許嫁.2
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嫌なところで帰って来たものだ、とフルールは沸き立つ我が家のリビングの入り口に立って、無表情なまま考えていた。
高い笑い声を混じえて賞賛を奏でる、ドレスを着たお嬢様方、奥様方、スーツをまとう紳士たち。
その中心には、煌々と燃える暖炉と、一人の少女が誇らしげに胸を張って立っていた。
「お褒め頂き、光栄ですわ」
ドレスの裾を広げ、紳士淑女に一礼してみせたのは、自分の妹であり、次期当主であるシェイム・ヴェルメリオだ。後ろでポニーテールにした朱色の髪の色は、皮肉なまでに自分と同じものだった。
「私が当主になった暁には、以前のように『火焔』のヴェルメリオと称えられるような家を蘇らせてみせますわ」
シェイムの堂々たる言葉には多少なりとも傲慢が宿っていたが、鼻っ柱を高くさせるほどの才覚がシェイムにあるといことは、周知のことだった。
「おいおい、まだ気が早いぞ」そう言って一歩前に出たのは、現当主グレン・ヴェルメリオ、つまり、自分やシェイムの父だった。
「とはいえ、確かにシェイムの才覚は素晴らしいものがある。皆さま、まだまだ世間知らずな娘ですが、何卒よろしくお願いしますぞ」
父の言葉に、再び拍手が起こる。
没落貴族とはいっても、かつては名を馳せた四大貴族の一角を担ったヴェルメリオ家だ。
こうして、節目の行事には古いしきたりを律儀に守って参加してくれる貴族もいたし、後のダークホースとなることを信じて参加する貴族もいた。それらは、シェイムの秀でた才能に引き寄せられた者でもあった。
今日は、シェイムの十五歳の誕生日だ。ここ、統一国家エレメントでは十五歳になれば成人として認められる。それはつまり、シェイム自身に家督の相続権が与えられたということにもなるのだ。
だから、今日は正式な次期当主の紹介としてヴェルメリオ家でパーティーが行われていた。そして、先ほどの歓声は、ヴェルメリオ家でしきたりとなっている、炎の魔法を使った点火式によるものだった。
代々、家の灯火となっている暖炉に魔法で火を点けるわけだが、同じヴェルメリオ家の人間であるにも関わらず、自分には妹のシェイムのような真似事は出来なかった。
努力を怠って来たわけではない。シェイムと同じか、それ以上の鍛錬を重ねてきたが、遂にヴェルメリオの火焔はこの手に宿るようなことはなかった。残念ながら、単純な才覚の問題であるらしい。
フルールは、一つ静かなため息を吐いて盛り上がるパーティーを眺めた。
自分には、せいぜい掌を熱することぐらいしか出来ないというのに、シェイムは熱するどころか、火球の一つや二つ簡単に飛ばして見せる。
男性よりも圧倒的に魔力が高まりやすい女性として生まれた身だが、彼女には一ミリたりとも魔術の才は花開かなかった。しかも、火焔の血脈に生まれ付いたにも関わらず。
「おい、こんなところで何をしている」ぼうっとネガティブな感情になって立ち尽くしていたフルールに声をかけたのは、彼女の父グレンだった。
「あ、お父様…」
「そんなところに立つな。パーティーの邪魔だろうが」
冷酷に言い放った父は、そのままフルールを引きずるようにして私室へと連れ込んだ。
パーティーの喧騒が嘘みたいな静寂。父のドスドスという足音が、恐ろしく大きく聞こえる。
「何をしに帰って来た。今日は夕方まで帰るなと言ったはずだろう」
「…いえ、確か、三時過ぎには構わないと…」
「口ごたえするな!」ぴしゃりと言い放たれて、思わず体が竦む。「全く、お前のそういうところはあの女にそっくりだ」
忌々し気に言葉を吐き捨てた父の視線は、部屋に飾ってある家族写真へと向けられていた。
若い頃の父、その足元にはまだ立つのもやっとのシェイム、今では考えられないほどの笑顔を見せる自分、そして…亡き母の姿。
病気で亡くなる前の記憶の中の母は、凛々しく、気高かった。領内で有事があれば、誰よりも先に解決へ走ったし、それに引っ張られるようにして、父も今とは比べ物にならないくらい気高い方だった。
祖父のように他種族のために奔走した母は、十年前、ドワーフの働く炭鉱で落盤事故に遭って死んだ。
せめて、母の亡骸と一言別れを告げようと涙ながらに遺体に駆け寄った自分を、父が強く止めたのを覚えている。父なりの気遣いだったのだろう。落盤事故とくれば、決して遺体は美しくはない。
それから、父は自分に対して厳しくなった。元々シェイムより厳しく接せられていたが、輪をかけて酷くなった。
母を侮辱するような言葉が続くことを恐れたフルールは、咄嗟に言葉を挟んだ。
「お邪魔のようなので、またすぐに出かけます」
「ああ、そうしてくれ」
一瞬で興味を失い、背を向けた父だったが、フルールが扉の取手に手をかけたとき、思い出したように振り返った。
「おい、下町でまだコソコソと剣術など習っておらんだろうな」
その問いに心臓はドキリと高鳴るも、何とか表情には出さず、「お叱りを受けてからは、一切顔を出していません」と誤魔化す。
「ふん、それならいいが…。剣術など、魔法の才覚にまるで恵まれなかった男のやることだ。…実際、お前などそれと変わらんだろうが、ヴェルメリオ家の家名を穢すような真似は二度とするなよ、恥と知れ!」
ごう、と自分の胸の中の炎が揺らめく。悔しくてたまらなかったが、力も立場もない自分には何も言い返す権利などないのだと諦め、俯く。無数の諦めを敷き詰めて出来たような木の床には、しっかり親しみを覚えてしまった。
グレンはそんなフルールの様子にも気付かず、辟易した調子で独り言のように続ける。
「父の行いに尾ひれが付き、美談として語り継がれ過ぎた結果がこれだ。魔法の鍛錬を怠り、剣術などに走る夢見がちな子どもが育ってしまう」
「お言葉ですが、私は…」
魔法の鍛錬だって怠ってはいない、と口にしかけたところ、父に一睨みされて黙りこむ。
グレンが言う祖父の行いとは、四十年ほど前に起きた反乱において、祖父フレア・ヴェルメリオが異種族と革命家たちを率い、魔法と剣術を織り交ぜた戦いで勇名を轟かせたことを言っているのだろう。
反乱は統一国家の独裁に対して起こった。当時のヴェルメリオ家当主であった祖父は民衆のために、そして、弾圧される異種族のために第一線で戦った。だが、奮闘虚しく反乱は鎮圧され、祖父は戦死した。
その罰としてヴェルメリオ家は多くの領地と財産を失い、没落したというわけである。そのため、グレンは祖父のことが何よりも嫌いな様子だった。
明らかに虫の居所が悪くなったグレンから離れようと、フルールは頭を下げて退室しようとした。しかし、またすぐに呼び止められて、返事をする。
「フルール」
「はい、どうしましたか?」
父にしては珍しく、長い沈黙が生じた。罵詈雑言を躊躇うことなく口にする父が、今さら何を言い淀むというのか…。考えただけで嫌な予感がした。
「お前、女は好きか」
「あ、え?はい?何と仰いました?」
「だから、女は好きかと聞いているのだ」
唐突な質問に目を白黒させながらも、「好きかと言われましても…」とフルールは答える。
父は一度咳払いすると、もう一度娘を自分の近くに呼び寄せた。彼はほんの少しだけバツの悪そうな顔になって、言いづらそうに切り出す。
「今日、シェイムが次期当主であることが決定した」
「はい、心得ています」
今日ではなく、自分に魔法の才能が無いことが分かった時点からだろう、と胸の中で吐き捨てながら、口では違うふうに言える自分の器用さが哀れに思えた。
「お前も、何とかしてヴェルメリオ家の役に立ってもらわなければならないわけだが、魔術の才に乏しいお前では、兵士として戦うことも現実的ではない」
一瞬、剣術でなら役に立てると伝えそうになったが、仮に役立つとしても、家名や建前を重んじるグレンがそんなことを四大貴族の娘である自分に許可するはずがないと思い直し、口をつぐんだ。
淡々とこちらにとって毒になるような言葉を連ね、「分かるな」と付け足す父に形容し難い嫌悪感を抱くも、話の流れが予想できてしまって、思わず声を高くする。
「まさか、女性に嫁げと…!?」政略結婚、という言葉が脳裏に浮かぶ。「話が早いな」
父はやがて、以前にフルールを伴って水の四大貴族であるリアズール家を訪れたことを覚えているかと尋ねた。
それに関しては、もう十年も昔のことだが、今でも何となく覚えている。
「え、ええ…」フルールはこくりと頷いた。
あのときは、いつもお世話になっている人に会いに行くから、と言って父がリアズール家へと自分を連れて行った。父のなんとも言い難い表情が印象的だった。とても世話になっている相手に会いに行くような顔ではなかったのだ。
後になって考えてみれば、リアズール家は昔なじみのよしみでグレンに手を差し伸べていたに過ぎないのだろう。グレンとリアズール家現当主スプラート・リアズールは幼なじみだと聞いたことがある。
あの日、グレンとスプラートは大事な話があると言って、自分を広い屋敷の庭に置いて行った。
風が香る日だった。庭には植えられたばかりのオークの木があった。花々が鮮やかに咲き誇っていることよりも、フルールはずっとそっちのほうが気になっていた。
そこで一人で遊んでいたら、何人か、リアズール家のご息女たちがやってきた気がするが、そこから先のことは覚えていない。長い間邪魔をしていたわけではなかった。
追憶から戻ってきたフルールは、父の言いたいことが読めたため、「まさか、ご息女のどなたかと?」と尋ねる。
「ああ、そうだ。次女のスノウお嬢様を覚えているか?」
「…いいえ、もう十年にもなりますから」
父はふん、と鼻を鳴らすと、「リアズール家から、彼女との縁談が来ている」と語った。
「縁談って、そんな急に言われても困ります…」
「分かっている!あちらとて、まだ許嫁として扱うつもりのようだからな」
今の父の言い分から察するに、縁談とまで話を大げさにしたいのはヴェルメリオ家のほうらしい。
フルールは辟易とした気持ちで歯を噛みしめると、もうどうにでもなれという気になって父の言葉を待った。
「とにかく、どうせ暇なら今からでもリアズール領に向かって挨拶して来い」
「今からですか…それでは、向こうに着くのは夜になってしまいます」
「それがどうした」
「その、夜に尋ねるのは印象が悪くなるかと…」
父はそれを聞くと忌々しげに舌を打ち、「それくらい分かっている!宿にでも泊まればいいだろう」と吐き捨てた。
ヴェルメリオ家の人間がその辺りの宿場に泊まることは恥とは思わないのか…。
「…分かりました。では、すぐにでも行って参ります」
その言葉にも、グレンは何も答えない。
無味無臭の無関心に突き放されたフルールは、諦観の嵐の中で大人しく父の言い分に従うことを決めると、自分の部屋に戻り、あてのない旅に出るみたいに簡単に支度をした。
とにかく、一刻も早くこの家を出たかった。
全てが結託して自分を追い出そうとしている、そういうふうにしか考えられなかった。
――ここに、自分の居場所はない。
だが、それならどこにそのあてがあるというんだろう。
寄る辺なき放浪者の如く、フルールは肩を落として家を出るのだった。
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