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雪桜の華冠  作者: null
一部 エピローグ 眠り姫の就寝前夜

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眠り姫の就寝前夜

『おやすみなさい』

 目を開ければ、辺りは暗闇に覆われていた。


 先の見えない道を、フルールはゆっくりと歩き続ける。


 いつからだろう、足を止められなくなっている。


 小石のような努力を、幼い頃から山ほども積み上げてきた。ただ、その多くが自分に報いてくれたことはなかった。


 当然である。積み上げても、所詮はただの小石。本質的には屑と何も変わらない。


 それでも、信じて積み重ねていくうちに、やめられなくなった。やめれば、今までの自分を否定するみたいな気がして…。


 最近、ようやく報われた気になっていたが、あの黒衣の女に打ち負かされたために、再びこの深い穴の底に戻ってしまった。


 ――強かった。武術もさることながら、あの絶大な魔力…。この差は、努力では到底埋められないものだと痛感した。


 結局、何も変わっていない。


 小石は小石。指先ばかりの魔力は、たとえどれだけ束ねたとしても所詮は指先ばかりだ。


 慣れ親しんだ落胆。それが以前より大きく感じられるのは、忘れていた夢を思い出させられてしまっていたからだろう。


 (私だって…努力すれば、この力で何かを成せると思ったんだけどな…)


 肩を落とすフルールの頭の中に、どれだけ耳を塞いでも内側から聞こえてくる声が響いた。


 『四大貴族の面汚し』

『四大貴族のくせに』

『剣術なんて、負け犬のすることだ』

『女に生まれたから幸いだった。女なら、子は産めるだろう』

『無駄な努力をするぐらいなら、さっさと花嫁修業でもすればいいのに』

『魔法の使えない、用無し娘』

『私に、背負わせたものです』


 誰も自分に期待なんてしていない。


 分かっていたことだ。


 分かって…いたことだ。




 何人かの人の声に、フルールの意識はようやくわずかに覚醒した。


 深いまどろみの中にいたためか、視界が薄ぼんやりとしていて、彼女は依然としてぼうっと木でできた天井を見つめていた。


 体が、奇妙な浮遊感に覆われている。夢の中にまだいるのか、と上の空で考えていたフルールだったが、ルーナの聞き慣れた声にハッキリと目を見開いた。


 「だーかーらぁ、何度言ったら信じてくれるの?シムス・ウィンダとかいう貴族を倒したのも、村の近くで挽肉になった兵士たちも、全部私たちがやったの!エンバーズだっていうのも本当なの!」


 体を起こせば、自分がベッドに寝かされていることに気づく。こんなことがついこの前もあったな、と悠長にも考えていると、近くで自分を診てくれていたらしい老人が、「起きたぞ」と何の感慨もなく周囲に知らせた。


 「おぉ!桜倉っ!」


 知らせを聞くや否や、ルーナが飛びついてくる。若い女性らしい甘い香りと柔らかな感触。それとは反比例するみたいな獣人特有の力強さに、フルールは死にかけのカエルみたいな声を発した。


 ルーナは顔を離すと、「うんうん、顔色も良いね。二、三日前まで死人みたいな顔色だったとは思えないよ」と笑った。


「死人…?」とフルールは眉をひそめた。「そうだ、私…あの性悪女と戦って、それで…あれ?」


 記憶に残っている最後の一撃を思い出し、慌てて服をめくって腹部を確認するが、そこには傷痕一つ見当たらなかった。


 「何で…あれって、夢じゃなかった、よね?」おそるおそる目の前のルーナに尋ねる。すると、彼女は愉快そうに口角を上げた。「当たり前じゃん。ここにいる人たちが、貴重な薬で治してくれたんだよ」


 ルーナの視線を追い、部屋の中を見渡す。


 質素な部屋の中には、数人のエルフがいた。彼らのほとんどが若者だったが、唯一、自分が寝かされていたベッドの脇に座っているエルフだけは老人だった。


 「着いたんだ…エルフの里」

「そうそう!藍さんから受けた任務も果たせて、私も安心、安心!」


 確かに、その事実にはフルールも少しばかりほっとした。


 どうやら、こんな自分でも人の役には立てたようだ。


 それにしても…まさか、あんな大怪我が痕も残らず治ってしまうとは驚きである。一体全体、どんな薬を使えばそんなことが可能なのか…。


 フルールは自分がまだお礼を口にしていないことを思い出すと、周囲に向かって頭を下げ、礼を告げた。だが、誰も何の反応も返さなかった。それを訝しがって顔を上げると、見るからに不審そうな目つきが並んでいることに気づいた。


 「…歓迎、はされてないみたいだね」

「そうなんだよぉ、桜倉からも何とか言ってよ、みんな揃って朴念仁でさぁ」

「ちょ…」


 遠慮のないルーナの物言いに、エルフたちの雰囲気がさらに険しくなる。


 フルールの視線を追ったルーナは、彼らが鋭い目つきをしているのを確認すると、小首を傾げた。


 「あれ?またやった?私」フルールはルーナの腕をぐっと引き、忠告する。「どう見たって警戒されてるんだからさ、迂闊な発言はやめなって」

「そうは言われてもですね、桜倉先生。私は何が『迂闊な発言』なのかも分からない次第でしてぇ」

「じゃあ、少し黙ってて」


 飄々とした態度を崩さないルーナが、状況も弁えずふざけているように感じられて、フルールは顔をしかめる。


 はぁい、と間の抜けた返事をした仲間から、不信感を包み隠さないエルフたちへと視線を移す。


 「あの、本当にありがとうございました…。あんな傷が治るなんて、とても貴重な薬を使って下さったのだと思います。何とお礼を言えばいいか…」


 丁寧な語りと共に頭を下げるも、誰もろくな反応を示さない。なるほど、話で聞いていた通り拒絶的な種族のようだ。


 そんな中、件の老人だけが言葉を返してくれた。後で聞いた話だが、彼は医者であり、この里でも屈指の古株らしい。


 「お前さんが想像している以上に、貴重な薬なんだがね」

「す、すみません」

「まぁ、こうなるのも時間の問題ではあった」


 老人は自分たちにしか分からないような言い草で同胞を見渡すと、肩を竦めて立ち上がった。


 「…彼女が起きたことを、アネモス様に報告してくる。皆の者、頼んだぞ」


 彼が部屋から出て行くのを声をかけて止めようかと思ったが、言葉が思いつかず、断念する。


 老人の行く先や周囲の視線は気になるものの、一先ず状況を整理するべきだろう。


 フルールは、拗ねた様子で唇を尖らせたルーナに質問した。


 「それで、どうやってあの状況をくぐり抜けたの?なんか、ミンチがどうとかって聞こえたけど…」

「そう!それだよ、それ!」ぬっと顔を近づけるルーナを、上体を逸らしてかわす。「いつもながら近いよ…。で、『それ』って何?私にも分かるように――」

「雪希!雪希が凄かったんだよ!」

「え…?」


 スノウの偽名が出た瞬間、フルールは嫌な予感が背筋を駆け抜けるのを感じた。その予感が当たらないことを祈りながら、先を促すようにルーナの赤茶色の目を見つめる。


 「雪希ってば、氷の魔法でぴきぴきどっかぁんって!」


 ――…氷の魔法!


 きゅっと、心臓が痛くなった。フルールが密かに心の奥で危惧していたことが現実となってしまったようだ。


 フルールの不安や焦燥に、一ミリも気づくことのできないルーナは、一人で首をひねり、「あれ、どっかぁんはおかしいか…?んー…ぴきぴきぱりーん?」などとぼやいている。


 大きな動揺を悟られないように、努めて冷静なフリを装い、フルールはもう一度質問を繰り返した。


 「魔法って確かなの?本当に、スノウが使った魔法なの?」

「間違いないよ。目の前で見てたもん。空から雪が降ってきたかと思ったら、敵に触れた途端にあっという間に凍りついてね!そのまま、数秒もしたらパリン、って粉々にしちゃった!」


「それで、あれだけの数を一人で…」

「そうなるね。あぁでも、あのヤバい女と、シムスを含めたヴェルデ領の兵士の何人かはいなくなってたから、殺ってないね」


 話を聞きながら、フルールは目を閉じ俯いた。のしかかる不安に耐えるためにそうするほかなかったのである。


 (スノウに魔法が戻った…。だとしたら、もう…)


 こうしてはいられない、とフルールはここにいないスノウの居場所をルーナに尋ねた。


 彼女が悪気のない様子で、「知らないよ?」と答えたので、それがまた腹ただしく思えた。


 幸い、エルフたちに同じ問いを試してみたところ、今度は無視されず、スノウを近くの湖の畔で見かけたことを教えてくれた。


 フルールはしっかりとお礼を告げると、放っておけばついてきそうなルーナに「二人で話したいことがあるから、来ないでね」と伝え外に出た。




 建物の外はすっかり更けた夜に覆われていた。怪物の腹の中を想像させるような黒に、思わず足が竦む。いつもは美しく感じられる星々も、今は監視する目玉みたいで落ち着かない。


 周辺にも、自分がいた建物と同じような小さな木の小屋が散在していた。そのどれもが明かりが消え、静まり返っている。


 奥のほうに一件、光の消えていない大きめの建物が見える。何人かの人影も確認できるし、話し合っている声もする。時折、若い女の怒鳴り声もしていた。


 湖までは一分も歩けば辿り着くことができた。思っていたよりも大きな湖だった。海と見紛うほどで、なんと、水平線が見える。


 フルールは、途中でピタリと足を止めた。止まった、と表現するほうが適切か。


 凪いで、揺れずにいる湖面と、そこに映る青い月。そして、その岸で水平線の彼方を見つめるようにして立っている女性。


 「…スノウ」名を呼ばれ、スノウは横顔をこちらに見せた。


 彼女の装いは、森を抜けて来たときのものとは変わっていた。リアズール家から持ってきたシルクのローブではなく、スノウの瑠璃色の髪や瞳を模したような深いブルーのローブだ。


 肩が露出し、胴体部分がきゅっとすぼまっているのが特徴的なデザインである。自分が知っている以上に、スノウが細身で手足が長く、俗に言う良いスタイルであることが分かる服だった。


 綺麗だ、と思った。同時に、とてもブリザにそっくりだとも。特に、氷のような冷徹さを秘めた横顔が。


 「…怪我は、もう痛みませんか?」

「え、あ、うん…」


 てっきり、いつもみたいに不安げな顔で寄って来ると思っていたから、落ち着いた口調で話しかけられて驚いてしまう。


 スノウは再び顔を正面に向けて、湖を見つめた。彼女の華奢な背中に、月光が雲の影を落とす。


 このまま、いつまでもスノウは口を開かない気がした。それで、沈黙を嫌ったフルールは何でもない口調で問いかけた。


 「魔法、使えたってルーナに聞いたけど、本当?」


 スノウは、何も答えてくれない。


 しばらく、そうしてスノウの背中を見つめていた。普段とは違う様子に胸が押し潰されそうになっていると、ようやく彼女が口を開いた。


 「…私、人を殺しました」

「…え?」

「人を、殺したんです。今度は動物じゃない。事故でもない。明確な殺意をもって、氷漬けにしました。――ブリザお姉様がしたのと同じように」


 想像はできたことだ。ルーナの言うことが正しければ、その結論が自然だった。だが、いざ本人の口から聞くと、そんなはずはないとも疑ってしまう。


 スノウはフルールの反応など気にも留めず、言葉を紡ぎ続けた。まるで、一人舞台で台詞をそらんじるように。


 「だけど、何も感じなかった。後悔も恐怖も。いや…そんなもの、貴方と外の世界に出てからは、ずっと…」

「す、スノウ」


 フルールは、スノウがどこか遠くへ行ってしまうような気がして、手を伸ばした。しかし、その手が彼女の肩に触れるより前に、スノウがこちらに体を向ける。


 月光を後光の如く背負う私の許嫁は、とても冷えた瞳をしていた。


 「『何かを変えようと思うとき、まずは自分を変えなければならない』――古く、手垢の付いた言葉です。でも、今なら、それが真理だったと痛いほど理解できる」

「自分を、変える…」


 だから、彼女は変わったのだろうか。いや、戻った、というべきなのか…。


 「貴方と幸せな時間を過ごしたいという私の想いを、無関心で、澱んだこの世界が阻むのであれば…私はもう、引きこもらない、閉ざしはしない。耐えるだけの自分を蹴り飛ばし、他人を踏み潰してでも、古い世界を捨て去ってみせる、私と貴方が幸せになれる世界に変えてみせる」


「…だけどそれじゃ、スノウが――」

「雪希です。桜倉」


 びくっ、と肩が震えた。スノウが二人きりのときでも望んで偽名を使ったのは、これが初めてだった。


 「フルール・ヴェルメリオも、スノウ・リアズールも、今のこの歪な世界では幸せにはなれない。だから、眠るのです」


 スノウ――いや、雪希が、ゆっくりとフルールの――桜倉のほうへと近づく。彼女は何の躊躇もなく片手を桜倉の前に差し出し、穏やかな、だけど清冽な口調で告げた。


 「手を取って下さい。私のお姫様」


 青い光は、有無を言わせず桜倉の心を貫いた。そっと、雪希の手に自分の手を重ねる。


 守られるだけの少女は、もうどこにもいないと分かった。自分たちの関係が逆転しつつあることも。


 「…とても、温かい手。この温もりを、これからは私がお守りします…たとえ、どれだけの犠牲を払おうとも」

「…これが、私たちにとって、本当の幸せ…?残酷になって生きることが…ねぇ、ス――」


 不意に、そっと唇が柔らかいものに触れた。


 凍えるように冷たいのに、燃えるように熱い…そんな矛盾を残して、彼女の体が離れていく。


 「おやすみなさい、フルール様。そして、どうか、貴方からも眠りに就く前の祈りを、私に下さい」


 彼女が求めているものが何か分かった。それに、ここでそれを選ばないという選択がありえないことも。


 ゆっくりと、彼女の冷たい頬に手を伸ばす。


 星と星が時間をかけて近づくように、その冷たい唇に自分の唇を重ねる。


 刹那か、永劫か。見極めのつかない空白を残して体を離せば、酷く美しく瞬く青い銀河が自分を見つめていることに気がついた。


 言葉が必要だ、と思った。


 たとえ、その言葉を放つ『器』が自分にはなかったとしても。


 「…おやすみ、スノウ。世界が変わる、そのときまで…」


 彼女が最後に返した、「おやすみなさい」という言葉が、どこまでも夜の淵に沈んでいくようだった。

これにて、一部は終了となります。


少しでも続きが気になる、という方は、ブックマーク、評価、感想などが頂けるととても嬉しいです。

続編もアップできるかと思われます。


五部編成と長編にはなっておりますが、すでにきちんと完結している『竜星の流れ人』という百合作品も上げております。

異世界転移とありきたりな設定にはなっていますが、ご興味のある方は是非!


それでは、また機会があればよろしくお願いします!


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