わないようである。


「お主に使った薬だが、貴重だと言ったのを覚えているか?」


 突然に振られた話題に一瞬だけ面食らうも、すぐに傷のことを思い出し、何度も首を縦に振る。


「あれはな…エルフの森だけに自生する樹木――『万養樹』の貴重な若葉を使ったものだ。ただでさえ数の少ない植物なのだが、それが今、とある事情から絶滅しつつある」

「どういうこと?とある事情って、まさかそれも、エリアとローレルとかいうヴェルデの令嬢が?」

「おそらくな」


「おそらく、とはどういうことですか?何か証拠でも?」


 曖昧な返答に、雪希が顔をしかめる。険しい顔つきのときは、ますますブリザに似て見える。


 カズーラは、万養樹が見られなくなった時期と、二人の貴族令嬢が古城にこもり始めた時期が被っていることを理由として挙げた。加えて、森に異変が見られるようになったとも。


 話を聞くに、あの花の魔物もその時期から現れるようになったらしい。なにやら、ヴェルデ令嬢が関わりのある問題のようだ。


「薬が作れなくなるのは、エルフの生活や経済にとって甚大な被害をもたらす。つまり、困るのだよ、このままでは、何もかもがな」


 そう言うと、カズーラは無理やり話を切るように三人から離れていった。背中にぶつけられた質問や文句にも応えず、ただただ遠ざかっていく。


「…勝手な奴ら。本当にあんなのを助けるの?」


 ルーナの不服さも当然のものだった。だが、桜倉はそんな簡単な感情で彼らを評することはできないとも思った。


「そんな貴重で大事なものを、私たちに託してくれたんだよ。それに――これの効き目がとんでもないことは知ってるでしょ?きっと役に立つよ」

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


読んでいて疑問に思った点、もっとこうしたほうが読みやすい、などありましたら

是非、お申し付けください!


評価やブックマーク、感想をくださっている皆さんに力を貰っております。


いつも本当にありがとうございます。


また、そうではない方々も貴重なお時間を使っていただいて、ありがとうございます。

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